さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

蕎麦は正義!

2020年07月23日 | 関東甲信越


伊那市創造館は、もともと図書館。奥のほうはこんなエリアになっていました。

その手前には、伊那市の郷土資料館のようなエリアになっていて、特別展示でタイトルに
あったように「蕎麦は正義」という企画展がありました。何が正義?( ゚Д゚)wトランプ?

ビデオがあったので、スイッチを押して23分のドキュメンタリーをたっぷり観ました^^

信濃の山国は、奈良時代に山岳信仰の高まりの中で、修行の場となる霊山として有名に
なりました。修験道の開祖、役小角(えんのおづぬ)は奈良の都からやってきてこの地で
修業をしたそうです。

このときに世話になったこの地の人に、お礼に一握りの蕎麦の種を渡しました。蕎麦は
厳しい自然環境のなかでも育って収穫できるからです。この地から「行者蕎麦」が各地に
広がったというわけだ。

高遠藩主の保科正之は蕎麦が大好きで、山形最上藩、福島会津藩へ移動したときも、
蕎麦職人を連れて行ったそうです。山形の「寒ざらしそば」や会津の「高遠そば」などは
その由来だとか。


さてさて、話は現代に移りますが、脱サラして伊那に移住してきたとある人が(名前は
忘れました)、地元のとある老人に「むかしの蕎麦はこんなもんじゃなかった」という
のを聞き、むかしの蕎麦はどんなものだったのかを調べ始めます。

すると蕎麦の栽培は、昭和に入ってから粒が大きくて収穫量が多く耐病性が優れている
新種に変わっていったそうです。それまでの在来種は作る人がいなくなりました。

その在来種を探して8年。ついにとある研究所でたくさんの蕎麦のサンプルが保存して
あり、そのなかに「入野谷在来種」があることを発見。わずか一握りを手に入れる。

長年保存してあったサンプルですから、発芽する可能性はゼロに近かったそうです。
他の種と交配しないように他所から2㎞以上離れている畑で、農薬フリーで水のきれいな
ところ、それは近年の農業離れ、休耕地が増えていることから見つけることができました。
どこかの山の上のほうです。

初年度発芽したのは、なんと6粒だったとか!しかしそれを増やしていったのです。

毎年大変な苦労をして収穫を増やし、ついに「入野谷蕎麦」を食べるときがきました。
「おお~!」という香りだったそうです。すごくロマンを感じる話だなあ~。

その蕎麦が食べられる店を検索しました。高遠にある。しかしなんと前日の午前中までに
それを予約しなければならない。明日帰るんだから、今回は無理だー。


ここにはむかしの収集品を中心に残してあるようです。つまり戦時中のものが多い。


建物は改装しても、古い雰囲気は残してある。それでいいぞ~。


戦争中はこんなのばっかり読まされていたのか。そりゃつらいな。。。


んで「不適切」なものは、このように黒塗りされたそうです。わがブログだって、
ほとんど黒塗りになるんじゃねーかー?w(゜益゜)w



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