徒然なるままに~のんびり、ゆったり、こまやかに

猪突猛進型の60代。そして卵巣がんですっ転んで8年。目指すはのんびり、ゆったり、細やかな生活!無理かなー(#^.^#)

猫と子どもー垣間見た5歳の死生観ー

2016-07-30 08:45:52 | 子どもの情景
土曜日の朝。
「おはよう!ポン・ミャー!!」(ウルトラマン2号)

ポン・ミャーとは我が家の猫のムサシ(12歳)のあだ名。
5歳になった2号がそう言うようになった。
その心は・・・、
「ぽん!」と叩くと「みゃー」と鳴くからだ。

朝ごはんを食べて、のんびり寝そべっていたムサシ、
最近は2号の出現にもビビることなく、
そのままの姿勢で迎える。

猫とウルトラマンたちが
お互いに自分たちの距離をみつけるのに
およそ3か月がかかった。

でも今は、ウルトラマンたちが下から上がってきても
「ああ、来たのか・・・」という余裕がムサシにも出てきた。

その例にもれず、今日ものんびりこんと寝そべったまま。

「ねえ、ブラシしてあげよう」(2号)
「ブラシ取ってらっしゃい」(私)
「はーい」(2号)

ムサシの横に2号と私、二人座ってブラッシングを始めた。
ムサシは「グルグルグル」とのどを鳴らし始める。

「ねえ、おばあちゃん、ムサシ何歳?」(2号)
「12歳よ」(私)
「え、すげえ!」(2号)
(なーんて言葉をジジババの前では使う)
フフフ、親にはその言葉何!!って、叱られちゃうから。

「前に、ジジ(先代の猫。ムサシが我が家に来る1年前に7歳で他界)がいたんでしょ?」(2号)
「そうよ」(私)
「ジジは今、天国?」(2号」
「そうね」(私)
「じゃあ、チンしてお参りしてくる-」(2号)と言って、
仏壇のある部屋に飛んで行った。

チーーーーン。

そして戻ってきた。
手にはジジの写真を持っている。

「ジジは天国にいるんでしょ。
天国で生きているんだよね」(2号)
「そうよ」(私)
「ムサシも行くんだよね。そしたら一緒に遊べるね。
おばあちゃんもね」(2号)
「そうね・・」(私)
「ボクも行くんだよ。そしたらみんなで遊べるね」(2号)
「そうだわねえ」(私)

そうか、2号は、ジジの写真を見て、
ムサシと一緒に遊べたらいいなって思ったんだ。
そこに私もそして自分も入ったら遊べる。

最近、2号は寝る前に
自分が生まれた時の話を毎回聞きたがるという。
母親は「ウルトラマンのスぺシウム光線が
お母さんのおなかに入って、2号が生まれたのよ」と
話しているという。
それを聞いて、安心して眠るらしい。

今5歳。
自分がどこからきて、どこへ行くのか・・。
そんなことをふっと考える時を持ち始めた。

そして天国に行ったら、
ジジもムサシも一緒に遊べること、
祖母も自分もそこに行ったら遊べること、
それを信じている。

今、家の中で、仏壇に律儀にお参りするのがこの2号だ。
こくんと首(こうべ)を垂れたその姿のなかに、
そんな今の2号の死生観の芽生えを感じる。

やっぱり子どもって、
懸命に考えながら生きてる人間だなって思う。

2号が下へ降りて行ったあと・・・
ムサシは


 「ふー、お相手は終了だあ、、なんか眠いなあ・・」


 「おやすみなさーいっと・・」




言葉の魔力ーウルトラマン1号「ふっくらう、きんたまき」でエネルギー充填!

2016-07-28 12:06:17 | 子どもの情景
学校が夏休みに入って1週間が経った。
ウルトラマン1号(小学1年生男児)は
今日も放課後クラブへ。

その朝のこと。
このところは、出かける前の30分も
かなり元気に過ごしていたが
今日は何となくごろごろしている。

月-金で放課後クラブに通っているから
疲れたのかなって思った。

そこで今日の私のセレクション。
坪田譲二 旧版「日本のむかし話[2]」(偕成社文庫 1987)
実はウルトラの母が小さい時に愛読していた。

ちょっぴり黄ばんでいたけれど、
今の1号のテイストには合うかもしれない・・・
と思って、引っ張り出してきた。

「ねえ、これ見てー。TPのお母さんがね、
1年生の時読んでいたのよ」(私)

「えっ!」(ウルトラマン1号ことTP)
といって、すぐ手に取った。

「どれ読む?」(私)
1号はじっと目次とにらめっこ。
そして「『鳥をのんだおじいさん』にする!」と言って、
32ページを開いた。

そのお話はというと・・・

畑仕事しているときに、
美しい声で鳴く鳥を
誤って飲み込んでしまった
働き者のよいおじいさん。
お腹から聴こえてくる鳥の声が
あまりに美しいので、
それを聞いた大名行列のお殿様から
日本一の歌うたいといって
金銀などの宝物をもらうことに。

一方、その話を聞いた
怠け者の悪いおじいさん。
真似して鳥が来るのを待っていた。
そこに「ふっくらう、きんたまき」と、
変な啼き方をする鳥がやってきた。
この鳥だと思ったおじいさん、
無理やりその鳥を飲み込み、
お殿様が大名行列で通るのを待った。
そして殿様の前で
「ふっくらう、きんたまき」と
お腹の中の鳥に歌わせる。
変な声を出す悪いお爺さんに
腹を立てた殿様は
うそつきの日本一だといって
おじいさんを捕まえて袋叩きに。

昔話に典型的な「よいじいさんとわるいじいさん」のお話。

ここで1号が急に元気になったのは、
「ふっくらう、きんたまき」という鳥の声。

「えっ、ふっくらう、きんたまきだって!」(TP)
「そう、ふっくらう、きんたまき!」(私)

「なんでー、あはははは、ふっくらう、きんたまきー」と
大声て言うこと数回。

「あ、もう出かける時間だよ!
今日は送ってくれなくっていいからね。
ここから(2階)一人で行くから!!」(TP)

「え、玄関までは送って行くわよー」と私。
「大丈夫、大丈夫!!」(TP)

といって、あっという間に水筒、リュック、
水泳道具をもって、放課後クラブに
出かけて行ったのでありました。
おまけに鼻歌まで歌いながら・・。

「ふっくらう、きんたまき」という言葉の
なんたる威力!

普通は大声では言わない言葉を大声で言って、
言うたびに元気になったわけで・・・。

瞬時にエネルギーが充填された
ウルトラマン1号を間近にみて、
昔話に込められた禁断の言葉の魔力に
思いをはせたのでありました。

それとも、もしかしたら
坪田譲二さんの言葉の力かもとも・・。

なんだかとっても不思議な、
朝のウルトラマン1号との一コマでした。









「えっ、夏休みってないの?」

2016-07-25 09:32:54 | 子どもの情景
7月25日朝8時。
ウルトラマン1号は今日も放課後クラブ(小学校内にある)に出かける。
今日は途中まで送ってきてほしいというので、一緒に出掛けた。
家を出た時、裏のHさんに出会った。
「いってらっしゃーい」(Hさん)
「いってきまーす」(ウルトラマン1号)
こうして送ってくれる近所の方はありがたいな。

帰ってきたら、
「いやー、さっきさー、裏のHさんから
『あれ、小学校って夏休みってないの?』って聞かれたんだよ」(夫)
「えー、そうだったんだ。それでなんて答えたの?」(私)
「いや、今は学童(正式には放課後クラブ)っていうのがあって
そこが、働いている親の子どもを預かってくれるんですよって答えたよ。」(夫)

Hさんは私たちと同じ団塊の世代。
私たちが子どもの頃には、
もちろん学童も放課後クラブもなかった。

私たちが子育てしているときには、
働いているお母さんたちの大きな努力があって、
学童クラブが少しずつ浸透し始めていた。
しかし、それはまだ少数派だった。
当時小学1年生だった息子の友達が学童に行っていて、
午後から息子がそこに合流して遊んだということはあった。

今は、1年生のクラスの半分の子どもたちが
利用している時代だ(もちろん私たちの居住地域の話だが)。

小学校は夏休み。
しかし、共働きの親を持つウルトラマン1号、2号の夏休みはまだだ。
7時半、「いってきまーす」の声と共に、
ウルトラマン2号が父親と保育園に向かう。

7時半から8時まで、ウルトラマン1号は
2階のジジババの居城で過ごしてから、
学校に行くときと同じ時間の8時に
放課後クラブに向けて出発する。

先週のこと、
それでも「夏休みがない」ってことに
なんだかしっくりしないものを感じていた私は、
ウルトラマンたちが、出来るだけゆっくり出かけて、
少しでも早く帰れるように協力したいって考えた。

そして、一日実行してみた。
その日、保育園にはいつもより1時間早くお迎えに。
そして放課後クラブにも予定より1時間早く迎えに行った。

ウルトラマン2号はお昼寝から目覚めたばかり。
これからおやつが始まるところだった。
「おやつはおうちで食べようね」と言って連れてはきたけれど、
なんだか、2号は2号なりの過ごし方があるみたいで、
私が思っていたような飛び切り嬉しそうな反応ではなかった。

あ、そうか、保育園での暮らしが
もうすっかり、体に入っているんだなって思った。

そして今度は、ウルトラマン1号の待つ放課後クラブへ。
こちらもいつもより1時間早い時間帯。

そーっと、教室を覗くと・・・、
1号はなにやら机の上に道具をだして、
一生懸命それに取り組んでいた。
その一生懸命さが伝わってきて、
すぐに声をかける気にはならなかった。

5分ほどたってから、指導員の方に声をかけた。
「Mくーん、お迎えですよー」(指導員)
その声で、ウルトラマン1号はこちらを見た。
あれっ、もうお迎え??と言う顔。

そしてその道具を片付けてから、
帰りの支度をして私のところへ。
「ねえ、机の上で何していたの?
なんだか一生懸命みたいだったけど?」(私)
1号は二カッと笑って「ひ・み・つ」。

そして一緒に帰途についた。

放課後クラブの前には一日の流れが
張り出されていた。

8:15 登校、朝の会
9:00 学習の時間
9:30~12:00 自由時間
12:00 お弁当、食休み
13:00~16:30 自由時間
16:30 帰りの会
17:00~19:30 おやつ、自由時間

午前中の時間割が加わっただけで、
いつもの放課後クラブと変わらない。
使える場所も、放課後クラブの教室、
体育館、校庭、場合によっては
他の教室すら使えることがある。
どこも活気に満ちていた。

私は帰る道すがら、
こんなことを1号に聞いてしまった。
「退屈しない?」(私)
「うん、全然しないよ」(1号)

そうか、1号もまた、ここでの過ごし方を
自分なりに納得して過ごしているんだなって。

私はどこかに「かわいそう」と思う気持ちがあった。
でも、それは違う!、そう思った。
むしろ、ウルトラマンたちが納得している、
この日常はあまり崩さずに過ごすことの方が大切かもしれない。

共働き世帯は、親も子も日中はそれぞれに
それぞれの時間を生きている。

そして帰宅して、家族の時間となる。
お休みの時もそうだ。

そういう流れの中で生活しているんだって
改めて思った。

専業主婦だった頃、
子どもたちと過ごす夏休みは、
昼ご飯のこと、一日をどう過ごすか、
暑い中の喧嘩とどう付き合うか、
なーんてことで頭がいっぱいで、
早く夏休み終わらないかなーって思っていたっけ。

その子どもたちの夏を引き受けてくれている
指導員の方には頭が下がる。
いくら仕事やアルバイトだとはいってもだ。

私たち夫婦が双方とも高齢者といわれる世代になり、
どう考えても保育園と小学生の
男の子二人の夏休みの日常を
背負えるだけの体力と気力が伴わない以上、
今与えられた状況を、
力以上の無理はせずに過ごしていくことが
大切なのかなって・・・。

そんなことを思った早お迎えの一コマでした。

それにしても、この夏、
子どもたちを引き受けて頑張っている、
お母さんや指導員さんたちにエールを送りたい!


カロウト(屍櫃)の中のお話

2016-07-21 09:08:27 | 父とのこと
先日、父の四十九日を無事終えた。
父は先祖と共に
カロウト(屍櫃)の中に納まった。

そう、カロウト。
要するに墓石の下にあるお骨を収める場所。
カロウトの中はお骨を収めるときでなければ
見ることはできない。

私が実家のカロウトの中を見たのは
12年前の母の納骨の時。

その時、母はその前に亡くなっていた義妹と、
私にとっては二番目のおばあちゃん、つまり
姑と共に並ぶことになった。

その下の段には母にとっては舅・姑、
そして義祖父が並んでいた。

私はその時思った。
「お母さん、その場所で落ち着く?」って。
並んだ二人とは折り合いが悪いってことは
表面上では全然なかったけれど、、
母が本当に隣で並びたい人とは違うのになあ・・・。
この世の仕事を終わったのちも、
嫁いだ「家」の人間関係??に縛られるのか・・・って
ちょっぴり複雑な思いだった。

今回は父が入ることになり、
二番目のおばあちゃんは下段に移動した。
その下段には、おじいちゃんを挟んで、
私の本当のおばあちゃんと二番目のおばあちゃんが並んだ。
おじいちゃんはおばあちゃんとは死別だったとはいえ、
これってどんな感じだろうなんて考えた。

もっとも考えたって無意味だってことは分かっているけれど、
やっぱり考えちゃうのが既婚女性。
それも将来、夫方のお墓に入ることが
当然と思われている立場にいる女性。

そして、そんな女同士のおしゃべりの折によく出るのが、
「ねえ、あなた、本当にご主人の家のお墓に入りたい?」ってな話。

そのあと90%以上の割合で続く言葉は
「入りたいわけないでしょ!」の一言。
「じゃあ、どうするの??」と延々と続く。

こんな話を友人から聞いた。
彼女のお母様は生前、
お子さんたちにこう言われたそうだ。

「私が亡くなったらね、
お父さんの骨壺と10センチは離して頂戴ね。
必ずよ!」と念を押されたそう。

彼女のご両親はその昔、
まだ恋愛結婚ということが珍しかった時代に、
大恋愛で結ばれたという。

そのお母様からのこの一言、
どう解釈したらよいのだろう・・・。

そしてある日、突然お母様は亡くなった。
子どもたちは顔を突き合わせて、
お母様の遺志をどうするかを話し合ったとか。
お父様は絶対に並べてほしいと思われているに違いないのだから。

いくらなんでも10センチは離れすぎではないか・・・、
そんな議論が沸騰、いえ、悲しみの中の話し合い。
そして、ついに出した結論は・・・、
ご両親双方の遺志を尊重して、
その上にお子さん方のご両親への気持を重ねて
「5センチ」離すということで落ち着いたとか。

子どもは親の死後も、こんなことに頭を悩ます。
でも、それは父親のことも母親のことも
子どもたちは大好きだったからこその悩みだ。
親の本当の気持ちを吐露されたゆえの悩みとも思う。

母親は私たちにとっては
その家の「母親」だけれど、
母親たちの立場からすれば
「実家」を出て「婚家」に入ったわけだ。

本当に不思議だけれど、
嫁ぎ先での年月が親と共に過ごした年月を越えても、
やっぱり、「婚家」のお墓に入るのには抵抗が・・。

きっとそれって、
婚家に入ってからの人間関係が
深く深ーく「嫁」の心に刻まれるからかなって。
中にはもちろん実家より
婚家のお墓に入りたいと思えるほど
「幸運」な結婚をされた女性もいるとは思う。
でも、それはあくまでも「幸運」なのだ・・・、と私は思う。

今どきは、田舎にある先祖のお墓問題に
直面している方のお話をいろいろ聞く。
お墓のマンションもあれば、散骨、樹木葬もあるし
なんでもありだけれど・・、

と、つらつら考えた納骨の日でした。

カロウトの住人になった人々は
そんなこと思っちゃいないだろうけれど
カロウトを覗くっていうのは、
今生きている人間に、亡くなった人々の
生前の人間関係を彷彿とさせることなんだなと、
再認識したのでありました。

ところで、
男の人で、自分の家のお墓に入るのに
抵抗のある人っているのだろうか???
と思った四十九日なのでもありました。


「お母さん、夏休みってなあに?」つれづれ

2016-07-11 09:36:57 | 子どもの情景
ウルトラマンたちとの同居が始まって4か月が経った。
気づいたら、夏休みまであとわずか。

そんなある日、1号が母親にこんなことを聞いたという。
「お母さん、夏休みってなあに?」(1号)
「えっ、あー、暑くなったら授業がなくなるってことよ」(ウルトラの母)
「ふーん」(1号)

ウルトラの母は慌てて
私に1号がそんなことを聞いてきたと教えてくれた。

それからしばらくして
「夏休みって、なんか、おうちでゆっくりするの?」(1号)
「そうねえ」(ウルトラの母)
「TP(1号)は放課後クラブでゆっくりすればいいんだよ」(ウルトラの父)
「・・・・」(1号)

そうかー・・・・、
保育園育ちの彼の脳内辞書には
「夏休み」という言葉はなかったんだ。

これを聞いた私、ショーーーック!!
「夏休みって何?」って質問されるなんていうこと、
私の脳内想定質問集にはない質問だった・・・。
保育園育ちの子どもにとっては、
夏休みなんていうカテゴリーはないんだもんな。
こんなことに今頃気づく自分て・・・、と思いつつ・・。

ここでふと、こんなことを思い出した。

専業主婦時代、夏休みは覚悟をもって迎えたことを思い出す。
そして9月1日を迎えた時の解放感は、
今もって忘れることができない。
やっと、やーーっと、自分の時間を持てるなって。

子どもを育てるって、
いつも大人の時間と子どもの時間の
せめぎ合いのようなもの。

誰かが時間と労力を「差し出さなければ」子どもは育たない。
それはもう、私の中で確信に近い。
それは生半可なものではない。

特に、子どものエネルギーが溢れかえる
午前中から午後にかけての昼間の時間帯、
そこを担う大人には「差し出す覚悟」が特に要求される。

歴史を振り返っても、
それがもう畑仕事や狩りなどの重労働が
できなくなったジジババであろうと、
乳母であろうと、
専業主婦の母親であろうと、
保育園などの施設保育の保育者であろうと、
現役を退いたジジババであろうと、
このエネルギーの溢れかえる昼間に
時間と労力を「差し出す」誰かがいたのである。

それが子育て・保育、と言われるものだ。
子どもはその「差し出された」時間と労力を糧に
「人間」になっていく。

しかし、である。
それが有償の仕事である場合は仕事として対価が払われる。
だから、ある意味「仕事」という割り切りと、
「仕事」だからという「プロ意識」で過ごすことができる。

問題は、むしろ「子育て」という多くは無償労働?の場合だ。
すでに仕事人としての人生を終え、
今度は自分の時間を差し出すことが仕事と思えれば
それはそれでよい。

やっぱり9月1日の解放感を心待ちにしているのは
専業主婦かなって思う。

もう、30年くらい前に現役の専業主婦をしていた私でさえ、
「自分の時間」をたとえ30分でも作り出すのに苦労した。
子どもの昼寝の時間!と言いたいが、
その時は疲れて自分も寝てしまう。
夜、子どもたちが寝静まってから
夫が帰ってくるまでのひと時・・・、
と言いたいが・・・
その時も夫に「今帰ったよ」って起こされたっけ・・・。

今、専業主婦を張っている人は、
きっといくら専業を選んだと言っても、
もっともっとストレス高く、
子どもに「差し出し過ぎて」、
そしてそれをしなければ自分の価値はなくなると思って
大変なんだろうなって思う。

専業主婦と働く母親の溝は
私たちの時代以上に深くなっているのを感じる。
と、つらつら考えた。

今、我が家で差し出す「時間と労力」に
悪戦苦闘しているのは「夫」だ。

団塊世代の「夫」。
サラリーマン時代には味わったことのなかった
この「自分の時間」と「子どもの時間」のせめぎ合い。

「こうやって、子どもは育っていくんだなあ・・。」と
呟きながら・・・。

私が帰ってくると「じゃあ後は頼むな」と自室にひっこむ。
「おじいちゃん、どこ?」(1号、2号)
「おじいちゃんのお部屋よ!」(私)
「そうか!呼んでこようっと!!」(2号)
と、走っていく。

「夫」は頭搔き搔き、部屋から出て、
「いやー、まいったな」と
私だけに聞こえる声で呟きながら。

そんな今の我が家の大人と子どもの共通大好き絵本は

  齋藤隆介・滝平二郎「ソメコとオニ」岩崎書店

大人と子どものせめぎ合いが見事に描かれている。
ウルトラマンはソメコに、大人はオニに同体化して
読んでいるのでありました。
皆で「ゲラゲラ」笑いながら・・。
フフフ、その笑いの方向は正反対!