十勝開拓史上大きく貢献した十勝鉄道 トテッポと愛称で呼ばれ親しまれましたが 現在は 大きな役目を終え 売買川に沿ったトテッポ通りと名付けられた遊歩道脇で静かに行き交う人々を見守っています。

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十勝鉄道の歴史 専用鉄道は大正時代 砂糖の原料となるビート工場建設に伴い 運搬専用として敷かれた鉄道(重いもの 大量の物を運ぶ為に) 特殊な使命を持った会社専用線でした。
交通がまだ不便で ビートだけでなく 旅客輸送も始まり (許可が下りるまで数年掛かったとのこと)、専用線から 「十勝鉄道」に移管 十勝鉄道になり 川西村を中心とした農村地帯で働く人々の足として大きな役割を果たしました。
それ以前から通学生 公用者を非公式に便乗させていたとのことですが、自動車のない時代 私鉄から公共の乗り物になり 通学等大変便利になりました。
時速20キロ(自転車の速度?) 飛び乗り飛び降りが常で 其れにより事故もあったとか それでも罰も規制されることはなかったようで今では考えられないことです。

今見ると小さい感じがするが 当時は馬力があり頼もしかったとの感想を述べられました。 そして 70センチ位の雪もヘイチャラで走ることが出来たとのこと、 機関車が石炭を積んだ貨車等 マッチ箱と言われた客車を(18人乗り)何両も引っ張り 各駅で給水しながら また次の駅まで間に合わない時は 川から給水しながら走った事もあったとか。

JR国鉄広尾線と 十勝鉄道の切断したレールを見せてもらいました。
十勝鉄道の機関車が どのくらいの大きさだったか レールの幅 重さの数字を見ると如何に小さいものだったか想像できます。→クリックして見て下さい。
標準軌道 レールの幅 JR国鉄広尾線 = 106.7㎝ 十勝鉄道 = 76.2㎝
( 因みに 新幹線 = 143.5㎝ )
レールの重さ 1mの重量 JR国鉄広尾線 = 30K 十勝鉄道 = 12K


← 帯広大通り駅があった場所 (帯広市大通り13丁目あたり)
現在の鉄道高架付近ですが 鉄道高架の少し手前あたりが 「帯広大通り駅」があった場所です。
十勝鉄道の何処の駅も周辺には 店が立ち並びちょっとした商店街で賑わっていましたが 今はどこにも駅の面影はありません。
線路はアスファルトの道路になり 周辺は建物が建てられたり 郊外では殆ど畑になっており 駅があった場所も人々の記憶から薄れて行くようです。

・「藤駅」→ 美栄→ 清川駅→ 戸蔦(帯広大通り駅から30キロ)
・「藤駅」→常盤駅 →基松駅→ 上帯広駅→ 広野駅→ 八千代駅(藤駅から18キロ)
(藤駅から 八千代線と 戸蔦線に 別れた)
・「常盤駅」 →美生 →新嵐山駅 →上美生駅(常盤駅から16キロ) 昭和15年に廃止
(常盤駅から 八千代線と上美生線に別れた)
← 昔を偲ぶ唯一 藤駅周辺のむかしの地図看板が 現在も 藤駅があった場所に建てられています。 クリックしてください
その当時の時刻表を見ると 八千代と 戸蔦線に別れる分岐点 (合流点) 『藤駅」』の停車時間が12分となっていますが 実際にいつも利用した美栄、 基松の人の話を聞くと 待ち合わせ、給水、石炭積み込みで20分~30分待ちはいつものことだったそうです。
(因みに 昭和32年 帯広ー藤区間の運賃は60円でした)

奈良の大仏とは比べものにはなりませんが(5メートル20) 大正14年 大仏として建立され 珍しくちょっとした隠れた観光名所にもなっています。また 桜の名所でもあります。
藤駅ここの周辺は昔 現在のFビルの創業者所有の大農場で 大正時代創業者が 世話方 の有志の協力で建てた大仏です。
現在この地域は 帯広市富士町ですが 当時入植した伊勢団体の反対により 地名は藤ではなく ふじはふじでも 気高い日本一の山 富士山の富士を取って 富士としたそうです。
十勝鉄道が軌道にのり経営の最盛期は 昭和の初め頃から10年位まで その後の経営は厳しかったとのこと。
昭和30年代に入り 交通手段は自動車に徐々に代わり公共の乗り物も 鉄道から国鉄バス(ツバメマーク)に代わりました。
ですが 道路は整備されておらず バスも全車線1年を通して運行出来るまでは 何年も掛かりました。
十勝鉄道は 交通の不便な時代に 人々の交通手段として多くの思い出を運んでくれました。
花嫁列車で嫁いだ人 マッチ箱の客車に乗りきれなくて 貨物列車に乗り(勿論屋根はない)降りたら石炭の煙で顔が真っ黒だったとか 石炭ストーブを囲んで夢を語ったり・・・。鉄道から自動車に代わり時代の流れで廃止を余儀なくされましたが 人々の心にいつまでも温かい思い出として残っているようです。
≪機関車のあゆみ 表示看板より≫
1920(大正 9)年 蒸気機関車~日本車輌会社製作
1925(大正14)年 客車~楠木製作所製作
1959(昭和34)年 蒸気機関車、客車共に旅客輸送停止
1960(昭和35)年 両車輌、十勝鉄道(株)より帯広市に寄附
1994(平成 6)年 帯広市指定文化財指定