さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

メルクの修道院へ

2013年10月24日 | オーストリア・チェコ



ウィーンも6日目。ほとんどの見どころを回ったので、この日は街の外に出ることに
しました。ウィーンから列車を乗り継いで1時間30分あまりのところに、「メルク」
という静かな街があり、そこに壮大な修道院があるのです。

その朝、切符を買うときに、ちと恥ずかしい思いをしました^^;
私はドイツ語が全然できません。メルクの地図を見たときに、鉄道の駅に"Bahnhof"
と書いてありました。それがメルクの駅名だと思ったのです。なので駅の切符売場で

 "Bahnhof"までね!

と言ったのです。そしたら「どこの?」と聞かれたので、その瞬間にわかりました。
それはドイツ語で「駅」という意味なのです。すかさず「メルク!」と言いましたが…。

切符売り場で「駅までください!」とやらかしてしまった恥ずかしさのせいか、買って
行こうとしたときに、持っていたバックパックを下に落としてしまいました。そのとき
「ガシャッ!」と嫌な音が…w 

ビデオがバックパックの一番下に入っていて、それが固い床に当たったのです。
電源を入れてみたら、液晶がバリンと割れていた…w(゜゜)w

あひー!これからザルツブルクとプラハに行くというのに…!!! _| ̄|〇



    (結局そのまま日本まで持ち帰り、修理に1マソ以上かかりました…w)




さてメルクは大きな修道院で有名ですが、人口は5000人のちいさな街です。



なんだかテーマパークのように見える街です。



ここは1770年、マリー・アントワネットがフランスのルイ16世のもとへ嫁ぐ途中で
一泊したという修道院なのです。



抜けるような青空、晴天に恵まれた日でした~。



廊下も長~~~いよ。



お城のように山の上に建っていますから、眺めは素晴らしい。



中にある教会は豪華絢爛。



隅々まで細かい装飾が施されています。



さてここには10万冊を超える貴重な蔵書を収めた図書館があります。
残念ながら写真撮影禁止でした。。。

この画像は、オーストリアのウィキペディアを検索したら出てきたものです~^^;


ウィーン楽友協会 「黄金のホール」へ

2013年10月22日 | オーストリア・チェコ



こちらはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地、「楽友協会」と呼ばれる
コンサートホールです。実にクラシック・ファンの憧れの聖地。

残念ながら、ウィーン・フィルによる定期演奏会のチケットはほとんど入手不可能
です。定期会員になるのにも何年待ちとか?

しかたがないので、とにかく楽友協会のなかだけでも入りたいので取れる切符を
取ると…。それで取れるのが「ウィーン・モーツァルト・オーケストラ」という、いかにも
怪しげな名前。「当時の衣装で登場」というのも…。。。



とにかく「黄金のホール」に入ることはできた!毎年元旦には「ニューイヤー・コン
サート」が開かれる、あの素晴らしいホールです‼



 前から数列目という素晴らしい席。演奏はどうなんでしょ?

プログラムは「アイネ・クライネ」や「フィガロの結婚序曲」、モーツァルトのオベラから、
男女の歌い手が出たり盛りだくさんのお楽しみコンサート。

しかし、たまげたのは客席でした。。。 とにかく観光客限定。写真やビデオを撮り
まくる。シャッター音は鳴りっぱなし。フラッシュも焚きまくり。だいたい「それは止めて
ね」ということにもなっていないらしく、いいのかな?演奏中にしゃべる、鼻歌を歌う、
しまいにゃ後ろのほうで赤ん坊の泣き声が!

「フンギャ~!」の2回目にはオケの連中も笑っておりました。オケには中高生ぐらいの
少年も入っている。いったいこれはナ~ニ?前の席にはきっちりドレスコードを守って
いる日本人女性がひとりで来ていた。その心中やいかに。。。 (^益^;

しかしだね、演奏は悪くなかったよ!数日前のシュターツオーパーでは、3マソの
ワインを買ってどきどきし、期待の大きさに対して「う~む…」と複雑な気持ちになった
のに対して、ここでは980円のスクリューキャップを開けたら、「いやまあ十分おいしい
じゃん」という笑顔が出たってところだ。別次元だから比べては失礼だけど。

コンマスの太ったおねいさんはカナーリうまく、ヴァイオリン協奏曲の1楽章を見事に
演奏。驚いたのが途中で登場した女の歌い手。容姿も声も綺麗で、声量も圧倒する
力強さ。先日のカルメンのヒロインと並べて歌わせたらどうだったんだろうかと思って
しまう。

モーツァルト・プログラムなのに、アンコールでは「ドナウ」をやり、最後にはお決まりの
「ラデツキー」で観客に拍手の指揮をする。「お笑い&お楽しみ」の一夜でありました^^;



みんなバシャバシャ写真を撮っているので、私も一枚^^;

 こんなカツラをかむって演奏(^益^:

右の女性の歌い手がなかなか素晴らしかったのです。(=゜益゜):;*.’:;


シシィ博物館

2013年10月20日 | オーストリア・チェコ



ホテルの立派な朝食も続くと飽きるので、この日は近くのカフェでカフェラテと
クロワッサン。カフェにしゃれた絵の細工がありますねェ。



王宮はホテルから歩いて10分くらいでした。



さすがに堂々たる建物で、前には馬車が行き来しています。



またまたハプスブルク家由来の黄金の食器がズラズラ。こちらはクラクラw



こんなお皿を扱った召使たちはヒヤヒヤものだったでしょう。
日本からもたらされた陶器も沢山ありました。世界中の富が集まったのです。

こちらは銀食器。定期的に磨いているのでしょうね…。(=゜益゜):;*.’:;


「シシィ」とは皇妃エリーザベトの愛称。オーストリア皇帝、フランツ・ヨーゼフ1世の
お妃様です。彼女は16歳のとき、バイエルン王国からこちらのオーストリアに嫁いで
きたのでした。もちろん政略結婚です。

  
                         嫁にいけ!

若くして皇帝となったフランツは、隣国のバイエルン王国からお嫁さんをもらうことに
なりました。お見合いの候補は王女ヘレーネだったのですが、フランツはその妹の
エリーザベトに一目惚れ。彼女は荷が重い縁談話に泣きましたが、断ることもできず
承諾。甘やかされて自由に育ったお嬢ちゃんは、異国に嫁いで厳しい教育を受ける
はめになったのでした。

   
                            カワイソw

大変な美女が王妃として迎えられたため、オーストリアの貴族たちや各国の外交官
たちは彼女を一目見ようと王宮にやってきて、市民たちも彼女を少しでも見たいと
機会を見つけては殺到したのでした。

身長172cm、ウエスト50cm(!)、体重50kg(そのうち踵まで届いた髪の重さが
5kgだったとか)。この体型を守るため、彼女は生涯究極のダイエット、体操、エステ
などを徹底しておりました。コルセットを締め付けるのに毎朝1時間!

さて彼女は堅苦しい作法や勉強は大嫌い。おしゃれや贅沢には途方もない執念を
みせる一方、皇后としての仕事や、妻、母親としての役割を果たすことは嫌だった
そうです。最悪のお嫁さん?でも生まれ持った美しさと威厳で、彼女は多くの人々から
崇拝されたのです。

大変な美貌、傲慢、桁外れのおしゃれ、すさまじい浪費、放縦で荒い気性、彼女は
間違いなく魅力に溢れた王妃様でした。


自由奔放に育ったお嬢さんが異国の地に嫁がされ、厳しいしつけを叩き込まれ、
息子ルドルフ皇太子が自殺した悲しみは生涯消えることなく、最後はテロにあって
短剣を胸に突き刺されて生涯を閉じたのです。あまりにもドラマチックな人生!




王宮の前に立っているのはフランツ2世。



夕食時間には、1683年から続いているというビール会社直営のビア・レストラン、
ゲッサー・ビーアクリニークに行きました。

いま画像フォルダを見てみると、シシィ博物館に行ったあとの昼どきにはホイリゲに
行ってワインを飲み、そのあとの画像がビア・レストランになっておりました。
その間はホテルで昼寝していたのです。酒飲んで昼寝して、また酒飲む時間に
なっちまったというわけですぅ~^^;




まずはこの店の定番、「ゲッサー・スペシャル」です。オーストリアの居酒屋では、入ると
まず一番に「何を飲む?」と最初の一杯を聞かれます。とにかくすぐに喉を潤す!
そして飲んでいる間に、何を注文するかゆっくり考えることになっているのです。

考えている間に一杯終わってしまっていたりするのだが…w(゜゜)w




2杯目は黒生を頼みました。こいつも悪くない。実は3杯目の「無濾過」が一番美味しく、
滞在中はずっとそれを飲むことになったのでした。

左は何て言えばいいのでしょうか、「スープに入った揚げまんじゅう、中にはリンゴが
入っているぜ」というやつです。昼にワインを飲みながら鳥料理を食べ、酔っ払って
寝たらビール!なので、とても重い料理を食べる気にならず、この日の夕食は
これだけになったのでした…^^;


ウィーン最古のレストランへ

2013年10月18日 | オーストリア・チェコ



1500年頃から営業しているというウィーン最古のレストランに行きました。
その名はグリーヘェンバイスル。
モーツァルトなどの有名人も沢山来たことがあるそうです。




こういうところはガイドブックには要予約、なんて書いてありますが、ウィーンの
レストランはだいたい昼前から夜遅くまで休みなく営業しているので、混まない
時間を狙っていけばだいたい入ることができるのです。




こんときゃまだ夕方6時前くらいでしたか、老夫婦がひと組いるだけで、ご覧のように
ガラガラでした^^




まわりに誰もいないので、逆に落ち着かないかも^^;
でも老舗の立派なレストランは、客の扱いも丁寧で、気持ちよく食事を楽しませて
くれます。ひとり旅は気楽でとてもいいですが、こういう食事のときだけはちっと
手持無沙汰になりますねェ
(^益^;



ウィーン料理のなかでも代表的な「グラーシュ」。日本語では「グーラシュ」と表記
されることもありますが、どちらが原語に近いのかわかりませ~ん。

パプリカを使ったソースで煮込んだ牛肉シチューです。柔らかくてトロトロのお肉です。
元はハンガリーの料理だそうですが、オーストリアやドイツでも定番になっています。

上に見えている付け合わせは「クネドリーキ」という、こちらも定番の一品です。
小麦粉やジャガイモをこねて蒸したり焼いたりしたものです。小説などでよく出て
きますが、これは食べてみないとよくわからないものですね。

「主食」と呼ばれたりすることがありますが、日本人が考える「お米」とはちょっと
違います。「パン」は主食ではありませんし、「ジャガイモ?」というのもピンとこない。
日本人にとっての特別な「米」の位置づけは、ヨーロッパではちょっと理解が難しい
文化なのですね
w(^益^)w


宇宙戦艦ヤマト2199 ~正義と悪の相対化

2013年10月14日 | らくがき

 「宇宙戦艦ヤマト2199」を見ました。約40年近くも昔の旧作に比べて、はるかに素晴らしく仕上がった映像は目を見張るばかり。また旧作における「なぜイスカンダル人やガミラス人が日本語を話すのか?」とか「太陽系付近で撃沈されたはずの古代守がどうやってイスカンダルにいたの?」などといった素朴な疑問も解決されておりました。またリメイクされていても名セリフや名場面はきっちりと再現されており、心にくいばかりの構成になっていると思います。

 ガミラスによってもたらされた放射能汚染を解決するための「コスモ・クリーナー」は、「コスモ・リバース」に変更されていました。前者はオウム真理教が好んで使った言葉だからかな、と思いもしましたが、そもそも新作では「放射能汚染」が消えている。福島の原発事故による汚染を気遣ったのか、むかし「ウルトラセブン」で放射能汚染を扱った第12話が、何者かの圧力によって抹殺されたのを思い出します。原子力発電推進や核武装を目論む、もしくは米軍による日本の核兵器配備を批判したくない政府による圧力など本当にあるのかしら?

 「セブン」を連想させることがもうひとつありました。「新作ヤマト」では、なんとガミラスが迫ってきたときに、話し合いを試みる前に先制攻撃に踏み切ったのは人類のほうだということになっています。そしてやられそうになった地球を救うため、イスカンダルのスターシャは「波動エネルギー」の技術を伝えてくれますが、それを究極の破壊兵器「波動砲」に作り変えたのも人類の仕業です。

 つまり「ガミラス=悪」、「人類=正義」という構図がかなり相対化されているのです。ガミラスのデスラー総統は、「力によって宇宙を支配することで初めて大きな平和が訪れる」という論法を使っており、「単純に悪いやつ」ということにはなっていません。一方で恐ろしい破壊兵器波動砲を使用した人類は、「防衛のため」という論法で、こちらもやや苦しい説明になっています。それを簡単に正当化したら、今の核兵器もOKになってしまうではないですか。

 さてそんな人類に、絶対平和主義者のスターシャは、あっさりコスモ・リバースを渡すのを渋ります。そこで沖田艦長が交渉で使ったセリフが「人類を信じてほしい」でした。そりゃ弱いよねー!沖田艦長は信じられるでしょう。私だってあんな立派な人格者の艦長なら、何でも無条件に従います。しかーし、人類はおっそろしい武器を手にして生き延びる。何世代もあとまで、何百年何千年も人類を信じることが出来ますでしょうかー。(原発の利用や核武装することは、何世代もずっと安全が保証されるものでしょうかー)

 その「人類を信じてほしい」と言った沖田艦長のセリフ、それは「セブン」最終シリーズでフルハシが言ったセリフでした。悪い怪獣や宇宙人に人類がやられそうになったとき、宇宙人であるセブンは絶対的な力によって助けてくれます。しかし人類がいつも正しいわけじゃない。「セブン」では、かわいそうな状況にある怪獣をやっつけてしまったり、人類のほうが「防衛のため」という論理で先制攻撃を加えたり、強力な破壊兵器を開発してみたり、とにかく人類が単純な「正義」だという構図にはなっていない。特に新シリーズではそうで、そこでセブンは人類の味方をするのが良いのかどうかジレンマに陥ってしまう。そこでフルハシは親友のダンに、「人類を信じてくれ」と言うのです。さっぱりしない終わり方なんです。

 「こっちは正義だから、悪いやつらをやっつけろ!」という米国産ハリウッド映画的な単純思考が、だんだん受け入れられなくなってきたということは、ひとつの成熟かもしれません。「防衛のため」とか、「強力な兵器を配備すること、使用すること」は危ういということを意識し、敵方の立場や論法にも考えが向かうことは自己反省にもつながります。大人になるってことですよね。しかし「でも信じてほしい」という、やや説得力の弱い結末、それは現代において我々が直面する課題を浮き彫りにするものではないかと感じられるのです。