二日続けて、何故かご年配の方に怒られまして。
昨夜、スーパーの前を自転車で通りかかった時に、
すれ違った様子の良いご婦人(推定70歳~80歳?)に
「ああチカチカする。チカチカする。頭の中までチカチカする。」
と、なかなかの形相で言われました。
自分に向かっての言葉だとすぐには気づかなかったのですが、
その視線は明らかにこちらを向いている。
気になって考えた所、私の自転車のライトが点滅するタイプだった
のがお気に召さなかったのだと思い当たりました。
「うーん、眩しかったのかな? 悪いことしたな」
と思いつつ、
「でもライトは点けなきゃだしな、しょうがないね。
せいぜいライトの角度に気をつけますか」
と気を取りなおしての今朝。
■ 「白だろ」って・・・。
今度は交差点で、散歩中と思われる男性(推定70歳~80歳?)に
突然「おい、白だろっ! 赤だろっ!」と怒鳴られまして。
最初の「白だろ」は明らかに「赤だろ」を言い出すための
助走(?)と思われますが、そんなことより
私、信号無視してないもーん。なんでぇ?
世田谷近辺のお年寄りのバイオリズムが一斉に怒りの方角へ
向かっておられるのか?
それとも私が怒りを引き寄せているのか?
自分で言うのもなんですが、普段は比較的、高齢者ウケの良い
ほうなんですよ、私。
納得いかないし、なんかなあ、へこみますわぁ。
■ 年齢?
どちらかといえば平和的な性分なので、
あまり腹を立てたりしない方なのですが、
だからと言って仏様ではないので、
そこそこカチンときたりはするわけです。
私も歳をとったら、色々なことに怒ったりするようになるのかしら?
そもそも「怒り」や「恐怖」は様々な感情の中でも
最も古くから人類に刻まれたもの。
それらをつかさどる場所は、脳の中でも最も深部に位置する
「爬虫類の脳」と呼ばれる場所にあります。
これらの感情は生存に不可欠なものだったからこそ、
一番昔からあり、今も一番奥深くに温存されているわけです。
その外側にその他の感情があり、さらにその周りを
お馴染み「理性の脳」が取り巻いて、様々な人間らしい営みができる
脳になっているわけですね。
もしかして、年齢を重ね、やや理性の抑制がソフトになると、
本能的な感情がより外に出やすくなるのかもしれません。
■ 腰痛は怒りである(ジョン・E. サーノ博士)
ただまあ「怒り」や「恐怖」は一概に否定すべきものでもありません。
ネガティブな感情ではありますが、それあってこそのサバイバル。
怒りの原因を「無いことにする、否定する、抑制する」を続けて
「いい人」でいると、脳では「怒り」のお隣さんに位置する、
体の調節機能の中枢に影響をおよぼすこともあります。
首、肩、脊柱、腰の体の真ん中のラインに出がちな痛みは
「怒りの抑制」からくるという説もあるくらいです。
まずは怒りの存在を認めましょう。
どうしても認めることができないときは
アロマの力が役に立ちます。
理性の脳の暴走をなだめて、本能や感情を自由にしてくれます。
■ 笑いで乗り切る
怒りの存在を認めた上で、
それをそのまま外へ出したのではお猿さん。
怒りに取り込まれてしまっては動物と同じです。
処理して変化させて外へ逃がす、即ち昇華させることができるのが、
大きな脳をもった人類ならではのやり方なのだと思います。
「笑い」なんてその代表格かもしれません。
「怒り」や「恐怖」の反対側には、可笑しなことの種が
背中合わせで必ず転がっているとしたら希望がわきます。
笑いは人間が怒りに取り込まれてしまわないために獲得した
安全装置なのかもしれません。
「白だろっ!」のおかげで私の「カチン」もクスクス笑いに化けました。
ありがとう。
昨夜、スーパーの前を自転車で通りかかった時に、
すれ違った様子の良いご婦人(推定70歳~80歳?)に
「ああチカチカする。チカチカする。頭の中までチカチカする。」
と、なかなかの形相で言われました。
自分に向かっての言葉だとすぐには気づかなかったのですが、
その視線は明らかにこちらを向いている。
気になって考えた所、私の自転車のライトが点滅するタイプだった
のがお気に召さなかったのだと思い当たりました。
「うーん、眩しかったのかな? 悪いことしたな」
と思いつつ、
「でもライトは点けなきゃだしな、しょうがないね。
せいぜいライトの角度に気をつけますか」
と気を取りなおしての今朝。
■ 「白だろ」って・・・。
今度は交差点で、散歩中と思われる男性(推定70歳~80歳?)に
突然「おい、白だろっ! 赤だろっ!」と怒鳴られまして。
最初の「白だろ」は明らかに「赤だろ」を言い出すための
助走(?)と思われますが、そんなことより
私、信号無視してないもーん。なんでぇ?
世田谷近辺のお年寄りのバイオリズムが一斉に怒りの方角へ
向かっておられるのか?
それとも私が怒りを引き寄せているのか?
自分で言うのもなんですが、普段は比較的、高齢者ウケの良い
ほうなんですよ、私。
納得いかないし、なんかなあ、へこみますわぁ。
■ 年齢?
どちらかといえば平和的な性分なので、
あまり腹を立てたりしない方なのですが、
だからと言って仏様ではないので、
そこそこカチンときたりはするわけです。
私も歳をとったら、色々なことに怒ったりするようになるのかしら?
そもそも「怒り」や「恐怖」は様々な感情の中でも
最も古くから人類に刻まれたもの。
それらをつかさどる場所は、脳の中でも最も深部に位置する
「爬虫類の脳」と呼ばれる場所にあります。
これらの感情は生存に不可欠なものだったからこそ、
一番昔からあり、今も一番奥深くに温存されているわけです。
その外側にその他の感情があり、さらにその周りを
お馴染み「理性の脳」が取り巻いて、様々な人間らしい営みができる
脳になっているわけですね。
もしかして、年齢を重ね、やや理性の抑制がソフトになると、
本能的な感情がより外に出やすくなるのかもしれません。
■ 腰痛は怒りである(ジョン・E. サーノ博士)
ただまあ「怒り」や「恐怖」は一概に否定すべきものでもありません。
ネガティブな感情ではありますが、それあってこそのサバイバル。
怒りの原因を「無いことにする、否定する、抑制する」を続けて
「いい人」でいると、脳では「怒り」のお隣さんに位置する、
体の調節機能の中枢に影響をおよぼすこともあります。
首、肩、脊柱、腰の体の真ん中のラインに出がちな痛みは
「怒りの抑制」からくるという説もあるくらいです。
まずは怒りの存在を認めましょう。
どうしても認めることができないときは
アロマの力が役に立ちます。
理性の脳の暴走をなだめて、本能や感情を自由にしてくれます。
■ 笑いで乗り切る
怒りの存在を認めた上で、
それをそのまま外へ出したのではお猿さん。
怒りに取り込まれてしまっては動物と同じです。
処理して変化させて外へ逃がす、即ち昇華させることができるのが、
大きな脳をもった人類ならではのやり方なのだと思います。
「笑い」なんてその代表格かもしれません。
「怒り」や「恐怖」の反対側には、可笑しなことの種が
背中合わせで必ず転がっているとしたら希望がわきます。
笑いは人間が怒りに取り込まれてしまわないために獲得した
安全装置なのかもしれません。
「白だろっ!」のおかげで私の「カチン」もクスクス笑いに化けました。
ありがとう。