だいぶ間があいてしまいましたが、前回の続き。
人は変化しか感じることができない。
言い換えれば変化しない物は、感じ取れない。
肩が痛くない状態から、痛い状態に変化した時に
はじめて「痛い」と認識できる。
ずーっと痛い状態が続くとそれがあたりまえとなり、
痛いという感覚を意識できなくなってしまう。
痛かったものが痛くなくなると、実は痛かったのだなと認識できる。
トリートメントを受けるとこんなことがよくおこります。
別に痛いとも張っているとも感じなかった背中が、
触ってもらって初めて、あー凝っていたんだなあと気がつく。
全身がゆるゆるになって初めて、
あー実は長いこと緊張がつづいていたのだなと気がつく。
人は、命に関わるような新しい刺激を優先的に
意識に上らせるようにできているらしい。
長く続く同じ刺激は、とりあえずすぐに危機的状況へは
至らないだろうということで、無意識の底へ追いやられてしまう。
でもそれは存在しないのではなく、ただ単に無視されているだけで、
身体の奥底に静かに溜まり固まっていくのですね。
《緑香庵のブラックミントとスペアミント》
これは、精神的な部分でも同じです。
自分では気がつかない心身両面での硬直、これは感覚を鈍らせます。
知らないうちに日常生活を息苦しくさせます。
これを防ぐためにも、少しだけ身体や心を揺さぶるような手段を
何か持っていると大きな助けになります。
大雑把に言ってしまえば心も身体もいっしょなので、
なんでもいいのです。
大人に向かって趣味をもちなさいとか、身体を動かしなさいとか、
若い頃は「何言ってんだか」と思っていましたが、
すごーく大事なことなんですね。
「趣味」と言えるほどのことじゃなくていいのです。
自分を揺らす術を何か持たなければ、大人はだめでしょ、
だめな大人になるでしょ、固まってつまらなくなる一方ですよ...。
ということだと思います。
大人になると、「初めて」のことがどんどん減って来ますよね。
新しいことに直面せざるを得ないような環境も無くなってくるし、
自分からチャレンジする必要も意欲も減ってきます。
また、新しいことに次々出会ってるよという人でも、
それに対する心身の対応の仕方がパターン化してきたりします。
そういうことも肩凝りと同様、「硬直」の一種ですよね。
ちょっとだけ「揺らして」変化を感じ取ること、その方法を見つけたいものです。
人は変化しか感じることができない。
言い換えれば変化しない物は、感じ取れない。
肩が痛くない状態から、痛い状態に変化した時に
はじめて「痛い」と認識できる。
ずーっと痛い状態が続くとそれがあたりまえとなり、
痛いという感覚を意識できなくなってしまう。
痛かったものが痛くなくなると、実は痛かったのだなと認識できる。
トリートメントを受けるとこんなことがよくおこります。
別に痛いとも張っているとも感じなかった背中が、
触ってもらって初めて、あー凝っていたんだなあと気がつく。
全身がゆるゆるになって初めて、
あー実は長いこと緊張がつづいていたのだなと気がつく。
人は、命に関わるような新しい刺激を優先的に
意識に上らせるようにできているらしい。
長く続く同じ刺激は、とりあえずすぐに危機的状況へは
至らないだろうということで、無意識の底へ追いやられてしまう。
でもそれは存在しないのではなく、ただ単に無視されているだけで、
身体の奥底に静かに溜まり固まっていくのですね。
《緑香庵のブラックミントとスペアミント》
これは、精神的な部分でも同じです。
自分では気がつかない心身両面での硬直、これは感覚を鈍らせます。
知らないうちに日常生活を息苦しくさせます。
これを防ぐためにも、少しだけ身体や心を揺さぶるような手段を
何か持っていると大きな助けになります。
大雑把に言ってしまえば心も身体もいっしょなので、
なんでもいいのです。
大人に向かって趣味をもちなさいとか、身体を動かしなさいとか、
若い頃は「何言ってんだか」と思っていましたが、
すごーく大事なことなんですね。
「趣味」と言えるほどのことじゃなくていいのです。
自分を揺らす術を何か持たなければ、大人はだめでしょ、
だめな大人になるでしょ、固まってつまらなくなる一方ですよ...。
ということだと思います。
大人になると、「初めて」のことがどんどん減って来ますよね。
新しいことに直面せざるを得ないような環境も無くなってくるし、
自分からチャレンジする必要も意欲も減ってきます。
また、新しいことに次々出会ってるよという人でも、
それに対する心身の対応の仕方がパターン化してきたりします。
そういうことも肩凝りと同様、「硬直」の一種ですよね。
ちょっとだけ「揺らして」変化を感じ取ること、その方法を見つけたいものです。