この日は補講日だった。
土曜日に2クラス分。
一つは3時過ぎから、もう一つのクラスは5時から。
土曜日の午後に補講なんて、
私たちの時代には考えられなかった。
でも最近では、免許・資格を出しているところでは
「補講なし」は許されない。
それにしても、土曜日の午後遅い時間の補講。
来る学生はいるのだろうか?
私だったら当然サボる・・・。
でも、ふたを開けたら、
何と二クラスともぴったり半数の学生が受講。
思わず「あなたたち、偉いわねえ!」と叫んでしまった。
通常は金曜日の授業なので、前日も顔を合わせている。
次の日だから、予習なんてできないし・・・。
と思って、私は番外編を準備していった。
授業の初めは絵本から。
これはいつもと同じ。
今日は谷川俊太郎・元永定正コンビの「もこもこもこ」
谷川俊太郎作・元永定正絵「もこもこもこ」文研出版 1977年
「しーん」「もこ」「もこもこ」「にょき」で始まるこの絵本。
絵が強烈で美しい。
本当に美しい・・・。
文字は擬音語、擬態語のみ。
それがないページだってある。
そして最後、また「もこ」で終わる。
宇宙の誕生か、生物の誕生か・・。
そんなことを考えながらページを繰る。
読み終わって、そっと本を閉じると、
「しーーーーーーん」という静寂と、
学生の物思いにふけった顔が目に飛び込む。
そしていつも思う。
これで授業を終わりにしたい!
学生たちのこの顔とこの深い静けさは、
どんなに準備した授業でも再現できたためしはない。
次にどのタイミングで言葉を発するか・・・。
いつも悩む。
しばらく、あちらの世界を浮遊してもらおう・・。
そう思う。
学生から、一言が発せられた。
これがあちらの世界からこちらの世界に帰還してきた合図。
私はここで、
「さー、そろそろはじめようかな」とつぶやく。
ガヤガヤガヤ・・・と
いつもの喧騒が戻り、日常モードになる。
今日は番外編。
私は思いっきり具体的な子どもの記録から考えたことを用意した。
保育者養成系の学校であるが、
このクラスは2年生。
まだ、保育の場を経験した学生は少ない。
いつもは抽象的なことも喋らざるを得ず、
それが、どれだけ学生に届いているか・・・。
でも今日は番外編なので、
自分の育児記録をひっくり返しながら
考えて書いたことを持ってきた。
それは、長男が小学校に入る前までのこと。
小学校に入るまで「字」に全く興味を持っていなかった。
で、何にもしていなかったかっていうとそうではない。
彼はいつもやることがいっぱいあった。
彼の手は小さい時から休むことはなかった。
2歳の時には、すでにおまけつきのお菓子のおまけ作りに励んでいた。
説明書があるが、字は読めない。
私に作ってくれと言ってくる。
ところが、私は大のぶきっちょ。
工作程不得意なことはないと言ってもいいくらい。
彼が手伝ってと言ってくる時は
たいがい夕飯の支度をしている夕方。
私がイライラしながら作るのを見て、
彼はいつの頃からか、自分で説明書を睨むようになった。
そして、作成の順番を表わす、数字は分かるようになった。
3歳の頃には字は読めなくても、
おまけのロボットは作れるようになった。
母親はお払い箱。
幼稚園の年長組の時のこと。
当時、トミー(現タカラトミー)から出ていた
メカゾイドという組立ロボットが流行っていた。
彼は、クリスマスの時、
サンタさんからプレゼントされた
ゴジュラスというメカゾイドに小躍りした。
そして、姉の友達の2年生の女の子と一緒に
ゴジュラスを完成させるために半日以上かけて格闘した。
最後に足が絡まって、そこだけが未完成となったが、
夜帰ってきた父親の助けを借りて遂に完成した。
以後、彼はゾイド作りに熱中する。
勿論それだけではない。
我が家は彼が牛乳パック、ヤクルトの空き瓶、段ボール等の
廃材を利用して作ってきた飛行機やら、ロボットが
所狭しと並ぶようになった。
ある日、とうとう置場がなくなった時、
彼と相談して、すべて写真にとって、大好きなものを除いて
焼却処分にした。
小学校に入って、はじめのうちの教科書の読み方は
ロボット読みだった。
でも、いつの間にかそれは追いついた。
彼に残ったのは、相変わらず手を動かすこと。
その後ミニ四駆の改造にも熱中した。
彼の枕元にはいつもその時自分が熱中しているものが置かれている。
そんな成長記録を学生と読んだ。
学生はまた「しーーーん」となった。
何か考えていてくれる。
そんな手ごたえを感じた。
子どもっていろいろいるんだなって感じてくれれば
いまはそれでOK。
幼稚園や保育園という集団の場で、
子どもたちを個性のないじゃがいも扱いにするのではなく、
小さいけれど一生懸命生きているってこと、伝えられたらいいな
と思う補講日でした、
土曜日に2クラス分。
一つは3時過ぎから、もう一つのクラスは5時から。
土曜日の午後に補講なんて、
私たちの時代には考えられなかった。
でも最近では、免許・資格を出しているところでは
「補講なし」は許されない。
それにしても、土曜日の午後遅い時間の補講。
来る学生はいるのだろうか?
私だったら当然サボる・・・。
でも、ふたを開けたら、
何と二クラスともぴったり半数の学生が受講。
思わず「あなたたち、偉いわねえ!」と叫んでしまった。
通常は金曜日の授業なので、前日も顔を合わせている。
次の日だから、予習なんてできないし・・・。
と思って、私は番外編を準備していった。
授業の初めは絵本から。
これはいつもと同じ。
今日は谷川俊太郎・元永定正コンビの「もこもこもこ」
谷川俊太郎作・元永定正絵「もこもこもこ」文研出版 1977年
「しーん」「もこ」「もこもこ」「にょき」で始まるこの絵本。
絵が強烈で美しい。
本当に美しい・・・。
文字は擬音語、擬態語のみ。
それがないページだってある。
そして最後、また「もこ」で終わる。
宇宙の誕生か、生物の誕生か・・。
そんなことを考えながらページを繰る。
読み終わって、そっと本を閉じると、
「しーーーーーーん」という静寂と、
学生の物思いにふけった顔が目に飛び込む。
そしていつも思う。
これで授業を終わりにしたい!
学生たちのこの顔とこの深い静けさは、
どんなに準備した授業でも再現できたためしはない。
次にどのタイミングで言葉を発するか・・・。
いつも悩む。
しばらく、あちらの世界を浮遊してもらおう・・。
そう思う。
学生から、一言が発せられた。
これがあちらの世界からこちらの世界に帰還してきた合図。
私はここで、
「さー、そろそろはじめようかな」とつぶやく。
ガヤガヤガヤ・・・と
いつもの喧騒が戻り、日常モードになる。
今日は番外編。
私は思いっきり具体的な子どもの記録から考えたことを用意した。
保育者養成系の学校であるが、
このクラスは2年生。
まだ、保育の場を経験した学生は少ない。
いつもは抽象的なことも喋らざるを得ず、
それが、どれだけ学生に届いているか・・・。
でも今日は番外編なので、
自分の育児記録をひっくり返しながら
考えて書いたことを持ってきた。
それは、長男が小学校に入る前までのこと。
小学校に入るまで「字」に全く興味を持っていなかった。
で、何にもしていなかったかっていうとそうではない。
彼はいつもやることがいっぱいあった。
彼の手は小さい時から休むことはなかった。
2歳の時には、すでにおまけつきのお菓子のおまけ作りに励んでいた。
説明書があるが、字は読めない。
私に作ってくれと言ってくる。
ところが、私は大のぶきっちょ。
工作程不得意なことはないと言ってもいいくらい。
彼が手伝ってと言ってくる時は
たいがい夕飯の支度をしている夕方。
私がイライラしながら作るのを見て、
彼はいつの頃からか、自分で説明書を睨むようになった。
そして、作成の順番を表わす、数字は分かるようになった。
3歳の頃には字は読めなくても、
おまけのロボットは作れるようになった。
母親はお払い箱。
幼稚園の年長組の時のこと。
当時、トミー(現タカラトミー)から出ていた
メカゾイドという組立ロボットが流行っていた。
彼は、クリスマスの時、
サンタさんからプレゼントされた
ゴジュラスというメカゾイドに小躍りした。
そして、姉の友達の2年生の女の子と一緒に
ゴジュラスを完成させるために半日以上かけて格闘した。
最後に足が絡まって、そこだけが未完成となったが、
夜帰ってきた父親の助けを借りて遂に完成した。
以後、彼はゾイド作りに熱中する。
勿論それだけではない。
我が家は彼が牛乳パック、ヤクルトの空き瓶、段ボール等の
廃材を利用して作ってきた飛行機やら、ロボットが
所狭しと並ぶようになった。
ある日、とうとう置場がなくなった時、
彼と相談して、すべて写真にとって、大好きなものを除いて
焼却処分にした。
小学校に入って、はじめのうちの教科書の読み方は
ロボット読みだった。
でも、いつの間にかそれは追いついた。
彼に残ったのは、相変わらず手を動かすこと。
その後ミニ四駆の改造にも熱中した。
彼の枕元にはいつもその時自分が熱中しているものが置かれている。
そんな成長記録を学生と読んだ。
学生はまた「しーーーん」となった。
何か考えていてくれる。
そんな手ごたえを感じた。
子どもっていろいろいるんだなって感じてくれれば
いまはそれでOK。
幼稚園や保育園という集団の場で、
子どもたちを個性のないじゃがいも扱いにするのではなく、
小さいけれど一生懸命生きているってこと、伝えられたらいいな
と思う補講日でした、