goo blog サービス終了のお知らせ 

とかちシニアネット・何か探し隊 !

北海道・十勝地方の旬の情報、TSN会員の旅行紀行などなど、リアルタイムで発信しております。

遠野物語発刊百周年

2010年07月08日 | 暮らしの情報・見学

むがす あったずもな、・・・ (遠野地方の民話の始まりの決まり文句)


岩手県遠野市は、北上山地の中南部の盆地にある人口3万人ほどの静かな町です。
気候は厳しく、真冬の気温は氷点下15度ほどにもなり、私たちの住む帯広同様の寒冷地だそうです。
ここで筆者の友人は生まれ、現在も生活しています。
このたび友人を訪ね数十年ぶりの再会を果たすべく遠野への旅をしました。


高清水展望台

(高清水展望台から遠野市を一望)


1910年、遠野出身の佐々木喜善がふるさとの伝承を民俗学者 柳田國男に話し聞かせ、柳田がそれを文語体にまとめ、この年6月「遠野物語」を発刊しました。
その後遠野市は、民話のふるさととして全国に知られるようになります。 折りしも今年は遠野物語発刊百年の記念すべき年にあたります。
このようなこともあり、今回は旅の中から特に民話の舞台をほうふつさせる場所を数箇所ご紹介したいと思います。


出かけるにあたり、事前勉強!
難しい文語体の遠野物語読破にはまったく自信のない筆者は、簡単に物語の内容を知る方法はないかと早速ネットで情報収集。
漫画で遠野物語が書かれていることを知り、「水木しげるの遠野物語」をアマゾンより購入、それと一緒に、石井正己著「遠野物語を読み解く」で遠野物語の理解を深めることにしました。

水木しげる氏のキャラクターが、岩手県遠野市主催「遠野物語発刊百周年記念事業」オフィシャルサポートキャラクターになっていたのも、今年が記念事業年であったこととともに偶然でしたが、もしかしたら今年は遠野が呼んでいたかも、なんて勝手な解釈(^_-)-☆

水木しげる氏は、現在NHK朝の連続テレビ小説「げげげの女房」の"げげげ"であることは皆様もご存知のところです。
さらに興味深いことに、遠野に北海道の先住民族アイヌ民族との関わりがあったという史実が「遠野物語を読み解く」に書かれ、訪れた遠野市立博物館でも掲示されていました。
北海道白老町にあるアイヌ民族博物館ホームページによると、東北地方にもアイヌ民族が分布していたことが紹介されています(東北アイヌ)。
「遠野」は、アイヌ語で「湖」を意味するそうです。遠野地方の他の地名にもアイヌ語起源説が多く残っているようです。 ジンギスカンを食べる食文化も北海道によく似ています。
このへんの関係性については今回詳しく調べませんでしたが、とても気になりますので今後調べてみたいと思います。


宿泊先では、ボランティアサークルの語り部による昔話を聴くことができました。


「むがす あったずもな、どこどこ村の○○どんの家で・・・」で始まり「どんどはれ」で終わる遠野の昔話「オシラサマ」や「カッパ」「ザシキワラシ」などを語ってくださいました。
65歳とおっしゃった語り部の方の話は、自分たちが小さい頃、親やおばあさんから聴いてきた昔話を、次代へ語り継ぐ為、仲間と勉強会をしたり、各所・各イベントで語っているとおしゃっていました。
また、勉強会では、佐々木喜善の語る民話と、柳田國男の文語体の民話も勉強されているようです。
何話だったか記録してきませんでしたが、とてもきれいな流れの文語体遠野物語の一部をさらっと聴かせてくださいました。
通常の民話はお国訛りで語りますが、文語体で聴く民話ももまた素敵で、柳田國男作も読んでみようかなという気になります(が、どちらかというと方言のほうが理解出来たような気がしないでも)。
数多く残るこの地方の民話が大切な無形文化財であることを実感し、それをしっかり守り継いで行こうとする町の人たちの郷土愛を感じ、また、柔らかな方言での語りに、なんとも言えない心地よい癒しの時間を過ごすことが出来ました。


語り部の方の話や遠野物語に想いを馳せ、遠野の町を散策してみました。
民話の背景にある現風景を歩き、民話の世界に入り込む不思議な一日の体験でした。


「南部曲がり家 千葉家」


南部曲がり家 千葉家1 南部曲がり家 千葉家2

曲がり家とは、L字型の家のことで人間の住む母屋と馬小屋を直角に連結した農家。
千葉家住宅は、代表的な曲がり家で国指定の重要文化財になっていますが、現在も住居として使用されているそうです。
映画「遠野物語」の舞台となった場所でもあります。
「オシラサマ伝説」や「座敷ワラシ」が遊んでいるような気配あり!


「山口の水車小屋」


山口の水車小屋


「カッパ淵」


かっぱ淵かんばん


常堅寺のカッパの狛犬  カッパ淵
常堅寺のカッパの狛犬(?)。   常堅寺の裏を流れる小川。 遠野のカッパは赤い顔をしているそうです。


ここでカッパたちは遊んでいるのでしょうか、(もしかしたら会えるかも)と真剣に探したりして・・・。


学校の体育館がカッパのデザイン!
学校の体育館がなんとカッパのデザイン!


バス停もカッパさんでした。


「滞在中食べた郷土食」


遠野・角館・盛岡


  • ひっつみ・けいらん・そば
  • ジンギスカンは特に写真なし。 こちらのジンギスカンはほとんど手切りらしく少し厚めのマトンですが、とても柔らかかったです。
  • どぶろくも呑んじゃいました。 甘酒とはやっぱ違う!
  • かねなり・やきもち・きりせんしょ
  • きりたんぽ
  • こんにゃく
  • 稲庭うどん
  • 冷麺
  • じゃじゃ麺

ひっつみ・けいらん きりたんぽ こんにゃく 


遠野探索中、目的地への移動がスムーズにできたのは一日中道案内をかってでてくれた友人のおかげです。
ガイドブックにもない細かなサポートに感謝です。

Google Mapで 遠野行脚地図 を表示



どんどはれ




帯広市公園紹介

2010年07月07日 | 暮らしの情報・見学


帯広緑ヶ丘公園はもっとも市民の憩いの場であり、帯広を観光する上でこの公園は外すことのできない場所です。
帯広市街の南側に位置するこの広大な公園、総面積は約50ヘクタール。自然豊かな公園で、エゾリスやエゾモモンガなどの動物、白樺やスズラン、カタクリ、クロユリなどの植物が生息しています。
かつて世界一の長さを誇った400メートルベンチ、芝生と木立が美しいグリーンパークなども見どころのひとつです。自然のままの野草園や彫刻の径(みち)などもあります。


<緑ヶ丘公園>


  


帯広百年記念館、帯広市児童会館、北海道立帯広美術館、おびひろ動物園、グリーンプラザがあります。


<とてっぽ通り>


  


とてっぽ通りは十勝の季節を感じるもっとも素敵な場所です。
春には満開の桜を眺め、秋には木々が色づき紅葉を楽しむことが出来ます。
ここは元十勝鉄道の跡地が公園になっています。芝生も多く木陰もあり、暖かい日近くに住む人達がジョギングをしたり、ゆっくりと散歩を楽しんでいました。


<大通り公園>


  


公園大通の魅力を高めていこうと、市民の皆さんとともに、平成14年度から「公園大通景観グレードアップ事業」に取り組んでいます。
帯広市内でも有数の長さの遊水路がありこれからの暑い日は水遊びを楽しむ子供達の光景が見られます。


<中島公園>


  


中島公園は十勝支庁東側にあります  依田勉三 ⇒クリック
帯広開拓の祖・依田勉三の銅像がある小さな公園。公園名は銅像を建立した歌手中島みゆきの祖父・中島武市に由来しているとのことです。


<西町公園>


  


街の中心地に広い原始林の森があります。公園面積が広く、静かで街の喧噪を忘れることができる空間ですが 1人で歩くにはちょっと寂し過ぎる雰囲気でした。自然そのままの公園です。


<あづさ公園>


  


今回初めて行った公園ですが、広々とし、スポーツを楽しむにはもってこいの場所です。赤い屋根のあずま屋が建っているのがポイントで 遊具施設も色々と揃っており、野球場、パークゴルフ場もあります。子供から大人まで多くの市民が楽しむことが出来る公園です。


<はるにれ公園>


  


はるにれ公園は稲田浄水場近くの上水道水源地にあり そこに推定樹齢200年あまりの大きなハルニレの木があります。
ハルニレは十勝の名木100選の一つで「帯広市保存樹林」に指定されています。




帯広市内には現在186カ所の公園があります。公園利用目的によってさまざまな種類に分けられています。
街区公園(131カ所)主に公園の近くに住む市民の利用を目的とした、もっとも身近な公園。今回は一部の公園しか紹介できませんでしたが、帯広のどこの公園も素晴らしいと誇りに思いました。>



中札内村「札内川園地」を訪ねて

2010年06月11日 | 暮らしの情報・見学
 

 生まれも育ちも十勝の人は 案外地元のことを知らなく、移住して来た人に十勝の良さを教えられることが多いのではと思います。
 今回はその中の一つ日高山脈のふもと「ピョウタンの滝」がある「中札内園地」付近を紹介します。
 四季の変化が大きい十勝の風景、同じ場所に立っても 季節毎に違った表情を見せてくれます。
 
 十数年前に一度訪れたことがあるのですが 中札内市街からは 曲がりくねった細い砂利道で車でも相当な時間が掛かり「遠かった」と言う記憶があるのですが、今回向かってみて 道中のあまりの変わり様、遠いと思っていたピョウタンの滝まで 中札内から車で20分(20キロ)道路も整備されて快適なドライブとなりました。

札内川の水を集めて10メートル下の滝つぼに豪快に流れ落ちる景色は圧巻 雄大な自然を求めて多くの観光客やカメラマンに人気のスポットです。
滝の水しぶきや豊富な自然林から発生されるマイナスイオンがあふれ癒し効果抜群、暖かい日だったので水しぶきが心地良くこれから夏に向けては 避暑地として別世界を感じそうです。( → クリックして下さい)


<キャンプ場付近> 5月初め まだ雪がありました。
       <バンガロー>                   <ツリーハウス>
          < 吊り橋 >              ↑ 休日で親子で釣りを楽しんでいました。
  日高山脈から流れるこの札内川は平成3年から8回 「清流日本一」に選ばれました。
  7月と9月には大自然の中で楽しむイベントとして この地でやまべ放流祭があります。

 <← 日高山脈山岳センター>
 日高山脈の様々な情報が分かりやすく展示、またかつての痛ましい雪崩や、ヒグマによる死亡事故などの遺留品も展示してあり自然界の恐ろしさ 厳しさを改めて知らされました。

 この建物の中には中札内の食材を使った料理を提供しているキッチンカフェがあります。
 またここには昨年 中札内村で閉館になった「広瀬ニット館」に展示されていたニットデザイナーの広瀬光治さんの作品が今年度から常設展示されています。


           <→ 札内川ダム> 6月初め 若葉茂る季節です。
 ピョウタンの滝から札内川ダムに通じる道路は雪崩 崖崩れのため例年より遅れ、5月31日に一般開放となりました。
この道路は「幻の静内中札内線」とも云うべき道路で静内への途中で無くなります。
札内川ダム管理施設を見学しましたが ちょうどダム放流中で 豪快な景色を間近に見ることが出来ました。
常に放流している訳ではなく 大雨や雪解けでダムの水位が上がると自動的に放流される仕組みになっているとのこと。
雪解けの時期 山からの流れ落ちる大量の水で5月に入ってからずうっと放流が続いています。
6月10日現在、山の上にはまだ雪が残っておりますがそろそろ水位が下がりあと2,3日でダムの放流は止まるそうです。
放流中の光景はこれからは相当な雨量の時だけであまり見ることが出来ません。
ですが放流は止まりますが 完全に川の流れが止まるわけではなく 川の中の生物 清流を保つため僅かですが流れを維持しています。


 ← コイカクシュサツナイ岳登山への入り口付近の水たまりで 「エゾサンショウウオ」の卵を見つけました。
  蛙の卵に似ていますがあまりに大きくてびっくりしました。
  寒天のような卵のうは大きくコイルのように巻いていて大きさは1個直径2センチ位ありそうでした。
  (クリックして下さい)


 < ← これより先通行止め> 
 道々静内中札内線は札内川ダムより 6キロ程のところで工事中断の為通行止。
 この先の工事が進んでいたら サクラのシーズン静内に容易に行くことが出来たのに 北海道の予算がなく工事は打ち切られ残念です。
 それにしても ピョウタンの滝から工事中断地点までわずか10キロの間にトンネル8 覆道10が作られたことを思うと このまま工事が進まないとしたらあまりにも 税金のムダ使いではと思います。 



  夏には涼しさを求めて 秋には紅葉の山々の景色を楽しみにまた是非訪れたいと思っています。

                                   

  

知ってびっくりビーンズさん

2009年10月09日 | 暮らしの情報・見学


とかち田園空間博物館  「中札内村豆資料館」 (通称「ビーンズ邸」)をご紹介しよう。
住所は中札内村大通南7-14  「道の駅なかさつない」に隣接している。 
市街地の国道236号線沿いにあり、入館無料。

詳細情報は⇒「道の駅なかさつない」

 このおしゃれな建物は、帯広市幸福にあった1952年建築の旧農林省馬鈴薯原原種農場事務所棟を平成17年8月に移築したもので、入場無料の、豆と農業の資料館だ。
 訪問者数は年間約1万人ほどである(管理人の豆お姉さん談)。
 ビーンズ邸にはストーリーがある。

 「十勝の大平原を開拓し豆栽培で成功した家に生まれた「豆畑拓男」、通称ビーンズさん。
 新種の豆を探しに世界各地を旅して世界中の豆を味わってきた。
 しかし、十勝の豆が世界一すばらしいことに気づき、生まれ故郷の十勝に帰り、十勝の豆の魅力を多くの人に知ってもらおうと地元の人々や旅行者に自宅を開放しました。」 という設定だ。

 架空の人物「豆畑拓男」 以下ビーンズさん。
7月の手亡 9月の手亡 7月のピーナッツ
 ビーンズ邸入口までのアプローチには、いろいろな豆が育っている。
 ビーンズさんの自宅兼研究所という設定で、5つある部屋を居住空間のような落ち着いたインテリアでそれぞれ演出している。

ホール
 天井が高く広々としている。壁にはこの家を建てるにあたったエピソードが展示してある。

前室 ビーンズさんの書斎
 青い壁紙と茶の腰壁がシックだ。
  ビーンズさんが現実に存在するのでは、と思わせるほど小物にもこだわっている。
 すっかり、その世界に吸い込まれてしまった。
リビング
 シックな、ポップな応接セット。
 それぞれのテーブルには豆に関する資料がある。
 豆を題材にした絵本、豆入りのお手玉などが置いてあり、大人もこどもも楽しめそうだ。
 オシャレな暖炉があり、冬には薪が焚かれるそうだ。
キッチン
 豆お姉さんこと管理人の「枝 豆子」さんが、ステキな笑顔で迎えてくれた(本名も 「えだ」 さんだ)。
 豆を使ったレシピが豊富に紹介されている。レシピはお持ち帰りできる。
 当日は、翌日おはぎをふるまう為の、あんこ作りの最中だった。(明日も又来てみようか……)
 

研究室
 十勝で栽培される豆は、大豆、小豆をはじめ、金時(きんとき)、手亡(てぼう)、とら豆、ササゲ、花豆など実に多彩だ。
 広大な土地と雨の少ない気候が豆の栽培に適しているのだ。
 ここには世界の180種の豆が展示されている。
資料展示室
 ビーンズさんのリビングを抜け、渡り廊下の先にあり、 豆の本や、豆に関する報告資料等が展示されている。
 豆の商いをしていた人々が着ていた法被、その他道具類が多数展示されている。
 昔の台秤があり、分銅を操作して自分の体重を量ることが出来ておもしろい。
 帰りには道の駅に寄り、中札内村特産の卵や野菜を購入。
 新鮮で安価な十勝農産物を手に、最近っきり見かけない、ニオ積み風景を探しながら家路についた。
 おしい 2009/9/18
豆が入りこんだ文字いろいろ
いろいろ
 ニシン御殿(日本海側)・ 薄荷御殿・ たまねぎ御殿・ ニンジン御殿(北見)

 澱粉御殿(詳細不明)・ すけそう御殿(羅臼)・ ほたて御殿(猿払村)・ 鮭御殿(ウトロ)

 タコ御殿(稚内・宗谷) 参考は各種HP 豆御殿は発見出来ず。



めん羊牧場

2009年07月10日 | 暮らしの情報・見学
 


『スピナーズファームタナカ』は、1994年春にオープンした「めん羊牧場」で、池田町の十勝平野を見下ろす清見ヶ丘にあります。
池田大橋を渡り、根室本線の踏切を越えて直進すると、左側に看板が立っています。
 古い牛舎を改造した建物で、売店では、各種羊毛製品が販売されていますし、別棟の二階工房内では羊毛の販売、羊毛に関する体験教室や各種イベントなどを開催しています。

羊の飼育は、8千年~1万年前に中央アジア、西アジアの高原に住んでいた野性獣を飼い始めたのが始まりで、特性として自然条件になじみやすく、高原に住む羊、温暖な地方に住む羊はそれぞれ自然条件にあった体型に進化してきたと言われます。


放牧されている羊

 スピナーズファームタナカでは、羊を年中放牧したままで、チェビオット、ジャコブ、ボンドコリデール、マンクスロフタン、シェットランド、コリデール、メリノ、ハードウィック、ボーダーレスター等多くの種類が飼育されています。
 すべて羊毛を採るためで、肉用の飼育はしていません。



飼料庫の二階にある工房

古い牛舎を改造した二階に工房があり、体験教室や各種イベントなどが開催されています。


工房には、刈り取られた羊毛が1頭ごとに丸めて置かれています。羊のオーナー制度があり、毎年応募したオーナーには刈り取った毛を1頭丸ごと送ることになっています。
 また、毛糸にして染色してもらうこともできるようです。


工房内に展示されている体験教室の作品や、コンテスト応募作品



売店で販売されている毛糸、帽子等



毛糸紬の実演



羊は自然条件になじみやすく、どんな暑さや寒さにも耐えて生きて行くことができる。身体全体が長く伸びた羊毛に覆われ、皮下脂肪も多くて外気温の変動から守られていると言うことです。
 見学の最後に、毛糸紬の実演を見ながら、子供の頃飼っていた羊から刈り取った羊毛を糸に紡ぐ手伝いをしたことが懐かしく思い出されました。
詳しくはこちらからスピナーズファームタナカ

記憶が蘇る!!「私設博物館」

2009年06月26日 | 暮らしの情報・見学


ゴールデンウイークの「昭和の日」を前に、新聞(勝毎・道新)に紹介された「私設博物館」“昭和ナツカシ館”に行ってきました。


  展示品は、参納弘義館長が約40年にわたり、帯広・十勝で昭和時代 実際に使用されていたものを、郷土を愛する思いにかられ個人的に収集した物だそうです。“昭和30年代帯広・十勝物語”その数、数千点。
自分が懐かしく思い出される部分を中心にご紹介します。


私設博物館」“昭和ナツカシ館”正面

建物は、帯広・十勝の田舎風景、牧歌のロマン、牛舎をイメージして建てられた。
とかち・帯広空港にもあるサイロが描かれ、その前には牛乳缶が置かれている。
東北の田舎育ちの自分には、初めて見る帯広・十勝の田舎風景でした。勿論 牛乳缶は知らなかった。

ゴム靴」
こんな立派な「ゴム靴」は、履いた記憶がありません。
自分が履いた「ゴム靴」は、ゴム長靴の上の部分が破れたら、上の部分を切り取って履いていました。
汗をかくと、足が「ゴム靴」の中でズルズルすべるので、ボロ布や新聞紙を敷きました。


物のない苦しくても楽しい昭和20年代の記憶です。











「白黒テレビ」

昭和30年代の、真空管の「白黒テレビ」です。
プロレスの、力道山の空手チョップを見せてもらいに、町内の電気屋さんの茶の間で、10人位の子供達の中の一人として正座して観戦した記憶が甦ります。
アナウンサーの声は正常に聞こえますが、画面は殆ど吹雪状でした。
それでも歓声をあげて観ていました。



「娯楽の王様」『映画』

昭和30年代の娯楽の王様は、何と云っても「映画」でした。
映画が終わって映画館から出る時は、その映画の主役の気分でした。滑稽な姿想像あれ!!



「亀の露」

帯広酒造の「亀の露」直売所には大変お世話になりました。懐かしい以外の言葉はありません。
何時から開店していたのか分かりませんが、正午前から飲んだ記憶があります。
枡酒・コップ酒を受皿に溢れるまで注いでくれました。受皿の分は、「得」した気分でした。

特に寒い冬は、味の浸み込んだ「おでん」で飲む酒は絶品でした。

何と云っても勘定の安いのが、1番でした。



「晃邦」

帯広には昭和30年代、小川醸造場があり「晃邦」と云う銘酒でした。
ここも直売所があり大変お世話になりました。



「駅弁のお茶&天花粉


独身時代、年に一度は生まれ故郷に帰省する時必ず利用した「駅弁のお茶」。懐かしい!これを見ていると、20年以上も行って
いない“ふるさと”の記憶が甦る。
♪♬ うさぎ追いし・・・・・・・・・
天花粉」何処のお家にも有った「天花粉」。夏の行水・風呂あがり・おむつ替え・・・子供時代お世話になりました。“気持ちよかったなぁ・・”



「缶入りドロップ」

通称「ドロップ缶」高嶺の花だった!!味も、駄菓子のドロップとは格段の違い。“美味かったなぁ・・”



「学生帽・学童服・セーラー服」

「学生帽」 左は帯広柏葉高校、右は帯広第4中学校の、昭和30年代の物です。
「霜降りの学童服」
裕福なお家の子供が着ていました。高嶺の花だった!!眺めていました・・・・・・

「セーラー服」裕福なお家の子供が着ていました。眺めていました・・・


「電話機の移り変わり」


①壁掛け式もありました。ハンドルを回すと、「チリーン・チリーン・チリーン・・・」
「○○番 お願いします」
②形は今の物と変わりませんが、まだハンドルを回して呼び出す形式。
③ダイヤル形式に変わりました。
④③時代の公衆電話です。
昭和30年代後半は進歩のスピードが速かった!!ような、記憶があります。


「パチンコ台」

立った姿勢で、左手で玉を入れ、右手でハンドルを弾いて玉を打つ。
パチンコには苦い思い出があります。
休日に、開店から閉店まで遊んだら、次の日右手首が、ボンボンに腫れあがりました。
12時間も玉を弾いていた無理が原因。2~3日で治りましたが、ビックリ!!

</cneter>
「文化人形」 昭和30年代の女の子の垂涎の的。



御案内板です。 帯広市西13条南12丁目1-5



   このほかに展示されているものは、昭和の神器「テレビ」・「冷蔵庫」・「洗濯機」は勿論、日本の小さな昭和の「オルゴール」約700種類、「ポーターブル蓄音器」・「時計」・「人形・玩具」・「レコード」、帯広・十勝に関する「書籍」、“平凡” “明星”などの「雑誌」などなど・・・・・・

  自分が特に懐かしかったのは、○●青果食品会社・△▲水産株式会社などの「前掛け」、
帯広町時代の、■◆合名会社などの「ソロバン」、昭和の帯広・十勝に関する「写真」、ブリキの「看板」などです。

  オルゴール・電気製品など展示品の多くは今でも実動できる物で、お願いをすると館長が親切に説明しながら、オルゴールを聞かせてくれたり、テレビを見せてくれます。
懐かしいオルゴールの音色・プレゼントをしてくれた彼氏を思い出す!!テレビの画面・・・

倉庫にはまだまだ、収集品・市民からの寄贈品が沢山あるので、展示替えも随時行っているそうです。

  自分にとって、昭和20年代から昭和30年代までを懐かしく記憶を甦させていただけた、小さいけれど、立派な「私設博物館」でした。昭和のパワーに感謝・感謝!!

「私設博物館」“昭和ナツカシ館”




「私設博物館」“昭和ナツカシ館”の
URL http://nttbj.itp.ne.jp/0155249070/

帯広国際センター

2009年06月12日 | 暮らしの情報・見学

帯広の森は何処にありますかと聞かれますが、帯広駅よりかなり離れています。
国際センターアクセスマップ←クリック 



  私も一度施設を見学した事があります。その時は前もって見学を申し込んでいましたので施設の中を説明してくださいました。
 今回は一人気ままに見学して紹介します。これより先は入れないとの事、ホテルの方ですが残念です、
国際交流の楽しさもあります。



玄関口 「森の交流館・十勝」


JICA帯広国際センターは静かなたたずまいであります
眼下に雄大な帯広市街を見下ろせる場所です。
 jica帯広の憩いの小道と東屋に続いています。ここからの展望はお薦めの
場所です

国際センターの入り口であります。中に入りますと受付カウンターがあります。
 エントラスホールでは、各国からの研修員と市民の皆さんとの交流スペースが設けられています。


此処の施設では、開発途上国から、研修員の皆さんが
快適で充実した研修生活が過ごすのに必要な設備が整え
られています。
最大50名の研修員が宿泊できます。誰でも泊まれます

 
<
図書資料室もあり一般貸し出しもしています

図書資料室
  図書資料室は、地域の皆さんにも開放しています。教材を調べたり、静かに勉強している人がいます。 また青年海外協力隊 国際交流ボランティア活動など世界のことを調べるのには良いところです。


 此処から先は申請して許可を貰わないと入れません。 
 お願い説明がありました。 国際センターは技術研修員の受け入れ、国際協力に携わる方々には、宿泊をはじめ、施設を利用できます。


レストランの利用は時間制限があり昼食11時30分から
14時まで。宿泊する研修員の日々の生活の場として重要
な役割を担っています。地域に住む人達も利用できます
 白樺に囲まれたレストランテラスは外の空気を吸いながら食事もでき
ます。奥に見えますのが宿泊のためのホテルになっています。




 春のお茶会には研修員もお茶を頂き 日本の伝統を
体験していました。
お茶室は 地域の人達も利用して交流会を開いています。



国際センター駐車場公園側(西20条南6丁目)宮本遺跡であります





  宮本遺跡 1983~85年に宅地造成(12,593㎡)、1993・94年に国際交流センター建設に伴う 
発掘調査(12,390㎡)縄文時代前期後半(約5千年前)を主体とする遺跡で、住居跡や落し
 穴などの遺構や、8万5千点の土器や石器などの遺物が出土。宮本遺跡後地に国際センター
とは知りませんでしたが、帯広市区城で59ヵ所、十勝管内では1千ヵ所以上あります。

十勝 エコロジーパーク

2009年01月09日 | 暮らしの情報・見学





 今回は幕別町にあります魚道観察室を新年早々ですが、十勝にある、素晴らしい施設を紹介したいと思います。 「十勝エコロジーパークの幕別町エリアに」あたります。私は、昨年の夏国道38号から素晴らしい施設発見しました。十勝川の方に大きな鉄塔が建っております。開発の事務所の3階に上りますと十勝川が見渡せる素晴しい景色と綺麗な公園が広がっています。橋もついていて渡れて千代田堰堤につながっています。「ととろーど」は川岸にあるコンクリートのあまり大きくない建物です↑



      
 
 この建物が目印、素晴らしい施設が出来ています。 此処は何をしている施設かと思います・・・・
  千代田新水路事業(国)十勝圏道立広域公園事業(道)都市計画公園事業等(1市3町)なる計画であり。4つの理念◆自然と人間の共生を目指す公園◆市民活動を誘発する公園◆100年先を目指す環境育成型公園◆十勝圏全体へと発信する公園、誰もが利用できる施設・・

  この建物は何? こんな小さな入り口からエレベーターに乗って入るのです
 外から入る階段の入り口になっています、階段を下がって中に入りますと・・・すごい水です・・


 残念なんですが、この写真は開発の方からお借りしました。11月いっぱいで閉館になっていました。
帯広河川事務所に伺ってお願いしてきました。



  千代田新水路魚道観察室では千代田新水路に設けられた階段式魚道を遡上する魚類の姿を見ることが出来ます。
 「千代田分流堰ゲート」は流量調節の容易さと経済性に優れた、この堰には、高さ3.91m幅43.3mのゲートが4門設置されています。 ゲートの操作は管理棟で行われています。


 平成19年7月28日オープンしました。魚道観察室から説明を受ける事も出来ます。階段式魚道を利用している魚を観察出来ますし、横から見ることの出来る観察窓の他、魚道の底からも見られる窓もあり、水に潜った気分で魚の泳ぐ姿を楽しむことが出来ます。
 魚道観察室の目印は、帯広方面から幕別方面に向かい、国道38号線沿いにある相川小学校を過ぎ少し行きますと左側に神社「咾別神社(いかんべつじんじゃ)」という少し読みにくい神社があり左へ曲がり、進みますと大きな鉄塔が見えます。



魚道観察室「ととろーど」←クリック 


 幕別エコロジーパークに「帯広開発建設部」の施設があることも知りました。千代田新水路の広大な広さに行き届いた公園設備があり、4月末には開館になります。広い帯広河川事務所が札内西町に有る事も知りました。幕別でも一番豊かな農村地帯の相川地区、道沿いの農作物も豊富でした。国道沿いの入り口に看板があるとわかりやすいのに、国の施設は宣伝いたしません。身近な所にある立派な施設を利用して戴きたいと思います。「ととろーど」へは、池田エコロジーパークからも行けますが、橋を二箇所渡り、遠まわりになります。施設見学も出来、誰もが楽しめる空間があります。遊びがてら一度観てください・・・・


趣味の園芸 前編

2008年11月07日 | 暮らしの情報・見学


 




 8年前のある時、玉葱の生産王国北見に居住する友人から、趣味の園芸で何か農作物を栽培するのであれば玉葱を栽培して見ないか、その気であれば玉葱の苗は提供してやると勧められた。
 玉葱の栽培は全く無知であったが、根っから作物の栽培に興味のある心は大きく動かされ、早速新規作物栽培への挑戦が始まった。
 8年間、趣味の園芸として継続した玉葱栽培、作業の間に記入したメモと写真を頼りに、玉葱の播種から収穫までとして記録しました。     


玉葱の播種から収穫までの生育記録

  以降、小さい写真上で、クリックすると拡大写真が表示されます。ご覧下さい
 1・玉葱の種子(たね)

  玉葱の種子
種子は幅2mm~3mm 長さ3mm~4mm 厚さ1mmほどで固い皮に覆われた小さな黒い粒になっています。ネギ類の種子は大小ありますが、すべて同様な形をしています。

 玉葱のコーティング種子 
種子は小さくて変形しているため、播種するのに難しいので、小さな種子を1粒づつ5~6mmの円形にコーティング加工して利用する。



2・播種 (たねを蒔く) に必要な用具

突起板
育苗の床に1粒づつの種子を蒔く穴を作る板、ビート(甜菜)の播種に使われている板の枠を外して使用した。1枚で1400の播種する穴が出来る。


播種板
突起板で作られた穴にぺレット種子を1粒づつ蒔く用具、種子が入っている状態で板をスライドすると1度に700粒の種子が蒔ける


播種後の様子
突起板で作った穴に播種版で播種した状況。専業の玉葱耕作者はこんな作業はしません、農機具で移植出来るポットに機械で播種をしています。



3・播種後のハウス管理

播種後の配置
ハウスに播種した育苗床を発砲スチロールで囲んで、作業がし易いようにしてから、種子に覆土(土をかける)を平均にする。



 温度管理の2重トンネル 
覆土の後で温度管理のために2重トンネルにして、更に夜間はビニールシートで被覆をしています。(ハウス自体も2重ハウスにしている)


 温度管理 
ハウスと2重トンネルの中に温度計を設置して温度管理を大切にする。管理温度は最高気温30度以上、最低気温5度以下にならない様に注意している。

 4・発芽開始 

 発芽開始 
3月5日前後に通年の播種は完了、播種後2週間(14日)前後で発芽開始する。針金のような感じで玉葱とは思えない、長葱も同様で玉葱と見分けはつかない。


 発芽後1~2日の状態 
芽の先は折れたままの形で発芽し、次第に開かれながら徐々に真っ直ぐ伸びてきます。何とも幻想的な様子を知りました。


 発芽後5~7日 
殆んどの芽が開き始めました。発芽開始、この時期の苗芽は大変に弱く高温・低温障害を受けやすく、温度管理が一番大切な時です。

 5・育苗ハウスの生育

 ハウス生育初期 
発芽後10~15日、全体が青々と見えるようになりました。昼間は急に高温となる心配でトンネルのビニールは外し、夜間は被覆します。


 ハウス育苗1 
4月中旬、少々軟弱な苗であるが素人の苗つくり、まずまず満足だ。草取りもしたがまだ残っている、もう少し換気が必要かな・・・?


 ハウス生育2 
4月中旬、青々と良く育ってくれたが若干徒長(伸び過ぎ)気味だ、葉の先を15Cm位刈り取り、ハウスも開けて外気に慣らし、丈夫な苗に仕上げる事にする。

定植直前苗
4月下旬、葉の先の切除も終わり、丈夫な玉葱の苗は出来上がりました。(自己満足)後は定植(畑に移植する)を待つばかりになりました。


  『苗半作』= 苗の良否で作物栽培の収穫は半分決まると言う、農業用語があります。
 玉葱栽培の開始は、出来上がった苗を貰ってのスタートであった。2年目以降は苗作りにも挑戦、自宅の空き地に小さなハウスを作り育苗を開始、2年間は日陰での日照不足で満足な苗が出来ず、小さな玉葱の収穫に終わった。
 以降自宅での苗作りをあきらめ、専業農家のハウスの片隅を借用しての苗は、やや満足のいく苗作りとなって来たが、今年はチョットした油断で高温障害を受け貴重な苗の70%程が、枯死する憂き目に合う大変な経験をさせて頂き、今更に『苗半作』の大切さを知り、この厳しさを味わっている。

後編へ

趣味の園芸 後編

2008年11月07日 | 暮らしの情報・見学


 



 6・定植 (畑に苗を移植する)

定植用苗
定植用の苗、ハウスで育苗した苗を抜き取り束にして畑に手植えで定植する。この写真は自家育苗初年度の不良苗、玉葱は小玉で不作失敗の年でした。(平成14年)


定植作業
5月上旬 ハウスで育苗した苗を抜き取り束にして、畑に手作業で定植する。専業農家の定植はすべて専用の移植機械作業で、今では見られ無い懐かしい手植え作業の光景です。(平成16年)



定植直後の圃場

5月上旬、チューリップが満開に咲き、芝桜と剣山が見える畑に弱々しい玉葱の苗が植えられました。(平成20年)

 7・畑での生育状況

 圃場生育1
6月中旬、玉葱は順調に生育しています。チュウリップの後に金魚草が植えられ美しい花が咲きました。 (平成17年)。


圃場生育2

6月下旬、そろそろ畦がふさがりそうです。この年は前年より生育状態は良く、収穫に期待した頃でした。 (平成18年)。


生育最盛期

7月下旬、畦は完全にふさがり生育は真っ盛りとなりました。金魚草も2回目の花が満開、後方にサルビアの赤い花が見えます。 (平成17年)。


玉ねぎ肥大期

↑上写真の根部、生育が進むにつれて根部は丸く太りはじめ、生育最盛期には全て玉葱の形となります。

8・収穫 

収穫直前の玉葱

8月中~下旬、畑での生育は終わり、殆んど萎れて玉葱が出来上がりです。株と株の間に玉葱が無いのは、根腐病等で欠株になった所です。(18年)


収穫開始

8月中~下旬、後方の玉葱はまだ青く20日位遅れる晩生の品種、右が収穫前の様子、左は抜き取って並べた玉葱、いよいよ楽しみの収穫です。 (平成17年)。


収穫自然乾燥

9月上~中旬、畑で抜いて広げた玉葱を10~15日自然乾燥させる。専業農家は抜取作業を省略、専用農機具で根を切ってから自然乾燥する。(平成18年)

 9・玉葱の最終調整作業

調整作業手伝いの友人

9月上~中旬、玉葱の自然乾燥が出来たら適度に集め、一個一個の葉と根を切り腐敗品は廃棄、製品の調整をしてミニコンテナに格納する。この年に育苗ハウスの場所を変更、苗も良くなり豊作の年になりました。(平成15年)


調整作業を手伝ってくれる甥の孫
猫の手も借りたい収穫作業、たまたま遊びに来ての手伝いはありがたい。専業農家はこの手作業を、自然乾燥後に専用の玉葱収穫機による省力化が図られ、人力での作業は見られない。



ネッド詰製品

2月下旬育苗ハウスの準備から始まり、播種から収穫まで幾多の作業を経て、待望の玉葱ががネットの袋に納まりました。

 趣味の園芸作物として、玉葱に挑戦し8年が経過しました。初年度は、玉葱専業耕作者の育成苗と玉葱は初めての土壌での好条件栽培であった事から、生育は良く病害虫の発生も少なく、初挑戦の作物として大成功であった。2年目以降、自家育苗によるハウス管理の苦労と失敗の積み重ね、連作障害による根腐その他病害の大発生・タマネギバエその他害虫の被害は大変なもので、玉葱は他農作物と比較すると病害虫に対しての抵抗は弱く、デリケートである事を知らされた。
 初年度の栽培で無農薬栽培も考えて見ましたが、2年目当初育苗の時点よりあえなくダウン、減農薬栽培に切り替え現在に至っている。
 収穫の良否等々紆余曲折であったが、趣味の園芸としての玉葱栽培が8年間楽しく継続出来た事の満足と、収穫した農産物を、親戚・友人・知人等々へお裾分けする事が出来、喜んで貰えたのは又格別である。
 来年早々に70歳を迎えるのを機会に、趣味の園芸も年齢に相応した体力の維持と健康づくりの範囲に縮小しつつ、玉葱を含めた楽しい農作物栽培を継続し、高齢者社会の一員として元気に過ごしたい。

前編に戻る