作家曽野綾子の欺瞞
作家の曾野綾子は昔から弱者を突き離す傾向があった。NHKの「私の秘密という番組」での発言が批判されたこともあった。大江健三郎の『沖縄ノート』について極右翼の稲田明美が弁護士となり裁判を起こした時に、曽野綾子は訴訟側の理論的柱として大江を攻撃した。
大江健三郎の『沖縄ノート』の裁判のことの始まりは作家の曾野綾子が赤松嘉次大尉らを集団自決を命じた者であるという記述が名誉毀損だということから始まった。
日本軍が沖縄戦で現地住民を盾にして戦い、住民に自決を迫ったことは他の地域でも行われたいたのが、大江の作品を攻撃することで事実については論争中という状況を作り、教科書の改変や新しい歴史教科書をつくる会の教材の採択を推進しようとの目論見が稲田明美達にあったのである。この不当な言いがかりで稲田は名を売り、安倍達に重用される議員となった。
こうした行動は成果につながる。
文科省は高校2年生が使用する日本史教科書の検定結果を公表。沖縄戦「日本軍が集団自決に追い込んだ、強制した」としていた記述を「軍が強制した証拠はない」として「日本軍」という主語を削除させた。
曾野綾子は大江健三郎が『沖縄ノート』で記述した集団自決などはないので事実誤認でしかないので大江健三郎は嘘つきで現地も取材しないで勝手に作家的なフィクションでありもしないことを『沖縄ノート』で書いていて間違っていると述べていた。
曾野綾子は沖縄で現地に出向いて調査したが、大江健三郎は沖縄を取材しないで勝手に書籍の知識で『沖縄ノート』に書いた記事で赤松嘉次大尉は者と決め付けている大江健三郎は作家に値しないし、名誉毀損をしているから反日作家だと決めつけたいという。
裁判は当然、訴えを一蹴した。
渡嘉敷島の集団自決と赤松の関与
「集団自決」体験者らの体験談は、いずれも自身の実体験に基づく話として具体性、迫真性、信用性を有すると認められる。 赤松大尉は、防衛隊員であった国民学校の大城徳安訓導が、数回部隊を離れたため、敵と通謀する恐れがあるとして処刑している。日本軍の情報が漏洩することを恐れて自決命令を発したことがありえることは、容易に想像できる。 第三戦隊に属していた皆本義博証人が、部隊にとって大変貴重な武器であった手榴弾を住民に交付したことについて「おそらく戦隊長の了解なしに勝手にやるようなばかな兵隊はいなかったと思います」と証言していることは、その手榴弾が集団自決に使用されている以上、赤松大尉が集団自決に関与していることは強く推認される。 沖縄県で集団自決が発生したすべての場所に日本軍が駐屯し、駐屯しなかった渡嘉敷村の前島では集団自決は発生しなかったことを考えると、集団自決は日本軍が深く関わったものと認めるのが相当である。 渡嘉敷島では赤松大尉を頂点とする上位下達の組織であったと認められ、渡嘉敷島での集団自決に赤松大尉が関与したことは十分に推認できる。
この裁判については超保守の評論家や右派の論客までもが曽野綾子の論拠の杜撰さを指摘した。
山崎行太郎ブログから。
曾野綾子も大江健三郎は日本を貶める作家で『沖縄ノート』の粗探しでもして裁判に訴えれば自分もちやほやされると思っていたのか、ノーベル賞作家に自分が劣っていることでコンプレックスがあったのか?は知らないがともかく批判というか因縁のような『沖縄ノート』事件であった。
曾野綾子にいわせれば自分は現地の沖縄で実際に取材して正しいことをいっていて、大江健三郎の方が『沖縄ノート』を書く際に現地を取材しないで単に赤松嘉次を者呼ばわりしていることが間違いみたいなことをいいたいらしいが、このような発言こそ詭弁であって作為的な嘘の論理だろう。
私は曾野綾子も愚かだが呉智英とか池田信夫もまた大醜態でますます保守の劣化と批判されてもおかしくない事件であったとしか思えないし、呆れてものがいえないというのはこのことだ。
もっと呆れるのは曾野綾子や呉智英とか池田信夫ではなくて大江健三郎の『沖縄ノート』を叩けばいい!と思い込んでいて付和雷同のように騒いでいるネトウヨのような自称・愛国者の連中だろう。
そもそも大江健三郎を国賊とか反日よばわりしたいネトウヨは実は曾野綾子なんてどうでもいいので単にネットでバカ騒ぎしたいだけなのだろう。
こういう発言は保守でも右翼でも愛国者でもなんでもないし、フーリガンのようなものでしかない。
もちろん曾野綾子も『沖縄ノート』で愚かな愚考で自滅もしたが、もっと愚かだったのは曾野綾子の発言に群がって便乗でネットで英雄になりたがったネトウヨの自称・愛国者なのだろう。
結局、裁判で大江健三郎と岩波書店が勝訴して曾野綾子という偽キリスト教の右翼作家の命脈というか作家の信用を失い、逆に大江健三郎の方が正しい!という墓穴を掘るだけの情けない事件ではあったのではないか?
未だにネット右翼には頼りにされる作家であり、表面的には敬虔なクリスチャンだが、差別主義者であり弱者を叱る大御所としてもてはやされている。
作家の曾野綾子は昔から弱者を突き離す傾向があった。NHKの「私の秘密という番組」での発言が批判されたこともあった。大江健三郎の『沖縄ノート』について極右翼の稲田明美が弁護士となり裁判を起こした時に、曽野綾子は訴訟側の理論的柱として大江を攻撃した。
大江健三郎の『沖縄ノート』の裁判のことの始まりは作家の曾野綾子が赤松嘉次大尉らを集団自決を命じた者であるという記述が名誉毀損だということから始まった。
日本軍が沖縄戦で現地住民を盾にして戦い、住民に自決を迫ったことは他の地域でも行われたいたのが、大江の作品を攻撃することで事実については論争中という状況を作り、教科書の改変や新しい歴史教科書をつくる会の教材の採択を推進しようとの目論見が稲田明美達にあったのである。この不当な言いがかりで稲田は名を売り、安倍達に重用される議員となった。
こうした行動は成果につながる。
文科省は高校2年生が使用する日本史教科書の検定結果を公表。沖縄戦「日本軍が集団自決に追い込んだ、強制した」としていた記述を「軍が強制した証拠はない」として「日本軍」という主語を削除させた。
曾野綾子は大江健三郎が『沖縄ノート』で記述した集団自決などはないので事実誤認でしかないので大江健三郎は嘘つきで現地も取材しないで勝手に作家的なフィクションでありもしないことを『沖縄ノート』で書いていて間違っていると述べていた。
曾野綾子は沖縄で現地に出向いて調査したが、大江健三郎は沖縄を取材しないで勝手に書籍の知識で『沖縄ノート』に書いた記事で赤松嘉次大尉は者と決め付けている大江健三郎は作家に値しないし、名誉毀損をしているから反日作家だと決めつけたいという。
裁判は当然、訴えを一蹴した。
渡嘉敷島の集団自決と赤松の関与
「集団自決」体験者らの体験談は、いずれも自身の実体験に基づく話として具体性、迫真性、信用性を有すると認められる。 赤松大尉は、防衛隊員であった国民学校の大城徳安訓導が、数回部隊を離れたため、敵と通謀する恐れがあるとして処刑している。日本軍の情報が漏洩することを恐れて自決命令を発したことがありえることは、容易に想像できる。 第三戦隊に属していた皆本義博証人が、部隊にとって大変貴重な武器であった手榴弾を住民に交付したことについて「おそらく戦隊長の了解なしに勝手にやるようなばかな兵隊はいなかったと思います」と証言していることは、その手榴弾が集団自決に使用されている以上、赤松大尉が集団自決に関与していることは強く推認される。 沖縄県で集団自決が発生したすべての場所に日本軍が駐屯し、駐屯しなかった渡嘉敷村の前島では集団自決は発生しなかったことを考えると、集団自決は日本軍が深く関わったものと認めるのが相当である。 渡嘉敷島では赤松大尉を頂点とする上位下達の組織であったと認められ、渡嘉敷島での集団自決に赤松大尉が関与したことは十分に推認できる。
この裁判については超保守の評論家や右派の論客までもが曽野綾子の論拠の杜撰さを指摘した。
山崎行太郎ブログから。
曾野綾子も大江健三郎は日本を貶める作家で『沖縄ノート』の粗探しでもして裁判に訴えれば自分もちやほやされると思っていたのか、ノーベル賞作家に自分が劣っていることでコンプレックスがあったのか?は知らないがともかく批判というか因縁のような『沖縄ノート』事件であった。
曾野綾子にいわせれば自分は現地の沖縄で実際に取材して正しいことをいっていて、大江健三郎の方が『沖縄ノート』を書く際に現地を取材しないで単に赤松嘉次を者呼ばわりしていることが間違いみたいなことをいいたいらしいが、このような発言こそ詭弁であって作為的な嘘の論理だろう。
私は曾野綾子も愚かだが呉智英とか池田信夫もまた大醜態でますます保守の劣化と批判されてもおかしくない事件であったとしか思えないし、呆れてものがいえないというのはこのことだ。
もっと呆れるのは曾野綾子や呉智英とか池田信夫ではなくて大江健三郎の『沖縄ノート』を叩けばいい!と思い込んでいて付和雷同のように騒いでいるネトウヨのような自称・愛国者の連中だろう。
そもそも大江健三郎を国賊とか反日よばわりしたいネトウヨは実は曾野綾子なんてどうでもいいので単にネットでバカ騒ぎしたいだけなのだろう。
こういう発言は保守でも右翼でも愛国者でもなんでもないし、フーリガンのようなものでしかない。
もちろん曾野綾子も『沖縄ノート』で愚かな愚考で自滅もしたが、もっと愚かだったのは曾野綾子の発言に群がって便乗でネットで英雄になりたがったネトウヨの自称・愛国者なのだろう。
結局、裁判で大江健三郎と岩波書店が勝訴して曾野綾子という偽キリスト教の右翼作家の命脈というか作家の信用を失い、逆に大江健三郎の方が正しい!という墓穴を掘るだけの情けない事件ではあったのではないか?
未だにネット右翼には頼りにされる作家であり、表面的には敬虔なクリスチャンだが、差別主義者であり弱者を叱る大御所としてもてはやされている。
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