緑香庵通信

三軒茶屋から世田谷線で6分・松陰神社前のアロマテラピーサロン。

緑香庵の音楽問題

2007-11-27 10:00:00 | 「緑香庵」的なもの
基本的に緑香庵では3種の音楽を使っています。
お客様をお迎えする時の音楽。
トリートメント中の音楽。
そしてトリートメント終了からさよならまでの音楽。
これらのセレクトには本当に苦慮しています。

■ 「ちょうど良い」が大事
世の中には「ヒーリングなんちゃら」というCDが
たくさん出ていますが、使えるものがなかなか無い
(メーカーや制作者の方には本当に申し訳ないのですが...)。
そこそこ気持ちいいのはたくさんあるんですけどね。
ただ流す分にはそれで充分じゃないかという向きもありましょうが、
色々と使ってみて、音楽によるお客様の心身の反応の違いを見ると
「音をおろそかにしてはいけないな」としみじみ感じている
今日この頃なのです。
特にトリートメント中の音楽。
音楽のセレクトがうまくいくと、ちょうどよい深さの
リラックス度にお客様が落ちていくのがわかります。
「ちょうど良い」が大事。
深すぎるとかえってぐったりしてしまいます。

■ 志の高い(?)音楽を求めて
また、私自身がまず何の抵抗も無く音に浸ることが
できない音楽だともう駄目です。
好みももちろんありますが、
志(こころざし)の低い音楽はご勘弁です
この形容、不遜で不正確だとは思いますが...。
トリートメントをしていると、
音楽に対するお客様の反応も私の感想とほぼ一致するようで、
なにも私の個人的な音楽経験だけに左右されている
わけではないのです。

夏はスラックキー・ギターのあれこれ、
秋はウィンダムヒル、
時にはバロックのギターやパット・メセニーなどなど、
使えそうな音源をいろいろ編集しておりますが、
今のところのベストはブライアン・イーノの「Ambient」連作。
1978年から1982年頃にかけての制作と、だいぶ昔のもので、
懐かしい方もいらっしゃるでしょう。
音の隙間が多く、邪魔にならず、情緒過多にも陥らず、
ストーリーも押し付けず、完全なる脇役に徹しながら、
美しく志が高い音楽だと思います。

■ さらに探しています
音楽は自己の表現といいますが、自己主張の形にもいろいろ。
自己を消しても消しても、消せば消すほど、
どうしても消えずに浮かび上がってくるもの、
それがほんとうのオリジナリティかもしれません。
ただ音だけに集中して、制作者でなく音が王様になっている。
ブライアン・イーノはまさにそんな感じ。
自分らしさなんて微塵も出そうとしてないのに
どうしても滲んでくるものがあります。
音楽として素晴らしいものは他にいくらでもありますが、
トリートメント中の音楽としてこれに匹敵するものは
まだ見つかりません。
こんな良いの知ってるよという方、
ぜひ教えていただけるとありがたいです。

■ 良いものは良い
そして最近のお気に入りが、音叉(ハーモニーベル)のCD。
これはいわゆるヒーリング系あるいはスピリチュアル系に
分類されたりもしており、そのジャンルのものは
基本的に警戒して聴くのが常なのですが
これは予想に反して良かったです。
緑香庵ではこれを、お客様をお迎えする時に、
音楽の、さらにバックグラウンドとして
かすかに流したりしています。
この音を聞くと一瞬で気分が変わりますねえ。
とてもリアルなので、どこにベルがあるのかと
きょろきょろされるお客様もいらっしゃいます。
思い切って買ってみて正解でした。
もともと嫌いではないんです、スピリチュアル。
私には何の特殊能力もありませんが。

ただ、気をつけるようにしているのは、
記号化した「スピリチュアル」という
一つの考え方にずっぽり入り込んでしまうと、
判断停止というか、感性停止というか、
かえって柔軟な感受性を失う気がするからというだけのことです。
良いものは良い。
あたりまえですが。

■ 感覚はしばしば嘘をつく
前回も書きましたが、人はいつも何らかの偏りのなかにいます。
絶対的なニュートラルなど存在しないわけですし。
だから、いつでも少しだけ疑問を持つこと
癖にしておきたいのです。
だからといって、すべてに疑いを持ってかからずに
いられないというのも不健康。
結局はバランスですが、
夢中になったり、信じたり、感情でいっぱいいっぱいに
なったりしつつも、時折、
「いや実のところどうでしょう」という検証の目線を
持てるようでいたいと思います。
感覚はしばしば嘘をつきます。
この態度を私は野口体操で教わりました

しばらくお休みしてるなあ、野口体操。
いつ復活できるかなあ。

最後、話がとんでしまいました。失礼!


走るか・・・?

2007-11-22 16:07:59 | 「緑香庵」的なもの
少しずつ国士舘の銀杏が色づいて来ました。
なかなかの巨木なので、まっ黄色になったあかつきには
見応えがあります。
ということを去年知りました。楽しみ。

さて今日は、走ろうかな? どうしようかな?
決心がつかない、というお話。

■ 忘れる!
読んだ本の内容をすぐ忘れます。
これは年齢のせいというより、若い頃からずーっとです。
そのせいで小説は同じ作品を何度読んでも面白いので、
気に入った本は捨てません。
次も絶対に楽しめる保証があるから。
ですが困るのは、せっかく「これは今後の糧になるから
憶えておこう」と心に決めたことまで
きれいさっぱり忘れてしまうこと。
まあ、忘れてしまうのだから所詮その程度のことだったと
割り切れば良いのでしょうが、
後々その本を読んだ時のメモを見つけて、
自分の考えていたことが今よりマシだったりすると、
ただアホになるために年齢を食って来たのかと情けなくなります。
何の蓄積もないじゃないか。
だったら、まめに日記を付けるなり記録を残せば良いのでしょうが、
それは面倒なんです。

■ 何が問題かを忘れるという問題
まあ、明確に記憶には残っていなくとも、
それを読んだ時に感じたこと考えたことによって、
確実に私の何かは変化しているので、
意識の底に眠っている(はずの)変化をもって
よしとしなければならないのでしょう。
しかし、せめて、答えを憶えておくことができなくても、
問題を忘れるようになっちゃあだめさあ。

最近感じるのは、問題を保っておく体力の衰え。
あえて体力と申しましたが、
先日、ランナーとして有名な作家の村上春樹氏が、
自身が走ることの理由として、小説を書くための意識の体力を維持するためというような内容のことを仰ってました。
うろ憶えなので(ほらまた)間違っていたら申し訳ありません。
うん、考えるには体力がいる、確かに。

■ 未解決であることに耐える
さて、問題があるとしましょう。
問題の大きさはここでは問いません。
もしかしたらそれは、「水道の蛇口が壊れた」かもしれないし、
「今後いかに生きていかに死ぬか」かもしれない。
問題を問題と認識しないのはまず問題外。
問題と気づいた上での対処の仕方。
1) 直ぐに解決する、2) 問題のまましばらく保っておく、3) 無視して忘れる。
最後の「忘れる」は正確にはあり得ないのですが、
置き場所を意識から排除して(あるいは抑圧して)
無意識へ仕舞うということですね。
で、最近この2) の「問題のまましばらく保っておく」が
本当に難しくなって来たと感じるのです。
とても耐えきれなくて、とにかくとりあえずの解決、
結論、判断をつけたくなるのです。
その態度は社会的には歓迎すべきであるケースが多いのですが
(蛇口が壊れたら直そう、それが正しい)、
ものを考える態度としては少々不利です。
思えば若い時は解決のできない問題こそが日常だったので、
それをいくつも並行して頭の中に持ち続けていることは
あたりまえでした。
だからこそ不思議な化学変化もあり、
「ああこういうことだったのか!」がしばしば起こり得たのでは
ないかと思います。

■ 日常に埋没ってこういうこと?
近頃は、とにかくどんどん解決して行かないと
懸案事項が山積みになってしまうので、日々処理することで手一杯。
ただでさえ何でも忘れていく性格なのに、
これではアホまっしぐらでしょ。
これがつづくと、ひいては価値観の固定化につながる。それが怖いです。
いつだって人はある種の偏向の中にいます。
そのことに気づいていながら「気づきを保ったまま」
とりあえず処理を続ける分にはまだかまわないのです。
でも、この状態を保つのはとても難しい。
いつのまにか「気づいていたこと」自体を忘れて、
偏見の中にどっぷりつかってしまわないかと心配なのです。

■ 体力ですかね
これってやっぱり体力が無くなって来たせいかも
と思うこのごろ。
で、これはと思う人は走ってるんだな、どうも。
村上春樹さんに限らず。どうこう言わんで走っているようなのですよ。
やっぱり走らなきゃだめかな。寒そうだな。
とか言ってる時点でだめなんですけど。
あー、決心がつかない。
サンタさんへのオーダー、ランニングシューズに変えよっかなあ。
まだちょっと待ってね。


そろそろ冬支度

2007-11-16 12:01:33 | 「緑香庵」的なもの
今年はまだ国士舘のイチョウが黄色くなりません。
紅葉が遅れているというのは本当のようです。
それでも季節は進みます。だいぶ空気が乾いて来ました。
緑香庵も少しだけクリスマス仕様になりました。
Koyo
《緑香庵の鉢植えも紅葉》

■ おでん種ぇ
寒くなると、とにかく、くてくてに煮込んだ野菜とか、
おでんとか、スープたっぷりの温かいものが食べたくなります。
松陰神社商店街のおがわ屋さんで、おでん種を買って、
白菜でもキャベツでも大根でも何でもいいから
コトコト煮て食べるのが我が家のこの時期のご馳走ですね。
おがわ屋さんのさつまあげは、そのままでももちろん美味しいし、
煮るといいダシが出るんです。
簡単だし、洗い物が少なくて済むし、助かるなあ。

■ 腹巻きで暖かく!
身体の中からあたためて、お風呂にもちゃんと入って、
ユニクロの腹巻きをして、これで足首ウォーマーでもすれば
冬の冷えは怖く有りません。ブーツならそれも必要ないし、
今年は足首がちゃんと隠れるブーツが欲しいです、サンタ様。
長く懸案事項だった腹巻き問題、
ついに今シーズン出て来た、ユニクロの通販限定の腹巻きが
とても気に入りました。素材は薄くて柔らか、
ヒートテックとやらで暖かい。しかも安い。
素晴らしい。冬は夏よりも代謝が上がるし、
冷えに対する備えも自然にしているので、
実はそんなに驚くほど冷えている人は少ないように思います。
手先や足先が冷えるのは、身体の中心部を守ろうとして
おこる自然な反応、あまり神経質になることはありません。
お腹や腰がほかほかしていれば大丈夫。
それよりもむしろ気分をゆったりさせることのほうが大事ですね。
交感神経を過度に緊張させないように、です。
ただこれからの季節、外での食事や飲みが増えるので、
胃腸に負担がかかりやすくなります。
そのせいで、お腹周りが冷える人もいますので要注意ですね、
特に私。

■ 寒さ対策の精油
身体を温める精油といえば、スイートマジョラムやジンジャー、
ブラックペッパー
などがあります。
スイートオレンジなんかも温めますねえ。
オレンジは胃腸のケアもしてくれるので、なおさら結構。
これらの精油をいれた足湯なんかがおすすめです。
お風呂にいれてももちろんよいのですが、
ジンジャーやブラックペッパーは刺激が強いので、
全身にはあまり向きません。肌が丈夫な人ならよいかもしれませんが。

風邪かな? と思う時など、これらの精油で熱めの足湯をしたり、
熱いお湯に2~3滴入れてタオルをしぼり(火傷に注意)、
後頭部や首の後ろを温湿布すると、気持ちもいいですし、
風邪の経過を早めることができます。
汗が出てくるので、良?く拭いてからご就寝ください。
といってもたいてい、ひきはじめのころはダルくて
自分ではなかなか手当できなかったりもするんですけどね。
家族のいる方はやってもらってください。
人に何かしてもらうと、もうそれだけで良くなったりします。
風邪の時は大腕を振って甘えるチャンスです。
活用しましょう。


メスから人へ

2007-11-09 10:00:00 | 女性の身体
毎度更年期の話でまことに恐縮ですが、いや切実なもんで。
多分それでも、人よりはなにがしかの知識を持ち、
アロマや様々な自然療法の「持ち玉」があるおかげで、
比較的楽には過ごしている方だと思いますが、
それにしても油断がならない。
毎月調子が変化して行くのです。
まさにホルモンの嵐

たった1人でサロンを営業していると、
いつかは誰かに迷惑をかけてしまうのではないかと、
ヒヤヒヤすることもあったり。
ただまあ、不思議なことに体調がくずれるのは決まって休みの日
なので、よくできているというか、さもありなんというか。
ありがたい身体でございます。
おりこうさん、と自分の身体を誉めておこう。

 ◆  ◆  ◆

さて、この嵐の時期が過ぎ去ると女はどうなるのか。
女はね、本当に自由になるんですよ、きっと。
次世代を身ごもるかもという「動物としての可能性」に
ずっと支配されてきた「メスの時間」は終わり、
初めて「人」として自立しなくちゃならなくなるのですよ(たぶん)。

支配されること、イコール守られること、ですから、
長いこと女性ホルモンに守られていたコレステロール値が
跳ね上がったり、骨がもろくなったり、
あっちこっちにリスクが迫ってくるわけです。
それを今からは全部自分の責任でコントロールしていかなくちゃならない。
巨大な脳を授かった生物としての特性を
フルに生かして生き延びて行かなきゃならないのです。
これからがもしかしたら本当のサバイバル。
自由は厳しいです
でもワクワクします。

 ◆  ◆  ◆

そしてこれからは、どんな「女性」であるかも自由です。
50歳、60歳でも色っぽいステキな女性を選ぶも良し、
男前なおばちゃんを選ぶも良し、
性別を超えた不思議ちゃん(ちゃんて…)を選ぶも良し、
全てはスタイルの選択に過ぎないのですから、
自由に選んで楽しんでいいのです。
AとBとどちらが優れているという競争はありません。
女としてこう有る「べき」という決まりもありません。
何だか嬉しくなって来た。

だもんで、私は楽しく生きてくことに決めました。
そして、感受性をできるだけオープンにして、
人としてギリギリの時まで成長したいです。
なんだか中学生の作文みたいになってきましたが。
今日はそんな日。





リズミカルボディ<sup>®</sup>トリートメントが始まりました

2007-11-06 18:17:10 | アロマテラピーとは
先月(10月)から、このブログでもたびたび取り上げて来た、
リズミカルボディトリートメントが始まりました。
このメソッドは、月経周期に着目して周期に合わせた
アロマテラピーやトリートメントなどを活用しながら、
生体リズムを整えていこうとするものです。
その周期に相応しいテクニックで骨盤の開閉をサポートしたり、
流れをよくしたりすることによって、
その人の身体本来のリズムを妨げるこわばりを排除し、
弾力のある身体を取り戻します。

といわれたところで、なかなかピンとは来ませんよね。
これで「ああ、あれね。」という方は、なかなかの健康オタクか
関係者でしょうか。

などと思っていたところ、お問い合わせもいくつか頂いております。
雑誌や他のメディアでも、月経周期に合わせたダイエットや
スキンケアなどの特集が組まれたりと、
少しずつ人間のリズム(周期)というものに人々の注目が
集まり始めている
ようにも感じます。

 ◆  ◆  ◆

自分をコントロールして「常に一定の状態で」社会生活を
営んで行くことが、よき社会人の有るべき姿であるという
イメージが、知らないうちに私たちの中に刷り込まれています。
ですから、日によって体調が揺れることや、
気分が落ち込んだり戻ったりすることを「悪いこと」として
無意識のうちに排除してしまう傾向があります。

しかし、少し考えてみれば、
地球や太陽や月の運行、朝と夜、季節の繰り返し、
潮の満ち引き、心臓の鼓動…、
あらゆるものが周期(リズム)を刻んでいますね。
この星に生きている、ただそれだけで、
環境はリズムの入れ子状態にあるわけです。
それらが影響し合い、干渉し合って様々な模様を描き出すことが、
生き物たちの宿命といえるのではないでしょうか。
そのまっただ中にあって、ひとり人間だけが
「ある一定の状態をキープすることが最も大切」であるかのように
錯覚して毎日を送っている。、
これで変調が起きないはずがありません。
現代病といわれるような不都合が色々とおきるのは
ある意味、当然なのかもしれません。

 ◆  ◆  ◆

一方で、だからといって、ただ身体の欲するところだけに
従っていたら、今の社会はなかったでしょう。
意識・理性の力でコントロールする能力をもった人類だからこそ、
今まで生き延びて来たのです。

大切なのは、言い尽くされたことではありますが、バランスです。
あまりにも「頭脳偏重」になっている今の社会では、
もう一度身体のリズムに耳を傾け、そのリズムに上手に乗って、
バランスを取り戻すことが必要ではないでしょうか。

私たちは身体についてあまりにも無頓着です。
医学は発達し、栄養は満たされ、情報もたくさんあるのに、
自分の身体を感じることは全く不得手です。

 ◆  ◆  ◆

リズミカルボディセラピーでは、自分のリズムを取り戻す
お手伝いをします。
具体的には、アロマテラピーの力、トリートメントの力を使って
脳と身体に刺激を与えながら、自宅でできるホームケアの
アドバイスもしていきます。
とはいっても何も大げさなことはありません。
アロマテラピートリートメントのひとつのやり方ですので、
結局のところは、深くリラックスしていただきながら、
身体の感受性を高めるように応援していくという、
緑香庵のいつもの姿勢は何ら変わりません。
恐れず、トライしてみてください。お待ちしています。

※リズミカルボディ® はマザーズオフィスの登録商標です。