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緑香庵通信

三軒茶屋から世田谷線で6分・松陰神社前のアロマテラピーサロン。

ファンキーじいちゃん、クールばあちゃん

2009-11-21 09:57:18 | 「緑香庵」的なもの

■ ファンキーじいちゃん
中央線で見かけたイカしたじい様ふたり。
ヒップホップ調のスエット上下にジャラジャラいっぱいつけて、
怪しい感じのブランドサングラス、頭には当然ニット帽。
「あー酒はもう嫌だ」と一人が言えば、
もう一人が「あはははは」と笑い声で応える前歯はスカスカ。
あたりに酒臭い空気を振りまきながら、電車に乗り込んできました。
ボヤキ漫才よろしく、ぼけは終始大声で不満を披露し、
つっこみは全てに笑いで応じています。

そのうち、つっこみのじい様が「で、どこから入る?」と。
すると、ぼけのじい様が「そりゃあ正面突破よぉ」って。
どこに行くんだろう。興味津々。
周辺の乗客皆が耳をダンボにしておりました。
結局わかりませんでしたが、
吉祥寺で降りて行ったじい様ふたり、どこを「正面突破」したのかな?

■ クールばあちゃん
毎朝通る乳酸飲料の会社の前の道。
お掃除をしている女性、推定70代。
小柄で痩せ形、いつもきちんとお化粧をしてエプロンをきゅっと着け、
「仕事です」オーラがガンガン出ています。
ほうきで落ち葉を片付けて、花に水をやり、
休憩ともなれば花壇の縁に腰掛けてタバコをプカーとふかします。
それが何ともかっこいい。
松本大洋の漫画に出てくるいかついばあさんにソックリ。
元気で口が悪くて、そして優しいんだろうなきっと。

親世代がそこそこ年を取ってきたせいか、
どうしても高齢者に目がいきます。
そして自分はどんな風に年をとろうか考えます。
「タバコ吸ったことないけど、ばあちゃんになったら吸ってみようかな。」
と、つぶやいたら、
「生命保険の支払いが終わってからにしてね。」
と家人に言われました。
だね~。

今日はアロマとまったく関係ありませんでした。



白湯(さゆ)ばあさん

2009-09-18 12:00:23 | 「緑香庵」的なもの
毎日何度となく白湯を飲みます。
今年の春頃から始めた習慣です。
大好きな紅茶、緑茶、ほうじ茶、コーヒーなど、
普段何げなく口にしていたのを止め、
水分が欲しい時は白湯(または水)を飲むようにしたのです。

■ あっぱれお水の力
と言ってもお茶類をいっさい断ってしまうわけではなく、
飲みたい時は、薬効を意識して、また特別な嗜好品として、
味わい楽しんでお茶を飲む。
そう決めておくと、一日に飲むのはせいぜい
何かしらのお茶を一杯程度だったりするようになりました。

これを続けて数ヶ月。
夏を過ぎてどうも身体が変わってきたらしい。
まず、肌の乾燥がこの夏はひどくない。
まあたいした暑さじゃなかったせいもあるでしょうが。
それにしても、肌の潤いが前年度比5割増(適当)。
更年期真っ盛りにもかかわらず、過去の夏の中では
ダントツに潤ってます。あっぱれお水の力。

■ カフェインは薬物です
また、拡張性の片頭痛持ちでもある私の場合、
「あやしい、来るぞ、頭痛来そうだぞ」というときに、
応急処置としてコーヒーを飲む、ということを以前から
しているのですが、平常時に飲むお茶類を減らして以来、
この緊急時のコーヒーが、効く効く。
カフェインは頭の血管を緊急に収縮させる働きがあるのですが、
少量できっちり仕事をしてくれるようになりました。

カフェインは毎日摂取していると耐性ができるらしく、
量を欲するようになるんですね。まさしく薬物です。
良い仕事もいっぱいしてくれますが、取り方を上手にしないと、
恒常的に薬物の刺激が働き続け、
それが前提の身体に調整されてしまいます。
なるべく普段はニュートラルがのぞましい。

■ ばあさん上等!
そんなわけで、以前のように夕食後うっかり紅茶やコーヒーを飲むと、
夜中まで眠れなくなってしまいました。
・・・って、これは年のせい? ではありませんよお。
カフェインの効果持続時間は3、4時間~12時間と言われています
(耐性で個人差あり)。私の場合、9時過ぎに飲むと、
夜中の1時頃までピッカピカです。
何せ早寝早起き推奨派ですから、日をまたがずに眠りにつきたい。
以前はいつ何を飲もうが、ほっといても即入眠だったのに、
これは困ります。
仮に眠れたとしても、眠りが浅くなるとか。質が落ちるというわけ。
やだやだ、眠るの大好きなんだから。
布団大好きなんだから。

というわけで、最近は日が落ちてからのお茶には、
決意を持って望むことにしています。
「眠りを取るか、目前の欲求をとるか」。
「眠れなくなるから飲まない」というと、
相方から「ばあさんみたい」とつっこまれる今日この頃。
ばあさん上等!


ぬか漬けフィーバー

2009-07-10 10:00:00 | 「緑香庵」的なもの
食における私の目下の関心事はぬか漬けです。
何年も前にやってはいましたが、
ぬか床の管理が思うようにいかず、
また毎日のお世話が面倒になったりもして長らく止めていました。
この夏再びぬか漬けフィーバーがやってきております。
毎朝毎晩かき混ぜて、大事に大事にお世話をしていると、
これが可愛くなってくるものです。
それに、ぬかの手触りが、以前やっていた陶芸の
粘土をこねこねする感じを思い起こさせます。
「菊練りしたーい」とか叫んだりしております。
(陶芸での独特の土の練り方。最初はこれがなかなかできなくて
いっぱい練習しました)

■ 私はぬか漬けなんです
なんだか夏に向けて、気分も原始的になってきているぞ。
浸かりたてのキュウリを冷たくひやして
ポリリとかじると美味いなあ。
おかげさまで毎朝ご飯がおいしいです。
そしてお腹の調子がすこぶる良いっ。やっぱり乳酸菌。
あまり乳製品をたくさん取りたくないので、
植物性の乳酸菌がたっぷり取れるお漬け物は助かる。
年齢のせいか、こういう伝統的な食事がしみじみと安心するなあ。

人は食べたものでできていると言います。
今朝食べたぬか漬けの一部が私のどこかの細胞で何かと入れ替わり、
今の私になっているのです。
私はぬか漬けなんです。


■ 部分は全体
微妙に話はズレますが、
今年は自宅の庭で例年のゴーヤに加えてミニトマトも
栽培しております。
トマトの茎や葉っぱの香りを嗅いだことがおありでしょうか?
トマトの匂いなんです。
トマトは実だけじゃなくて全身がトマトの香り。
全身がトマトなんです。当たり前のようですが、知ってました?

桜の花のピンク色。あの色素は花びらだけにあるんじゃないです。
ごつごつした枝にもあの色素はちゃーんとあるんです。
その証拠に、桜の枝を煮出して染めると
(媒染剤にもよりますが)きれいなピンク色に染まります。
桜は全身で桜色なんです。

イクラのきれいなオレンジ色はサケのお母さんの肉の色
っていうのは知ってました。
卵をたくさん抱えたサケのお母さんの身の色は
白?くなってくるそうです。
全身の色をイクラにあげているのね。

部分は全体で全体は部分。
アロマテラピーで使う精油は植物の香りをギューッと濃縮したもの
ですが、でもそれは植物の一部分のようでいて、
実はその植物全体を
担っている。
今日はそんなお話、
だったっけ?
あれれ?


びっくりした

2009-05-29 18:13:41 | 「緑香庵」的なもの


■ 考えていたことが書いてあった
「現代語訳 般若心経」 (玄侑宗久・著 ちくま新書)を読んでいたら、
今考えていたことがそのまま書いてあった。
って、芥川賞作家にして現役のお坊様である著者に対して
失礼も甚だしいですが、まさにどんぴしゃでした。
不思議ねえ。

お経の表層の意味を理知として捉えるのではなく、
意味もわからず唱えるお経の音声の中に身を投じることで、
世界の実相に
触れる。
と、こう読みましたがどうでしょう。

まさに私が音楽としての般若心経に期待するものがそれです。
こうなるともう、宗教における信心とはまったく別の境地
のような気が致しますが、
ある意味それこそが宗教が担ってきたことだとも
言える気がします。

■ タイミング
こんなふうに、知りたいことがあって、それに最もふさわしい
タイミングで出会うというのは、実はよくあること。
神の采配というと大げさですが、
似たようなことがもっと日常のレベルでも結構あります。

訳あってここのところ緑香庵を留守にせざるを得ない日が
少なからずありました。
しかしながらそのせいで予約をお断りしなければならなかった
ことはほとんどありませんでした。
(もともとそんなに混んでませんが)。
それにしても、実にウマい具合に、
急にサロンを空けなきゃならない時はたまたま予約は入ってないし、
反対に急にサロンに居られるようになると、
ひょっこり予約が入るといった具合。
お客様はみんな天使ですかい?
と思いたくなるような案配でした。
(予約が重なったせいでお断りした方は申し訳ありませんでした。)

■ 宗教ではないのですが
私は何の宗教も持っておりませんが
「神様見てるよね~」と思った次第です。
「あー、ちょっと疲れてきたな。
緑香庵にいってリラックスしよっかな」と思ったあなた。
あなたこそが緑香庵にとっての天使です。

世の中不況不況と、ほんとうに残念な雰囲気が蔓延しておりますが、
こうして助けられているのです。
ありがとうございます。

少年少女聖歌隊ならぬ「じじばば声明(しょうみょう)隊」作るか。
恩返しに。
般若心経を唱えるのぢゃ。うふふ。


般若心経、良いっすよ

2009-03-29 06:59:53 | 「緑香庵」的なもの
お久しぶりです。
ひと月以上のご無沙汰となってしまいました。
その間のことはまたおいおいお話しするとして、
緑香庵の営業は変わらず元気にやっておりますよ。
ご心配なく。

このところにわかに興味が湧いているのが般若心経。
最近出会った本が
「えてこでもわかる 笑い飯哲生訳 般若心経」(ワニブックス)。
面白いです。

般若心経といえば、法事などで耳にしたり、
葬儀の席でお経の小冊子が配られ、
わけもわからず唱和したりしたこともあります。
何か厳粛で立派で敬虔なイメージを勝手にもっていましたが、
上記の本などで少し内容を知ってみると、
般若心経にはもっと雑多な日々の暮らしの中にある、
「優しい気持ちの素」がつまっているような気がしてきました。
今まで「ただ難しいもの」としてよそへ置いてきたお経の
本当の意味を知ることで、何かが腑に落ちることがあります。

また、お経を読むだけでなく唱えるということには
宗教的な意味合いだけでなく、身体的なあるいは
音楽的な価値があるように思います。
声明(しょうみょう)というまさにお坊さんの合唱のようなものが
ホールなどで演奏(?)されることもある昨今ですが、
確かにそもそも歌は祈りでしたから、祈りは音楽なのです。
宗教で用いられる音楽はだいたいこの祈りが基調と
なっていると考えられます。
賛美歌でも、ゴスペルでも同じでしょう。
祈りは、祈りの言葉が持つ意味そのものよりも、
その歌がもたらす身体的なバイブレーション、
感覚的な喜びが大切だと思います。

昔ゴスペルを習っていたとき先生に言われた
忘れられない言葉が「ゴスペルは神様に向かって歌うものだから、
上手に歌おうと思わなくていい。上手かどうか神様は全く気にしない。
ただ心を込めて歌いさえすれば良い。」

この言葉を今の私なりにさらに進めるならば、
心を込めて歌うとは、意識の表面で意味を歌うことではなく、
身体を込めて、脳の深部にある感覚から歌うということであり、
そのことが天にいるある宗教の特定の神様ではなく、
誰の中にもある神様に届く。

即ち、誰の脳の深部にもある情動の源に届き
身体に届くと考えられるのです。
わあ、また説明が硬いですけど。

お経を唱える自分の声、周りの人の声に
自分の感覚をゆだねていくと、
きっとなんともいえない良い気持ちになるんじゃないでしょうか。
合唱でユニゾンがぴったり決まった時
あるひとつの柔らかな塊のなかに、
ちょうどいい張力でつながっているような、
自分も他人も無いような心地よさにつつまれるのと同じで。

そう考えると、お経を何人かで一緒に唱えるというのは、
特に例えば高齢者にとってはとてもいい音楽療法ではないか
と思うのですが、いかがでしょう。
音程もテンポも自由なので、
間違ったら恥ずかしいという心配もしなくていいし。
唱歌などで子供時代を思い出し和むというのも悪くありませんが、
節回しも意味も気にせず、ただただ腹の底から身体を震わせて
音声を出すというのは、身体的精神的にものすごく良いリハビリ
だと思うのです。
それがお経ならなおさらありがたい感じもして一石二鳥ではないかしら、
って、こういう捉え方は不謹慎なのかしら。
どこかに私の親ぐらいの高齢者向けに声明指導をしてくれる、
優しいお坊さまはいらっしゃいませんかねえ。