徒然なるままに~のんびり、ゆったり、こまやかに

猪突猛進型の60代。そして卵巣がんですっ転んで8年。目指すはのんびり、ゆったり、細やかな生活!無理かなー(#^.^#)

子どもの宇宙ーありのままと繊細さとー

2015-02-26 11:23:37 | 子どもの情景
幼稚園教諭や保育士になりたいと思えば
いくつもの実習を経験しなくてはならない。

例えばこんな具合だ。
ある4年制の養成校の一例。

2年生の春休みに第1回目の保育実習(保育所)。
3年生の秋には第1回目の幼稚園実習。
3年生の春休みには第2回目の保育実習(施設)。
ここでは乳児院、児童養護施などの児童福祉施設に行かせていただく。
4年生の春に第2回目の幼稚園実習。
4年生の夏休みは第3回目の保育実習(保育所か施設を選択する)

大学の教員になるためには免許・資格はいらない。
でも、保育士になろうと思うと
小・中・高の先生になるための免許科目より多い資格科目を取らなければならない。
それに加えてこの実習の嵐がある。

この実習には教員が挨拶に廻る。
これは教員にとってもいい勉強になる。
保育所や幼稚園は義務教育機関ではない。
なので、いい意味でも悪い意味でも個性的だ。

そんななかで、毎年進化(そして深化)している幼稚園がある。
私立健伸幼稚園だ。
首都近郊なので、園庭にも恵まれれている。
子どもたちはよく遊ぶ。
保育者が必死になっても、かけっこや鬼ごっこでかなわないこともある。

この園庭には子どもがいないことがない。
保育が終わった後も、土曜日も日曜日も必ず誰か子どもたちがいる。
そして卒園児たちも。

この園の3歳児、120名一クラス。
ここに保育者8人が張り付く。
チーム保育の真価が問われる。
子どもたちは1年かけて、園での居場所を見つける。
新人の保育者も子どもと同じ1年かけて自分の居場所を見つける。
色んな試行錯誤を経て子どもたちは成長する。
こんな園、ほかにないと思う。

4歳児になると4クラスになる。
3歳児120人一クラスとは大違いだ。
ここでは、いわゆるクラス保育が中心になる。

4歳児って、実はとっても難しい年齢。
蝶々になる前の、さなぎの時期と言ったらいいだろうか。
外からはその成長がはっきり見えない。
3歳児のように「1年間で、ずいぶん大きくなったし、できることも増えたね」と言って
親御さんたちと一緒に喜ぶのが難しい。

そんな4歳児。健伸幼稚園ではこの時期に蝶々になるための仕込みをする。
仕込みをするにはクラス保育の方が適している。
この園の保育者たちはそう考えて、あるときからこの保育方法に替えた。
この時期にどんな仕込みをしたかが、5歳児に顕れてくると、保育をしながら確信したからだ。

そして5歳児。また120名1クラスになる。
3歳児のときに自分で居場所を見つける方策をもった子どもたち。
そして4歳児のときに「自分を表現できる」ような仕込みをしてある子どもたち。
自分で選んだテーマごとに活動をすることも多くなる。
チーム保育がここでも生きる。


こうして1年を送ってきた子どもたちの作品展が毎年2月に行われる。
私はいつもびっくりする。
そこには子どもたち一人一人が、自分の思ったこと、感じたこと、考えたことを
それぞれなりに表現していることがビンビン伝わってくるからだ。

画面から飛び出しそうな絵が多いのが特徴というイメージをもって
今年もこの作品展を楽しみにでかけた。

ところが、いつもとちょっと違った。
5歳児の絵のなかに繊細なものが多かった。
後で聞くと、このことに関して、保育者たちは喧々諤々の議論をしたとか。
「例年と同じように」という言葉だけはこの園には無縁だ。
その子らしさが出るように保育者たちは精一杯支える。
そのコラボの結果がこの作品展といえる。


園の理事長先生にブログで紹介する許可を頂けたので、
ここにほんの一部を紹介しようと思う。

まずはご覧ください。

 ★ 3歳児 -思いのままに ありのままの気持ち・お話・イメージー


(3歳児:ちょうちょになったぞう) 
 

(3歳児 おいしいもの)

 ★ 4歳児 -見て・聞いて・感じてー


(4歳児 ざりがに)


(4歳児 いか)


(4歳児 大好きな音楽の先生)


 ★ 5歳児 ー気づき・発見・思いをつづる-


(5歳児 跳び箱)


(5歳児 東京タワー)


(5歳児 シクラメン)


(5歳児 ぶつぞう)

保育者の仕事は、まだ文字や言葉では十分自分を表現できない子どもたちの
「心を読み取る」ちからだと、理事長先生はおっしゃっている。
それが勝負だと。

3歳児、4歳児、5歳児、それぞれに合った画材、画用紙の大きさ、その並べ方。
作品展の場で繰り広げられていたのは、
家族のみんなに見てもらえて誇らしい子どもたちの姿。
そして、説明係の担任の先生と談笑しながらこの1年を振り返っている親御さんの姿。

学生の実習挨拶を通して出会ったK幼稚園。
いつも子どもの心の世界と対話しながら保育をしている。
子どものありのままを支えながら、
そのありのままが既に大人になった人たちにも理解できるように、
保育者たちの日々の努力が続いている。

この園の朝は早い。
午前7時半、今年の新人保育者のゴミ捨てからこの園の一日が始まる。

健伸幼稚園のコンセプトについてのURLは以下の通りです。
http://www.kenshin-kindergarten.jp/outline/concept.html






保育所実習巡回記ー大変さを超えるものー

2015-02-19 09:45:12 | 子どもとおとな
保育所の朝は早い。
早朝保育のあるところは7時くらいからはじまる。
そして子どもたちが揃う9時半過ぎにはお散歩に出ることも多い。

午前中の実習巡回の時はたいてい9時半くらいを指定される.
それは、このお散歩時間のためだ。
実習している学生に会おうと望めばどうしてもこの時間になる。

この日も保育士さんが次々と事務室にやってきて
「お散歩にでかけまーす」と行先と人数を書いた紙を置きにきた。

保育園では散歩は日課。
でもこの日、9時半に行ったとき、
すでに実習生の入れていただいたクラスはお散歩に出かけたあと。
「ちょっと一緒に様子を見に行きましょ」と園長先生。
私は園長先生にくっついて、大人の足で5分の公園まで歩いて行った。

2歳児の子どもたちは3人の先生に見守られながら遊んでいた。
今は冬。公園には霜の道があった。
すでに霜柱を踏みつけて泥んこになっている子どもたちもいる。
でも、そんなことはものともせず、10時半くらいまでそこで過ごした。

そこは区立の公園。
近所の親子連れがいてもよさそう。
でも一組もいなかった。

へええ、寒いからかなあ。
それとも霜を踏み潰して泥んこになるのが嫌なのかなあ。
いやいや、夜更かししちゃって起きられないのかもしれない。
そんなことを思った。

保育園に戻ってから、園長先生に公園で親子を見かけなかった話をした。
すると園長先生は
「最近はね、お母さんたち、あまり公園に行かないのよね。
子育て支援ということで、保育園や児童館が地域の親子に園庭解放をしているしね。
そこだと安心して親子で過ごせるのよね。
公園だと、他の親子がいるかいないかわからないしね。
園庭解放だと、園の子どももいるし、なんか、お母さんたちもゆったり過ごせるのよね。
でも、ここだけの話だけれど、この保育園の園庭ってこのあたりじゃ狭いことが多いでしょ。
だからね、園庭解放の日は子どもとおとなであふれちゃうのよ。
本来は、園児のための園庭なのだけれどね。
そこが難しいわけ。
で、私たち、今まで以上にお散歩を保育に入れるようになったの。
近くの公園巡りになっちゃうわけ。
歩くってことではとってもいいのだけれど、
園庭でじっくり遊ぶ時間を保障できなくなっているってこともあるの。
なんだか玉突きみたいでしょ・・・」

実習巡回をして思うのは、
保育所の役割が在籍園児の保育をすることだけにとどまらなくなっているということ。
保育所が地域の子育て拠点としての役割を担わされるようになっているからだ。
最近はそれがもう保育所の役割としてしっかり定着してきている。
だから保育士の仕事は驚くほど多岐にわたる。
自分に責任のある目の前のクラスの子どものことだけではないのだ。

地域で子育てをしている親子にとっては救いになっているこの園庭解放。
その裏には、現場の保育士の工夫と努力が隠れている。

世の中では「保育士不足」が声高に叫ばれている。
現実の保育所も「保育士」をいかに確保するかで大わらわだ。
だから、国も保育士確保の施策を掲げる。
言ってしまえば、だれでもなれる、なってくださいって感じである。
もう、保育の質なんて言ってられない切羽詰まった状況がそこにはある。

でも現場を見ればすぐわかる。
そこには子どもの発達を保障できるだけの専門性と、
どんな状況にも対応できる柔軟性が必要だということが。
これがなくては今の保育所保育には対応できない。

実習から戻った学生の中には、保育士のあまりの仕事量に圧倒され、
自分には到底できない・・とギブアップする人も出る。
そんな中で、何人かは「やっぱり保育士になる!」という。
その決断の理由を聞くと
「だって、やっぱり、子どもって面白かったから」という答えが返ってくる。
そうか、子どもにかかわる仕事ってやっぱりその「面白さ」が支えているんだ。

私にできること。
学生と一緒になって「子どもって面白い!」て言い合える場をつくること。
これはなかなか難しいけれど、やっぱりこれしかないなって思う。

今日もまた巡回の旅は続く。


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保育所実習巡回記(その1)

2015-02-15 17:04:26 | 子どもとおとな
このところ立て続けに保育所を訪れている。
恒例の2,3月の保育所実習巡回シーズンが到来したのだ。

学生がちゃんと元気にやっているか、
保育所の方々に迷惑をかけていないか、
子どもたちの前で暗い顔をしていないか・・・。
心配すればきりがない。

初めての保育所実習は、たいてい年齢ごとに2日ずつ、クラスに入れていただくことが多い。
一番大きな壁は0歳児、1歳児、2歳児といったクラスに入るとき。

ある時、0歳児クラスに入れていただいた学生が実習中止になった。
学生を引き取りに行ったとき、園長先生は言われた。
「ともかく、暗い顔をしているんですよ。彼女が入ると空気が暗くなる」
それで実習中止。

ちょっと酷な気もしたが、学生にどうしたのって聞いてみた。
「だって、赤ちゃんたち、何にもしゃっべってくれないし
、保育士さんの陰に隠れちゃうし。
私、赤ちゃんたちに嫌われたんだと思って・・・。
どうしていいかわからなかった・・・。」

そうだったのね。
赤ちゃんがしゃべりかけてくれなかったのね。
(当たり前だろう!!!)と鬼のような言葉が出かかったが何とか抑えて
「赤ちゃんはね、まだ、言葉が話せないものね。
しゃべってくれないのは無理ないわよね。
でもね、だからって、あなたのこと、嫌いってわけじゃないのよ」

確か、発達心理学の時間もあったし、子ども理解の方法という時間もあったし、
いろいろ座学で考えるチャンスはあったでしょう・・・
と言いたかったが、これも言葉を飲み込んだ。
学生が授業を聞いてくれていると思うのは、それはそれは甘いから・・・。

3歳児以上の幼稚園では、特に4歳児、5歳児ともなればお姉さん先生と遊んでくれる。
子どもたちの方から「あそぼう!」って声をかけてくれる。
声をかけてもらえば、「ほっ」として、彼女たちは子どもたちの中に入ることができる。

でも、赤ちゃんはそうはいかない。
じーっと、じーっと、実習生のお姉さんを観察。
時には保育士さんの後ろに隠れてしまう。
でもよく見ると、隠れていてもお姉さんの方をじーっと見ている。

「じーっと見てもらえばいいのよ。
じっと見てもらっているうちに、
きっとこのお姉さん、大丈夫って思ってもらえるから」

ここまでのことはなくても、学生の実習前の不安は大きい。
大きな不安は二つ。

一つは彼女のように言葉のまだない子どもたちとどう付き合ったらいいかわからないこと。
そう、これはなにも学生に限らない。
「この子が言葉を話すようになったら、いっぱい喋りかけてあげようって思っていたんです。
待ってたんです。
でも、ぜんぜん喋ってくれないから、私も喋りかけられなかった・・」
って言ったお母さんがずっと前にいましたっけ。

いつも誰かからの働きかけを待ってから動くってことかしら?
と思ってしまう私。
自分から働きかけて、その反応がなかったら、無視されたようで怖いというのが学生の言い分。

この言い分を本当に理解するには私の修行がまだ足りない。

もう一つは、自分の目の前で、子どもたちが喧嘩を始めてしまったら、どうしよう・・ということ。
実習では自分は先生だから、「善悪」の判断を子どもにつけるのが役目。
そんな風に思って、なんとか「白黒」を決着させようとする。
でもできない。だから、どうか目の前で起こらないようにって祈るような気持ちでいる。
残念ながらほぼ100%起こるのがこの喧嘩。
特に実習生の前で頻発する。
不思議なことに、担任の先生の前ではこうは頻発しない。
なめられている?

極めつけは、実習生自身の取り合い。
まさに真っ二つに身を割かれる思い。
これがよく起こる。

やれるだけやって失敗するのが実習なのだけれど、
その失敗を許せない。
失敗から学ぼうって思えばいいのだけれど、
なかなかそうは開き直れない。

待ちの姿勢と、いい子でいたい姿勢を突き崩されるチャンスがこの実習。
耐える力もついたら上出来。

でも若い時って、失敗を許せないかもしれないな。
一番難しいことかもしれない、とふと思う。

余りにも、失敗しても平気になっている還暦過ぎの自分に気づかされてしまう、
実習ドサ回り編でした。

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ムサシ・ザ・キャットーその出会いー

2015-02-08 12:23:52 | 団塊世代夫婦の一コマ
ムサシ・ザ・キャット。
そう、猫の武蔵。
強そうな名前の臆病ネコ。茶トラ。
同居してかれこれ11年が経とうとしている。
今、PCでブログ作成中の私の左手を枕に寝ている。

出会い。それは彼が猛烈な勢いで職場に駆け込んできたことにはじまる。
職場は幼稚園。
「黄色い影が走り抜けた!」
私は思わず席を立って、彼(オスと勝手に判断した)の後を追った。
見るとまだ両手に収まってしまいそうな子猫。
保育中なのに、近くの同僚と一緒に大型積み木で彼を囲った。
彼はその積み木の隙間に姿を消した。

私は保育中なのにキャットフードを買いに走った。
業務規則違反・・・。

結局、彼はこの大型積み木の檻の中で一晩を過ごした。

家に帰って、家族と相談した。
この猫を飼うかどうかを。
私はこの1年前にジジ・ザ・キャットを失っていた。
7歳だった。
それからの1年はペットロス状態。

それを知る子どもたちは猫を拾うことに賛成。
ただ、夫だけが反対した。
子どもたちは自分たちが世話をするから飼おうと夫を説得した。
多数決で夫は負けた。

次の日は土曜日。
次女と一緒に幼稚園に迎えに行った。
帰りは次女と別れた。
当時、母が闘病中。私はそのまま実家に行った。

一方、次女は電車の乗り継ぎで1時間半かけて彼を連れて帰った。
電車の中で起こったこと。
席の横においたキャリーバッグをみたら、何か細かいものが飛び交っていた!
蚤、蚤、蚤の大群。
こりゃあ大変!
家に帰る前に獣医のところに飛び込むことに。
そこで、シャンプーしてしてから家に帰った。
そのせいか、武蔵は水を怖がらない猫として育った。

それから10年。
この10年は子どもたちの巣立ちの時だった。
3人それぞれ、一人暮らしを始めたり、結婚したり・・・。
そして誰もいなくなった!

武蔵の世話はすべて私の手に。
私はイソイソと餌やり、トイレ掃除に励んだ。
ところが、途中で、卵巣がんですっ転んだ。

抗がん剤治療は、骨髄抑制があるタイプのものだったので、
動物の世話は要注意。
私は、仕事を夫に引き継いだ。

えっ、みんな、自分たちが面倒見るって言ったじゃないか。
えっ、俺しか残ってないのか!
俺が面倒見るのか!みんな約束違反だぞー!!と叫ぶ夫。

でも、餌やりもトイレ掃除も待ったなし。
抗がん剤治療中だけという話が、いつの間にが夫の分担家事の一つとなった。

武蔵と夫はすぐ喧嘩する。
爪とぎ大好きな武蔵。
「おまえ、やめろって何回言ったらわかるんだー!」(夫)
「・・・・・・」(武蔵)

分かるわけないのに、それが猫なのに。それが面白いのに!
「何回言ったらわかるんだー!」とは私が夫に言いたいセリフ。

そんなドタバタを毎日繰り返している。
このけんか相手のふたり、一つだけ共存できる時がある。
それは冬。夫が足を組んだ時にそこにすっぽりはまること。
そしてうたた寝をする。
夫はそれをいいことに、
「おい、武蔵がここで寝てるから俺は何もできないぞ。
悪いな、あれもやってくれ、これもやってくれ・・・・」
と相成る。

それが今の私たちの3人暮らし。
10年前の不思議な出会いから、武蔵のおかげで笑ったり怒ったり、
色んな時をもらっている。

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あっ、ウィグ忘れた!@実家の父の前

2015-02-07 23:39:13 | 父とのこと
「プルルル、プルルルル・・・・」
あれっ、なに、なに、なに???
寝ぼけまなこの私。
時計を見ると5時40分。

まだ暗い朝。

父かも知れない!

「もしもし、こんな時間に申し訳ありません」(?)
「はい」(私)
「Kさんのお隣のMでございます」(Mさん)
「あ、いつも父がお世話になっております」(私、ペコンとお辞儀)
「あのですね、私の空耳かもしれないのですが、
お父様が『誰か来てくださーい!』とおっしゃっているようで・・・」(Mさん)

また、妄想国の住人が父のところにやってきたのか・・・。

「父は、外に出ていますでしょうか?」(私)
「いいえ、外にはいらっしゃいません」(Mさん)
「すみません。たぶん幻覚が出ているのだと思います。
明け方になるとよくそうなるようなのです。
本当に申し訳ありませんが、もし、また叫んだり、外に出てくるようであれば、
お知らせいただけますか。本当に早くからご迷惑をおかけします。
父はこの頃、幻覚がひどくて、昨日も病院に行ってきました。
病院からのお薬がまた一つ増えたところなんです」(私)
「そうだったんですね。わかりました。
では何かあったらまたお電話いたしますね」(Mさん)
{ありがとうございます!」(私)

父は90歳を超えている。そしてレビー小体型認知症を患っている。
だから、よく妄想国の住人が父の家を占拠する。

そんな父が一人暮らしを続けられるのは、
献身的なケアマネやヘルパーさん、そしてお隣のMさんや向かいのKさんのおかげだ。

でもやっぱり一大事。
結局、その日はいかれず、二日後に父のところに様子を見に行った。

父の部屋に入る寸前、あっ、と思わず絶句。
私、ウィグをつけてくるのを忘れたことに気がついた。

父は、私の白髪のショートヘアを見たことがない。
どうしよう!!

4年半前の卵巣がんの手術以来、二度の抗がん剤治療経験者の私。
「つるぴかはげまる」状態からは脱しても、元に戻るのに半年以上はかかる。
その間、敏感な父が驚くといけないので、いつもウィグをつけて出かけた。

基本的には自分ががんと同居中であることを公にしている私。
でも、父にだけはどうしてもはっきりとは言えないでいる。
父はもちろん薄々知ってはいる。
だからか、私の健康のことをとても気にかけている。
「元気か?そうか。何も変わりはないな。
変わりがないのが一番だ」とは父の電話の決まり文句。

慌てて、何かかぶるものを探したが、持ってきたのは毛糸の帽子だけ。
まさか、帽子をかぶって「ただいま!」ってわけにもいかない。

私、覚悟を決めた。
「お父さん、ただいまー」(私)
「・・・・・・・」(父)
「あっ、このあたま?びっくりしたでしょう。
髪の毛短くしちゃった。それでね、ついでに、髪染めるのもやめちゃった。
フフフ、だから白髪頭ってわけ}(私)
「・・・、そうか、坊主頭もよく似合うじゃないか」(父)
「えっ、(*_*;、フフフ、そうでしょう?意外と似合うでしょう?」(私)
「そうだ、なかなかいいじゃないか」(父)

もともと短気を通り越して、瞬間湯沸かし器のように怒りっぽい父だったが、
認知症の薬の一つ、抑肝散の効果か、人格が丸くなっている。
症状の一つの人格変化がプラスの変化になっている。
ただし、妄想国の住人がいない時だけだけれど。

「なかなかいいじゃないか」なんて反応は全くの予想外。
およそ昔の父からは考えられない反応。
でも、なんだかホッとした。
父がそのまんまの私をそのままスッと受け入れてくれたから。

父とは私が小さい時から多くの確執があった。
それをずっと心に溜め込んでいた時期も長かった。
父には言えないことがいっぱいあった。
父が怒るのが嫌だったから。
ガンと同居中というのを言えなかったのもそのせい。
心配のあまり怒るということもあることは分かっていても、
やっぱり父の怒るのは嫌だった。だから言わなかった。

でも、いつの間にか父は変わっていた。
良くも悪くも。
怒りっぽくても、ウィットにとんだ父は姿を消しつつある。
妄想国の住人と戦いながらも、
穏やかにあるがままを受け入れる父も姿を現し始めた。

もうウィグはいらない。

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