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残念!

今日は忙しかったです。でも焦っても同じなのでもくもくと頑張りました。

自分のモットーは慌てず、焦らず、さぼらず、真面目に頑張るです。

いつも今日一日大丈夫かなと朝起きた時に思います。でも夜帰る時は「今日一日がんばった」で終わるのです。

今日はこの忙しい中、会社の都合で健康診断でした。

右目の視力がすごく落ちていたのに驚きました。視力はいいのが自慢だったのに。老眼でしょうか。

左目1.5右目0.7

最初は右目0.3でした。もう一度ということで0.7になりました。

検査してくれた女性がいうのには全然大丈夫ということですがなんだかショックでした。
視力、両目2.0だと思っていました。

残念です。
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そんなものです。

よく家に帰ったら妻の愚痴をずーと聞き続けることがあります。よくあることだからわかったのですが答えをもとめているのではないのです。

それに私の意見もそんなにいらない。ようはただ聞いてほしいだけなのです。

私も昨日、少し妻に愚痴たら楽になりました。あーこういうことか。誰かに話したかったのか。
そうしたら不満がどこかへふっとんで今は快調です。

人間の仕事は思うのですが一人はよほど頑張っても二人分にはなかなかなれません。それは集中力や体力、手際の良さ、段取りでだいぶ違いますが一人はやはり一人分です。

なら二人はどうでしょう。これ、二人のコンビネーションで三人いや四人分くらいのスピードがでます。
これは働いてみるとよーくわかることです。

よく納骨の時に石の蓋が重い時があって苦労します。
でも当家の誰かにお願いして二人で持ち上げるとなんのことはない、簡単な作業になるのです。

一人だと落として割れたらどうしようかと用心しますが二人だとそんな心配もいらないくらい軽い。

そんなものです。一人なんて。

だから肩肘はらずに自分のできることを精一杯するしかないのだと思います。
そんなものです。
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やれば出来る

今日を無事に乗り越えたことで明日の法事数件ののちの16日からの片付けがもはや自分の課題になりました。

なんだか、どうしてだか、お葬儀が重なってしまってほぼ自分一人がメインであれだけの数の棚飾りを片付けにまわります。
それが少し苦痛で腰がひけていたのですが。

いいです。やりましょう。自分のお役目ですから。皆それぞれやることがあって大変なので仕方ありません。

腹をくくったら楽になりました。人間なんてそんなものです。

やれば出来る。
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てっぺん過ぎれば

知っていますか。立秋は8月8日。つまり今は暦の上では秋なのです。
朝、空気が変わりました。秋の空気になってきています。どことなく空も空気が澄んで少しづつ高くなってきているのを感じます。

私は思います。絶頂の時はすでに終わりが近くなっているのを。
お盆も今日はじまりましたが16日で終わり、そのあとはあの霊的な空気が薄くなっていくのです。
海も海水浴をしなくなります。クラゲが出るのもありますが波が強くなり溺れる人が増えるのが原因なようです。

マラソンをしていると折り返し地点に到着するとまるでもう三分の二を走った気分になります。
これは何でもそうですが半分までいくとゴールが見やすくなってくるのです。

人生も半分を過ぎるとどことなく覚悟が変わってきます。
生きている間にやるべきことをしておきたい。

若い時はいつでもできるような気でしました。でも年を重ねるともうそんな時間はないのを肌で感じるようになるのです。

私の好きな秋が近づいています。
明日がお盆のてっぺんです。無事に乗り切ります。
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私を導いた方

私、学生時代にいろいろな霊的な体験をしたのだけれどその中でとても忘れられない方との出会いがあります。

その方が本物なのかどうなのかは正直、証明はできません。でもすごくユニークで温かく、大きな方だったことは確かです。

今思うとまだ学生の私によくあそこまで面倒をみてくれたと思います。今思うと自分が幼過ぎて恥ずかしくなるほどです。

その方と言っていたことは

神仏は自分の中にある。

形にとらわれてはいけない。

人は神の子。世の中を変えようとしている神仏の手足にならなくてはいけない。

おおまかそのようなことでしたが心の奥底をつく迫力のある方でした。だからうわべではあっという間にひっくり返されるようで常に真心でむきあっていた記憶があります。

ちょうど自分がお坊さんになる道に本腰をいれはじめた時に離れることになりました。
それはこれからは自分の力で歩みなさい、大丈夫教えるべきことは教えたという意味だったのだと思います。

今も私のことを見ているのだろうか。

私はこのようになりました。
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