Debbieさんはアメリカ人。
30年近く前、私たち家族が
アメリカ南部の小さな町に住んでいた時、
いつも助けてくれた大恩人。
彼女は私と同い年。
息子のサッカーの試合の応援で出会った。
以後、彼女と彼女の家族との付き合いが始まった。
慣れない土地で、彼女には本当に助けられた。
とても頭の良い察しの良い人で、
私のブロークンイングリッシュでも
その意味を的確にとらえてくれた。
だから、Debbieさんと話すと、
英語が上手になったと思わされた。
けれど次の日、別の人と話すと全然通じない。
通じる通じないは、
ときにこうしたお互いの
「察する力」に左右されると知った。
Debbieさんと過ごすこと3年。
彼女の家族はマイアミへと引っ越していった。
この時は本当に寂しかった。
でもそのすぐあと、
図々しくも、私たち家族はマイアミの
デビーさん一家を訪ねた。
そこでの2泊3日の滞在は忘れられない思い出だ。
それから私たちの帰国。
はじめのうちはFax、そしてその後はメールでやり取りをした。
が、いつしか私の英語も錆びつきはじめ、
やり取りは間遠になっていったが、
それでもやり取りは細々と続いた。
その間に彼女は中西部の故郷へ近い町へと引っ越した。
今から3年前、夫のビルさんを亡くし、
3人の子どもたちはそれぞれ独立していた。
「日本に来ない?」と
ラブコールを送ったのは2年程前。
彼女はまだ仕事をしていた。
だから日程が合わず、その時は流れた。
ところが今回、突然
「東京行きの航空券を買ったわ。
日程大丈夫かしら?」と連絡が入った。
丁度3月、こちらの予定もOK。
そして今回、3月9日の来日、
1週間の滞在となった。
さあたいへん、
こんな錆びついた英語で何とかなるのか???
掃除もしなくちゃ。
寝室を彼女用に空けるので、
私たちの部屋を寝室にしなくちゃ。
といっても、ここは「ごみ屋敷ならぬごみ部屋」・・・。
「いいチャンスだ。掃除をしよう!」と夫。
「そうね・・・、がんばろうっと」と私。
ルーズで暢気者の私は、何とかなるさと思っていた。
律儀者の夫は「どういうもてなし計画にするか、
それを立てて、デビーさんと相談しながらやっていこう!」とのこと。
それからDebbieさんとの連絡係は夫となった。
3か月をかけたやり取りが始まった。
掃除の方は遅々として進まなかったが、
最後の一週間、死に物狂いで頑張った(笑)。
寝室にあった仏壇には「ごめんなさい」を言って、
クローゼットに隠れてもらった。
その代わりに私が生まれた時に大叔母たちにもらった
「潮汲み人形」を飾った。
3月9日。
1時過ぎの飛行機で
彼女は無事来日した。
お互い、見分けがつくようにと
既に写真の交換はしていた。
でも、そんなもの、いらなかった。
Debbieさんはすぐ分かった。
そしてハグ。
いよいよ彼女との1週間が始まった。(つづく)
30年近く前、私たち家族が
アメリカ南部の小さな町に住んでいた時、
いつも助けてくれた大恩人。
彼女は私と同い年。
息子のサッカーの試合の応援で出会った。
以後、彼女と彼女の家族との付き合いが始まった。
慣れない土地で、彼女には本当に助けられた。
とても頭の良い察しの良い人で、
私のブロークンイングリッシュでも
その意味を的確にとらえてくれた。
だから、Debbieさんと話すと、
英語が上手になったと思わされた。
けれど次の日、別の人と話すと全然通じない。
通じる通じないは、
ときにこうしたお互いの
「察する力」に左右されると知った。
Debbieさんと過ごすこと3年。
彼女の家族はマイアミへと引っ越していった。
この時は本当に寂しかった。
でもそのすぐあと、
図々しくも、私たち家族はマイアミの
デビーさん一家を訪ねた。
そこでの2泊3日の滞在は忘れられない思い出だ。
それから私たちの帰国。
はじめのうちはFax、そしてその後はメールでやり取りをした。
が、いつしか私の英語も錆びつきはじめ、
やり取りは間遠になっていったが、
それでもやり取りは細々と続いた。
その間に彼女は中西部の故郷へ近い町へと引っ越した。
今から3年前、夫のビルさんを亡くし、
3人の子どもたちはそれぞれ独立していた。
「日本に来ない?」と
ラブコールを送ったのは2年程前。
彼女はまだ仕事をしていた。
だから日程が合わず、その時は流れた。
ところが今回、突然
「東京行きの航空券を買ったわ。
日程大丈夫かしら?」と連絡が入った。
丁度3月、こちらの予定もOK。
そして今回、3月9日の来日、
1週間の滞在となった。
さあたいへん、
こんな錆びついた英語で何とかなるのか???
掃除もしなくちゃ。
寝室を彼女用に空けるので、
私たちの部屋を寝室にしなくちゃ。
といっても、ここは「ごみ屋敷ならぬごみ部屋」・・・。
「いいチャンスだ。掃除をしよう!」と夫。
「そうね・・・、がんばろうっと」と私。
ルーズで暢気者の私は、何とかなるさと思っていた。
律儀者の夫は「どういうもてなし計画にするか、
それを立てて、デビーさんと相談しながらやっていこう!」とのこと。
それからDebbieさんとの連絡係は夫となった。
3か月をかけたやり取りが始まった。
掃除の方は遅々として進まなかったが、
最後の一週間、死に物狂いで頑張った(笑)。
寝室にあった仏壇には「ごめんなさい」を言って、
クローゼットに隠れてもらった。
その代わりに私が生まれた時に大叔母たちにもらった
「潮汲み人形」を飾った。
3月9日。
1時過ぎの飛行機で
彼女は無事来日した。
お互い、見分けがつくようにと
既に写真の交換はしていた。
でも、そんなもの、いらなかった。
Debbieさんはすぐ分かった。
そしてハグ。
いよいよ彼女との1週間が始まった。(つづく)