昨日の長野、それなりに混乱もあったし、大事故にもならなかったし、こうして通り過ぎていくものですね。
臨時にかりだされた警備担当者にしたら、少々ぼやきたくなったかも知れません。
さて、私の記憶の聖火リレーとは…、東京オリンピックです。
北陸の小さな町の中学3年生でした。
東京は親戚もないし、遠いところでした。
学校にもオリンピックの競技観覧券の割当が廻ってきて、希望者を募ったりしていました。
国を挙げてのオリンピックだったのですね。
聖火リレーには、地元の人も走ったのです。
というか、学校の行事として、全クラスが列を成して、沿道まで聖火リレーを応援(?)に行った覚えがあります。
そして、聖火をもって走ったのは、町内の3つほど年上の、横山のまさちゃん。
三つも年上だと、しゃべったこともないのですが、夏休みのラジオ体操のときに、リーダーやったり、町内の先輩のお兄さんというイメージでした。そのお兄さん格のまさちゃんが沿道の大勢の拍手に見守られて走っていくのです。
凄いなー、立派ただなー、と見送ったものです。
モチ、警備員なんていませんでしたよ(笑い)>
そして、見送った後、中学生たちは列を作って、学校に戻って、グランドで先生の話を聞いていたとき、
グラッ!
と、来たのです。
あっ!
これっ、地震じゃない?
晴れた空の下、グランドに立つ、その足元の揺らぎ。
周りのものがぐらつく音はまったくしないけれど…。
「地震だと思うよ、きっと」
そういって、下校して、自宅で見た、テレビの映像は、
スゴイ惨状を映していました。
オリンピックは10月1日に開催。
勿論入場行進はテレビで見たのですが、
このとき、私たちが見ていたテレビ画像、白黒だったのですね。
興奮と感激で見た画面、後日見たカラー映像と混乱して、私が思い出す入場式場面には色が付いているのです。
聖火リレーというと、私に思い出されるのは、こんな昭和39年(1964年)の新潟地震とセットであり、ランニング姿のまさちゃんの勇姿です。
石屋さんの次男坊まさちゃんはその後高校を卒業して寿司職人の修行に東京へ行ったと聞きました。
臨時にかりだされた警備担当者にしたら、少々ぼやきたくなったかも知れません。
さて、私の記憶の聖火リレーとは…、東京オリンピックです。
北陸の小さな町の中学3年生でした。
東京は親戚もないし、遠いところでした。
学校にもオリンピックの競技観覧券の割当が廻ってきて、希望者を募ったりしていました。
国を挙げてのオリンピックだったのですね。
聖火リレーには、地元の人も走ったのです。
というか、学校の行事として、全クラスが列を成して、沿道まで聖火リレーを応援(?)に行った覚えがあります。
そして、聖火をもって走ったのは、町内の3つほど年上の、横山のまさちゃん。
三つも年上だと、しゃべったこともないのですが、夏休みのラジオ体操のときに、リーダーやったり、町内の先輩のお兄さんというイメージでした。そのお兄さん格のまさちゃんが沿道の大勢の拍手に見守られて走っていくのです。
凄いなー、立派ただなー、と見送ったものです。
モチ、警備員なんていませんでしたよ(笑い)>
そして、見送った後、中学生たちは列を作って、学校に戻って、グランドで先生の話を聞いていたとき、
グラッ!
と、来たのです。
あっ!
これっ、地震じゃない?
晴れた空の下、グランドに立つ、その足元の揺らぎ。
周りのものがぐらつく音はまったくしないけれど…。
「地震だと思うよ、きっと」
そういって、下校して、自宅で見た、テレビの映像は、
スゴイ惨状を映していました。
オリンピックは10月1日に開催。
勿論入場行進はテレビで見たのですが、
このとき、私たちが見ていたテレビ画像、白黒だったのですね。
興奮と感激で見た画面、後日見たカラー映像と混乱して、私が思い出す入場式場面には色が付いているのです。
聖火リレーというと、私に思い出されるのは、こんな昭和39年(1964年)の新潟地震とセットであり、ランニング姿のまさちゃんの勇姿です。
石屋さんの次男坊まさちゃんはその後高校を卒業して寿司職人の修行に東京へ行ったと聞きました。