緑香庵通信

三軒茶屋から世田谷線で6分・松陰神社前のアロマテラピーサロン。

再び香りとタッチの力を(2011年4月作成)

2012-04-14 10:00:00 | 「緑香庵」的なもの
去年の今頃書いて、結局お蔵入りにしてあった原稿を公開します。
余震は収まらないし、
不安はまた後から後から別の角度で刺激してくるし。
なので、いまなお基本的な考えは変わっていません。
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【2011年4月の通信、ここから】
再び香りとタッチの力を

恐怖と不安はワンセット
不安と怒りはワンセット。

多くの人が同時に体験した恐怖、
今も繰り返し流れる映像や記憶が呼び覚ます恐怖。
そして未だおさまらない余震が新たに作り出す恐怖。
それが大きな不安を生むことは避けようのないこと。
これからどうなるのか。
いつこの状況は変わるのか、それとも変わらないのか。

過去の恐怖と、未来の不安。これらはそのまま現在の怒りに変わる。
生き物として人間の本能が働くからこその反応、真っ当な反応です。
古い古い爬虫類の脳が今、皆の脳の奥の方で
生存のためにとても興奮しています。
苛立つこともこともある、カッと腹の立つこともある、
でもぶつける対象は、本当は、今、目の前に居る人ではない。

だから今は要望を率直に言葉にする。
事実をそのまま伝える。
誰も出会ったことのない特別な事態です。
どうすることが正しいことなのか、
判断を誤ることもあるでしょう。

我慢しろと言うのではありません。
気持ちも含めて、なるべくそのままを
過不足無く正確に相手に手渡す努力をしたいと思います。
言葉できちんとコミュニケーションをすることは、
人類が大脳をもって得た最大の武器なんですから。

一度経験した恐怖は消せないけれど、
不安を手放すには方法があります。
それは「知る」こと。

正確な情報・知識を得ることができれば、
必要以上の不安を抱かなくて済みます。
それと同時に怒りの衝動も鎮まって来ます。
情報の質もバラバラです。よく吟味して、考えて。
またある程度は割り切って、そして手放す。

過去の恐怖も、それ自体は無くすことはできませんが、
自分の体験という限られた記憶装置の中で、
割合を減らしていくことはできます。
それは、幸せな体験を増やしていくこと。

こんな時に、楽しいと感じたり、
幸福感を持ったりすることに罪悪感を抱く方も
いらっしゃるようです。
そんなことはない。
いっぱいたくさん「幸せ」を感じていいんですよ。

そして再び、香りとタッチの力を使って、
今この瞬間「生きていること」を確認しましょう。
過去も未来も本当は頭の中にしかありません。
実のところ、私たちには今しかない。
今が何より大事。
今をつなげていくしかないのです。

何でも良いです、心地よさを感じられる精油があれば嗅いでみる。
香りは古い脳にまで届き、不要な興奮を鎮めます。
そして背中や手をさする、なでる、など誰かの体に触れる。
ゆっくり、なるべくソフトに。
脳の深いレベルで、あるいは細胞のレベルで、
今生きていることの再確認が行なわれます。

体が納得すれば、心がついてくる。
それから呼吸も大事。息を吐く。とにかく吐く。
自然に新しい空気が体いっぱいに入って来ます。
会話も大事です。話をしましょう。
挨拶だけでもいい、声を出しましょう。
泣くことも笑うことも人には大事な安全装置。
外に出しましょう。

今したいことのまとめ
● 香りを使う
● 誰かに触れる
● 話をする(一人で居ない)
● 呼吸をする


妙に動悸がする日々が、ようやくおさまってきた自分の
ためにまとめました。

【2011年4月の通信、ここまで】


すごく生きる

2012-04-12 10:00:00 | 「緑香庵」的なもの

「死ぬのが怖いから飼わないなんて、言わないで欲しい」
これは2004年のペットフードの広告コピーだ。

広告はこう続く。
「…(中略)
だけど、死ぬのがこわいからといわれたら
犬はもうお手上げだ。
全ての犬は永遠じゃない。いつかはいなくなる。
でもそれまでは、すごく生きている。
すごく生きているよ。
(後略)」

昨年、病院で父を見送った。
人は
死のタイミングも方法も場所も
結局選べないんじゃないんだろうか。

どんなに手を尽くしても、
死に向かって生きる時間は止められない。

良い治療法が見つかれば、
もしかしたら、何年か命は延ばせるかもしれない。
でもそれだって
生物の時間、
宇宙の時間からすれば、
誤差の範囲なんだろう。
だから何をやっても無駄
と言う訳じゃないけど。

いつ
どんなふうに
死ぬのか。
やっぱり、
生き物自身はコントロールすることができない。

死のデザインは誰にも出来ない。
死に方にいいも悪いもない。
死についてはもうお手上げなんだ。

あの日、
自分のこととして、自分の大切な人のこととして、
誰もが知ったのじゃないだろうか。

でもその瞬間まで、
人という生き物だって、
すごく生きている。
すごく生きているよ。

尽くす手は
死のためではない。 
すごく生きることの一部として。

父はすごく生きてたなあ。
今になってわかる。
父の側で私も
わちゃわちゃしながら
すごく生きていたんだ、多分。


桜が咲いた

2012-04-09 10:00:00 | 「緑香庵」的なもの
なんだろう。
強烈に湧いてくる、このワクワク感は。
どうにもとまらない、喜びのようなものは。
すれ違うお散歩中の犬にも
知らないばあさんにも
笑いかけずにいられない。

五十数年生きて来て学んだことがある。
これはね、危険なんだ。
「強烈に嬉しい」も実は立派な「ストレス」。

私の交感神経は今激しく刺激されている。
元気を吹き返した4月の太陽の日差しとあいまって、
この交感神経ダントツ優勢状態が
副交感神経に大きくゆり戻されるその時に
来るんだ、必ず、頭痛が。
血管拡張性の片頭痛。

自重、自重。
落ち着け。

深呼吸。

春はね、
うまいことやり過ごしながら、
ゆっくりお迎えする。
それがこつなんだね、
私の場合。