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必要とされる喜び

昨日、ベルト壊れた時計を直しに町の時計屋さんに行きました。そこのお店はレトロの雰囲気が漂う老夫婦が営んでいて。

もう10年以上使っている時計なので新しいものを買ってもよかったのですが愛着もあるし、ベルトが壊れただけだから大丈夫ではないかと。

少し合うパーツがなくて時間がかかりましたが、直した瞬間に老男性の目がきらりと輝きました。結局500円で元通りに。

ソーラー時計だし、まだまだ使えそうです。

人の身体もこのようにパーツを取り換えただけで長く使えたらいいけど、なかなかそういうわけにはいかないみたいです。
自分を見てもそうだけど明らかに10年前の自分とは違うし、これから10年後の自分も今とは違ってしまうでしょう。

あの時計屋さんも時計を売って生活しているというより、ほとんど電池交換と私のように修理で営んでいるように思えます。その収入はたぶん現役時代と比べれば微々たるものです。でも年齢からしてもう働かなくても十分生活できるようにも感じました。

営業しているのは社会に必要とされているということの喜びからだと思います。

私の10年後も20年後も30年後も。自分の身体がどのように変化するのであれ、誰かの役に立てたらと思えてなりません。
パーツが取り替えられなくても、若返ることができなくても自分ができることをさせてもらえればそれでいい。そのように思います。

定年退職すれば楽になるというのは間違えかもしれません。労働からはお金をもらうことだけでない何かを手に入れられるのではないでしょうか。

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