徒然なるままに~のんびり、ゆったり、こまやかに

猪突猛進型の60代。そして卵巣がんですっ転んで8年。目指すはのんびり、ゆったり、細やかな生活!無理かなー(#^.^#)

団塊夫婦、夫倒れる!の巻

2018-09-29 15:40:43 | 団塊世代夫婦の一コマ
おっと、夫倒れる、と申しましても、
夏の疲れからか、発熱したのでございます。

ふと気がつくと、
台所に私一人が立っている。
あれっ、これってなんだか久しぶりかも。

専業主婦で、子育てをしていた頃は、
台所では私が主(ぬし)だった。

仕事に復帰してからも、
団塊世代を生きている私には
家事は夫と半々・・、は当然と頭では思いつつ、
思ってはいても実行はできなかった。
そんなこんなで40年近くを過ごした。

けれど、私がガンという同居人を抱えてから、
それは、私が還暦、夫が63の時だったが、
以来、少しずつ、夫もいよいよ覚悟を決めたのか、
私ができない時は手伝ってくれるようになった。

もっとも本格的に手伝ってくれるようになったのは、
娘が家を離れてからだった。
娘が家にいる間は、たとえ娘が働いていても
なんだかんだといいつつも娘に頼っていた。

私たちとは世代が違う娘は、
夫が「夕食はゆっくりでいいよ。待っているから」
といって、テレビをみたり、新聞を読んだりしながら、
ちびちびやっているのを許せなかったという。
同じ条件じゃないの、なんで手伝わないの!!と。

団塊世代の私は、夫が早く帰ってきたときなど、
慌てて食事の支度をしているときに
「夕食はゆっくりでいいよ、待っているから」なんて言われると、
なんて有り難い、なーんて思っていた。

それはさらに上の世代の
両親のあり様を見ていたからかもしれない。
父は、仕事から帰宅したらすぐに、
食事ができていないと機嫌が悪かった。
世間の狭い私は、そういうものだと思っていたのだ。

娘もいなくなり、65歳で完全定年になって、
更に私がまだ働き続けるという状況の中で
夫は徐々に変わっていった。

ドアツードアで40分のところに住む、
末娘の子どもたちの
保育園のお迎えを手伝うようになった。
週2回のペースだった。

そして2年半前にこの家族と二世帯同居に。
同居当時、年中だった下の孫の保育園のお迎えを
毎日することになった。
私はせいぜい週1くらいのものだった。

5時半には子どもたちの夕食を並べる。
それも気がつくと、
夫が主となってやるようになっていた。

今では、夫なくしては回らない。
夫の大きな楽しみの友人とのゴルフは火曜日。
その日の子ども当番は私。
といっても、上は小3、下は小1となり、
4時に二人で放課後クラブから下校してくる。
もう、お迎えはいらないのだ。
家にいればよいのだ。

だから私たちジジババのどちらかは、
夕方4時には家にいるようにする。
私にとっては、これって専業主婦の時と同じ感覚。
サラリーマンだった夫にとっては、
家族の帰りを待つというのは初めての体験。
家族を支えるって、そんな小さなことが大事かも、
と私は思っているけれど。

こうして、今では私は主婦の部分の多くを
主夫にバトンタッチしている。

台所に夫が立つのも当たり前。
いつの間にか、よく言えば阿吽の呼吸で
家事を二人で切り盛りするようになった。

と言えば、めでたしめでたしと相成りそうだが、
そうは問屋が卸さない。

それぞれの流派の問題である。
主となってやるからには自分の流派でやりたい。

以前書いたが、我が家ではまだ、
洗濯物を干すときの流儀が違う。
だから、今では手伝いたいと思っても、
夫が干しているときは、私は決して手を出さない。
二人でやれば早く終わるに決まっているけれど、
結局、言い合いになってしまうから・・・。
事実、つい最近、申し訳ないなって思って手伝ったら、
案の定、喧嘩もどきになった。
私はスピード派。夫は丁寧派なのだ。

シチューやおでんにいれる具の切り方だって違う。
これも、あーあと思っても口に出さない。

最も、夫は40年近く、あーあと思っても
口を出さなかったんだなあ、偉いなあ、
なんてことにも気づく。

この夏の酷暑。
私はほとんど冷房を利かせた家の中にこもっていた。
朝、空が真っ青に晴れていると、もう耐えられなかった。
そんな夏、夫はお使いなど、外回りをよくやってくれた。
本当に助かった。

そして、急激に秋。
気温の変化についていけなかった夫は
遂に倒れた。
久し振りに彼が病人。

私は自分ができることまでも
夫に頼っていたと、少々反省。

ふと気がついたら、
昔のように、台所に立っていた。
岩手の友人から送られた、
松茸で、松茸ご飯を作ったり、
煮物やサンマの塩焼きに精出した。

台所には私一人。
忙しいけれど自由気ままにやっている自分に気付いた。

夫には申し訳ないけれど、
この自由感は捨てがたい。

あんなに一生懸命、何とか家事を助けようと
やってくれているのに、
鬼嫁の私は、そんな「オニの居ぬ間の洗濯」を
楽しんでいるのでありました。

たった二人でも協働するって複雑って思う
今日この頃の私なのでした。










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