4月11日(金)
日一日と暖かさがまして来る様に思えるが、朝夕、特に夕方になると、まだ、暖房が恋しくなる事さえある。
今日こそは、今迄、出来なかった、いや、避けていた身の回りの整理をしようと思っていたが、相変わらずの怠け癖で……
いや、実は、つい、ノートブックの方へ眼が向いてしまうのだ。
『ノートブック』と言っても、真面目に記録をしたり勉強をしたりする筆記帳では無い。
『MacBookAir』である。そして更にiPhoneにiPadと、まさに、私はイイトシヲシテ(こんな時に表現するのはおかしいが)すっかり『Macお宅』になっている。
他の事は全て脇へ押しやって、この三つの玩具を日がな一日、いじっているのだから、どうしようも無く重症だ。
同じ『日がな一日』でも、読書でもしているのならいいのだけれど、どうしようもない。
更に困った事に、目がすっかり疲れ切っている。
目の保護のためにも休息をと思うのだが、何時も、側に置いている私の器機類を見ると、つい、手を出してしまう。
今も、そう。
ブログが溜まったからと、つい、MacBookAirを開いてしまった。
そんな事をやるより、最近、実に下手になってしまった文字を書く練習をすると良いのにと思う。
文字は人柄を表わすのだから。
仕事に就いていた若い頃は、役所へ提出する書類はカーボン紙を使って書いたものだった。この作業は緊張する。一度間違えれば、書き直しをしなければならないからだ。
ある時、上司が役所から帰って来て、私に伝えた。「あなたの字はとても整っていてで読み易いと感心していたよ」と。
ほめられれば、こんなに嬉しい事は無い。更に心を込めて書く努力をした。当時のガリ版の文字もきちんと一字一字を丁寧に切っている。
そして、出来上がりを見ては、我ながら確り良く書けたと感心したものだ。
それが、今はどうしたのだろうか?
私が書く文字は,形が不揃いの上に、縦書きになると、どんどん、斜めに片寄って来る。
いくら気をつけようとしても,益々、ひどく曲がるので、今では殆ど諦めの境地だ。
と、言うよりも「どうだっていいや」と、何もかも面倒になってしまう。
最近は、筆圧が少ない毛筆で書く方が多くなった。しかし、小さな文字は上手く描けない為、封筒の宛名書きぐらいが関の山。
それも、そのうち、不可能になるのかな?などと、多少、危ぶんでいる。
兎に角、文字がまともに書けないでいる最も大きな原因は、パソコンの所為だと分かっている。
それはパソコンが悪いのでは無く、何事も、手書きで表現する気持が無くなってきた自分にある。
今からでも直るだろうか?
美しい文字を書く人の芸術的な作品を見る度に、歳を重ねれば、それだけの美しさや人生観が表現出来るのに、何と、私はもったいない事をしたのだろうとと反省する。
夕方、宛名を筆で書いた封書を持って、発送を依頼しに行った。係の女性が「何処かで字を書く勉強をしたのですか」と聞いた。「いいえ、全て、自己流です」と私は答えた。
自己流でも、毛筆で何とか書ける様に努力をしようかなと、ふと、思った。
高校時代の友達からカレンダー受け取りの便りが、毎月、葉書で送られて来る。
小さな真面目な文字で、行間を確りと揃えて、近況をこまごまと記している。
彼女の几帳面さに感心しながら、私も見習わなくては…と、何時も反省するのだ。
しかし……、キー操作一つで表現出来る既製の書体の美しさにに惹かれて、どうしてもパソコンにとらわれてしまう。
これも、文字の印刷表現が一つのアートになる魅力を十分に味わっていたい自分がいるからかも知れない。
60歳を過ぎてから、デザイン専門学校でエディトリアルデザインの勉強をしたのだもの。
さて、どうなる事やら……両者の間に立った自分の行方は?
* また、一本黄色いチューリップが咲き始めました。
日一日と暖かさがまして来る様に思えるが、朝夕、特に夕方になると、まだ、暖房が恋しくなる事さえある。
今日こそは、今迄、出来なかった、いや、避けていた身の回りの整理をしようと思っていたが、相変わらずの怠け癖で……
いや、実は、つい、ノートブックの方へ眼が向いてしまうのだ。
『ノートブック』と言っても、真面目に記録をしたり勉強をしたりする筆記帳では無い。
『MacBookAir』である。そして更にiPhoneにiPadと、まさに、私はイイトシヲシテ(こんな時に表現するのはおかしいが)すっかり『Macお宅』になっている。
他の事は全て脇へ押しやって、この三つの玩具を日がな一日、いじっているのだから、どうしようも無く重症だ。
同じ『日がな一日』でも、読書でもしているのならいいのだけれど、どうしようもない。
更に困った事に、目がすっかり疲れ切っている。
目の保護のためにも休息をと思うのだが、何時も、側に置いている私の器機類を見ると、つい、手を出してしまう。
今も、そう。
ブログが溜まったからと、つい、MacBookAirを開いてしまった。
そんな事をやるより、最近、実に下手になってしまった文字を書く練習をすると良いのにと思う。
文字は人柄を表わすのだから。
仕事に就いていた若い頃は、役所へ提出する書類はカーボン紙を使って書いたものだった。この作業は緊張する。一度間違えれば、書き直しをしなければならないからだ。
ある時、上司が役所から帰って来て、私に伝えた。「あなたの字はとても整っていてで読み易いと感心していたよ」と。
ほめられれば、こんなに嬉しい事は無い。更に心を込めて書く努力をした。当時のガリ版の文字もきちんと一字一字を丁寧に切っている。
そして、出来上がりを見ては、我ながら確り良く書けたと感心したものだ。
それが、今はどうしたのだろうか?
私が書く文字は,形が不揃いの上に、縦書きになると、どんどん、斜めに片寄って来る。
いくら気をつけようとしても,益々、ひどく曲がるので、今では殆ど諦めの境地だ。
と、言うよりも「どうだっていいや」と、何もかも面倒になってしまう。
最近は、筆圧が少ない毛筆で書く方が多くなった。しかし、小さな文字は上手く描けない為、封筒の宛名書きぐらいが関の山。
それも、そのうち、不可能になるのかな?などと、多少、危ぶんでいる。
兎に角、文字がまともに書けないでいる最も大きな原因は、パソコンの所為だと分かっている。
それはパソコンが悪いのでは無く、何事も、手書きで表現する気持が無くなってきた自分にある。
今からでも直るだろうか?
美しい文字を書く人の芸術的な作品を見る度に、歳を重ねれば、それだけの美しさや人生観が表現出来るのに、何と、私はもったいない事をしたのだろうとと反省する。
夕方、宛名を筆で書いた封書を持って、発送を依頼しに行った。係の女性が「何処かで字を書く勉強をしたのですか」と聞いた。「いいえ、全て、自己流です」と私は答えた。
自己流でも、毛筆で何とか書ける様に努力をしようかなと、ふと、思った。
高校時代の友達からカレンダー受け取りの便りが、毎月、葉書で送られて来る。
小さな真面目な文字で、行間を確りと揃えて、近況をこまごまと記している。
彼女の几帳面さに感心しながら、私も見習わなくては…と、何時も反省するのだ。
しかし……、キー操作一つで表現出来る既製の書体の美しさにに惹かれて、どうしてもパソコンにとらわれてしまう。
これも、文字の印刷表現が一つのアートになる魅力を十分に味わっていたい自分がいるからかも知れない。
60歳を過ぎてから、デザイン専門学校でエディトリアルデザインの勉強をしたのだもの。
さて、どうなる事やら……両者の間に立った自分の行方は?
* また、一本黄色いチューリップが咲き始めました。
とってもキレイです。
最近は私も葉書や封書よりメールに頼る事が多くなりました・・・反省・・・。
ブログの模様替えをされたんですね。スッキリしていてカッコイイです。
私も、一日中PCの前に座っています。一日一回はキーボードをいじらないと落ち着かない、立派な「PCオタク」です。
私の書く文字は元々汚いので、きれいな文字を私の代わりに書いてくれる(私の秘めた人柄を隠してくれる)PCに感謝してます。(笑)
ネ!奇麗でしょう?
全然、世話もしないのに、植物の生命力の強さに驚きます。その上、数は少なくても、本来の色を確り受け継いでいるところが驚きです。
この黄色い花は花壇の端に一本だけ咲きました。とっても嬉しいです。
同士が増えて嬉しい!ですよ。
でも、それで安心してしまってはいけないと思ったりもします。
だけど、それはあなたの事ではないですよ。何と言っても、こんなに便利な文字書き道具があるのですものね。
最近の私の文字はブログに書いた通り、余りにもひど過ぎて、いささか、慌てています。
文字はその人の人格を表わすと思いますから。
暇を見付けて手書きの励行もしようと思います。若返り若返り!!の為にネ。