これは孫のTPが保育園で母親に宛てて書いた手紙。
この日、母親がお迎えに行くと、
TPはこの手紙を握りしめて母親を待っていた。
祖母の私なりの解読をすると・・
カッコ内が解読内容。
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おかあさんへ
けさはおつかれさまでした
(母親はTPより早く会社に出かけるからかな
それを慮っていっているのかな)
しごとしてる
(今会社で仕事してる?)
あと元気にしている
(今、お母さん会社で元気にしている?)
TPくんもげんきにしているよ
(僕も保育園で元気にしているよ)
たのしかたっね
(この内容は祖母には解読不可能。きっと母親ならわかるのだろう)
きょうおかあさんが6じだよね
(今日のお迎えは6時で、お母さんが来てくれるんだよね)
おげんきにまってます
(ぼく、げんきでまってるよ)
しごとがおわるまでまってます
(お母さんの仕事が終わるまでちゃんと待っているよ)
2015年
(これは何年何組という意味の「年」。
(TPはまだ小学校に上がっていない。
だから「年」の意味を今年、つまり2015年のことだと思って2015と書いたんだな)
TPより
(ここはフルネームで書かれていた)
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それを読んだ母親は
目が真っ赤になったという。
「お母さん、泣いているの?」(TP)
「ううん、悲しくて泣いているんじゃないの。
とっても嬉しいときって、
嬉し涙が出るでしょう?(母親)
けれど、嬉し涙という言葉は知っていても、
そしてそれを文章に使うことはできても、
目の前で母親が涙を見せたら
狼狽するのもまた
この年齢の子どもの偽りない姿。
母親はこの手紙はクラス全体の課題として書いたのか、
と保育者に尋ねた。
遅番の保育者はクラスの担任ではないので、
どちらだかわからなかった。
しかし、TPのクラスメイトのA君が
「書いたのはTPくんだけだよ」と教えてくれたという。
TPは0歳児の時からこの保育園に通っている。
それから5年が経った。
今では保育園に行くことを嫌がることもなく、
毎日通っている。
「文字」を書くという表現方法を手に入れ、
それを「ものがたる」力を得た今、
TPが自分から書きたいと思ったのは母親への手紙。
その手紙は、働いている母親への心遣いと、
母親が仕事が終わるまでちゃんと待っている、
それも元気に待っているよというメッセージ。
ふと思った。
保育園の子どもたちって
本当に頑張っているんだなって。
いろんな思いを心に秘めながら、
子どもたちは日を送っているのだ。
母親が家にいることが当たり前だった私自身は
母親は空気のような存在だった。
空気のことは意識することはない。
でも保育園の子どもたちにとっては
母親は空気ではないのだ。
空気よりもっと「濃い」存在なのだ。
幼い子どもたちは、時にこのように
大人以上のこまやかな心もちの世界に生きていることを
垣間見させてくれる。
それに出会った母親。
毎日忙しく仕事や家事をこなしながら、
それでも子どもを保育園に預けていることに
どこかに「これでいいのか」という思いがある。
それが時には罪悪感にさえなる。
まだまだ、今の日本の母親はそんな状況に置かれているのだと思う。
母親の流した涙、
そこには数えきれない思いが詰まっている・・・。