■ 無反応が増えている
もう何年も前から実は思っていたことですが、
最近の若い人(あーこんな言い方をする年齢になっちゃった)、
特に10代かなあ、
ちょっとした予想外の出来事に遭遇した時の反応が
特徴的ではありませんか。
それは「全くの無反応」という反応です。
もしかしたら私の周りだけかなあ、地域差もあるかもしれませんが。
■ 人にぶつかったら普通、どうする?
日々自転車で移動することが多い私は、
自転車どうしの小さなアクシデントに出会うことが
たまにあります。
ほとんどは事故とも呼べないようなごくごく些細なこと。
路地で出会い頭に軽くぶつかりそうになったり、
あるいは通りを渡ろうとして、横切る車をやり過ごそうと
速度をゆるめたら後ろから追突されたり、他にもいろいろ。
私も自慢できるほど運転が上手なわけではないし、
もしかしたら普通より注意が散漫なタイプかもしれない
という自覚があるので、せめてスピードを出しすぎないように、
なるべく周囲への注意を怠らないように気をつけています。
なので、怪我するでも無く倒れるでも無く、
軽く接触するかしないかで、たいしたことではないのですが、
気になるのはその時の相手の反応。
「ごめんなさい」と謝るでもなければ「気をつけろ!」と怒る
でもなく「だいじょうぶですか」とこちらを気遣うでもなく、
とにかく無反応。
■ マナーの話じゃないよ
こちらを無視しているというより、事態を認識していない、
出来事そものを抹殺しているように思える表情。
何も起こらなかったかのような空気。
「あっ!」という声すら上げない。
こちらはひたすら「???」。
何?
今ぶつかったよね、何か起きたよね、私の勘違い?
あれ? あれ? あれ?
仕方なく「だいじょうぶですか~?」とこちらから
おそるおそる聞く始末。
しかし、彼(彼女)は、曖昧な表情をこちらに向けると、
そのまま何事もなかったように自転車を転がして去って行くのです。
顔を合わせてくれればいい方で、
まったくコンタクトせずに走り去って行く人もいます。
最初はたまたまそういう変わった人に遭遇しちゃったのかな
と思っていました。でも、こういう反応はまれではありません。
こいつぁ変だぞ。
自転車運転マナーを云々しているのではありません。
それについては色々ご意見もありましょうが。
また、言葉のコミュニケーションの上手下手を
問うているのでもありません。
そういったことはさておいて、この気持ち悪さは何かと言えば、
何か緊急事態が起きた時、自分の内部に起きる大きな圧力
(ストレスと言い換えてもいいです)の逃がし方を身につけて
いない人が増えているのじゃないかしらという危惧です。
■ 反応を外へ出さないとどうなるか
もちろんこういう無反応には理由あってのことでしょう。
事態をなかったことにしてでも自分を守らなくてはならないくらい、
若者達は繊細で切迫した世界に生きているということかもしれません。
それとも仕事以外でなるべくエネルギーを使いたくないとか?
しかし事態を認めないともっと大変なことになります。
人というものは突発的な出来事に出会うと、全身で戦闘態勢に入ります。
交感神経が優勢となり、脈拍は速くなり、血圧も上がり、
当然、呼吸も詰めた状態になります。
身体を守るためにあらゆる反応が起こるのですね。
精神的にも肉体的にも内部の圧力が一瞬で高まり、膨れ上がります。
それは自然なこと。
しかし、生きるか死ぬかの状態でないとなれば、
圧力は何らかのかたちで解消されなければなりません。
トップクラスの非常事態を続けるのは
心にも身体にも負担が大きいのです。
非常事態を「解除」するには、
少なくとも今起きたことを認める必要があります。
対処はその後の話です。
■ 身体と理性の乖離
しかしながら、この「無反応」という方法はどうでしょう。
これは無視ですらありません。
無視というのは「状況を認識した上での拒否」ですから
まだいいかもしれませんが、
「無かったことにする」「認識するのすら拒否する」という方法、
これはいかがなものか。
モラルのことを言っているのではありません。
身体はとっさの出来事に明らかに反応しているのに、
理性がそれを無かったことにしているという「乖離」の
気持ち悪さです。
こういうことを彼ら(彼女ら)は日々繰り返しているのでしょうか。
もしそうだとしたらとても怖いことです。
解消されない戦闘モードは静かに蓄積するかもしれません。
あるいは、理性と咄嗟の反応をつなぐ回路がおかしく
なってしまうかもしれません。
■ 声を出せ!
自分の圧力が高まっているのを感じたら、
何でもいいから声を出すこと。
それを誰か教えてあげてくれないでしょうか。
「あー」でも「うひゃー」でも、ちゃんと言葉にならなくても
いいからとにかく声を出してみること。
これで過剰なエネルギーはだいぶ外へ出て行きます。
もしそこで間違った言葉を吐いたとしても、
それをきっかけに争いになってしまったとしても、
そこまでいけばコミューケーションです。
そこからいくらでも訂正したり関係を進めたりすることができます。
事態とちゃんと向き合ってしている証拠です。
もし、間違いが怖くて声をだせなければ、
せめて息を深く吐いて欲しい。
腹の底からたっぷり深く深く息を吐く。これだけでも違います。
呼吸は意識から
無意識へ働きかけるもっとも簡単で効果的な方法です。
たまった圧力はその都度逃がさなくてはいけません。
つねにパンパンではちょっとの刺激で爆発してしまいます。
自分や他人の失敗、現実のちょっとした不快を
受け入れる余裕もなくなります。
これは、大人でも使える方法です。
「内圧」が過剰になったら声を出せ! 息を吐け!
■ ピロント人
以上、
前にも書いた、ヘッドフォンで外界を遮断しながら
つっ走っていく変な自転車野郎
に続く、
道路で感じたちょっと怖い話でした。
ちなみに表題のピロント人とは、諸星大二郎のSF漫画
『カオカオ様が通る』に出てくる、
お揃いのフード付きのガウンを羽織り、
なにかちょっとびっくりするとアルマジロのようにくるっと
丸まってうずくまって災いが過ぎるのを待つという、
実に平和的な民族の名前です。
一応軍隊は持っているのですが、自軍の大砲をドーンと
ぶっぱなしたその横で兵士達がいっせいに丸くなっている
絵が微笑ましかったです。
まあそれならそれで、アルマジロタイムくらい待つ準備は
こちらにもあるので、ゆっくり落ち着いてからコミュニケーション
が出来ればそれでいいんだけどな…。