緑香庵通信

三軒茶屋から世田谷線で6分・松陰神社前のアロマテラピーサロン。

クロワッサンに載せていただきました

2016-03-30 18:47:52 | 営業日誌

お知らせ

 

今発売中の雑誌クロワッサン4月10日特大号p90~91に

緑香庵が掲載されています。 

 

お客様が運んでくれた巡り合わせで、このような次第となりました。

サロンを立ち上げるにいたった道筋が、暖かくまとめられています。

いやあ、ライターさん、編集者さんてすごいです。

散漫な受け答えはすっきりと整理され、

見たことがない自分の後ろ姿を初めて見た感じ。

サロンの写真も美しく撮っていただきました。

まわりの友人曰く、私も「私らしく」撮ってくださったようです。

はっはっは。笑ってるねえ。

 

10年やってるといろんなことがあるもんだなあ。

よろしければのぞいてみてくださいませ。

Web版もあります。

http://magazineworld.jp/croissant/


弱いもの

2016-03-28 18:00:00 | 介護

今年86歳になる母が、ベランダの手すりに両腕を突っ張り、斜め前へ乗り出すようにして、夕方の空を眺めている。正確には、どこかを眺めているというより、全身でまわりの気配を呼吸しているようにも見える。

このごろは、私が尋ねるとすっかり家事は私におまかせで、自分の時間に入ってしまうようになった。本当は一緒に夕食作りをして、機能の衰えを防ぐべきなのはわかっているが、1週間の大半はまだ自分で食事作りをしているのである。それが、まっ茶色のぐずぐずの煮物一辺倒であったとしても、それなりに過ごしているのだから、まあ、私がいるときぐらいは美味しいものを作ってあげましょうということで、よいことにしている。母が一人暮らしになって4年が過ぎた。そもそもずっと外で仕事をしてきた人である。小さな頃から食事作りは私の役目だった。まあ、昔に戻ったのと同じか。

 

 

父を見送るにあたっての介護疲れから「鬱」→「認知症の前駆症状」へと混乱を極めたころ(本人の名誉のため具体的な症状については差し控えるが)に比べれば、今は嘘のように落ち着いている。しかし、気持ちは回復しても年相応の記憶力・理解力の低下は否めない。歳とともに子供に帰るというが、人間力はさておいて、生活のスキルだけに限って言えば、ちょうど小学生くらいなんじゃないだろうか。小学生のとき私は家事をだいぶ受け持っていたが、本物の小学生ならやればやるほどどんどん技術が上がっていくのに対し、こちらはまあほぼ逆というわけで。いつもやっていることならどうにかこなしているが、ちょっと変わったことにはもう対処できない。慣れたことでも、同時に並行して物事を処理するのは無理なので、ひとつひとつ一生懸命に向き合っている。本当に丁寧に暮らしているのだ。それでもタンスの引き出しを開ければカオスだけど。

こんな調子なので、一人暮らしといえども完全な自立状態ではない。どうしても何かしらの手助けが必要である。そんな母がぽわっと空なんかを見ていると、そこだけ不思議にふんわりと光があたっているように感じることがある。家の中に、他の助けを必要とするものがいるというのは、そうじゃなきゃ生きられないものがいるというのは、なんだか良いものだ。母親を犬や猫のように言っているように思われるかもしれないが、うまく言えない。なんか嫌じゃないのだ。むしろ、いい感じ。どうしてなんだろう。弱いものの力か。役に立つとか立たないとか、社会のやりとりから自由で、生きることをシンプルに遂行してる生き物の力か。

いやいや、次の瞬間すぐに駆け引きまみれのめんどくさい婆さんに戻るよね。私が必要とされている感じとも違うんだよね。なんだろうな~こんな感じが続けばいいなあ~と思った、そんな夕暮れ、と。

 


お客さまはなんでも知っている

2016-03-25 10:06:10 | 「緑香庵」的なもの

面白い本、心地よい音楽、美味しい食べ物、花粉症にいいサプリから身体の動かし方まで、新しいことを教えてくださるのはいつもお客さま。びっくりするほどどんぴしゃの情報を運んできてくれます。

「きっと加藤さん、好きだと思いますよ」と、教えていただいた物語にどっぷりはまり、今や虜の上橋菜穂子。私設、作家の殿堂に仲間入り。(ちなみに殿堂入りは他に2名。フィリップ・K・ディックとジョン・アーヴィング。こりゃどうでもいいか。)

 

 

自分だったらおそらく手に取らない表紙なんだけどなあ。でも読んでみたら大好きな世界だった。お客さまは私より私のことを知ってらっしゃる。介護問題で心も頭もパンパンの時は、到底ファンタジーなど読む気になれなかったけれど、こうしてみると、やっと私の中身も落ち着いてきたらしい。何度も繰り返し味わって楽しんでいる。とうとう実写版「守り人シリーズ」も始まりましたね。ワクワク。

物語は頭の中でいつも声で聞こえている。それが実際の役者さんの声になるのが、心配でもあり楽しみでもあり。やっぱりワクワク。


条件が変わると本質が見えてくる その2

2016-03-23 20:16:30 | アロマテラピーとは

前回の続きです。今日もかたいよ~。ご容赦。

 

さて、条件が変わった時、見落としがちだがとても大切なのは「施術者にとって」今の状態が心地よいかどうか。「受けてにとって」ではなく。これが今回のポイントその2。

自分の姿勢に無理がないか、関節が変な方向を向いていないか、自然に重さをかけることができるかなどなど、確かめるポイントはいくつもあるけれど、トリートメントの成功は、「施術者」の内的な状態がいつもどおり平らかに保たれているかどうかに大きく左右される。

受け手に、心地よくトリートメントを受け入れてもらえているかどうかは、意識の上でも無意識にでも、施術者は常に気にかけているものだが、概して自分のことには目がいかない。一生懸命であればあるほどに。ところが、施術者の状態を、受け手は相当細かいところまで見事に感じ取っているのである。意識はされなくても、そこはかとなく無意識のレベルで。この影響力は思っているより多分ずっと大きい。

「お昼ご飯、何食べようかな?」これはOK。「このあと歯医者だ、急いで行かなきゃ。」これはNG。どちらも施述には直接関係ないことだけれど、ここに流れている「気分」、それを受け手は微妙にすくいとってしまう。

施術の姿勢に無理があり、そのことに施術者本人が気づいていないような場合でも、施術者の内部で起きているネガティブな感覚がノイズとなり、嫌な要素として伝わりやすい。良い情報より、悪い情報に人は敏いのだ。

「ここ固いな。ぜったいほぐしてやろう」「ここ冷たいね。ぜったいあっためてあげよう。」こういう、施術者としては一見ポジティブな思いも、受け手からすれば「重たい嫌な感じ」となりかねない。たとえそれが意識の上で認知されなくとも、人は強制されると無意識に反発するものだ。

できれば、施術者はふんわりとした良い気分でいたい。それが手を通して直接、また、あらゆる振る舞いを介して受け手へと伝わっていく。そして、その「気分」から生まれたものに、受け手の中身が反応していく。その変化を感じ取った施術者の手がまた、それに応えていく。こうして、心地よい循環がうまれる。施術者自身がまず、楽でハッピーというのは、何にも増して大前提ということ。

さて、こういうふんわりした気分と、一方で、さまざまに変化する条件のなかで手技の目的を実現していくために、絶えず感覚も知力も精妙に稼働させていくという態度は、両立が難しいように思える。が、しかしまあこれも練習なのだと思う。脳はとてもお利口さんで、効率良く働きたいと努力している。慣れてくれば、自動化され無意識の場所にしまわれる。そうなってしまえば、ふんわりした気分で全体を感覚することが優先できるようになるはず。と思って、日々これも鍛錬なのね~。


条件が変わると本質が見えてくる その1

2016-03-21 20:00:00 | アロマテラピーとは

今回はちょっとかたい話。ご容赦くださいな。

 

床で行うアロマトリートメントの講座を受講兼お手伝いしてきた。

家庭や、ボランティアなどの訪問先では、トリートメントはお布団や座布団をつなげたものに寝ていただいてという状況で行うことが珍しくない。

手技そのものはマッサージベッドで行うのと基本的に大差ない。だが、環境(条件)が床に変わることによって、施術者はさまざまな変更を余儀なくされる。

経験の浅い深いに関わらず、施術者は少なからず戸惑いを感じるようだ。その戸惑いとはなんだろう。

手技を習得する過程では、技術はしばしば環境と一緒くたに学習されているため、条件が変わるとどうしていいかわからなくなってしまうのではないか。

丁度良い高さのベッドに、どんな姿勢でも当たり前のようにとってくれる健康な受け手。そういう条件のもとでずっと勉強してきた身にとって、このように、条件を違えて同じ手技を試みるというのは、ちょっとしたショックとなる。

この衝撃は、その手技の本来の目的をあらためて知るのに、実はとても役にたつ。条件を一度全部はがして、手技を裸にすることで、手技の本質がシンプルに浮かび上がってくるように思えるのだ。「相手のどこに対してどんな刺激を与えようとするのか」それが明確になると、その目的のために今ある環境をどう利用してそれを実現するか、あるいはしないか(その手技がその環境に向いていなければ、他のやり方にシフトする判断もとても大切)、その方法が見えてくる。

 条件とはベッドの高さだけにとどまらない。

考えてみれば、あらゆることが条件(環境)だといえる。受け手の体格・体調・気分などの条件、その部屋の温度湿度、光、音楽、リネン類の質感などといったいわゆる外的な環境、そして施術者の体格・体調・気分なども、これらすべて条件だ。そしてそれは常に変化しているというのが前提だ。今回のようにベッドと床というほど分かりやすい違いではなくとも、確実に毎回条件は違うのである。その条件をキャッチして自分のものとし、柔らかにシンプルな本質に向かうということ、これが今回学んだことのポイントその1。

 

そして次回に続きます。