この数年、抗がん剤の治療を受けることがたびたびある。
薬によっては、脱毛も起こる。
いわゆる「ツルピカハゲマル」状態。
そのために、初めての治療の時に、
ウィッグを一つ奮発した。
その5年後、またもう一つ奮発した。
ところがこの時は、予定より脱毛量が少なかった。
それなら、このままいける!と、
私はもともとのベリーショートの髪型で通すことにした。
だから、ウィッグは未使用のままお蔵入りに。
ところが、今回の治療では、予想通りに脱毛が。
なので、お蔵から二つのウィッグを出して、
その日の気分に応じて使っている。
ところで、ウルトラマン家族と二世帯同居を始めて、
この3月で1年が経った。
ウルトラマン1号は無事小学1年生の課程を修了!
あの黄色い帽子とも、黄色いランドセルともお別れ。
「明日からもう黄色い帽子要らないんだよ!」と教えてくれた。
ウルトラマン2号もこの4月からは保育園の年長に進級する。
そんな二人と一年間一緒に住んでいるが、
私が徐々にツルピカハゲマル状態に近づいていっても、
二人はそのことに関して何か言うことはなかった。
私が帰宅して、ウィッグを取り外すと、
「かぶりたい!!」といって、
二人が取り合うことはあった。
幸いというか、なんというか、
私の頭は小さい。
だから、私のウィッグは
ウルトラマンたちの頭にもぴったりはまる。
その写真を撮って遊ぶこともしばしば。
そんなことは何回か繰り返した。
そして、みんなで大笑いした。
ところが、つい最近のこと、
私がウィッグをはずしていると、
1号がそばに来た。
「外に行くときは、それをつけて行くんだよね」(1号)
「そうよ」(私)
「家にいるときは外すんだよね」(1号)
「そうよ。ちょっと頭を自由にしたいしね」(私)
「だけど、外に行くときはつけるんだよね」(1号)
「うん」(私)
あれっ、どうしたんだろう。
こんなこと言ってきたのは初めてだ。
一体、何が気になったんだろう。
何に気づいたんだろう??
それ以上、1号は何も言わなかった。
私は、私の頭から髪の毛がなくなっていくことに対して、
彼らから何か言われたことは一度もなかった。
それは単に、毎日見慣れていて、
少しずつ変化していくものだから、
気にならないのかなと思っていた。
でも、今回1号は何かに気づいた。
外に出るときは必ずウィッグをかぶることの意味を
彼なりに考えたのだと思う。
何を考えたか、彼の口からは直接語られなかった。
けれど、それから少しして・・、
「おじいちゃんと、おばあちゃんは年取っているんだよね」(1号)
「そうね、年取っているわね」(私)
「おじいちゃんが先に死んで、それからおばあちゃんが死ぬんだよね」(1号)
「・・・・そうねえ・・・」(私)
「TP(自分のこと)が5年生のときには死んじゃうの?」(1号)
「それは、わからないわねえ・・・」(私)
「ふーん、でも年取ると死んじゃうんだよねえ」(1号)
「そうねえ、でも、誰でもそうなのよ」(私)
「・・・・」(1号)
会話はここで途絶えた。
でもふと思った。
孫たちと住んでから、
彼らは「おばあちゃんはいつ死んじゃうの?」
というようなことを、
この時のように、時々口にする。
いや、時々どころかしょっちゅうかもしれない。
三世代同居はまた、
孫たちにも「死」を考えさせているのだなと思う。
特に病気という同居人を持つ祖母と一緒に生活するってことは
そういうことなのかもしれない。
いつも思うけれど、
子どもは大人が考えるよりも、ずっと哲学的だ。
そんな1号はヨシタケシンスケさんの
「このあとどうしちゃおう」をよく広げている。
ヨシタケシンスケ「このあとどうしちゃおう」 ブロンズ新社
そういえば、私も三世代同居だった。
祖父は私が小学校三年生の時に亡くなった。
私はその時考えた。
死ぬってことは、階段を上って天国に行くってことかな。
そこでも死んだら、また階段上ってさらに次の天国に行く。
こうして終わりはないんだなって。
それが今から60年近く前の私の死生観。
今と全く違うような、あまり変わらないような・・。
それと、どうしても涙の出ない自分に困ってしまったことも。
おじいちゃんが死んだんだから悲しくなきゃいけないのに、
涙がどうしても出てこないことに困惑した8歳でした。
おじいちゃんのこと、嫌いじゃなかったのにナゼ?
そんな、自分の中ではまだ片付いていないことが、
こうして三世代同居のおかげで、もう一度
考えるチャンスをもらえるんだなって思ったひと時でした。
薬によっては、脱毛も起こる。
いわゆる「ツルピカハゲマル」状態。
そのために、初めての治療の時に、
ウィッグを一つ奮発した。
その5年後、またもう一つ奮発した。
ところがこの時は、予定より脱毛量が少なかった。
それなら、このままいける!と、
私はもともとのベリーショートの髪型で通すことにした。
だから、ウィッグは未使用のままお蔵入りに。
ところが、今回の治療では、予想通りに脱毛が。
なので、お蔵から二つのウィッグを出して、
その日の気分に応じて使っている。
ところで、ウルトラマン家族と二世帯同居を始めて、
この3月で1年が経った。
ウルトラマン1号は無事小学1年生の課程を修了!
あの黄色い帽子とも、黄色いランドセルともお別れ。
「明日からもう黄色い帽子要らないんだよ!」と教えてくれた。
ウルトラマン2号もこの4月からは保育園の年長に進級する。
そんな二人と一年間一緒に住んでいるが、
私が徐々にツルピカハゲマル状態に近づいていっても、
二人はそのことに関して何か言うことはなかった。
私が帰宅して、ウィッグを取り外すと、
「かぶりたい!!」といって、
二人が取り合うことはあった。
幸いというか、なんというか、
私の頭は小さい。
だから、私のウィッグは
ウルトラマンたちの頭にもぴったりはまる。
その写真を撮って遊ぶこともしばしば。
そんなことは何回か繰り返した。
そして、みんなで大笑いした。
ところが、つい最近のこと、
私がウィッグをはずしていると、
1号がそばに来た。
「外に行くときは、それをつけて行くんだよね」(1号)
「そうよ」(私)
「家にいるときは外すんだよね」(1号)
「そうよ。ちょっと頭を自由にしたいしね」(私)
「だけど、外に行くときはつけるんだよね」(1号)
「うん」(私)
あれっ、どうしたんだろう。
こんなこと言ってきたのは初めてだ。
一体、何が気になったんだろう。
何に気づいたんだろう??
それ以上、1号は何も言わなかった。
私は、私の頭から髪の毛がなくなっていくことに対して、
彼らから何か言われたことは一度もなかった。
それは単に、毎日見慣れていて、
少しずつ変化していくものだから、
気にならないのかなと思っていた。
でも、今回1号は何かに気づいた。
外に出るときは必ずウィッグをかぶることの意味を
彼なりに考えたのだと思う。
何を考えたか、彼の口からは直接語られなかった。
けれど、それから少しして・・、
「おじいちゃんと、おばあちゃんは年取っているんだよね」(1号)
「そうね、年取っているわね」(私)
「おじいちゃんが先に死んで、それからおばあちゃんが死ぬんだよね」(1号)
「・・・・そうねえ・・・」(私)
「TP(自分のこと)が5年生のときには死んじゃうの?」(1号)
「それは、わからないわねえ・・・」(私)
「ふーん、でも年取ると死んじゃうんだよねえ」(1号)
「そうねえ、でも、誰でもそうなのよ」(私)
「・・・・」(1号)
会話はここで途絶えた。
でもふと思った。
孫たちと住んでから、
彼らは「おばあちゃんはいつ死んじゃうの?」
というようなことを、
この時のように、時々口にする。
いや、時々どころかしょっちゅうかもしれない。
三世代同居はまた、
孫たちにも「死」を考えさせているのだなと思う。
特に病気という同居人を持つ祖母と一緒に生活するってことは
そういうことなのかもしれない。
いつも思うけれど、
子どもは大人が考えるよりも、ずっと哲学的だ。
そんな1号はヨシタケシンスケさんの
「このあとどうしちゃおう」をよく広げている。
ヨシタケシンスケ「このあとどうしちゃおう」 ブロンズ新社
そういえば、私も三世代同居だった。
祖父は私が小学校三年生の時に亡くなった。
私はその時考えた。
死ぬってことは、階段を上って天国に行くってことかな。
そこでも死んだら、また階段上ってさらに次の天国に行く。
こうして終わりはないんだなって。
それが今から60年近く前の私の死生観。
今と全く違うような、あまり変わらないような・・。
それと、どうしても涙の出ない自分に困ってしまったことも。
おじいちゃんが死んだんだから悲しくなきゃいけないのに、
涙がどうしても出てこないことに困惑した8歳でした。
おじいちゃんのこと、嫌いじゃなかったのにナゼ?
そんな、自分の中ではまだ片付いていないことが、
こうして三世代同居のおかげで、もう一度
考えるチャンスをもらえるんだなって思ったひと時でした。
やさしい語り口なのに、深いですね。
私もツルハゲ状態だったことがあります。
くも膜下出血で頭を開ける手術をした時です。
退院した時、五月の風が坊主頭を撫でていきました。
核家族ではわからない祖父母の老いや、病気、「死」に対する肌身で感じるものを、三世代同居という幸運が教えてくれますね。
机上ではわからないものが世の中にはたくさんありますが、生老病死は昔の大家族制の中ではごく自然に学んでいたのでしょう。
お孫ちゃんたちの刻々と変化する心模様。
やわらかな感性はお孫ちゃんとそのおばあちゃまにも共通しているように思います。
子供は雑念のない哲学者ですね。