自衛隊の構築する地下要塞が島から本土での要塞構築へと広がることに多くの人々が不安を抱き出している。
また島の住人は自分たちを守るための要塞だとは思っていない。自衛隊員を守るための要塞だと思っている。他国を刺激したくないと思っている。それはそうだ。これまで平穏に暮らしていたのに突如、きなくさくなってきた。近隣諸国がどう思うかを推測し不安感を抱くのは当然である。
国防を真剣に論じるならば一旦、戦争が始まれば地下要塞、核シェルターの設置は有用であろう。その時の人命を守ることに役立つだろう。もちろん多くの被害を完璧に防ぐ役割をはたせるわけではない。
まずはこうした国防における対策について我々は議論しなくてはならない。
武力を持った集団が突如、我が国に侵入してきた場合に我々はどうするのか。この事については議論する価値がある。
ところがこうしたリアルな問題点を素通りして、憲法9条について粗雑に批判して言いっぱなしなのが9条改正賛成派の多くの連中である。
彼らは9条を改正して具体的にどのように守るのかについては述べない。いや述べるほどの知識がない。実に無責任である。
まず極めてリアルな問題
無抵抗か鎮圧するか
武装集団が侵入してきた場合。
自衛隊は世界3位か6位かわからないがそれだけの装備を有している。9条を守るために(現行の国家の憲法を守るために)鎮圧する。それが現行法での対応方法であり、私は一貫して自衛隊で鎮圧すべきであると主張している。
無抵抗で応じるか
例えば無抵抗主義について
私はガンジーの無抵抗主義を否定するものではない。そうした方法が戦争を無くす深淵なる論理だとの主張には一理あると思っている。ただし、私自身は無抵抗主義に参加するつもりはない。
持論は無抵抗は侵略者が行おうとした場合の目前の殺戮に効果的な場合とそうでない場合があると思っている。抵抗しないのだから無益な殺生をする必要はないと判断してくれるかもしれない。という人もいるだろう。いや侵略者は殺戮をして支配者に抵抗しない恐怖感を植え付けるはずだ。という人もいるだろう。どちらもありえるだろう。全く予測することはできない。
無抵抗主義に一理あると思ったのは、交戦するよりは死ぬ人間は少ないだろう。しかしそれも断定することはできない。自衛隊が世界最強の部隊であってもまったく死傷者を出さないですむとは考えられない。
それでも無抵抗で不確定な僥倖の道をとるより、不法侵入に不当な攻撃に抵抗できる方策を講じる道をとる。それが私の考えである。