さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

ひきこもり生活とモンテーニュ その2

2017年12月22日 | らくがき

           

 小学生に英語を教えるっていうのもケッコウなことです。エリート教育のために、チイチイパッパの英会話学校に入れるもよろし。「家では英語を話すんだ」と、お母さんが子供にヘタクソな英語を話しているのをテレビで見たことがあります。是非頑張って続けてほしいものです。でもはるかにもっと徹底した語学英才教育を試みた人が、500年近く前にフランスでいました。かの国を代表する思想家、ミシェル・ド・モンテーニュのお父さんです。究極の教育パパゴンですぞ。

 じいちゃんは魚売りでした。父親は成り上がりの商人でした。商人として成功すると、不動産ですねえ。土地を沢山持てば、地主です。大地主になると、立派な家柄がほしくなります。ただの成金じゃなくて、本物の貴族になることです。まずは名門の学校に行かせてもらい、そのあとで戦争に行って一旗あげました。10年も外国で苦労したそうです。帰ってきて大商人の娘を奥さんに貰いました。それはスペインからの移民でユダヤ人だったけど、おかげでかなりの大金持ちになり、晴れて帯剣貴族の一員になることができました。弟たちは司法職と僧職につけてやり、いよいよ名門貴族としてのスタートを切るため、子供の完璧な教育に情熱を注ぐのでありました。

 長男ミシェルが生まれたら、すぐに母親から離し、貧しい村の農民のところに里子にやりました。最低の暮らしに放り出すことによって、経験を積み見聞を広め、心身ともに鍛え上げるためです。まだ赤ん坊なんですけど、それは方針ですから。そして2~3歳になったら屋敷に連れ戻し、いよいよ英才教育が始まりました。当時のエリートはラテン語を学ばなければなりません。なので母国語のフランス語ではなく、ラテン語で育てたのです。聖書の言葉、学術用語、国際語としても、ラテン語はとにかく必修だったのです。それを話す国は当時もうなかったのですけど(はるか昔のローマ帝国ですぜ)。それでドイツ人のラテン語学者と助手二人を家に住まわせ、ラテン語だけを聞かせました。召使たちにも、子供の前でフランス語は使わないように厳しく管理しました。彼らにも片言のラテン語を教えたのです。親バカも徹底していて、「寝ている子供を急に起こすのは脳ミソよくない」と聞くと、ピアノの奏者を雇って、朝は優雅な音楽を奏でて自然に目覚めるようにさせる、といった育て方をしたのです。

 学校に上がったら、他の子供達は普通にフランス語なので、最初は言葉が通じませんでした。先生達は困ったはずです。ラテン語を暗誦する劇に出たときだけは大活躍だったそうですが、それ以外はすごく浮いていたと思われます。こんな奇妙奇天烈な英才教育は成功したのでしょうか。そのせいかどうかは全くわかりませんが、ミシェルはやがて法官・裁判官になり、ボルドーの高等法院の審議官になり、さらに宮廷に出入りするようになって、ついには王の相談を受けるほどの人物になります。

 地位も名誉も得たこの名士は、38歳の若さで宮使いを辞し、自分の家の離れにあった塔を改装して書斎にし、そこにひきこもることにしました。どれだけ表面的に華々しい社会的経歴を誇っても、きっとそのひきこもり生活に憧れていたのだと思います。そこでどんな精神生活を送っていたかは、次回お話しましょう。