土手の伊勢屋。創業1889年だそうです。私は近所に住んでいても、入ったことは
ありません。調べてみると、いつも混んでいて並ぶそうです。でもこんときゃあ
並んでいる人もいないですね。たしか3時頃だったかな。今度試してみるかな。
うお、ジョォ~~! できたのは最近だろうなあ。ちょっと似てない…?
さあ「ありえない」正面から。花形満もそうですが、顔がほとんど正面になっても、
必ず髪の毛は右か左の斜めになびいているはずなのです。どこかしら真っすぐに
なっている角度があるはずなのに、必ず斜めなのです。だからこの構図は超レア!
ううう、スミマセン。何か見てはいけないものを見てしまったような…w
ただの街中の交差点のように見えますが、ここがかの有名な「泪橋」の交差点です。
丹下段平が、「この橋を逆に渡るんだ」とジョーに熱く語った場所。橋の下に
掘っ立て小屋のジムがあったんですよね。
ネ。 しかしここは、かつて恐ろしくバッチイ感じの立ち飲み屋などがあって、
昼間っから浮浪者がカップ酒などを飲んでいました。ところ構わず立ちションを
する人たちや、酔いつぶれて道路に寝てしまっている人なども。
なーんか全部きれいに一掃されてしまっており、ちょっと寂しい気分になったの
でした。
あしたのジョーの街、いろは会商店街を散歩しました。丹下拳闘倶楽部のあった
山谷のドヤ街、泪橋の近くです。サチもこのあたりに住んでいたのでしょうか。
紀ちゃんの働いている乾物屋があったら行ってみたい♪
私は台東区の竜泉と入谷で育ちました。上野と浅草を結んだ線の北側といえば
わかりやすいでしょうか。高校生のとき、電車のときは浅草駅を使い、自転車や
バイクでは泪橋を通過して明治通りを走りました。千束にあるソープ街エリアで
新聞配達をしたこともあります。というわけで、長年下町エリアを徘徊したわけ
なのですが、このいろは会商店街エリアは、あまり縁がなかったようです。
なので気分は初めて来た街。
やたらに「あしたのジョー」で売っていますね^^
「孤独のグルメ」(原作・久住昌之、作画・谷口ジロー)の第一回目が、この
商店街の食堂でしたね。主人公が慣れない街の商店街に迷い込み、入ってみた
食堂には労働者ばかりで、酒を飲んでいる人たちもいて不思議な違和感を感じる
という話でした。
私が子供の頃、このエリアにひとりの叔父が住んでいました。あまりまっとうに
働かない人でした。なのでホームレスやわけありの日雇い労働者たちが住むこの
街にふさわしい雰囲気を持っていました。あるとき、その叔父にいきつけの
食堂に連れていかれました。カウンター数席の小さい店で、カレーライスを食べた
記憶があります。
横に小太りでスーツ姿のおじさんが何かを食べていて、最後に1万円札を出しました。
店員はそれを受け取ったけれど、私の叔父と楽しく話し続けていました。ちょっと
時間が過ぎて、そのスーツの人はおつりを受け取らずに出て行ってしまいました。
それから、その店員は「あ~、さっきの客、おつり渡してないのに帰っちゃった」と
笑いました。私の叔父も笑っていたと思います。
ひどいですよね!おつりはすぐに渡すべきでしょう。おそらくそのお客は、その店の
雰囲気からおつりはもらえないかも、と思ったのではないでしょうか。ぼったくりも
はなはだしい。
「百貨センター」という名前が時代を感じさせていいですねェ。
こういうところのお2階なんかに住んでみたいな。しかし私が子供の頃は、この
界隈にはキッタナイ浮浪者がたくさん歩いていました。いまでいう「ホームレス」
です。いまとなれば、その人たちもいろんな人生の苦労をして、挫折を味わったり
しながら流れてきた「わけあり」の人たちだったのだろうと思えるけれど、子供の
頃は、きっと私も容赦なく冷たい目で見ていたのでしょう。
塩釜の酒、「阿部勘」は私の大のお気に入り。いつもは純米吟醸を飲んで
いますが、このときは大吟醸も一緒に注文し、友人が来たのでさっそく
開けて飲み始めたのです。
純米吟醸を口にしたときは、いつも「爽やかでもやはり香り豊かで芳醇♪」と
嬉しくなるのですが、このときは最高峰の大吟醸を期待を持って口にしたと
いうのに… それほどの感動がないw(゜益゜)w
なんかもの足りない気がするのはどうしてだ?釈然とせず、しばらく飲み
続けていました。話に夢中になって盃を重ねていると、酔ったせいなのか?
だんだん旨く思えてきたのです。
それが、「香る!」だとか「フルーティ!」だとか「後味が豊か!」とか
高級酒にありがちな特徴があるわけではないのです。ひっかからずに、
いつまでも飲めてしまう。控え目で、出しゃばるどころかいるのもわからない
くらいに落ち着きがあるのに、よく意識して味わってみると全く欠点のない
豊かさよ!
一緒に飲んでいた友人が言いました。「仙人が飲んでいるのって、こういう
酒なんじゃないかなあ」と。わかる気がしました。一生これでもいいのかも
しれない。いやさりげなくても、それこそが至高の一品なのかも、と。
豊盃が飲みたくなって、いつもの荻窪の「鳥もと」へ。ここには豊盃が
ずらり。季節限定やらなんやら、執念で集めているので画像左のお兄さんが
「豊盃コンプリート!」と豪語しているのです。
昼間っから営業しているので、友人と待ち合わせるのはいつも平日の2時とか。
だいたいガラガラです。しかしこんときゃ連休中とあって、まだ夕方早い時間
なのに満員!別の店のようだ。
豊盃でも「ビキニ娘」や「モヒカン娘」といった意味不明のやつはあまり旨く
ないのだ。やはりスタンダードの純米吟醸が素晴らしい。「つるし大吟醸」や
「レインボー」は最高峰ですが、さすがにお値段がね^^;
今回気になったのが、「アップル&ドッグス 限定111本」という変な名前。
青森の日本酒の名前にこんなのつけるか?
しかし抜群に旨い。「アップル」って名前だけに、まさか使ってはいない
だろうが、ほんのりリンゴのようにフルーティ。
んで画像右の弟さんのほうに「どうしてこんな名前なの?」と聞いたら、
「俺は造り手じゃねーんだから知らねえよ!」ときたもんだ。ごもっとも。
しかし続けて「青森はリンゴだろ。造り手が犬を飼っているらしいんだよ。
犬だからワンワンワンで111本!」
…ね~、詳しく知ってるんじゃん…w(゜゜)wコンデルカラッテイライラスルナヨー
藤原紀香さんがネットに発した言葉が大炎上になったというニュースを見ました。このたびの熊本の震災に対して、「火の国の神様、どうかどうか、もうやめてください。お願いします」と書いたことだそうです。…
なんでこれで大炎上?
私は熊本の老舗の居酒屋、「割烹火の国」を思い出したが。熊本と言えば、火の国ですからねェ。どうやら、「火の国の神様がおしおきをしているって?熊本県民が何か悪いことでもしたのかよ!」ということだそうです。怒る気持ちがわからん。。。
そこで思い出したのが、東日本大震災が起こったときの石原慎太郎のコメントです。彼に言わせると、あの地震は日本人の自分勝手な欲望が引き起こしたものだそうです。「津波をうまく利用して、我欲をうまく洗い流す必要がある。積年にたまった日本人の心の垢を。これはやっぱり天罰だと思う。被災者の方々、かわいそうですよ」こうまではっきりと、「天罰」と言っているのがすごい。そしてご自分には「我欲」がないという前提のようで。津波被害にあった人々は、「積年の垢」なのかね。こういう不愉快で明らかにおかしなやつには炎上しないのか?今回藤原紀香をバッシングした人たち、どうなんだ?
石原慎太郎がこわもてだからって、別に怖がっているわけじゃないよね?ネットで暴言を吐いたりするのは、見えないところから石を投げるようなものなんだから。それでも弱いものいじめのような対象を選びたくなるのかな。
ヤフーのトップページを開くと、例の号泣議員、野々村竜太郎の泣き叫ぶ顔が嫌でも目に入る。あの画像が3つ縦に並んでいたことも。見たくないねえ。彼はカラ出張で政務活動費を懐に入れたんでしょう。そして議員を辞職して全額返したんでしょ。しかし裁判所で吊し上げられて「記憶にない」を連発。ここでは再び号泣して、「すみませーん!やっちゃったんですぅ~~!!!」と潔く謝ればよかったのでしょう。しかし往生際が悪かったのですなあ。「記憶にございません」というこのセリフは、ロッキード事件で小佐野賢治が連発して、その後いろんな政治家たちに重宝されてきた言葉じゃないですか。なぜに野々村のような小物に、これほどまでによってたかってバッシングするんだ?
最近でも、小渕優子が選挙民に長年(親の代から)接待攻勢をしていたこと、甘利明が業者から「よろしくね」の現金を受け取っていたことなどが発覚しているが、どちらも「知らなかった」「記憶にない」「事務所や秘書」のはずはないように思えるのに、さらにはるかに悪質な犯罪行為だろうに、野々村のように炎上したり、裁判で吊し上げをくらったりはしないのはなぜなんだ?野々村は「裁判所に行けないよ~」とダダをこねたら、驚いたことに留置されたぞ?
炎上で思い出すと、少し過去になりますが、「美味しんぼ」の作者雁屋哲が、漫画の作品内で主人公が福島で、おそらくは被曝が原因で鼻血を出したとき、大変なバッシングを受けました。「風評被害が出る」ということだそうで。作者は「実際に福島に行ったとき、鼻血が出て異常な疲労感があった」と言っています。これに対しては、まあ「うそつくな」とは言えませんよねェ。ご本人の体験なのですから。なぜ血相変えて叩く?
私が比べてしまうのは、事故後に新聞に出た加納時雄元自民党参議院議員の発言です。彼は東京電力副社長から経団連お抱えで参議院に当選した、原発推進の親玉です。彼はあの大事故で放射能がだだ漏れになり、多くの人が住んでいる土地を奪われたあとで、「低線量放射線はむしろ健康にいいと主張する研究者もいる。説得力があると思う。私の同僚も低線量治療で病気が治った。過剰反応になっているのでは。むしろ、低線量放射線は体にいい」と言ったのです。腰が抜けるほど驚きませんか。ここまでバカもしくは恥知らず、あるいはその両方が、東電副社長、そして国会議員だったのですぞ。日本中のみならず、世界中から大バッシング、炎上の嵐があっていいような気がするのだが。どうなんだ?