緑香庵通信

三軒茶屋から世田谷線で6分・松陰神社前のアロマテラピーサロン。

アロマテラピーは極小のアート

2010-10-19 16:55:45 | アロマテラピーとは
■ 自分が天才でないことにようやく・・・
大学浪人をしているころ、
「ある日突然自分が天才だということが判明するんじゃないか、
と思っているうちは子供だ」
と言う講師の先生がいました。
ちなみにその先生自身はその時、
「今でもそう(つまり、いつか天才と判明すると)思っている」
と言っていました。

おそらくは30代前半くらいだったのかなあ、先生は。
授業とは何の関係もないこんな戯れ言を、
30年経った今もその時の生徒(つまり私)が憶えているなんて、
先生自身は予想していたでしょうか。
予備校の大教室で。
特に何の特別な繋がりも持たない生徒が。
私はその先生の名前すら憶えていません。
たしか科目は現代国語でしたが・・・。
教育に携わる方、言葉というのは恐ろしいものですね。

50歳にして私はようやく、「ある日突然自分が天才だと・・・」とは
ほとんど思わなくなりました。
(「ほとんど」ね。今でもすこーしだけ思っていますけど)
どうやら私は特別な人ではなさそうです。

■ 天才の力
すぐれた芸術は、音楽にしても絵画にしても
ほかの様々な形態のものにしても、
一瞬で場所や時間を飛び超え、
異なる人種、異なる国、異なる時代の人の心を
揺さぶり、癒し、希望へ導く力があります。

そういった芸術を生み出す役割を担う人は
使命を帯びた特別な存在で、
おそらくは身の回りには、そうそういないものです。
自分も含めて。
凡庸な私たちは、そういった特別な人からの贈り物を
魂のご飯にして、今日も生きて行くわけです。
特別な人が背負った苦しみや孤独には共感することもなく。

■ 凡人の力
しかしながら、凡庸な私たちには、
特別な人とはまた別の力があります。

それは日常の中で、目の前のたった一人を幸せにする力。
たとえば疲れて帰ってきた家族に
美味しいご飯を提供することであったり、
友人に暖かい言葉をかけることだったり。
私がアロマテラピーに惹かれるのは、
ここに大きな理由があるのかもしれません。

大勢をいっぺんに幸せにすることはできませんが、
目の前のただ一人を、ある瞬間幸せにすることができると
知ったときの「やった感」。(ああ、なんたる語彙不足)

何かで読みました。
どんな偉業を成し遂げた人でも、
たとえ世界を動かすような人でも、
身の回りの些細なこと、身の回り人とのささやかな関係の中でしか
幸福を感じることができない。
人間とはそういう生き物である。そんな内容でした。

であるなら、アロマテラピーはミニマムですが立派にアートですね。