言葉で考えているからか、書きながら整理しているところがある。
そういえば以前i「お母さんは、喋りながら考えている」といわれたことがある。
書きながら考える方が、ちょっとは進歩したのだろうか。
今回はブログのコメント欄をシャットアウトしながら、
自分でブログに支えを求めていた。
自分の話し相手になる自分が欲しかった。
矛盾だよね、とも思いながら、
アンネ・フランクが、キティ様と書きだして、毎日日記を書いていたように、吐露する相手が欲しかった。
余談
そういえば思い出した。
今ベットにいる娘が小学生か中学生だったかの頃、言っていた。
みんなアンネフランクの日記というと、戦争の暗いイメージと結びつけるけれど、日記はなんだか違う。書くのが好きな女の子で、日記の中身は特別ってことないよねー、と。
アンネの日記を読まないでイメージしている人よりも的を得ている、と思ったものだ。
そして、ふふふ、ワタシも中学生の頃、アンネ・フランクにあてに手紙を書こうとかの企画で、文章を書いた覚えが・・・。
アンネがそうしたように、あてもない誰か、または、もう一人の自分へ、かもしれないけれど、そういう相棒が時には必要になる。
誰もがそうではないかもしれない。
けど、ワタシはそういうタイプ。
だから、ブログがあって、よかった。
そういえば以前i「お母さんは、喋りながら考えている」といわれたことがある。
書きながら考える方が、ちょっとは進歩したのだろうか。
今回はブログのコメント欄をシャットアウトしながら、
自分でブログに支えを求めていた。
自分の話し相手になる自分が欲しかった。
矛盾だよね、とも思いながら、
アンネ・フランクが、キティ様と書きだして、毎日日記を書いていたように、吐露する相手が欲しかった。
余談
そういえば思い出した。
今ベットにいる娘が小学生か中学生だったかの頃、言っていた。
みんなアンネフランクの日記というと、戦争の暗いイメージと結びつけるけれど、日記はなんだか違う。書くのが好きな女の子で、日記の中身は特別ってことないよねー、と。
アンネの日記を読まないでイメージしている人よりも的を得ている、と思ったものだ。
そして、ふふふ、ワタシも中学生の頃、アンネ・フランクにあてに手紙を書こうとかの企画で、文章を書いた覚えが・・・。
アンネがそうしたように、あてもない誰か、または、もう一人の自分へ、かもしれないけれど、そういう相棒が時には必要になる。
誰もがそうではないかもしれない。
けど、ワタシはそういうタイプ。
だから、ブログがあって、よかった。