今年に入って、少し風邪を引きました。
ちょっと体調を崩して普段どおり食べられない日が
何日か続いたりすると、いつもはあたりまえの
食べるという行為をあらためて見直す機会になったりします。
■ だしがうまい!
何にも食欲がわかない時、丁寧に引いた昆布と鰹のお出汁の
しみじみと美味しいこと。
もしかしたらインスタントの粉末「だし」でもアミノ酸など
の物質的な成分は全く変わらないかもしれないけれど、
弱った身体には本物が持つ「エネルギー」の違いが
はっきりと感じられます。
いえいえインスタントがいけないといっているわけじゃないんですよ。
最近はインスタントでも、妙な添加物の入ってない良心的な製品
ができています。
それでもやっぱり自分が弱っているときは、
本物とインスタントの違いを顕著に感じてしまいます。
人の感覚というものはやっぱりすごいです。
風邪ごときでおおげさですが、命に関わる事態になればなるほど、
感覚は鋭敏になるのでしょう。
食べることを通して身体の外にある命のエネルギーのようなものを
体内に入れているんだということが実感されます。
■ 食物の持つ「気」
最近勉強を始めた東洋医学の世界では、
人の身体の中には「気」という生命エネルギーのようなものが
満ちており、それが血や体内の物質を動かして
身体の隅々にまで運んでいると考えています。
その「気」が減ってしまったり、「気」の動きが悪くなったりした状態
が、いわゆる「病気」というわけです。
また、身体の外にも「気」は満ちていて、
人は呼吸や食べ物をとることで、外にある「気」を取り入れ、
日々減っていく体内の「気」を補っている、と考えます。
東洋医学で用いる、鍼や灸、マッサージあるいは漢方薬などは、
いずれも、体外にあるエネルギーを体内に取り入れるための方法です。
なるほど、食べるということは単に食物の栄養素を取り入れる
だけのものにあらず、そのものの持つ生命力、
エネルギー(カロリーという意味ではなく)をも取り入れる
ものであるということらしい。
体力が落ちているときは、こういうことが身体ごと実感としてわかる
ことがあります。
■ 「食べる」ということ
先の出汁の話ですが、鰹節にしても昆布にしても乾物です。
生に近いほど「命のエネルギー」が多く保存されている
というものでも無さそうですね。
食品が加工される過程でいつどのようにして
そういった「エネルギー」が失われていくのか、
あるいは凝縮されていくのか、確かなことは知りません。
ですが、いずれにしてもあまり工業的に均一化されたものは、
どうしてもエネルギーが弱まるだろうことは予想がつくように思います。
直感的にそう思う、というのにすぎませんが。
学問的にはともかく、日々の「食べる」ということを、
そんな視点でたまには見直すのも大切だなあと感じた次第です。
■ アロマテラピーと「気」
さて、同じような視点でアロマのトリートメントを考えると、
精油に凝縮された植物のエネルギーの大きさに
「よくぞこの製法を考え出したものだ」と感心させられます。
メーカーによって、成分は大して変わらなくても品質のばらつきが
あるのは皆さんご存知のことですが、
「エネルギー」がちゃんと保たれているという意味でも
良い精油を選びたいものです。
また、精油を成分で捉えるだけでなく、
植物の「気」の凝縮したものとして、そのエネルギーを失わないよう、
大切にまた適切に体内への取り込みを促すこと、
ここら辺は、精油という貴重なものを扱う者の態度として、
忘れてはいけないところですね。
なんてことを風邪をひいて考えたわけです。
ちょっと体調を崩して普段どおり食べられない日が
何日か続いたりすると、いつもはあたりまえの
食べるという行為をあらためて見直す機会になったりします。
■ だしがうまい!
何にも食欲がわかない時、丁寧に引いた昆布と鰹のお出汁の
しみじみと美味しいこと。
もしかしたらインスタントの粉末「だし」でもアミノ酸など
の物質的な成分は全く変わらないかもしれないけれど、
弱った身体には本物が持つ「エネルギー」の違いが
はっきりと感じられます。
いえいえインスタントがいけないといっているわけじゃないんですよ。
最近はインスタントでも、妙な添加物の入ってない良心的な製品
ができています。
それでもやっぱり自分が弱っているときは、
本物とインスタントの違いを顕著に感じてしまいます。
人の感覚というものはやっぱりすごいです。
風邪ごときでおおげさですが、命に関わる事態になればなるほど、
感覚は鋭敏になるのでしょう。
食べることを通して身体の外にある命のエネルギーのようなものを
体内に入れているんだということが実感されます。
■ 食物の持つ「気」
最近勉強を始めた東洋医学の世界では、
人の身体の中には「気」という生命エネルギーのようなものが
満ちており、それが血や体内の物質を動かして
身体の隅々にまで運んでいると考えています。
その「気」が減ってしまったり、「気」の動きが悪くなったりした状態
が、いわゆる「病気」というわけです。
また、身体の外にも「気」は満ちていて、
人は呼吸や食べ物をとることで、外にある「気」を取り入れ、
日々減っていく体内の「気」を補っている、と考えます。
東洋医学で用いる、鍼や灸、マッサージあるいは漢方薬などは、
いずれも、体外にあるエネルギーを体内に取り入れるための方法です。
なるほど、食べるということは単に食物の栄養素を取り入れる
だけのものにあらず、そのものの持つ生命力、
エネルギー(カロリーという意味ではなく)をも取り入れる
ものであるということらしい。
体力が落ちているときは、こういうことが身体ごと実感としてわかる
ことがあります。
■ 「食べる」ということ
先の出汁の話ですが、鰹節にしても昆布にしても乾物です。
生に近いほど「命のエネルギー」が多く保存されている
というものでも無さそうですね。
食品が加工される過程でいつどのようにして
そういった「エネルギー」が失われていくのか、
あるいは凝縮されていくのか、確かなことは知りません。
ですが、いずれにしてもあまり工業的に均一化されたものは、
どうしてもエネルギーが弱まるだろうことは予想がつくように思います。
直感的にそう思う、というのにすぎませんが。
学問的にはともかく、日々の「食べる」ということを、
そんな視点でたまには見直すのも大切だなあと感じた次第です。
■ アロマテラピーと「気」
さて、同じような視点でアロマのトリートメントを考えると、
精油に凝縮された植物のエネルギーの大きさに
「よくぞこの製法を考え出したものだ」と感心させられます。
メーカーによって、成分は大して変わらなくても品質のばらつきが
あるのは皆さんご存知のことですが、
「エネルギー」がちゃんと保たれているという意味でも
良い精油を選びたいものです。
また、精油を成分で捉えるだけでなく、
植物の「気」の凝縮したものとして、そのエネルギーを失わないよう、
大切にまた適切に体内への取り込みを促すこと、
ここら辺は、精油という貴重なものを扱う者の態度として、
忘れてはいけないところですね。
なんてことを風邪をひいて考えたわけです。