徒然なるままに~のんびり、ゆったり、こまやかに

猪突猛進型の60代。そして卵巣がんですっ転んで8年。目指すはのんびり、ゆったり、細やかな生活!無理かなー(#^.^#)

最後の卒論発表会ー学生ってすごい!-

2019-01-27 12:27:10 | 保育・子育て
最後の卒論発表会。

私も今年の卒業生と共に
教師稼業を卒業する。

今年の卒論の追い込みに付き合って、
脱帽したことがある。

それは卒論発表会用の
パワポ作成とプレゼンに関することだ。

このところ毎年、
発表会プレゼンの前に
二回リハーサルをすることが
恒例になっている。

発表時間は7分。
まずはともかく作ってくる。
そして、4年生のゼミのみんなの前でのプレゼン。

大抵最初はボロボロ。
7分で収まることなんてほとんどない。
それに、パワポには字がいっぱい。
さらに加えて何を言いたいかよくわからない・・・
なんていうのが標準パターン。

私はうーんと唸り、学生はシューンとなる。
なんせ持ち時間は7分。
全部を言おうとしたって無理。
だからそのなかの一番伝えたいことに
しぼってみたら? なんて言ってみる。

背景は可愛いけど、少しうるさすぎない??
とも言ったり・・・。

まあ、私としては言いたい放題。

他の学生たちも感想を言い合う。
私よりずっと演者に寄り添って、
やさしい・・・。

そんなことを人数分繰り返す。
そして、ゼミが終わる。

私はちょっと頭を抱える。
大丈夫かなって。

でもそこで気を取り直す。
毎年の例だと、次の3年のゼミ生にする
プレゼンでは大方を修正してくるからだ。

ゼミが終わっても学生たちは
何やら集まって、ああでもない、
こうでもないと話している。

それから数日後、
2回目のプレゼン。
3年生は4年生の発表内容を全く知らない。
はじめての人たちへのプレゼンということで
4年生も緊張気味。

3年生の素朴な質問に、
4年生にとっては自明のことだったりすると
かえって質問にうまく答えられない。

自分だけわかっていてもだめだって
ここで気づかされる。

そういうことはあっても、
パワポの内容自体は、
初回に比べると格段にわかりやすくなっている。

この修正力ってすごいなと
毎年思うけれど、今年もその例に漏れない。
時間もかなり短縮され、
7分前後に収まってくる。

そして3年生が帰った後、
また4年生は自分たちであーでもない、
こーでもない・・・というより、
ここはこうしたほうがいいんじゃない
というような具体的なアドバイスを
言い合っているのが聞こえてくる。

さらに本番の前に、再修正したものを
もう一度見てほしいといってくる学生もいたりする。
それを見て、またびっくり。
新しいアイデアが入っていたりするのだ。

いよいよ迎えた発表会当日。
私たちのゼミはトップバッターグループ。

トップバターなんてもう緊張するう!・・・
なんて言っていた学生の堂々としていること。

ゆっくり。大きな声だから聴きやすい。
みるとパワポはさらに進化している。
無駄は全くと言ってない。

えっ、なんでここまで進化できるの?
毎年そう思うのだけれど、
今年はその出来上がりの完成度が高かった。

私はほんのちょっと思ったことを言うだけ。
あとは、学生同士で意見を言い合い、
お互いの良い部分を貰ったりする。
その話し合いがかなりやられていたのだ。

そして、いいものにしたいという思いが、
修正するたびに高まってくるようだった。

だからプレゼン後の
彼女たちの清々しさと言ったらなかった。

そして気がついた。
それより1週間前に行った私自身の
最終講義のパワポのしょぼいことに!!

私は練習が足りなかったのだ。
それに学生のようにパワポ技術の習得に
熱心でなかった・・・。

こうして、学生は教師を越えていくんだなあ・・と
嬉しいやら、自分不甲斐なさに引退時だと悟った、
私にとっては心に残る卒論発表会だったのでした。






保育者稼業を続けるって難しい・・

2018-04-12 22:36:55 | 保育・子育て
この春休み、
卒業生が訪ねてきてくれた。
AさんとBさん。

彼女たち二人は
「石の上にも3年」の言葉を守って
幼稚園・保育所で働いた。

そして、この春、職場を離れた。

二人の共通点、
それは就職の時、
自分の思い描く理想に近い就職先を
とことん探したということだ。

Aさんは、退職する人が少ないので、
空きがあるかどうかわからないという園の
求人が出るまで、じっと待った。
しかし4年生の卒業が迫る年明けになっても
求人は出なかった。

もう待てないかな、
そうしたら1年待とう。
そう覚悟を決めた時、
幸いなことに求人が出て職を得た。

一方、Bさんは自分の理想とするような園を
これまた真剣に探した。
その結果、探し出した園の方針に惚れ込んで
就職を決めた。

そして働いた。
そして辞めた。

あんなに探して、気に入って、
頑張ろうって思って入った園なのに・・・、
と思いながら、
彼女たちの話を聞いていくと
ともかく彼女たちは真面目だったのだ。

Bさんの場合も
手取り16万程度のお給料で、
残業代は出なかったという。
これは残念ながら
いまのところのこの業界のスタンダード。

朝8時には出勤して、
夜8時位まで保育の準備やらを行う。

子どもたちは2時過ぎに帰っても、
保育の、ある理想を目指すその園には、
保育者のやるべき仕事はいっぱいある。

信じられないかもしれないけれど、
そういう中を生きてきた。

これはまだ自分が独り身で仕事をしているとき、
自分が保育の理想に向かって
伸びたい一心の時は、
そんなに気にならなかったという。

しかし、ある時気づいた。
「プライベート」がない!と・・。

人間関係もいいし、
園長先生も尊敬できるし、
保育者として成長できることも事実。
そんな園はめったにないこともこれまた事実。

考え抜いた末、退職を決断。

園長先生は彼女に期待していただけに
ショックだったのだろう、
彼女曰く「辞めると言ったあと、
なんとなく園長先生に
いじめられたように感じた」とのこと。

それを支えてくれたのが同僚やら
先輩だったという。
これがあって、この3月まで、
彼女は仕事を全うできた。

本当に難しい。
目指すものがあるから、
保育の内容は充実していて、
子どもたちもよく遊ぶ。

けれどその保育を行うには
彼女のように献身的に働く保育者が
何人も必要なのだ。

一生懸命であればあるほど
Burn out、つまり燃え尽きてしまう危険も大きくなる。

保育の質が担保されている園には
そんな危険が隣り合わせという現実がある。

彼女たちはよく頑張ったと思う。
料理人の「包丁一本をさらしに巻いて」ではないけれど、
この3年間で培って磨いた保育の知恵や技術を
生かせるを次のチャンスを掴めるといいなって
心から思う。

彼女たちのような保育者と出会った子どもたちは
豊かな幼児期を保障されること請け合いなのだから。













18歳の声を聞くまでー男の子の母はじっと我慢の巻ー

2017-11-04 11:01:34 | 保育・子育て
「TPはおばあちゃんの愛されている孫だよね」(TP 小学年生男児)
階下の家にもどる階段の途中で、
見送った私に抱きついてこう言った。

私も思わずぎゅっと抱きしめ返して
「そうよ!おばあちゃんが愛している孫!」(私)

「じゃあ、おやすみー!」(TP)
そう言ってそこから階段を駆け下りていった。

TP、8歳、小学2年生男児、
の割には言葉が達者。
「愛している」なんていう、
日本語らしくない日本語も使ってみたり。

でも、まだ嬉しい時はそのまま嬉しさがあふれ出るし、
悲しい時は、ぐっと言葉を飲み込んでだまっている。
そのまんまを生きている2年生。

ところが、男の子って、
このまま大きくなるわけじゃない、
ということを思い知らされたのが、
長男を育てているとき。

私は妹との二人姉妹。
家は私が小学3年生の時から家族4人の核家族。
だから、男は父親だけ。
男兄弟がどんなものかは想像もつかなかった。

その私が女二人、男一人の子どもを授かって、
男の子の子育てをすることになった。

そしてぶつかった壁が
中学、高校という思春期の壁。
本人もぶつかっていたかもしれないけれど、
母親の私がぶつかった壁でもあった。

その詳細はのちに譲ることにして、
このとき私を救ってくれたのは二人の友人。
「大丈夫、18の声を聞いたら、
きっと戻ってくるから。
それまでは、じっと待っていればいいのよ」
こう言って話を聞いてくれたのは
私がいつも頼っている10歳年上の先輩。

そうなんだ、待っていればいいのか、
でも、待てるだろうか・・。

なんて考えていた時に、
「大丈夫よ。18まで待ちなさい。
きっと戻ってくるから。
信じて大丈夫よ。」

こう言ってくれたのは、
10歳上のマケドニア人の友人。
彼女は一男一女の母。
「いろいろあったわよ。
でも絶対に戻ってくるから、
それまで待っているのよ」

そうか、やっぱり待つのか・・。

そして私は「18歳まで、18歳まで」と
お念仏のように唱えて、
それまでの日々をなんとか越えていったように思う。

そして18歳になった息子。
あの疾風怒濤の日々は
気がつくと、いつの間にか終わっていたのだった。

もちろん、それでめでたしめでたしなどではなく、
生きている以上、いろんなことが次々に起こる。

でも、あの日々は確かに終わるのだ・・・。

そんなことを思っていた時、
若い友人からこんな便りが届いた。

「中学生の息子が、全くもう!と思うほどの
罵詈雑言をいってくるんです。
でも、そこには反応せずに、
淡々と、料理を作って待とうと思って。
今日もせっせとハンバーグを煮込んでいます」
とのこと。

そうそう、それでいいんだなって、
ハンバーグを煮込むということの中に
母親の想いも一緒に煮込んで、待つしかないし。

なんて思っていたら、
彼女からこんな知らせが入った。

「私が作ったハンバーグですが、
帰宅後『ねみー(眠い)。寝る。しゃべりたくねー』の三言で
食べてもらえませんでしたー(チーン)。
私も沸点が40度くらいなので、なんとかしなくてはー あはは。
オットは気持ちがわかるらしく
『期待するな』と言われる日々...。」

分かるなーて思いつつ、
ご主人の「期待するな」の一言、
救われるなって思った。

わが家もやっぱり夫が、
自分のその時代の親との関係を思い出すのか、
私よりも理解があったように思ったことを
思い出した。

ところで、このときの若い友人は
「R 子さんの息子さんが今年の誕生日に
『今になって、おかあの苦労が分かるよ』と
言ったということを聞いて、
その言葉に勇気をもらったという。

女親にとって、男の子って、
女の子を育てるのとは全く違う難しさ、
というか、理解不能の難しさがある。

特に疾風怒濤時代には
母親の心は折れそうになる。

それを支えるのは、
時に、息子と同姓である夫だったり、
ちょっと前を歩く同姓の友人だったりするんだな
と、改めて思った。

この時期を、母親も自分らしく過ごせるように、
エールをいっぱい送りたいと思った
若い友人からの便りでした。



それでも人生は続いていく-ワクワクシャボン玉の陰に保育者ありー

2016-06-26 18:14:35 | 保育・子育て
ふと気づいたら6月の末。
本当に怒涛の6月だった。

92歳の父の大往生。
続く敬愛する友人の死。

でも人生は続いていく。

先週のある日。
仕事で名古屋の先にある町の幼稚園を訪ねた。

梅雨そのもののような日。
朝方は激しい雨。
そして10時くらいからは今度は日が差してきた。
蒸し蒸し、蒸し暑い。

ところが、子どもはそんなことへっちゃら。
田んぼの真ん中に立つ、その園の広々とした園庭では
彼らの声が溢れていた。

園庭には大きな盥が3つ。
もう泡ブクブク。

年長組の子どもたちがそこに集まっている。
大きなシャボン玉を作ろうっていうことらしい。

用意されていたのは、
直径60センチ以上はあるかと思われる縄と
それに取りつけられた4本の棒。

つまり、二人の子どもが各々の手に棒を持ち、
丸くした縄を盥の中のシャボン水につける。

丸い縄にはシャボン玉の幕が。
きらきら七色に輝いている。
それを二人で力を合わせて、それっと宙に放つ。

あ、大きなシャボン玉が風に吹かれて流されていく。
それを子どもたちがあーっと言いながら目で追う。
木の枝でパチン。
シャボン玉は壊れた。

また二人は力を合わせてせーの!ってシャボン玉を放つ。
今度はまるで吹き流しのような形の大型シャボン玉。
ゆらゆら揺れながらゆっくり流れていく。

二人は顔を見合わせてニコッ。
動きを合わせて、
黙々と何回も何回もそれを繰り返す。

いつの間にか周りには
年中(4歳児)、年少(3歳児)の子どもたちの人垣が。
小さい子たちは、ぎゅっと手を繋いで、
大きなシャボン玉を目で追う。
パチーンととはじけると、
あーっ・・・・という声があがる。

こうした遊びは小一時間続いただろうか。

担任は男性保育者。
30歳、経験8年目。
彼は訥々とこんなことを話してくれた。

「ここのところ、子どもたちはシャボン玉遊びしてたんです。
シャボン玉は、普通は一人遊びが多いけれど・・・、
なんとか息や力を合わせて
やれるものにならないかって
ずっと考えてたんです。

この子たちに、一人じゃなくて、
友だちと息を合わせる経験してほしかった。

初めはストロー、ペットボトルを半分に切ったもの、
そんなものを使っていろいろやっていたんです。
でももうちょっと大掛かりにした方が、
子どもたち同士で何かできるかも・・・、
そんなことを考えました。

シャボン水の粘度も試行錯誤を重ねたんです。
ガムシロップいいかもしれないって聞いて
子どもたちとやったけれどダメ。
色んな洗剤を入れたりして・・・。

それで主任の先生とも相談して、
ああでもない、こうでもないってやって、
やっといまのシャボン水が完成。
それで今日を迎えたわけです。

そしたら、はじめセーノって声をかけられる
いつもの元気な子たちが食いついてきた。

でも、ふっとみると
いつもは言葉数が少ない子同士が
二人で棒をもって、
声を出さずに息を合わせてたんです。
それって、凄いなって思いました。
この縄と棒を組み合わせたシャボン玉製造機、
思っていたより、すぐれものでした。
子どもたちも何回も何回も力合わせていて。

そして面白かったのが片付け。
いつもはもう少しちんたら時間がかかるのに、
今日は大きな盥を、使った子どもたちが
うんとこ、うんとこ言いながら、
力合わせて、足洗い場にまで運んでいった。
それって凄いなって。
力合わせるのはシャボン玉だけじゃないんだなって。
だからちょっぴり嬉しかったんです」

久し振りに、こんな保育の現場に行きあった。

こんな現場っていうのは・・・、
子どもたちの思いに保育者の願いを重ねて
それに向けて教材研究の試行錯誤を重ねる場だ。

年長の今、子どもたちに少しでも一緒に息を合わせて
一つことを成し遂げるという体験をしてほしい、
そんな思いを持ちながら、
ずーっと教材の試行錯誤を続けていた彼。

子どもたちが食いつくような面白さを持ち、
そこで友だちと息を合わせると、
ワクワクするほど大きなシャボン玉が作れる!

子どものことを外側から見ていると、
ああ、子どもだ、遊んでいるなとしか見えないことも多い。

でも、子どもたちが幼稚園などで楽しく遊べる陰には
保育者の思いと努力があるって改めて思った日。

子どもが楽しいって思えたり、
またやりたいって思えたり、
そんな子どもの生き生きしさを育む保育。

そんな保育の陰には
一緒に生活する保育者のこんな努力がある。

たかが、遊び、されど遊び。
子どもの遊びの世界は深い。
子どもたちの人生の初めは、
それによって育まれていく。

そこに大人の思いを織りなしながら、
子どもと生活していくのが保育の世界。
こんな目に見えない大きな努力をしている保育者たち。
結果はすぐには見えない仕事だけれど、
毎日、子どもたちが楽しいって思えるように
今日も裏方努力を続けていることだろう。

「ああ、楽しかった」の積み重ねが
この子どもたちのこれから先の人生の
エネルギー源になることは間違いないのだから。

と、再確認した保育の旅でした。







保育園決まったー!-ホッと一息、でもね・・・-

2016-02-13 15:23:46 | 保育・子育て
この3月半ばから二世帯住宅になる。
4月から孫のTPは小学生、KJは保育園の4歳児クラス。

問題はKJの保育園転園。
区が変わるので果たして入園できるかどうか?

この3か月間、ずっと祈るような気持だった。
申し込みの時、ともかく少しでも
入園のための点数が上がるようにと
私たち祖父母が手伝えないことを証明しようと躍起になった。
でも、何のことはない、65歳以上は高齢者ということで
孫の面倒をみられる員数には入らないことが判明した。
嬉しいような悲しいような気持ちになったことは
以前のブログに書いた通り。

そして、2月10日はその発表の日だった。
「最終希望の園に決定」と娘から連絡が入った。

つまり近くの園はことごとくダメだったということ。
最寄りの私鉄駅から二駅目にある新設園に決まった。

この園、廃校になった小学校の跡地に作られる。
複合施設ということで保育園、区民集会施設、
障がい児の通所施設が開所される予定。

その中の保育園部分を民間の保育業者(?)、
つまり社会福祉法人ではない民間会社が受託した。
KJはそこに通うことになった。

「保育園に運良く入れても、
この新設園しか可能性がなさそう」と、
娘は前々から言っていた。
それすらダメなことがあるかもしれないとも。

それを聞いていた私たち夫婦は、
もし入園できなかった場合のことを考えた。

どうしてもだめな場合は幼稚園しかない。
近くの幼稚園を探した。
第一候補は夫が60年以上前に卒園した教会幼稚園。
HPを読むとアットホームでゆったりしている。
「ここがいいかもね」と私たち。
さらに調べると、預かり保育を午後4時までやっている。
これなら私たちで都合をつけ合えば何とかなるか・・・。

でも、大きな関門があった。
それは、夏休み。
幼稚園の夏休みは長い。

「あれっ、幼稚園て、夏休みあったんだっけ」とのたまう夫。
「子どもたちの幼稚園の時夏休みあったでしょ!!」
「それが、記憶にないんだなあ・・。」(私)
もう頭から湯気!!
「俺、何もしていなかったからなあ・・・」(夫)
「まあ、そうねえ・・」(私)


閑話休題

それと、保護者である母親が
駆り出される行事が多いということ。
遠足一つとってもそうだ。
保育園は先生と子どもたちで行く。
でも幼稚園は多くの場合親子遠足。

こういう保育園と幼稚園文化の違いをどう乗り越えるか・・。
と思いつつ、この園の門をいざとなったら叩いてみようと
私たち夫婦は心に決めた。

その日、勤めから帰った娘と長電話をした。
娘はこう言った。
「まずは、これでやってみようと思うの。
KJは電車フリークだし、
行きは私か夫のどちらかが送っていかれるわ。
駅から1分のところだしね。
帰りはお迎えをお願いすることになると思うけど大丈夫?」(娘)

「それは大丈夫よ。ダメな時はダメだってあらかじめいうから}(私)

「でも、できたら近くの園に変わりたいから、引っ越して来たら、
近くの園に転園希望であることは役所に伝えたいと思っているの」(娘)

「なるほどね。幼稚園は考えない?」(私)

「うん。それはね無理だと思うの。
まず、母親の出番が多いし、それはできないし。
それに多分働いている人と、専業の人では
どうしても文化が違うと思うし、よくそう聞くのよ。
それが私のストレスにもなりそうな気がするから、
無理しないことにする。
つまり保育園でいくっていうことよ。
もしKJが通園がどうしても大変そうだったら
またその時に考える。
だから、今はまずやってみるわ」(娘)

と、言うことだった。

「それがいいわね」(私)

そう、それがいいのだと思う。
当たり前のことだけれど、
親がまずしっかり自分たちで考えるって基本だものなって。

ついつい暇があるジジババは何とか手伝いたいなんて
思っちゃうけれど、ここは引っこみどころ。
ぐっと我慢して引っこむって、大事だなって思う。

私たちはどうしても助けてって言われた時に
助けられれば助けるっていうスタンスで行こう。
これは今まで通り。

ワイワイガヤガヤ、
ああ大変だ、でもああ楽しいって言えるように
生活したいなって思うこの頃なのでした。