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とかちシニアネット・何か探し隊 !

北海道・十勝地方の旬の情報、TSN会員の旅行紀行などなど、リアルタイムで発信しております。

十勝の廃線 十勝鉄道の思い出

2008年10月10日 | 暮らしの情報・見学
 


十勝開拓史上大きく貢献した十勝鉄道 トテッポと愛称で呼ばれ親しまれましたが 現在は 大きな役目を終え 売買川に沿ったトテッポ通りと名付けられた遊歩道脇で静かに行き交う人々を見守っています。

≪ 思い出の小径 ≫








十勝鉄道の歴史 専用鉄道は大正時代 砂糖の原料となるビート工場建設に伴い 運搬専用として敷かれた鉄道(重いもの 大量の物を運ぶ為に) 特殊な使命を持った会社専用線でした。

交通がまだ不便で ビートだけでなく 旅客輸送も始まり (許可が下りるまで数年掛かったとのこと)、専用線から 「十勝鉄道」に移管 十勝鉄道になり 川西村を中心とした農村地帯で働く人々の足として大きな役割を果たしました。 
それ以前から通学生 公用者を非公式に便乗させていたとのことですが、自動車のない時代 私鉄から公共の乗り物になり 通学等大変便利になりました。
時速20キロ(自転車の速度?) 飛び乗り飛び降りが常で 其れにより事故もあったとか それでも罰も規制されることはなかったようで今では考えられないことです。


蒸気機関士 さよなら列車を運転したひとの話を聞くことができました。 
今見ると小さい感じがするが 当時は馬力があり頼もしかったとの感想を述べられました。 そして 70センチ位の雪もヘイチャラで走ることが出来たとのこと、 機関車が石炭を積んだ貨車等 マッチ箱と言われた客車を(18人乗り)何両も引っ張り 各駅で給水しながら また次の駅まで間に合わない時は 川から給水しながら走った事もあったとか。



JR国鉄広尾線と 十勝鉄道の切断したレールを見せてもらいました。 
十勝鉄道の機関車が どのくらいの大きさだったか レールの幅 重さの数字を見ると如何に小さいものだったか想像できます。→クリックして見て下さい。
標準軌道 レールの幅   JR国鉄広尾線 = 106.7㎝  十勝鉄道 = 76.2㎝
               ( 因みに 新幹線 = 143.5㎝ )  
レールの重さ 1mの重量  JR国鉄広尾線 = 30K    十勝鉄道 = 12K    





 ← 帯広大通り駅があった場所 (帯広市大通り13丁目あたり)
 現在の鉄道高架付近ですが 鉄道高架の少し手前あたりが 「帯広大通り駅」があった場所です。

 十勝鉄道の何処の駅も周辺には 店が立ち並びちょっとした商店街で賑わっていましたが 今はどこにも駅の面影はありません。
 線路はアスファルトの道路になり 周辺は建物が建てられたり 郊外では殆ど畑になっており 駅があった場所も人々の記憶から薄れて行くようです。




主な駅 帯広大通り駅→工場前駅→ 農学校前駅→ 川西駅→ 「藤駅」
    ・「藤駅」→ 美栄→ 清川駅→ 戸蔦(帯広大通り駅から30キロ)
     ・「藤駅」→常盤駅 →基松駅→ 上帯広駅→ 広野駅→ 八千代駅(藤駅から18キロ)
             (藤駅から 八千代線と 戸蔦線に 別れた)
    ・「常盤駅」 →美生 →新嵐山駅 →上美生駅(常盤駅から16キロ) 昭和15年に廃止
             (常盤駅から 八千代線と上美生線に別れた)
← 昔を偲ぶ唯一 藤駅周辺のむかしの地図看板が 現在も 藤駅があった場所に建てられています。 クリックしてください

その当時の時刻表を見ると 八千代と 戸蔦線に別れる分岐点 (合流点) 『藤駅」』の停車時間が12分となっていますが 実際にいつも利用した美栄、 基松の人の話を聞くと 待ち合わせ、給水、石炭積み込みで20分~30分待ちはいつものことだったそうです。
 (因みに 昭和32年 帯広ー藤区間の運賃は60円でした)



      → 十勝史跡名所 ≪藤の櫻山大仏≫ (昭和4年指定)
奈良の大仏とは比べものにはなりませんが(5メートル20) 大正14年 大仏として建立され 珍しくちょっとした隠れた観光名所にもなっています。また 桜の名所でもあります。

藤駅ここの周辺は昔 現在のFビルの創業者所有の大農場で 大正時代創業者が 世話方 の有志の協力で建てた大仏です。
現在この地域は 帯広市富士町ですが 当時入植した伊勢団体の反対により 地名は藤ではなく ふじはふじでも 気高い日本一の山 富士山の富士を取って 富士としたそうです。

十勝鉄道が軌道にのり経営の最盛期は 昭和の初め頃から10年位まで その後の経営は厳しかったとのこと。
昭和30年代に入り 交通手段は自動車に徐々に代わり公共の乗り物も 鉄道から国鉄バス(ツバメマーク)に代わりました。
ですが 道路は整備されておらず バスも全車線1年を通して運行出来るまでは 何年も掛かりました。

十勝鉄道は 交通の不便な時代に 人々の交通手段として多くの思い出を運んでくれました。
花嫁列車で嫁いだ人 マッチ箱の客車に乗りきれなくて 貨物列車に乗り(勿論屋根はない)降りたら石炭の煙で顔が真っ黒だったとか 石炭ストーブを囲んで夢を語ったり・・・。鉄道から自動車に代わり時代の流れで廃止を余儀なくされましたが 人々の心にいつまでも温かい思い出として残っているようです。

≪機関車のあゆみ 表示看板より≫
1920(大正 9)年 蒸気機関車~日本車輌会社製作
1925(大正14)年 客車~楠木製作所製作
1959(昭和34)年 蒸気機関車、客車共に旅客輸送停止
1960(昭和35)年 両車輌、十勝鉄道(株)より帯広市に寄附
1994(平成 6)年 帯広市指定文化財指定


夏の「札幌 大倉山ジャンプ台」見学

2008年08月22日 | 暮らしの情報・見学

夏の「札幌大倉山ジャンプ台」見学



大倉山は標高307メートル、ジャンプ台頂上からは札幌の街並みを一望することができ、その雄大さは想像以上でした。


大倉山ジャンプ競技場の歴史は古く、男爵大倉氏が資財を投じて1931年に建設、その後札幌市に寄贈されました。1972年の札幌オリンピックでは90M級ジャンプ競技の会場となったことは皆さまの記憶にも残っていることと思います。


現在では、ラージヒル競技場として国内外試合の会場として活用されています。
ここは夏でもジャンプ可能な全天候型競技場です。冬はもちろん全面雪ですが、夏は・・・、と申しますと、プローチ面が、「セラミックタイル」、ランディングバーンが「特殊な人工芝」で出来たジャンプ台に水を撒いてジャンプします。


雪の上のスキーが、どうやって真夏の今に、雪の上と同じように練習出来るのかと思っていましたのでこの材質や仕組みは、非常に興味深かったです。


この恵まれた施設・競技場で、また名ジャンバーが生まれてくることを北海道民として期待!


Good Timing!!練習ジャンプを見学することが出来ました。



ジャンプ台全体の高さは133.6M(最高地点の標高307M)、スタートゲートから踏切台までの滑走面の最大斜度は35度、着地面の最大斜度は37度あるそうです。


リフトで上がった展望台の建物の屋上から、ジャンパーが飛ぶのを見たときは、急な斜面の滑走から谷底に吸い込まれて行くような錯覚を感じました。
ある選手が、インタビューで「スタート前は何時も怖い!」と言っていたのを聞いたことがありますが、ジャンプ競技は恐怖との戦いなのでしょうか。
だとしたら、こんなスポーツ他にはないのでは?
着地するまでの数秒の間、どんな思いでいるのか計り知れませんが、無心なのでしょうか?最高のジャンプをイメージしているのでしょうか、それとも鳥になった気分?


恐怖の谷底から少し目線を上げると、開けた視野に札幌の街並みが広がり、その雄大さに先ほどまでの恐怖心を忘れ、感動している自分がいます。


敷地内には、ジャンプ台のほかに


・ ウィンタースポーツミュージアム
 (冬季オリンピック札幌大会の記録や歴史を展示/紹介、ウィンタースポーツの疑似体験)
・ クリスタルハウス(ショップ・レストラン)
・ リフト(二人乗りリフトで頂上までいけます)
・ 展望ラウンジ・ 総合案内所・ ドーム型エスカレーター


などが設置されています。


By TSN Members


「たばこ」受難

2008年08月08日 | 暮らしの情報・見学


:居場所はどこ??たばこ(>_<):

近、たばこに対する風当たりがますます強くなってきたようだ。既に家庭内に喫煙者の安住の場所はなくなった。
せめてベランダか庭の片隅でと思ったが、ご近所に迷惑とのことでここも追放された。歩きたばこやポイ捨て禁止はもはや社会常識。航空機は全便全席禁煙、JRも特急・普通を問わず全面禁煙、公共の場所はほとんど禁煙だ。
身近な話では、帯広のハイヤー組合が、12月中旬をめどに全面禁煙化を進める方針だそうだ。「いゃー、参った・マイッタ」と仰(おっしゃ)る愛煙家の嘆きが聞こえるようだね。

 小生も若かりし頃、家庭内での喫煙を山ノ神のお達しで禁止され、以来、出勤時間がやけに早くなったのを覚えている。まず車に乗ったら大急ぎで一服、昨夜以来餓えているから、その旨いこと旨いこと。しかし、この作戦も長続きはしなかった、女房子供を車に乗せたら「たばこ臭い」と非難ごうごう、遂に、安住の地は飲み屋とゴルフ場だけになった。
過日、ニュースで話題なっていたが、近頃都会の公園が喫煙者でいっぱいになり、子供の遊び場が大人に占領されたとか。管理する自治体は大弱りだそうだ。

 そして、とうとう政界がたばこに目をつけた。「たばこ1箱・千円」(欧米並み)が実現するかも知れない。もし現在の消費量がそのまま維持されれば9兆5千億の税収増になるという、仮に消費量が3分の1に減ったとしても3兆円の増収が見込めるそうだ。
消費税引き上げに猛反対している野党も、たばこ増税には理解を示す向きが多いという。
 基礎年金や医療・介護など社会保障費の財源確保に苦慮している政府にとって、消費税より、はるかに国民の理解が得やすいといえそうだ。こうなったら、愛煙家の防衛手段はたばこを止めるしかないのかなー。

 実は小生、平成元年夏に禁煙を断行して既に20年が経った。偉そうに言う訳ではないが、たばこを止めるなど簡単だ?何せそれまでに5回も禁煙してるんだら!
小生の場合は1回の禁煙につき4~6ヶ月持続、そしてまた吸う、禁煙をする度に後の本数が増えるにはマイッタ。挫折を繰り返しながら6回目で、とうとうやり遂げた。結構つらい思いを6回も体験した。
1度で止められたらどんなに楽だったか。たばこ貯金を始めた。年、拾ン万円は貯まるはずだったが、こちらも挫折。
 これから禁煙に挑戦される方に心から声援をおくりたい。是非1度で成功されるよう頑張ってほしいね。













北海道日本ハムファイターズ!

2008年07月25日 | 暮らしの情報・見学

 『北海道が熱い!』 そして十勝からだって・・・

6月 十勝から某主催の日ハム応援ツアーに参加 総勢177名 バス4台で出発しました。
会場は 勿論 札幌ドーム そして対巨人戦ナイトゲームです。
日本ハムファイターズが札幌に起点を移した頃は 観客もまばらでしたが 今は毎回会場あふれんばかりにいっぱいです。
応援も熱が入り 雰囲気に圧倒、 会場を盛り上げるチアガールは日本ハムが先駆けとか。
≪第1弾≫



札幌ドームを初めて訪れた人はドームの広さ 芝の青さ 会場の熱気に圧倒されました。
J1コンサドーレ札幌の本拠地でもあるこのドームは サッカー用の天然芝と 野球用の人工芝と併用(入替)しています。
↑ 開場5分前 準備OK 入口では鞄の中身のチェック 瓶類、ペットボトルは押収されます。



 この日は 巨人のラミネスにホームランを打たれ (ダルビュッシュの唯一の甘いボールだったとか)残念ながら1対0で 日本ハムは負けてしまいましたが ダルビッシュ投手の投球 目の前で声援を送りました。

田中賢介が打席に入ると会場は応援のピンクの③グッズが大満開  金子は鮮やかな青の「誠」小旗で特に熱が入っていました。
 





残念なことに怪我人が多い日本ハムですが 大健闘。
札幌で巨人ファンは 肩身の狭い様ですが これで日本ハムに3連勝 喜んでいる人様々ですね。


 
≪第2弾≫
『ファイターズがやって来た!』 帯広にて 公式戦開催。
7月6日 オリックス戦が 帯広の森野球場にて開催 (前日 釧路にて 同じくオリックス戦開催されました)
洞爺湖サミット開幕のニュースに押されましたが スポーツファンにとって熱い日になったようです。
十勝で 公式戦が開催されるのはあまりなく 熱列歓迎!この日は野球ファン2万1000人の観客で 会場が埋め尽くされました。




     帯広の森 野球場にようこそ!




武田 勝投手 オリックス戦 相手チームにホームランを6本も打たれ 8対5と 残念ながら負けてしまいましたが感動を十勝で味わうことが出来ました。



≪第3弾≫
7月13日 再度 札幌ドームへ
あの熱気をもう一度味わいたく  野球観戦に再度今度はJRで出掛けました。
今回はデーゲーム ソフトバンク側での観戦でしたが 周りは本拠地である日ハムのユニフォーム 応援グッズで圧倒されました。
     ↓ 拡大して 迫力を感じて下さい。




    ← 往年のホームラン王「王 貞治」 現在はソフトバンクの監督としてファンはまだまだ多い!!




↓ ファンへのサービス 野球教室 子供たちを招待してのイベント。
ファイターズは 毎回この様に 子供たちを招いてイベントを行っています。
子供たちがマウンドを一周 ファイターズの選手達と記念写真等 この日の始球式も 小学生の女の子が選ばれました。



↓ 今日の勝利者 インタビュー 
今回はソフトバンク戦 どちらが勝っても北海道が熱くなるのは 大歓迎!
今日の日本ハム投手は 武田 勝、ソフトバンクは 和田投手は完投しました。
1対10で ソフトバンクの勝利 目の前で勝利インタビューの 和田投手と ホームランの荒金! 


試合終了 ドームの観客で交通機関は超ラッシュ 毎回何処からこんなにも大勢人が集まるのかと・・・・???

17日 北京オリンピック 日本代表24人のメンバーが発表になりました。日本ハムから勿論ダルビッシュ投手 そして外野手 稲葉が選ばれました。
くしくもこの日は メジャーで大活躍した野茂英雄投手の引退発表でもありました。
ファイターズは20日現在 トップの西武に2.5ゲームの差で パ・リーグ2位
これからも がんばれ!がんばれ!【北海道日本ハムファイターズ】}


「帯広市緑ヶ丘公園」を探検・観察

2008年05月08日 | 暮らしの情報・見学

 《帯広百年記念館》の周辺 散策を楽しみながら・・・・


帯広の市民の憩いの場 緑ケ丘公園、その園内に帯広の開拓と歴史が分かる資料館 【帯広百年記念館】があります。
今回は この記念館主催の「緑ケ丘公園を探検する」講座に参加 公園の自然の歴史を学びました。

 ↓ 百年記念館
   

公園内を散策しながら 緑ケ丘の地形がいつごろどのように形成されてきたかなどの説明を受け 13万年前に出来た(現在の「帯広市児童会館」) 地形の歴史に驚きました。  拡大出来ます。

起伏のある地形 乾燥地から林の奥に入ると湿地帯 其れにより生えている樹木の種類が変わってきます。
カシワ→ ヤチダモ(枝が少なく 葉は芋虫の様)→ ヤチハンノキ→ ハルニレ(枝が多く煙っている様子)等々


   

↑ 植物の観察・散策の場 野草園の花々
4月29日に開園した「帯広市野草園」は 105科530種の野草、 樹木が自生しています。
野の花 水芭蕉、カタクリから始まり 二輪草、クロユリ、オオバナノエンレイソウ、シラネアオイ、エゾエンゴサク、アズマイチゲ、スズランなどなど、これからの季節 色とりどりの可憐な花が次から次と咲き始めます。



↓ 休日には子供たちの歓声でにぎわう児童遊園    ↓ 落ち葉を踏みながら散策を楽しむ林


   

 広い公園には(50ha) 美術館、動物園等他にも施設が多くありますが
 ① 人工の公園 ②少し手を加えられた雑木林 ③自然のままの野草園 と 公園内に3つの違った形態が隣接しているのは全国でも珍しいとのことです。 

   

↑ 池のそばの滝の下の沢には 水芭蕉、ヤチブキ(エゾノキュウキンカ)が咲き 訪れた人々を和ませてくれます。


← 空飛ぶリス?木の根元で樹木上で生活するモモンガの糞を見つけました。
ですが 糞の落ちている木では 生活していないとのこと。
コウモリ科 夜行性で生態はあまり分からないとのことですが「日没10分後」に活動し始めるとのこと 係の方は正しくこの時間に生体を一度だけ見たそうです。
赤ゲラの古巣をねぐらに 木から木へ飛び、体はシマリスよりも小さいとのこと。
帯広市郊外他にも 農業高校 自由ケ丘周辺にも生育しているとの事、2haの広さがあれば生活出来るとの事です。勿論木がなければ生きられません。

緑ヶ丘公園は帯広中心部より車で5分 これからの季節、緑いっぱいの木々が暑い日差しを遮り散策を楽しむ人々に涼しさを与えてくれます。





老人との世代間交流・・

2008年04月24日 | 暮らしの情報・見学


伝われ つながれ ひろがれ 未来を担う子供たちに

未来を担う子供たちが健やかに育ちますように

親が安心して子を産み育てられますように
 
こどもの成長が親の喜びであり社会の夢でありますようにと願いながら遊びの伝え、

味の伝えなど未来を担う子供たちと、老人クラブ会員が中心となって交流会を実施しました。

! 優しい心遣い、助け合いの精神、謙虚な態度・・・どんな苦境や困難にあっても、
自分よりも相手の幸せのために行動する大切さを「未来を担う若い世代に」受け継いで行きましょう !


場 所・・聖公会幼稚園遊戯場

帯広聖公会幼稚園 ←クリックして見てね



聖公会幼稚園児との交流会を11月6日(金)老人クラブ会員から32名
園児31名、職員4 計67名が幼稚園の外のグランドに集まり園児体操から始まりました。 

 
 朝の体操が終った後、室内の遊戯場に移
動している最中。

 可愛らしい園児達は、整然と率直に行儀よ
く椅子に座っています。


 元気いっぱいの園児全員による歓迎の挨
拶が始まります。

 園児の素晴しい「よさこいソーラン踊り」で歓
迎されます。


 園児達は先生の太鼓の合図で、カスタネット 
を上手にあわせて「ソーラン踊り」始める体制 
♪♪

 園児達は緊張の中にも和やかにお年寄
りに見てもらうことに「自信ありげに」踊ります
触れ合い手遊びをして親睦を図りながら、ゲ
ームに入り、でんしゃがでんでん、物送りリレ
ー、ボールまわし&インタビューとはしゃぎ廻
りました。


 次に[カプラ積み上げ]これだけ積み上げる
のにどれだけ苦労したことでしょう。高さ2メー
トル、長さ5メートルナイヤガラの滝に積み上
がった一瞬の静寂。

 それを崩し滝が流れているように見える
大歓声と拍手が起る寸前。



 園児と年寄りが童心に帰って一緒に戯れむれる姿は、本当によかったなーと感じさせられました。
ゲームが終って園児から可愛い押し花のプレゼント、老人会からもプレゼントを渡し「有難う御座いました。」



ゲームが終わって「有りがとうございまし
た」の発声で五目御飯、味噌汁、りんご、
みかん,など昼食に入り楽しそうにVサインを
だして喜びを表している男児。

 お年寄りと、園児達と一緒に楽しく園児が盛
り付けた昼食を 戴いている様子です
来年また逢おうねといえば「来年は学校に行
くから」といわれ,手を握り合い、手をふって別
れを惜しみ後ろ髪惹かれる思いで別れました。
心情として得るものと、与えるものが多くあり、
世代間交流は続けなけれならないと痛感し
ました。
 閉会に当たり、老人クラブを代表(女性理事)し
て楽しかった事を、感謝の気持ちを込めてお礼
を述べる中で「人間として大切なことは、夢と
希望をもって」更に、感動を覚えることが大切で
あることを強調しました。



帯広市老人クラブ活動・・クリックしてみて下さい


終わりに     
世代間交流の促進については「高齢者世代の生きがい促進という視点に加え」子ども・若者など
次世代に対するケアや、教育の担い手として中高年・高齢者世代が積極的に取組なければならな
いと思います。中高年・高齢者世代と子どもの世代間交流促進は、福祉や教育分野の行政施策
としてあるいは地域における市民レベルとして積極的に取り組むべき時代と思います。こうした取
り組みに対し、シニア・シルバー層のおおむね6割弱から9割強が関心をもっていると聞いており
ます。今後、少子高齢化のいっそう進んで行く前に「世代間交流の理解を深めることは」ますます
重要になってくると思います。

  

十勝幕別町の「蝦夷文化考古館」へ

2008年03月07日 | 暮らしの情報・見学


全画像クリックで拡大画像になります。
 
この正面の建物がアイヌ文化の資料館「蝦夷文化考古館」です。(マップにリンクします。)
アイヌ語で幕別は{マクンベツ}「後ろにある川」の意味。 白人は{チロツトー}「鳥が多くいる沼」の意味。
アイヌの地名を見ただけでその場所がどのようになっているかわかるようになっています。きっと山菜を採ったり、猟をして生活をしていた昔のアイヌの人たちは知名を見ただけでどんなところかがわかったのでしょう。
故吉田菊太郎氏(明治29年生ー昭和40年1月、68歳で没)~{白人コタンのアイヌ指導者で昭和15年に北海道アイヌ文化保存会を組織して以来、先祖の残した文化財が散逸するのを恐れて文化財を蒐集してきた。これらの文化財を陳列・保存するためにこの館は市町村、各団体、各個人に協力を依頼し、管内・道内は勿論のこと、遠く東京方面にまで寄付等の協力を仰ぎ、当時の金額で総工費200万円で建設された。
 40年、吉田菊太郎氏の死去により遺族は故人の意思を尊重し、幕別町に寄付を申し出、昭和41年1月に建物も含めて寄付されました。}・・幕別町のパンフレット参照。

蝦夷考古館の左隣の建物は故吉田氏の自宅だそうです。

 この度、幕別町教育委員会のあたたかいご指導やご配慮をいただき、ブログ掲載にいたりました。感謝しながら報告をします。



訪ねたきっかけ~
私は十勝生まれの十勝育ちですが、祖父母や親戚たちは四国出身の農家です。私が物心ついた頃、近くにアイヌの方が住んでいらっしゃいました。大変質素に生活され、心優しく薬草のゲンノショウコを乾燥させて飲ませて下さいました。
 今思えば、控え目な方々と思っていましたが、言葉や習慣、文化が全く違う私たちに戸惑いを感じていたのかもしれません。
また、アイヌ文化や習慣が失われていく事を憂いていたのでしょうね。
当時、差別がなかったと言えば嘘になります。
 そして、いつの間にかお引越しをされたのです。「ここかな?」「あそこかな?」と今でも探そうとするのです。この幕別町の「白人(チロットー)コタンかな?」とも。この「蝦夷文化考古館」はとても気になる建物でした。
過日の地方新聞に本館が公開されていることと、活発にアイヌ文化の伝承活動をされていることが掲載されていました。そこで早速という訳です。




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 親切な管理人の方の案内で、まず出迎えてくれたのは、丸太を削って作った素朴な丸木舟 139年前のもので大変珍しいそうです。浦幌町十勝太で魚をとったり、渡し船に利用していました。












十勝川の渡し船に乗った気分で舟やカイを見ながら歩むとまず、目に止まったのは神々への祈りの道具です。北国に住む厳しいが、豊な自然の中で生活をしていたアイヌの人々は、動物、植物、山川、火、病気など全てを神様として信仰していました。神様のことをアイヌ語で「カムイ」いいます。イナフルは儀式にかぶる男性用の冠です。イナウは、ヤナギの木などを削ったもので、人間がお祈りした言葉を神様に伝えてくれると言われています。ですから、神様によって違う形をしていました。いつも人間の味方をしてくれる神様を大切にしていたのです。女性用守り紐は悪い神(魔除け)から守るためでしょう。











                            

漆器類は和人との交易によりアイヌ社会に浸透してきました。主に儀式の際に利用されました。また、宝物として価値を持ち、富の象徴とされていたそうです。



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食物と用具食用や薬用になる山菜を春から秋にかけて、たくさん採っていました。来年のために全部採り尽くすことはしませんでした。また、人間が食べられない部分は他の動物のために、山においておきます。
男性が木を彫った用具の「物入れ」や「水かき」は力強く感じます。女性が草で織った皿(ルサ)は細かい手作業です。ここに所蔵されている民具はほとんどが”製作者”や”保存者”がはっきりしていて、大変資料価値が高いそうです。





ゴザ(キナ)手カゴ(サラニプ)身近にある植物を使い、文様入りのゴザがたくさんありました。このようなゴザは主に儀礼に用いられました。また、アイヌの人々の重要な交易品でもあった。
手カゴはぶどうのつるの皮などで作り魚等を入れてました。 

 自然の恵みで人間が作ったものでも、道具には魂が宿ると考え、大切に扱っていたそうです。




狩りと用具
このような「かんじき」を履き、冬の山で猟をしたのでしょう。エゾシカやヒグマなどを。しかし、鮭を捕ったら、熊やキツネの食べる分は残したそうです。このようにアイヌの人々は動物たちとも譲り合って生活をしていたのですね。





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衣服に関する品々
着物が納めてある部屋です。
木の皮からとった糸で作った衣服・木綿の衣服には刺繍だけをつけた衣服・黒や紺色の細い布をはり付けて、その上に刺繍をした衣服があります。このように、模様がついている衣服は神様のお祭りや結婚式などの儀式用と思われます。
普段着はあまり模様がついていないようです。
 アイヌの女性にとって衣服を仕立てることは大変大切な仕事の一つだった。手で織り、刺繍した衣服を夫や、成長した息子に着せることは最高の喜びだと思います。安全や健康を願いながら仕立てた事が作品から感じました。代々母から娘へと受け継がれてきたのですね。



夏の靴 はブドウのつるで作ったわらじです。
冬の靴はサケの皮で作った靴を履きます。これだけでは、冷たそうです。きっと干した草を入れたのでしょうね。
冬の服動物皮の防寒着だったそうです。シカやクマの毛皮で作りました。










女性用の「首飾り」と
「マタンブシ」そして、大切に伝えられてきた楽器 「ムックリ」はひもを引いて弁を震わせ、口の中に音を響かせるようにして音を出します。


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 のれんには文様の刺繍がされ、今に伝えられています。
文様の左右が丸いのは「フクロウ」、尖った部分は魔除けと聞いた事があります。
愛する人のために着物の襟・袖口・裾に文様の刺繍をしたのでしょう。


我が家で愛用している、「筆入れ」はアイヌ刺繍の愛好会の方が作られたものです。
「ムックリ」は帯広百年記念館で買って、只今挑戦中です

本館を訪ねて”あのお引越しされた方々”にお会いできたような気持ちで満足致しました。
 天真爛漫に生活をしていたアイヌの人々に思いを馳せることができました。
そして、言葉や風俗習慣が和人化されていく苦労や前向きに子孫に伝えたい思いが伝わりました。


幕別町の蝦夷文化考古館へのリンクです。

                       

十勝の隣の都市 釧路市を訪ねて

2008年02月21日 | 暮らしの情報・見学
  湿



厳寒の早朝 「何か探し隊」は お隣の都市 「釧路市」に十勝では見られない景色を探しに出掛けました。

釧路市は 面積    1,362.75km2
       総人口   190,890人
(住民基本台帳人口、2007年12月31日)
北海道内で札幌市・旭川市・函館市に次ぐ4番目の人口の都市



因みに十勝 帯広市は
       面積    618.94km2
       総人口   170,580人 (現在は17万人を切ってしまいました)
(住民基本台帳人口、2007年12月31日)
苫小牧に次ぐ6番目の都市です。






     <青空を優雅に舞うタンチョウ>

   
 
<阿寒国際ツルセンター  タンチョウ観察センター> 
特別天然記念物として保護されている鳥の女王 タンチョウツルの華麗なダンス? 厳しい冬を楽しむように じゃれあっています。
一時は絶滅の危機にも立たされたタンチョウも 生態を研究し人工給餌の甲斐あって 多くのタンチョウが生育するようになり、現在1013羽(道東で)確認出来ています。※タンチョウは北海道道東のみに住んでいます。 



 
 ・給餌の時間になると 多くのオジロ鷲が タンチョウの餌を横取りしようと 舞い降りようとしています。
  弱肉強食 自然界は厳しい? いやいや 人間世界の方が厳しいかな?











   


<釧路湿原国立公園>
最も北海道らしい景観を維持し 日本一大きな湿原。この湿原は国の天然記念物に指定されています。
タンチョウにとって子育てに必要な湿原、 そして河川をねぐらにする為 凍らない川が必要です。
湿原は タンチョウが生き延びる為に最も恵まれた環境で 大切な場所です。

また タンチョウにとってばかりではなく 釧路湿原国立公園は 湿原、林、河川、湖沼群など様々な環境を含み 貴重な野生動物の宝庫でもあります。

参考
釧路湿原は 1952年特別天然記念物
        1980年ラムサール条約登録湿地
        1987年国立公園に指定





  <大きな工場が立ち並ぶ風景>
   日本製紙株式会社釧路工場
   王子製紙株式会社釧路工場
   株式会社ニチロ釧路工場
   大塚食品株式会社釧路工場
   株式会社釧路製作所釧路工場 等々

  工業都市「釧路」 十勝では見られない景色です

  釧路湿原のタンチョウへリンクさせていただきました。



十勝農業試験場

2007年08月16日 | 暮らしの情報・見学




   7月18日十勝農業試験場に見学に行ってきました。
北海道新聞の記事によりますと「十勝農業試験場」は明治28年に開設以来初めての試験場内の圃場を一般公開すると新聞に載っているのを読みまして行って来ました。

   私事で恐縮ですが私が小学の低学年頃の一時期、帯広の東の方の地区に住んでいまして、旧農事試験所は(昔は農事試験場と言っていました。)札内川の河畔沿いありました。(東9条南7丁目~東12条南13丁目付近)夏になると農事試験場の後ろの堤防をいっきに駆け上がると、ゆったりと札内川が流れていてその川べりでメダカすくいや泳いだりと楽しかった夏の思い出がよみがえります。
試験場が現在の芽室町に移転したのは昭和35年の年だそうです。
農業のことは全然わかりませんが子供の頃の農事試験場の圃場、そして建物が今でも脳裏に焼きついていてノスタルジックな思いに駆られて見学をしてきました。

   圃場の中は一般の見学者は降りて見学はできません。
マイクロバスの中からの職員さんの説明を聞きます。
外部からの細菌等の進入を防ぐためだそうです。最新の注意を払われて研究栽培されているのですね。




圃場には種類ごとに整然と植えられています。

十勝シニアネット何か探し隊マップ・道立農業試験場をご覧ください。




動画 金時豆の交配の手順です



※ すいませんADSLの環境のPCは多分1回目はコマ送り音声も途切れ状態だと思います。2回目再生ではきれいに見れます。金時豆の交配の手順を説明されています職員さんのお話をぜひ見てお聞きください。
   金時豆の品種改良のやり方の手順を見せていただきました。凄いですね。職員さんの手は私から見るとまるでゴットハンドの手です。ひとつの品種が一般の農家の作付けされるまでは約10年以上のスパンが要するそうです。


   ありました ! 約60年前にタイムスリップ ! 私の子供の頃に見た原風景のひとつ、懐かしい「旧農事試験場」が敷地内に移転されて現存、今は図書館・書庫として使っているそうです。クリックしてください。大きい写真も見てください。 →





   エリモショウズ記念碑。
記念碑にはこのように書かれておりました。「エリモショウズ」は北海道立十勝農業試験場において昭和46年に「寿小豆」母に「十育七十七号」を父とした交配により育成され昭和五十六年に優良品種決定した。・・・・
私たちが食べています餡子類の小豆はこの試験場で改良されたエリモショウズ系の小豆なのですね。

   圃場には有機栽培の研究栽培、それに『食』ばかりではなくこれから重要なCO2の削減の為のバイオエタノールの燃料になります、菜種やトウモロコシの研究栽培等といろいろな観点からの研究栽培をしておりました。
日本の『食』の安全と安心を担う種の研究栽培のお仕事を少しだけ見せていただきました。大変なお仕事なんだなぁ~と感謝をしながら後にしました。
尚、十勝農業試験場のHPはこちらです。
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北海道伝統美術工芸村

2007年08月03日 | 暮らしの情報・見学



工芸村は、優佳良(ユーカラ)織工芸館を中心に国際染物美術館と雪の美術館の三館が並んでいます。
                      
優佳良織 =北海道をテーマに選び長い年月をかけて、何百色にも色を染め分け、糸を紡ぎ、はたにかけて爽やかに澄む風土に映える多彩な色取りを織っています。
工芸館は優佳良織の全テーマを展示するためにつくられ、テーマ展示室・和の展示室・洋の展示室・インテリア展示室・制作工程展示室に素晴らしい目も覚めるような作品が展示されていました。
各展示室共に写真撮影禁止となっておりました。素晴らしい作品をお見せ出来ないのが残念です。玄関ホールと販売コーナーを紹介します。

            優佳良織工芸館玄関ホール
  優佳良織工芸館の正面玄関を入ると、ホールの正面に大きく長い優佳良織の鮮やかな織物が目に入り、テーブルには、真っ赤な可愛い帽子を被った雪ダルマ、ホールのあちこちには優佳良織の作品が飾られています。








           
販売コーナーの衣類展示品を紹介します↓

             
  美術館は、世界各域、日本各地のさまざまな染織工芸~衣の文化を分類整理し、それぞれの特徴を見比べながら、技術と美しさの表現を鑑賞する事が出来、染織品がどのような素材を使い、どのような技術で作られ、どう利用されてきたかを説明しています。館内全体が世界と日本との「染織文化地図」を構成しています。
国際染織美術館も全館写真撮影は禁止されていました。
 
       

    雪の美術館入口                         雪の回路 
雪の美術館=すべてが開放的で写真撮影も自由、螺旋階段から地下に降り、紹介していませんが画廊(美術展・展示会)・カフェテラス(軽食・喫茶)・雪の館(各種会合・会食・披露宴等に利用)があり、広大な北国の風格を備えておりました。
雪の回廊=本物の氷を左右に眺めながら進めるガラス張りの氷の回廊で、真夏日の一時を幻想的な気持ちにさせてもらいました

      スノークリスタル・ルーム                スノークリスタル・ミュージアム
スノークリスタル・ル-ム= 小型ドームの壁面、天井一杯に雪の結晶が広がり、暫しの間その美しさに見惚れていました
スノークリスタル・ミュージアムは小型画面による多数の席が並び、数多くの雪の結晶、その他希望の画像と音声を楽しむ事が出来ました。又スクリーンよる雄大な大雪の四季を紹介するシァターもあり、時の過ぎるのを忘れる程でした。
十勝シニアネット・何か探し隊マップもご覧ください。

音楽堂
 
音楽堂

  音楽堂は、雪のステージでさまざまな演奏会や講演会が開かれ、その天井ドームは、28000号のキャンバスに油彩で描いた「北の空」の壮大な作品です。

北海道伝統美術工芸村のホームページです、ご覧ください。
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