いとゆうの読書日記

本の感想を中心に、日々の雑感、その他をつづります。

プリズンの満月 吉村昭著

2009年07月21日 | 小説
今日は重いテーマの小説です。作家吉村昭氏は私の親と同世代の方ですが、以前から私の好きな作家の一人です。歴史上の重要な事件を取り上げた作品が多くその冷静な語り口に深く考えさせらることが多いように思います。どちらかと言えば私自身少しエネルギーが上向きの時でないと気持ちが沈んでしまうこともありますが・・。

これはかつて戦犯と呼ばれていた人々が収容されていた巣鴨プリズンの刑務官だった人が、跡地に建設された高層ビル(池袋のサンシャインシティ)建設の警備を指揮するという運命と出会い、その心の軌跡と葛藤を描いたものです。

今まで第二次世界大戦についての兵士や一般の人々の話はずいぶん読みましたが、敗戦国の日本人が同国人の戦争犯罪の刑の執行を行うという状況の話は初めてでした。フィクションとは言え、歴史上実際にそれは執行されたわけですから、これもまた戦争ゆえ誰かが追わなければならなかった運命とでもいうのでしょうか・・。

今となっては戦犯という定義さえかなり曖昧で、強引で急ぎすぎた裁判によって命を落とした人々も多かったことが次第に明らかになってきました。単に敗戦国だったから・・・? 極限状態に置かれた人間としての立場は考慮されることはほとんどなかったということでしょうか。

この小説にも出てきますが「戦犯として絞首刑の宣告を受けた者の中には、撃墜されたB29からパラシュート降下した米軍飛行士を処刑した者が多く含まれている。」とあります。それは俘虜の扱いについての国際法規に違反した行為として罪を科せられたということでしたが、実際には死が確定したような傷を追った米兵を苦しみから逃れさせようとして介錯した日本兵の心を連合国側は理解のしようがなかったのでしょう。

それは厖大な戦争に関する事柄の本当に小さな部分に過ぎない事実かもしれませんが、東京裁判の判決の強引さが滲み出ているようにさえ思えます。

「勝てば官軍負ければ賊軍」終わってしまえば唯それだけで、当時の一般の人々は生きることに必死だったのでしょうか。

主人公の鶴岡もまた家族を養い、生きることに精一杯であったが故に、刑務官として働くうちに次第に見えてくる他の刑務所とは違う戦犯とされた人々の人間性や刑の不条理さに苦悩します。また、警備の米兵との板ばさみになりながら日本人としての誇りを保とうとする姿勢が痛々しい部分もあります。


私が子供のころ、学校教育の現場ではどの先生も異口同音に「戦争は悪」みたいな
調子で「日本が馬鹿な戦争をしたのは、軍隊が悪かったから。」というような意味のことを繰り返し話していました。母は戦争の恐怖や戦中戦後の苦労話を何度もしてくれましたが、「何がどう悪かったのか。何故戦争になったのか。」については「歴史をよく勉強しなさい。本をたくさん読みなさい。」と言うだけでした。本当に明確な答えは未だに闇の中です。

歴史を学ぶうちに次第に見えてくるものもあるし、時代と共に明らかになったことが出てきて世の中の一般的な考え方に変化を感じることもあります。


池袋のサンシャインシティが巣鴨プリズンの跡地に建てられたのをいつ知ったかはよく覚えていませんが首都圏へ生活の拠点を移してからは、そこは今では年に2~3度は訪れる場所となりました。
華やかな専門店が並ぶ商業施設、オフィス、ホテル(プリンスホテル)水族館、レジャー施設、展示ホール・・・その他いろいろあります。
その横のほとんどの人が気がつかないほどの小さな公園に「永久平和を願って」と書かれた石碑があり、その地にはかつて第二次大戦後の極東国際軍事裁判の被告人とされた戦争犯罪人が収容され、裁判の判決後、刑が執行されたことでも知られる巣鴨プリズンが存在したことがわかります。

この小説は、主人公鶴岡の冷静な目が刑務官の苦悩と東京裁判の不条理さを浮き彫りにしています。

そしてまた、これは私たちが戦争について考えなければならないときに注目すべき点を追加するものであるかもしれません。


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