緑香庵通信

三軒茶屋から世田谷線で6分・松陰神社前のアロマテラピーサロン。

めんどくさいことの先にしか楽しいことは無い...の巻

2007-09-29 11:38:26 | 「緑香庵」的なもの
秋ですねえ。
ちょっと目を離した隙に、あっというまに季節が先へ
進んでしまいました。
毎日よく眠れます。ご飯もおいしいです。
今年の夏も「夏痩せ」とは無縁でした。
怖い。
これからの時期、美味しいものがたーくさん出てきます。

■手軽なものは満足感が少ない
最近読んだ本にあった、ちょっと興味深い話。
脳の中では、欲求はおおよそ決まった道筋を通って
満足へと帰結するそうです。
道筋とは、「欲求?行動?報酬(満足)」。
この「報酬」というのが、脳の中に放出される物質で、
これが出てくると満足=幸福感を覚えると。
ここでのミソは、間に必ず「行動」が挟まれているということ。
ある欲求をかなえるために、何らかの行動とって初めて
報酬物質が出てくる。

例えば食欲の例で考えてみるとよく分かります。
お腹が減る(欲求)

料理を作りご飯を食べる(行動)

お腹がいっぱいになり満足する(報酬)

さらにこの「行動」の強弱がその後の満足に関係
している
らしいということです。
所詮お手軽にかなえられた欲求はそれに見合うだけの報酬しか
生み出さないということなのかな。

人類が狩猟採集生活をしていた頃、
食料を得るのは大変な苦労を伴うものでした。
それを厭わない仕組みを、脳の中に作り上げたのですね。

■「行動」しづらい現代
現代はこの「行動」の部分がとても簡単になりました。
すぐに口に入れられる食品が24時間コンビニで手に入ります。
こんなにお手軽に食料を摂取できると、
満腹にはなっても、それ相応の満足感しか得られないのかもしれません。
満足できないから、際限なく食べてしまう。
結果、必要以上の量を摂取していまい、
満足どころか罪悪感すら感じるはめになる。

何だか思い当たるなあ。
忙しいとついつい食事を簡単に済ませたくなるし、
また最近のインスタント食品はよくできてるんだなあ。
でも、腹ぺこ感は収まっても確かに幸福感は今ひとつですよねえ。
だから、何かもうちょっと口に入れたくなって、
甘いものに手が伸びたり、お酒がもう一杯増えちゃったりしませんか。
報酬が足りないと、どこまでも人はこの報酬を求めてしまうそうです。
そして、現代は慢性的なこの「報酬不足」を起こしている人が
たくさんいるとか。

「欲求?行動?報酬」。これは、人類が生き残るために選択して来た、
生存のために好ましい行動パターンを強化する仕組みです。
狩猟時代は肉が食べたければ、本当に動物と戦って勝たなければ
ならなかったのですから、ご褒美(脳内物質)が頭の中にたくさん
出てくれなきゃやってられなかったでしょう。

現代では、例えば「甘栗むいちゃいました」。
栗好きには夢のようなお菓子ですが、しかし、
甘栗はやっぱり親指の爪の先を真っ黒のべとべとにして、
ひとつひとつ剥いて食べてこその幸せというものでしょう。
まず栗の実を拾うところからとなるとちょっと難しいですが、
「殻をむく」、このひと手間で脳内に報酬物質があふれる
と思えば、ちょっとの面倒はかえってありがたいくらいのものです。
秋は美味しいものがたくさん出て来ますからね。
できればちょっと手間をかけてご飯をつくって
美味しくいただきたいものです。

■困難を楽しむ
もちろんこれは、何でもかんでも、我慢したり無理したり
痛い思いをすることの先にステキなことが待ってるよという
話ではありません。
過度の自己犠牲や障害への依存は、それはそれで別の問題です。
嫌なことをすること、嫌々すること、が大事なのではありません。
そうではなく、かなえたいことと今の状況との間に横たわる困難に、
それが適切な、あるべき困難であるなら、
「これでもっと美味しくなる」とおおらかに面白がって
向かっていくためのおまじないとして、
今回のタイトルを唱えてはいかが、というお話です。
「行動を起こす」ということが報酬のためには大事なのですから。

 ◆ ◆ ◆
今回のタイトルは、家人が常日頃ブツブツつぶやいては
問題解決にあたる様子をみていて
「まさしくそれっ!」と思い当たった一言です。


現代における精油の意味

2007-09-13 10:00:00 | アロマテラピーとは
その友人はアロマセラピストで、十数年、都内で働き続け、
事情があって一時休業、家事手伝いになって半年強、
という日々をすごしているところでした。
この状態になってしばらくは、それ迄の疲れがでたのか、
半ばエネルギーが枯渇したようになっていたそうですが、
最近になってふと気づいた。
そういえばアロマにぜんぜん触れていないと。

彼女いわく、休業期間が始まる前は、
これからできるゆとりの時間を
アロマテラピーでゆっくりセルフケアにあてようと思っていたのに、
いざ休みが始まってみるとちっともその気にならない。
当初は何に対してもやる気が起きなかったので
そのせいだろうと思っていたが、
最近やっと気持ちの充電もできて意欲が出て来たのに、
アロマテラピーのことはすっかり忘れていたと。
これは何故でしょうと話していて、
とても興味深い議論になりました。

■一つの仮説
その友人はとても環境の良いところに暮らしています。
緑にかこまれた、自然たっぷりの、まあいわば田舎です。

そんなところにいると、
癒されたいという気持ちからアロマに手が伸びるということは、
まず無いというのです。
せいぜい打ち身だとか捻挫だとか虫さされだという時に
治療薬の代わりとしてアロマを使う程度。
まあ、それすらもあまりないと。

この話から見えてくるものがありました。
それは、現代の都会において精油は「自然の(自然なではなく)代替品」なのではないか、
という一つの仮説です。

■精油は薬なのか
アロマテラピーでは、おのおの精油ごとに様々な効能が
うたわれています。
現代の精密な分析技術によって、成分も特定され、
体に働きかけるメカニズムもどんどん解明されてきています。

「自然のものから作ったアロマなら安心だ」と、
薬の代替品として精油を用いる態度に対して、
以前から私自身は好きではないと言って来ました。
自然=安全とは限りません。副作用がない訳じゃありません。
また、薬の代わりにアロマというのでは、
結局、対症療法的なアプローチから脱することがないように思われるからです。

ただし、精油を薬として使うこと自体は別に間違いではないのです。
遠い昔エジプトの時代から、医療として発達して来た歴史があります。
少なくとも昔の人にとっては薬だったわけですから。

Whiteleaves
《緑香庵の窓から》

しかし、もしアロマが薬なのだとすれば、
特定の有効成分を摂取するために、
わざわざアロマを使う必要がどこにあるのかということになります。
本当に薬が必要なら薬を使えば良いのです。

それよりも現代においてアロマを使う意味は、薬としてではなく、
別の部分にあるのではないか。
それが今回の彼女の話から見えて来た「自然というものの代替としての精油」
というアイデアです。

■脳の危機
ここで脳の話。
人間の脳は、外側から内側へ順に、大脳新皮質、大脳辺縁系、
爬虫類の脳といわれる中心部の3層に分かれています。
内側へ行くほど古い脳です。

一番外側の大脳新皮質は、高度な情報処理を行なう「理性の脳」で、
この部分の発達が人間と他の動物の違いだといわれています。

現代は、この「理性の脳」を過剰に使いすぎることで、
それより下層の脳の機能を抑圧したり、層どうしが連絡不全になったりして、
さまざまな不調をきたす人が多い時代です。

感情やホルモンなどを司る大脳辺縁系。
脳の一番奥で生存の核心をにぎる爬虫類脳。
これら下層の脳というのは、長い長い生き物の歴史の中で、
周りの環境とコミュニケートしながら、より長く生存し、
より子孫を増やすようにずーっと活躍して来た脳です。
これらの脳が現代では危機にさらされています。


■「古い脳」が刺激されない現代
ここ数十年で、人間は、自身の内部環境を一定に保つ
「恒常性」という機能を、体の外側にも生み出してしまいました。
つまり冷暖房に守られ、年中食料の心配もない状態を作り出して
しまったのです。
それにともない、現代の都会では、
脳の深い場所と外界とのコミュニケーションのチャンスが
どんどん無くなってきているのです。

でも生き物としての人間のデザインはそうはできていません。
脳の深い場所で、細胞たちが相変わらずの刺激を欲しています。
時にはそれに触れてやらないと、脳全体が機嫌良く動いてくれません。

脳の深い所にある機能が、生き生きと自分の役目を果たす
ことが現代の、特に都会で働く人間には難しいのです。
そこで、アロマテラピー登場です。

■「自然の代替品」として
嗅覚は、脳の深い所に直接働きかけることのできる唯一の感覚です。
また、精油の中には自然のパワーが凝縮されています。
「パワー」とか「エネルギー」という言葉は随分ざっくりと
したものですが、医薬品レベルまで洗練されていない
というところが実は重要です。
複雑さを含んだままの情報が、
足し算以上の効果をもたらすと私は考えています。

様々な有効成分という「機能」だけでなく、
精製されないからこそ保存されているであろう自然そのものの情報とを
兼ね備えたのが精油なのだと思います。

アロマテラピーの精油は、歴史的には「薬の代替品」
としての役割が中心だったはずですが、
現代では「自然の代替品」としての役割の方が大きいのではないか。
そんな確信めいた仮説が浮かんできました。

Hatsuga
《発芽》

「自然の代替」だからこそ、のんびり田舎暮らしをしている時には、
そんなに必要なくて当たり前なのかもしれません。
生の自然が絶えず脳に語りかけてくれているのですから。
いまさらながら、精油が植物からできているということ、
あの一滴の中に途方もない量の植物の命が凝縮されているということに、
あらためて思いをいたしたのでした。









看板の無いアロマテラピーサロン

2007-09-09 10:03:46 | 「緑香庵」的なもの
緑香庵には看板がありません。
よく隠れ家的サロンなんていうキャッチコピーがありますが、
うちの場合は「隠れ家的」でなく、ただの隠れ家です。
すっかり隠れきっています。

こんな風にマンションの一室でこぢんまりと
営業しているのには訳があります。
ひとつには、住居用の部屋を使用している関係上、
派手な看板をだすことが出来ないという、
個人サロンにありがちな理由です。
もちろん営業自体の許可は頂いているのですが、
マンション住人の方の環境を乱さぬよう、
看板は今のところ自粛する約束になっております。

なので、初めていらっしゃるお客さまからは、
たいてい心細げな声で「今、若林公園まで来ましたけど、
どこですかぁ...」というお電話をいただきます。
ちょっと入り口がわかりにくいんです。二階だし。
特に初めてこられた方には、ただでさえ初めての所は
緊張するのに、加えていらぬ心配を与えてしまい、
申し訳ないです。

 ◆ ◆ ◆

「隠れて」いるもうひとつの理由は、
路面店のように不特定多数のお客様をお招きするのではなく、
私の目の届く範囲で、ひとりひとりのお客様に
パーソナルな対応をしたいと思っているからです。
いちいち予約をしてから出かけて行くのは
面倒なことだとは分かっています。
が、緑に包まれながら、心からリラックスしていただき、
ご自身の体と対話していただくためには、
路面店と違った、この環境が不可欠だと確信しています。

もちろん営業的には、こんなに隠れてしまっていると
楽ではありません。が、ゆっくりゆっくり口コミで、
またこのホームページやパンフレットを読んで興味を持って
くださったお客様が、自ら予約を入れて足を運んでくださる
という今の状態は、とてもありがたいと同時に、
私にとっては理想でもあります。

 ◆ ◆ ◆

最初不安そうだったお客様が、お帰りになるころには、
「看板のないところがまたいいですね。自分だけが知ってるみたいで。」
と言ってくださるのが、とても嬉しいです。

看板が出せぬ代わりに、窓辺を多めの植物で飾るように
努力しますので、どうか皆さん、若林公園まで来たら、
公園を背にして二階のあたりを眺めてみてください。
「緑がち」な部屋をみつけたらそれを目印にしてください。
そして、分からない時はいつでもお電話ください。
指を真緑にしてお待ちしています。