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無駄でない

歴史は紡いでいきます。私達が生きた証は後世に繋がっていくのです。

古い写真をみると今ある自分もいつかはこのように誰かに見られ語られるのではないかと思います。むしろそうであってほしいと願うものです。

忘れられることが一番悲しいことかもしれません。でもその人を思い出すことであの世の故人はすごく喜んでいるのではないかと思います。

私はよく昔話をするのが好きです。年配の老人にいろいろな自分の人生を語ってもらうだけでその人の人生を少し追体験できる気分になるからです。
それと同時に供養にもなります。なんだか自分のことを知ってくれて嬉しいという言葉が聞こえてきそうです。

それからその人のことを思い出してあげるだけでまるで映画のワンシーンを自分の中にえがくことができます。

最近、自分の青春時代のことを思い出すことが多くあります。若かりし頃は思い出すのも恥ずかしいですが頭に浮かんでくるのだから仕方ありません。

でも他人のみならず自分自身も思い出してあげることが供養になるのではないか、なんて思います。

思い出してなにするわけでもないけど「あーすればよかった」と思うことは無駄ではないようにも思えます。
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