英国のロマン派詩人ジョン・キーツは肺結核を患い、25歳の若さで他界しました。彼の珠玉の詩のみならず、親しい人々に寄せた書簡もいまだに読み継がれています。なかでも婚約にまで至った近隣に住む娘ファニー・ブローンへの恋文には、近づく死を意識しながら、彼の激しい恋心が綴られています。
私はロンドン郊外にあるキーツ記念館を訪れたとき、彼の直筆の手紙がガラスケースに納められているのを見ました。そしてその一枚を読んで驚きました。以下に引用するファニーへの恋文の、もっとも熱烈なものが展示されていたのです。死後200年近く経ているとはいえ、あのような公共の場所に開示されるとは、まさか御本人は想像もできなかったでしょう。そしてまたこういう形で日本語に訳され、果てしないネットの空間にただよい始めるのですね。
僕は、僕たちが蝶で、夏の三日間しか生きられないのであれば、とさえ願っています―そのようなあなたとの三日間があれば、僕はそれを平凡な五十年が含むよりも、もっと大きな喜びで満たすことができるでしょう。(1819年7月、キーツ24歳)
前年には弟を肺結核で失い、この頃すでにキーツ自身にもこの病の兆候が現れており、医者の診断を受けてファニーとの婚約は解消されていました。しかしこのような運命を呪い、嘆き悲しむどころか、キーツは自分の胸に抱くファニーへの思いに恍惚となり、幸福に満たされているようです。
やがて季節は秋になり、キーツの募る恋心は、さらにはっきりと「死」を意識するようになってゆきます。
あなた無くして僕は存在できない―あなたに会うこと以外、僕はすべて忘れているのです―僕の生活はそこで止まっているんだ―それ以上なにも見えないのです。あなたは僕をすっかり虜にした。今まるで溶けてしまいそうな感じなのです。あなたにすぐに会えるという望みがなければ、まったく哀れなことになってしまうでしょう。あなたから遠く離れることが恐いのです。愛しいファニー、あなたの心は変わることがないだろうか?愛するひと、本当にそう?僕の愛には限りがなくなっています。…これまで人が宗教のために殉ずることができるということに驚きを感じていました―ゾッとしたものです―もう驚きません―僕の宗教のために、殉ずることができます―愛が僕の宗教なのです―そのためには死ぬことができるのです―あなたのために、死ぬことができるのです。僕の信条は愛であり、あなたはその唯一の教義なのです―あなたはとても抵抗できないような力で僕を虜にした。あなたに会うまでは抵抗できたのです。あなたに会ってからでさえも、僕は何度も「自らの愛の道理に対して理性を働かそう」と努力してきました。でもこれ以上はできないのです。(1819年10月)
恋人たちの常であるが、キーツも相手の恋心が変化してゆくことを恐れており、その永遠化(連続性)への願望は、死による完成(殉死)とつながってゆく。死を望むなどということは、あまりに非理性的なこと、とキーツは葛藤しています。しかしどちらが正しい、という問題ではないでしょう。「不可能の追求」、その葛藤が生み出すエネルギー、エクスタシーそのものをキーツは擁護しているのです。
翌年になると、いよいよキーツの肺結核は悪化し、ファニーに送った手紙のなかでも、現実的な死を意識するようになっています。
僕は心の底から君を愛してきた。僕はあなたの様々な表情、ふるまい、衣装などに、いつでもどんなに思いをこめているか、わかってくれたらと思う…僕はあなたに絶対の別れを決してすることのないような、不死を信じたいと願っています。もしこの世であなたと幸せになれる運命ならば―最も長い人生でさえも、なんと短いことでしょう―僕は不死を信じたいのです―あなたと永遠に生きてゆきたいのです…確かにあなたは僕の心であり、魂であるのですね。そうであれば、そうでなく生きるより、幸せに死ねるというものです。(1820年7月?)
キーツは死を前にして、それを恐れたり悲しんだりしてはいません。彼の求めるものは「永遠の愛」なのです。それは「不死」であり、同時に死を厭わないもの、愛の永遠化につながる手段としてなら、死を求めるものでもあるのです。ファニーのために書いたと思われる’Bright star! would I were steadfast as thou art’という詩があります。
輝く星よ!僕もあなたのように不変の存在であれば―
…………………
いつもしっかりと、ずっと変らずに
僕の美しい恋人の豊かな胸に頭をのせて
その柔らかい膨らみと谷間を永遠に感じ
甘い気遣いを保ちながらいつまでも注意を怠らない
ずっと、ずっと彼女の柔らかな吐息を耳にする
そのように永遠に生きるか―もしくはうっとりと死にたい―
キーツは恋人の胸に頭をうずめ、それが永遠不変であることを望みます。しかしそれが不可能であるならば、いっそ死を願います。それは法悦の瞬間をとらえるため、彼の生の完成、すなわち愛の永遠化のためだったのです。
スコットランドの最高峰、ベン・ネビス山。キーツは自分の出版した詩が酷評されて落ち込んだとき、この山に登って立ち直ったそうです。でもこのときに結核の兆候があらわれたとか。
Not in lone splendour hung aloft the night
And watching, with eternal lids apart,
Like nature's patient, sleepless Eremite,
The moving waters at their priestlike task
Of pure ablution round earth's human shores,
Or gazing on the new soft-fallen mask
Of snow upon the mountains and the moors—
「遠くからひたすら見つめている」よりも(ここを省略しました)、胸の谷間に顔を埋めていたい♪それダメなら死んだほうがまし!という素晴らしい詩ですね^^
輝く星よ!僕もあなたのように不変の存在であれば―
夜空に高く寂しく輝き
永久(とこしえ)にまぶたを開いて
大自然のようにいつまでも眠らない隠者のように
この丸い地球の人間の岸辺を洗い清めてゆく
僧侶の勤めで打ち寄せる波を見つめ続けるのではなく
または山々や荒野に雪が新しく柔らかく
降り積もるのを見つめているようにではなく―
いや、そうではなく―いつもしっかりと、ずっと変らずに
僕の美しい恋人の豊かな胸に頭をのせて
その柔らかい膨らみと谷間を永遠に感じ
甘い気遣いを保ちながらいつまでも注意を怠らない
ずっと、ずっと彼女の柔らかな吐息を耳にする
そのように永遠に生きるか―もしくはうっとりと死にたい―