徒然なるままに~のんびり、ゆったり、こまやかに

猪突猛進型の60代。そして卵巣がんですっ転んで8年。目指すはのんびり、ゆったり、細やかな生活!無理かなー(#^.^#)

年の瀬の一コマーコンロの上には煮豚と黒豆ー

2017-12-29 22:39:27 | 団塊世代夫婦の一コマ
12月29日午後9時。
キッチンのガス台には、
煮豚作成中の圧力鍋と
黒豆作成中の鍋が
仲良く並んでいる。

これぞ年の瀬!
私は煮豚が出来上がりつつある
匂いに囲まれながら、PCに向かう。

なんという幸せ!

私がおせち料理を担うようになったのは
今から24年前の1993年のこと。

夫の海外赴任生活が終わって
家族で帰国したのは
1992年の1月2日。
この年の暮れ、77歳になった姑から、
これからは自分はもうおせちは作らないからと言われた。

姑は料理は上手だったけれど、
それを教えるのは上手ではなかった。
というか、好きではなかったのだと思う。
だから私はその手ほどきを受けていない。
その頃の私のお正月は
ご馳走の後の皿洗いなどが主な仕事だった。

もちろん(と、威張れる話ではないが)、
結婚前には母がおせちをつくっているのを
手伝ったことすらなかった。
あったといえば手綱こんにゃくを作ることくらい。
(これは面白かった。大好きだった)
という料理何もできない娘だった・・・。

そこで早速頼ったのはNHKの「今日の料理」。
作る作らないは別にして、
私はこの「今日の料理」の
テキストブックのファンなのだ。

亡くなった母はよく言っていた。
「お料理は本さえあれば大丈夫よ」と。
私はそれを信じて、結婚してから
よくこの「今日の料理」のテキストを買った。
(もちろん本だけではわからないことはいっぱいあるけれど)

そして私が今も頼っているのは
1993年版「今日の料理12月号」の正月料理特集だ。
毎年、毎年、判で押したようにそのテキストを使う。

毎年12月号はお正月料理特集なので、
およそ3年に1度くらいは買い求めている。
でも、煮物をはじめとしたお気に入りは
結局この1993年12月号になってしまう。

料理中に濡れた手で触るので、
あちこちに沁みが残っているが、
やっぱりこれに限る。

  「今日の料理」1993年12月号

今年も黒豆の準備と、
数の子の塩抜き、
昆布巻き用の身欠きにしんを
米のとぎ汁に付けること、
黒豆だけではなく、
子どもたちのお気に入りの
金時豆を煮ること・・・。

そんなことがたいてい29日の仕事となる。
それと昼間は買い出しに。
ちょっぴり上等の肉や、
これまた少し高めの魚介類を仕入れる。
お正月だからこその奮発!

お豆の様子を見ながら、
こうしてPCに向かう。
これが何ともいい感じ!

明日は昆布巻きを煮始め、
煮物以外の料理の準備をする。

そして31日が煮物日だ。
朝からずっと台所に立ちっぱなしになる。

でもなんだかそれがとても嬉しい。

私が煮物にかかりきりになっているとき、
夫は上野の「うさぎや」まで
お年賀用のどら焼きを買いに行く。

これは長女が家にいた頃には
二人の仕事だったが、
今はまた夫一人の仕事になっている。

そんな年の瀬の3日間が、
たとえどんなに忙しくても
私は大好きだ。

その合間をぬってこうしてブログを書くなんて
かなり幸せ度が高い。

おまけに、今我が家に流れている曲は、
「アイーダ」のハイライト版のCD。
いやがうえにも気分が向上するというわけ。

と、そんないつもの年の瀬を迎えられることを
本当に嬉しく、有り難いなって思う。

煮物が煮あがるのを待つ。
その待つ時間の使い方をいろいろ考える。

今は色とりどりのおせち料理が外注できる時代だ。
でも、と思う。
私はやっぱりそれを作る時間の豊かさが好きだ。
だから出来栄えは全くよくなくても、
その時間を持てることがとてつもなく贅沢に思える。

と、ここまで来て、
なんと昔のおむつ洗いのことを思い出してしまった。
私たちの世代が最後の「おむつ洗い」世代だ。

今の紙おむつ世代のお母さんには
おむつを洗うなんて信じられないかもしれない。
ただの無駄な時間と思われるかも。

でも私には違った。
それは赤ちゃんといつも一緒という生活の中で、
ほとんど唯一の「ひとりになれる」時間だった。
ここで私は私自身に戻ることができた。
母親ではなくて、ただの自分に。
そんなとても貴重な時間だった。

なんてことを思い出したのでした。

「手をかける」とか「待つ」とか、
今となっては死語に近いこれらのことの豊かさを
おせちづくりは私にもたらしてくれる。

ちょっぴり時代遅れかもしれないけれど、
今の私はそれを思いっきり味わおうと思う。

ところで、黒豆のお鍋を開けてみたら、
あらま、お豆が思ったより小さい!

さては、100円ケチったことのつけが回ってきたか!

と現実に戻り、
あと一息鍋当番をすることにいたしましょう。














婦?唱夫?随???-夜の花壇・ナメクジ退治ー

2017-12-08 08:50:33 | 団塊世代夫婦の一コマ
わが家には家の外壁にへばりつくようにして
小さな花壇がある。

ハナミヅキ、ヤマボウシ、ドウダンツツジ、アジサイ、
ハマヒサカキなどの木々の間に、さらに小さな花専用花壇。

冬を迎えるので、11月初めからビオラを植えた。
園芸高校の出店で買ったもの、
明治神宮例大祭で出ていたプロの作品。
高校生の育てたものは可憐な感じ。
プロの育てたものは華やか。

これでやっと、冬でも花の色を愛でることができる!

ルンルンルン ♪♪♪ と、心は弾んだ。

ところが・・・、
ある日、ふと花壇をみると、
なんだかビオラの花びらの数が例年より少ない。
変だなあ???

よーく見てみると
花びらに食べられた跡が・・・、
柔らかい葉も食べられている。

なにっ!どういうこと!!と思って土をみると、
カタツムリが歩いた後のように光る筋が何本もある。

これって、ひょっとして「ナメクジ」???

次の日も、その次の日も、光る筋が土に残り、
花びらの数は少なくなっていくばかり!!

もう、どうしよう・・、と、こういう時は
虫愛ずる姫君の妹に聞くのが一番。

確か、以前彼女は言っていた。

「まったく、花を育てるってことは究極の選択がいるのよね。
花を残すためには、なめくじの命を奪うしかない。
ナメクジの命を長らえようと思ったら、花を諦めるしかない。
でも、結局、花をとり、夜な夜なナメクジ退治をしたの。
ナメクジは夜活動するでしょ。夜の8時頃はその最盛期。
そこを狙って割り箸で取ってやっつけるわけ。
それは今から20年くらい前なんだけど、
私のナメクジ退治をみて、息子たちが
『お母さんは残酷だなあ』っていうわけよ。
まったくねえ、本当に困ったわ」

そうか、究極の選択か・・。
でも、今回私は「ビオラ」をとりたい、という強い決意がある!
ナメクジさんごめんなさい。

ということで、妹から「ナメクジ退治」の薬、
これは一応自然物を使用して作られているらしいが、
それを紹介してもらって、早速ネットからゲットした。

そして夜がきた。
8時。軍手を準備した私を見ていた夫は、
「俺も行くよ」と一言。
二人で懐中電灯を片手に、
もう片方の手には割り箸を持って外に出た。

花壇をみると、
もう、妹の言う通り。
ビオラの根元にナメクジが!
その日は10匹以上退治した。

そして、そのあと「ナメクジ退治」をスプレーした。
「ナメクジ退治」も薬は週一でよいそう。
その間、ナメクジが出なくなったらやめて様子を見ればよいらしい。

そうして3日。
夜8時にナメクジはいなくなった。

やれやれ、これでお花たちはゆっくり花を咲かせることができる。
連日の好天で、土もすこし乾いてきたので、お水をやろうっとと、
次の日はルンルンと水撒きをした。

水を撒いてふと思った。
ナメクジって水が好きじゃなかったかしら?
梅雨時によく出没してたもの・・。

よし、また8時に見に行ってみよう!
と、その夜、見に行ってみたら、居た居た!
数匹が活動中。
水やりで花も元気になったけれど、
ナメクジもその水で元気を回復したみたい。

なんだかしばらくいたちごっこが続きそう。

こんな夜8時の花壇見回り部隊を、
婦?唱夫?随でやっている、団塊世代夫婦なのでした。

それにしても、ナメクジだって、
花や葉っぱを食べなければ生きていけないわけで、
その当たり前のことをしているだけで退治されてしまうなんて
なんと無念なことであろうか・・、
と、少しの罪悪感ももちながら、
ナメクジ退治を続けていくのかなと思った私なのでありました。

えっ、夫ですか?
見るところ、そんな罪悪感論議には乗ってくる風もなく、
「やっぱり、この薬が効くのかもしれないなあ」と、
その薬の成分なんかに興味を持ち出しちゃったのであります。














団塊夫婦の日常―この頃の私たちー

2017-12-03 10:35:49 | 団塊世代夫婦の一コマ
気がつくと師走も3日。
本当に一日、いや一年が経つのが早い・・って
思うようになってから随分経つような・・・。

夫はリタイア―して半主夫??生活5年のキャリア。
なんたって、孫の保育園お迎え、
その後の夕食(これは母親が準備)のテーブルセッティング、
その後の食事の面倒、
これらはみな夫がやっている。

私はまだ足を半分仕事に突っ込んではいるので、
孫の夕食時間に間に合わない時は、
こうして夫が全部やってくれる。

この日の朝食後のこと、夫は新聞を読んでいた。
こういう時しばらくは新聞に集中しているので、
向かい合って私もPCを開いて、ブログを書き始めた。

2,3行書いていたら、
「あのさー」と夫が話しかけてきた。
(いつものことだけれど・・・)

「うん、なーに?」と、つい習慣で答えてしまう私。
(無視すればいいんだけれど、それができないのです)

「今日の日曜版、横尾忠則のインタビューが載っていて
それが面白いんだよ」(夫)
「ふーん」(私)

以下は夫の話しかけの内容。

「あのさー、日本の水墨画には三つの流れがあるんだって」(夫)
「ふーん。それってアレックス・カーの本に書いてあったの?」(私)
(カチャカチャとPCを叩きながら答える)

「その三つって何?」(私)
(質問なんかしなければいいんだけれど、つい聞いてしまう・・)
「楷書、草書、みみずみたいなもの・・らしいよ」(夫)
「ふーん。このところアレックス・カー漬けね」(私)
(会話しないで書きたいのだけれど、これを書きながら、またまたつい聞いてしまう)

夫はここのところ、アレックス・カー漬けになっている。
発端は、年明けの3月に米国の友人Debbieさんが1週間遊びに来てくれることになったからだ。
そのDebbieさんがアレックス・カーの本を読んで日本を予習しているという。
アレックス・カーって誰?というのが教養人ではない私たち二人の頭に浮かんだこと。

予習魔の夫は早速、彼の本を取り寄せた。
日本の家屋の写真集のような本だった。
Debbieさんはなんでこの人を選んだのだろう?わからない??と
夫はさらに彼の本を図書館で借りて読みだした。

そのなかに、この水墨画のことが書いてあったらしい。

さらに続けて
「光琳は何故江戸時代に出てきたのか?
光琳の様式は江戸時代のものではないし、
室町時代の名残を残しているらしいんだよね。
美術とはみんなそういうものらしい」(夫)

「そういうものってどういうもの?」
(もうここまでくると、今日ブログに書こうと思っていた内容を
PCに打ち込むことはできなくなってくる。
ええい、ここまでだ!! PC打ち込み続けている体で
夫の言っていることをPCにメモしようっと・・と、
自分のやりたいことは一時放棄、でも諦めない!
といういつもの私の方策)

「あのさ、さっきの話はね、後の時代に前の時代の花と言える
いいところが結実してくるっていうことらしいんだよ」(夫)
「なるほど}(私)
(早速それをメモする私)

「ところでさー、外国人の中に日本を支持する人と
日本の問題点を指摘する人がいるよね」(夫)
「なるほどね」(私)
「日本人の多くは外国人が日本に対して温かいとOK、
批判したり冷たいと判断したした人を排除するんだよ」(夫)
「まあ、そうかもね」(私)
「物事は多面的なんだけどさー、日本人は心地良い言葉だけを受け入れようとするんだ」(夫)
「私もそうかも」(私)
「日本人は多面性を受け取らない。それは事実に立脚して考えないからなんだよ。
温かい意見も一つの事実に立脚したオピニオンなんだよね。
きつかったり苦言的なオピニオンも
事実に基づいているんだ。
だけど、日本人は自分たちにとって感覚的に心地良くない意見を無視しようとする。
それが日本人の特性とアレックス・カーは1990年代の終わりに書いた本の中で行っているんだ」(夫)

ここから、夫のFactとOpinion(事実と意見)論になってくる。

こうなってくるともうPCに向かうことは放棄しなければならない私。
私だって言いたいことがあるから、片手間では言えないし・・・、
となってしまう。

こうして、しばらくはPCとはお別れ。
しばらくお互いに口角泡を飛ばす事態に。

かくして、私一人の時間はお流れに・・・。
そして多分夫も自分の時間はお流れに・・・。

今日は実は金時豆を煮ながら、
そして夜用のロールキャベツの仕込みをやりながら
PCに向かっていた。

料理をしながら自分の仕事はできるのだけれど、
夫と一緒にいながらの自分の仕事(というか、好きなこと)に
集中は難しいということか。

でも、どうやらこれは私だけではないみたい。
夫は「おっと、洗濯物を干す時間がなくなっちゃうじゃないか。
R子と付き合うのも楽じゃないな」とのたまわって、
ノルマの洗濯物干しに向って行ったのでありました。

よくやってくれるなって感謝しつつ、
時々一人の時間がほしいなんて贅沢を思うこのごろの私なのでした。
きっと夫も同じだなって思いつつ。