これは先の月曜(敬老の日)の話です。
木曽路馬篭の宿の近くにある田立の滝に行った帰り道、車の駅に寄りました。
若い頃木曽路をスケッチ旅行して、篤いもてなしを受けたことに感動したという縁から、「心の旅路館」という美術館が建てられたということらしいです。
「伯林留学の思い出」という企画展が開催されていたこともあり入館。
木曾の山襞を描いた鉛筆と水彩スケッチが、画伯の若い時代を想像されて楽しいものです。
そして、ベルリン留学は美術学校を出たあとの昭和8年とあります。
あの戦争の前…、その頃のドイツって…と、思いながら歩を進めて行くと、彼が留学時代に当時の日本の新聞(報知新聞だったかな?)に連載されていたという「伯林画信」の絵とコラムの文章も展示されていました。
その留学時代を語る文章の中に、
「学生の中にはナチの制服姿でくるものもいます。教授は皆ナチ党員です」とある。
だろうなとは、思うけれど、目の前の文章が当時リアルタイムで日本の新聞に掲載されていたのだという想いとあわせながら読み進む。
行進する軍隊に通りの両側で群れなす市民が、一様に右手を高く掲げているスケッチも並んでいる。叫んでいるのは「ハイル・ヒットラー」だろうか。
昭和8年(1933)頃のドイツ国民が、敗戦後の苦しい生活の中でヒットラー支持に回っていた頃なのだろう。その頃の日本はドイツとどういう距離間だったのだろうか。
このあと、あの悲惨な戦争がやってくるとはまだ知らない人たちの「ハイル・ヒットラー」の響き。
20代の若き画家の目は、その時代を描いて送ってきてくれて、日本の新聞が掲載していた。そのときその紙面を目にした人々はどういう心情であったものか。
などと、戦後生まれの、自分が居合わせていない時代のことを想像する時間でした。
同じ時代でも留学先がパリならば、第1次大戦の戦勝国フランスの陽気な気分でにぎやかだったモンマルトル界隈を満喫する画学生に加わったのかも…。感受性の豊かな若い時代の体験がどこであったかが、後の考え方に大きく影響を与えたりするのでしょうね。
木曽路馬篭の宿の近くにある田立の滝に行った帰り道、車の駅に寄りました。
若い頃木曽路をスケッチ旅行して、篤いもてなしを受けたことに感動したという縁から、「心の旅路館」という美術館が建てられたということらしいです。
「伯林留学の思い出」という企画展が開催されていたこともあり入館。
木曾の山襞を描いた鉛筆と水彩スケッチが、画伯の若い時代を想像されて楽しいものです。
そして、ベルリン留学は美術学校を出たあとの昭和8年とあります。
あの戦争の前…、その頃のドイツって…と、思いながら歩を進めて行くと、彼が留学時代に当時の日本の新聞(報知新聞だったかな?)に連載されていたという「伯林画信」の絵とコラムの文章も展示されていました。
その留学時代を語る文章の中に、
「学生の中にはナチの制服姿でくるものもいます。教授は皆ナチ党員です」とある。
だろうなとは、思うけれど、目の前の文章が当時リアルタイムで日本の新聞に掲載されていたのだという想いとあわせながら読み進む。
行進する軍隊に通りの両側で群れなす市民が、一様に右手を高く掲げているスケッチも並んでいる。叫んでいるのは「ハイル・ヒットラー」だろうか。
昭和8年(1933)頃のドイツ国民が、敗戦後の苦しい生活の中でヒットラー支持に回っていた頃なのだろう。その頃の日本はドイツとどういう距離間だったのだろうか。
このあと、あの悲惨な戦争がやってくるとはまだ知らない人たちの「ハイル・ヒットラー」の響き。
20代の若き画家の目は、その時代を描いて送ってきてくれて、日本の新聞が掲載していた。そのときその紙面を目にした人々はどういう心情であったものか。
などと、戦後生まれの、自分が居合わせていない時代のことを想像する時間でした。
同じ時代でも留学先がパリならば、第1次大戦の戦勝国フランスの陽気な気分でにぎやかだったモンマルトル界隈を満喫する画学生に加わったのかも…。感受性の豊かな若い時代の体験がどこであったかが、後の考え方に大きく影響を与えたりするのでしょうね。