一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
こちら側のもの
人は油断した時が一番あぶないのです。これで大丈夫と思った時に想定外のことがおきます。
だから最後まで油断しない姿勢が必要なのです。もし取り越し苦労であったとしてもその思いは無駄にはなりません。
今は必要なくてもいずれ気持ちのエネルギーが自分自身をガードしてくれるはずです。
娘が借りてくる銭天堂という本があります。内容は駄菓子屋で売られている不思議なお菓子。それは自分自身の欲望をかなえることができる特別な能力がそなわっています。そのお店に特別に縁のある人が引き寄せられ店主にすすめられて買うようになるのです。
ただストーリー的に必ずしっぺ返しみたいなオチになります。最初は思い通りになって楽しむのですがどこかで「こんなはずではなかった」ってなる。もともと欲望がかなえられていなかった時に戻りたいって。
私たちが経験している苦しみや痛みはもしかしたらすべて良い方法に導くためのプロセスの可能性があります。
だから「あーなればよかった」は本当はないのかもしれません。
最初から見て触って、感じて経験するものは仮のもの。
本当の世界は心の中にあるものなのです。だから何かを得る、こうになりたいという思いよりも心が気付けることの方が大切だといえます。
安心しませんか。今の自分のこちら側のものの方が真実。外に見えるものは仮のもの。
焦ることはありません。この私自身を最後に守ればこの世界では勝ちとなります。
どうも文章が散乱気味ですが何かを感じ取っていただけたら幸いです。
だから最後まで油断しない姿勢が必要なのです。もし取り越し苦労であったとしてもその思いは無駄にはなりません。
今は必要なくてもいずれ気持ちのエネルギーが自分自身をガードしてくれるはずです。
娘が借りてくる銭天堂という本があります。内容は駄菓子屋で売られている不思議なお菓子。それは自分自身の欲望をかなえることができる特別な能力がそなわっています。そのお店に特別に縁のある人が引き寄せられ店主にすすめられて買うようになるのです。
ただストーリー的に必ずしっぺ返しみたいなオチになります。最初は思い通りになって楽しむのですがどこかで「こんなはずではなかった」ってなる。もともと欲望がかなえられていなかった時に戻りたいって。
私たちが経験している苦しみや痛みはもしかしたらすべて良い方法に導くためのプロセスの可能性があります。
だから「あーなればよかった」は本当はないのかもしれません。
最初から見て触って、感じて経験するものは仮のもの。
本当の世界は心の中にあるものなのです。だから何かを得る、こうになりたいという思いよりも心が気付けることの方が大切だといえます。
安心しませんか。今の自分のこちら側のものの方が真実。外に見えるものは仮のもの。
焦ることはありません。この私自身を最後に守ればこの世界では勝ちとなります。
どうも文章が散乱気味ですが何かを感じ取っていただけたら幸いです。
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