いとゆうの読書日記

本の感想を中心に、日々の雑感、その他をつづります。

朗読者  ベルンハルト・シュリンク 著  松永美穂 訳

2009年07月24日 | 小説
これは先月、日本でも公開された映画「愛を読むひと」の原作です。公開前に雑誌か何かに出ていたこの映画の案内を読んだ時、映画を見る前に原作を先に読んでみたいと思いました。

しばらく忘れていましたが、先日、偶然書店で見つけて購入しました。

人間の「愛」というテーマの背景にナチスと戦後のドイツの問題が折り込まれていて、もう一つの大きなテーマになっています。

原作はドイツ語です。訳者によるあとがきでは、Der Vorleserというドイツ語の男性単数形名詞の原題を「朗読する男」ではなく、英語訳のThe Reader から「朗読者」としたことが書かれていました。この話のテーマを思うとこのちょっとした言語的ニュアンスの違いも注目すべき点かと思います。そして次に登場人物の感情の細やかさに注意しながらあとがきにあったお勧めどおり二度読んでみました。

最初は15歳の少年と母親のような年齢の女性との恋物語に普通はありえないと思えるような展開だと思いながらその奥に潜む何か悲劇的な漂いへの好奇心をそそられ読み進めるうちに、「ああこれも戦争・・・しかも後に戦争犯罪人となった人に関係する話なんだ」と思いながら、先日読んだばかりの(前回の記事に書いた吉村昭氏の)「プリズンの満月」のことを思い出していました。

ドイツもまた不条理な運命に翻弄された人々がいたことを改めて思い知らされるものでもありました。但しこの話は連合国が裁いたものではなく、ドイツ人がドイツ人の戦争犯罪を裁いた「アウシュヴィッツ裁判」(1963~65年)に関係したものですが・・・。

強制収容所でのユダヤ人に対する不当な扱いや大量虐殺は世界中に散った生存者の人々の証言から今やまぎれもない事実として歴史に刻まれ、認識されています。戦後はその加害者とされる人々が戦争犯罪人として裁かれ刑に服することとなりました。

ミヒャエルは法廷でハンナと再会します。

当時彼を法廷へ連れて行ったゼミの教授は言います。

「被告人たちをご覧なさい・・・当時の自分は人を殺してもよかったんだ、本気で考えている人はいないものですよ。」
ミヒャエルの新たな苦悩はこの再会の時点から始まります。

被告人となったハンナはある時法廷で裁判長に向かって尋ねます。

「あなただったら、何をしましたか?」

彼はつまらない答えしかできませんでした。

本当は悪人なんてどこにもいなくて善良な人々が戦争の恐怖や無知からいつのまにか加害者に仕立てられてしまっていたかもしれないのです。
ハンナは満足な教育を受けなかったために罪を否定することができませんでした。彼女は自分の境遇を知られたくないという彼女のプライドが邪魔をして他の被告人たちのように罪を軽くすることができませんでした。


二度目に読んだ時、久しぶりに海外のいい本に出会えた気がしました。人間としての大きな課題が投げかけられています。

でも一言で言えばとても残酷な話だなとも思いました。
それは社会、つまり「戦争」という意味と「愛」という意味の両方においてです。

ハンナが刑務所にいた18年の間に主人公のミヒャエルのとった行動は考えた故とはいえ私には残酷だと感じられます。

ミヒャエルは朗読したテープをハンナに送り届けます。つまり彼は彼の愛を送り続けます。でもハンナが手紙を書けるようになってもそれはずっと変わりません。ハンナに会いに行くこともしませんでした。

ハンナが出獄することが決まってようやくミヒャエルが会いに行ったとき、彼女はミヒャエルの周りにいた老いた人々と同じ匂いが漂う老婆になっていました。最初にここまで読んだ時、私はハンナの次の行動を予測し、その通りになってしまったことに複雑な思いを感じました。

ミヒャエルには悲しい結果が待っていました。

その後のミヒャエルと刑務所の所長さんとの会話を読みながら、所長さんの怒りが私には手に取るようにわかりました。女性の所長さんはミヒャエルを見てハンナの微妙な気持ちを感じたのでしょう。
このあたりは何気ないようで原作者の絶妙なテクニックだと思います。

これは2つの大きなテーマが複雑に絡み合いながら、人間の持つ悲しさを私の心の中に深く刻み込んでいくものでした。


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4 コメント

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Unknown (3月うさぎ)
2009-07-28 08:44:23
おはようです。
先日はコメントありがとうございました。

いとゆうさんの本のご紹介とても好きです。
後ほどゆっくり拝見します。

8月の中旬ごろ新しいブログを公開する予定をしております。・・・と言いましてもそんなたいそうな内容ではないのですが(汗)

またご縁がありましたら嬉しいです。今までほんとうにありがとうございました。
また機会を見てコメントさせていただきますね。
本との出会い (いとゆう)
2009-07-28 10:57:41
3月うさぎさんへ

いつもコメントありがとうございます。

現在はWEB上にも計り知れない情報が飛び交い、書店にも毎月驚くばかりの数の新刊本が並ぶ時代です。

その中で感動できる本とめぐり会えて読み終わった時はジャンルを問わずそれなりに達成感がありますね。

実際はこのブログで記事にしている本の何倍かの本を読んでいます。

世間の評判がいくら良くても私にはピンと来なかったものは記事にしていません。読み終わってすぐ記事にしたくなるもの、何ヶ月もたってからもう一度読んで記事にするもの、いろいろです。

そんな主観的な感想ばかりの私の記事をいつも読んで下さりありがとうございます。

またうさぎさんに紹介して頂いた南木さんの本との出会いは大きな収穫でした。

うさぎさんの新しいブログとても楽しみです。

そして、もう一つのうさぎさんと私の共通の趣味も大切にしてお互いがんばりましょうね。
Unknown (apricot)
2009-09-17 11:15:14
京都のapricotです。この夏はなかなかいとゆうさんのブログをのぞく余裕がなく、久し振りに拝見しました。

“朗読者”、実はきのう読んだところです(1回だけですが)。

ミヒャエルの世代の人々が、親の世代のしてきたことに対して、終世複雑な思いをもたざるをえなかったことは、考えてみれば当然のことなのでしょうが、新たに気づかされたことです。

刑務所の所長さんの怒り、わたしにもよくわかりました。ミヒャエルが、朗読のテープを送り続けたり、出所の決まったハンナのために住まいや仕事のことで奔走したりするものの、会いに行くのはようやく最後になってからであったのは、親たちがしてきたことを償いたい気持ちと同時に、それを全否定することもできないという、ずっと抱えてきた葛藤のためでしょうか。でもハンナは無条件に自分を受け入れてくれることを次第にミヒャエルに求めていたのでしょうね。所長さんは、なぜミヒャエルが何かを乗り越えて一歩を踏み出さないのか、もどかしくてたまらなかったのでは・・・。

こどもたちにも、この本を薦めました。読むかどうかわからないけれど、戦争や文盲がひとをかたくなにするやりきれなさだけでも伝わるといいなあと思います。
読後の余韻 (いとゆう)
2009-09-18 16:03:52
apricotさんへ

ご無沙汰しています。
コメントありがとうございます。

そうですね。これはかなり読後の余韻が続く小説だと思います。愛と戦争と・・・両方ともですね。

それとドイツ人がドイツ人の戦争犯罪を裁いたという事実はたいへん考えさせれられることでした。(日本の戦犯は連合軍に裁かれただけですね。)この小説はその波紋へメスを入れるものでした。

人間というのは素直に生きることが難しい動物だと思います。恋愛も時には屈折したプライドが相手を深く傷つけることがあります。

戦争についてもまた、これからは私たちの世代が親たちから伝え聞いたことや新たにわかった事実から学んだことを次世代に伝えていかなくてはなりませんね。

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