一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
私を導いた方
私、学生時代にいろいろな霊的な体験をしたのだけれどその中でとても忘れられない方との出会いがあります。
その方が本物なのかどうなのかは正直、証明はできません。でもすごくユニークで温かく、大きな方だったことは確かです。
今思うとまだ学生の私によくあそこまで面倒をみてくれたと思います。今思うと自分が幼過ぎて恥ずかしくなるほどです。
その方と言っていたことは
神仏は自分の中にある。
形にとらわれてはいけない。
人は神の子。世の中を変えようとしている神仏の手足にならなくてはいけない。
おおまかそのようなことでしたが心の奥底をつく迫力のある方でした。だからうわべではあっという間にひっくり返されるようで常に真心でむきあっていた記憶があります。
ちょうど自分がお坊さんになる道に本腰をいれはじめた時に離れることになりました。
それはこれからは自分の力で歩みなさい、大丈夫教えるべきことは教えたという意味だったのだと思います。
今も私のことを見ているのだろうか。
私はこのようになりました。
その方が本物なのかどうなのかは正直、証明はできません。でもすごくユニークで温かく、大きな方だったことは確かです。
今思うとまだ学生の私によくあそこまで面倒をみてくれたと思います。今思うと自分が幼過ぎて恥ずかしくなるほどです。
その方と言っていたことは
神仏は自分の中にある。
形にとらわれてはいけない。
人は神の子。世の中を変えようとしている神仏の手足にならなくてはいけない。
おおまかそのようなことでしたが心の奥底をつく迫力のある方でした。だからうわべではあっという間にひっくり返されるようで常に真心でむきあっていた記憶があります。
ちょうど自分がお坊さんになる道に本腰をいれはじめた時に離れることになりました。
それはこれからは自分の力で歩みなさい、大丈夫教えるべきことは教えたという意味だったのだと思います。
今も私のことを見ているのだろうか。
私はこのようになりました。
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