私は自宅で作業をするときは、よくラジカセでテレビ音声を流します。
取り立てて「絵」を見なくても楽しめる番組はありますし、逆に「絵のないテレビ」に慣れると、失礼ながら出演者のある種の「見苦しさ」から解放される面もあります。
そしてそのような「音声」だけのテレビ番組で気になるのが、言葉使いや話し方です。
私は仕事柄この「言葉使い」や「話し方」がとても気になります。
例えば最近某報道番組の女性アナウンサーが使った「とても耳ざわりが良い」という言い方。
私の経験では「みみざわり」の漢字は「耳障り」、つまり「支障がある、障りがある、聞き苦しい音」のことを指すもので、「耳触り」以外の言い方はありません。当然この言葉に「良い」はないのです。決して「肌触り」と同じ使い方にはならないのですね。「肌触り」ならそのあとに「良い」「悪い」という言葉が続きます。
さて今日の午後、例によってテレビを「聞き」ながら仕事をしていた時のことです。
丁度「全国大学ラグビー選手権」が流れていて、結果早稲田が優勝したようです。インタビュアーが優勝した早稲田のキャプテンに優勝の感想を聞いていました。
「優勝おめでとうございます、今の気持ちはいかがですか?」と。感想を求められた彼の返答は一言、
「ヤバい、です。」
私は彼の応えに耳を疑ってしまいました(ちなみに他の質問の答えも同様です)。
もちろん「優勝できて本当にうれしい」「チームの努力の結果です」、そんなもろもろの気持ちが溢れていたこととは思います。でも仮にも、
早稲田の大学生
ラグビー部所属の選手
優勝チームのキャプテン ですよね。
思わず目を閉じて溜息をついてしまいました(^^;)
早稲田のキャプテン殿。本来「ヤバい」とはネガティブワードであり、失敗をした時、心ならずも非を犯してしまった時に使う言葉です。もちろん言葉は生き物ですから使われ方が変化するのは否めないことでもあるでしょう。
でもキャプテンの言葉はチーム全体の気持ちの代弁でもあるわけですよね。
それを流行とはいえ、子供じみた「ヤバい」の一言でまとめてしまうのは、「キャプテンの立場」としていかがなものか、と私は感じてしまうのですね。北島康介選手の「ナンも言えねえ」とは違うのです。
「なんだか残念でアル」と、感じてしまうのは私だけでしょうか?
取り立てて「絵」を見なくても楽しめる番組はありますし、逆に「絵のないテレビ」に慣れると、失礼ながら出演者のある種の「見苦しさ」から解放される面もあります。
そしてそのような「音声」だけのテレビ番組で気になるのが、言葉使いや話し方です。
私は仕事柄この「言葉使い」や「話し方」がとても気になります。
例えば最近某報道番組の女性アナウンサーが使った「とても耳ざわりが良い」という言い方。
私の経験では「みみざわり」の漢字は「耳障り」、つまり「支障がある、障りがある、聞き苦しい音」のことを指すもので、「耳触り」以外の言い方はありません。当然この言葉に「良い」はないのです。決して「肌触り」と同じ使い方にはならないのですね。「肌触り」ならそのあとに「良い」「悪い」という言葉が続きます。
さて今日の午後、例によってテレビを「聞き」ながら仕事をしていた時のことです。
丁度「全国大学ラグビー選手権」が流れていて、結果早稲田が優勝したようです。インタビュアーが優勝した早稲田のキャプテンに優勝の感想を聞いていました。
「優勝おめでとうございます、今の気持ちはいかがですか?」と。感想を求められた彼の返答は一言、
「ヤバい、です。」
私は彼の応えに耳を疑ってしまいました(ちなみに他の質問の答えも同様です)。
もちろん「優勝できて本当にうれしい」「チームの努力の結果です」、そんなもろもろの気持ちが溢れていたこととは思います。でも仮にも、
早稲田の大学生
ラグビー部所属の選手
優勝チームのキャプテン ですよね。
思わず目を閉じて溜息をついてしまいました(^^;)
早稲田のキャプテン殿。本来「ヤバい」とはネガティブワードであり、失敗をした時、心ならずも非を犯してしまった時に使う言葉です。もちろん言葉は生き物ですから使われ方が変化するのは否めないことでもあるでしょう。
でもキャプテンの言葉はチーム全体の気持ちの代弁でもあるわけですよね。
それを流行とはいえ、子供じみた「ヤバい」の一言でまとめてしまうのは、「キャプテンの立場」としていかがなものか、と私は感じてしまうのですね。北島康介選手の「ナンも言えねえ」とは違うのです。
「なんだか残念でアル」と、感じてしまうのは私だけでしょうか?
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