徒然なるままに~のんびり、ゆったり、こまやかに

猪突猛進型の60代。そして卵巣がんですっ転んで8年。目指すはのんびり、ゆったり、細やかな生活!無理かなー(#^.^#)

熊谷守一、横山大観、高山辰雄展を巡るー私の自分探し??-

2018-05-13 17:56:52 | 美術展から
この春、いわゆる大家といわれる
熊谷守一、横山大観、高山辰雄の
展覧会に行った。

これは、もちろん私の選択ではない。
夫が是非行こう!と言ったもので、
私はそれならお相伴にあずかろうと、
軽い気持ちでついていった。

そして分かったこと、
それはどれも「軽い気持ち」は
許されなかったといういうもの。

この3人の展覧会を見終わった今頃になって、
うーむ、この体験は何だったのだろうとつくづく思う。


 熊谷守一展(国立近代美術館)チラシより




 横山大観展 (国立近代美術館)チラシより


 高山辰雄展(世田谷美術館)チラシより

いずれも作品数が多く、
画家の足跡が見通せる展示になっていた。

はじめの印象を言うと、

熊谷守一については
はじめの写実的な絵から、
その生涯の後半には前掲のちらしにもある
「猫」などの平面と線から構成される
抽象画へと変化していく。

その間には息子の亡骸を描いた
「陽の死んだ日」がある。
これなど私は正視できなかった・・。

画家の一生の中で、こんなにも
画風が変化していくのかと驚いた。

けれど、驚いたにとどまっていた。

横山大観展の印象。
これまたいろいろな描き方を編み出した
画家であることに改めて驚いた。

大観と言えば「富士山」といった
ステレオタイプの知識しかなかった私。
今年のお正月の「博物館に初もうで」で出会った
「無垢」

あまり大観の作品を知らない私は
「え、これが大観!」と驚嘆した。

今回、夫がどうしても観たいといっていた「夜桜」。
私の好みではないなと思いつつ、
なんとなく絵の前を去りがたくなるのは
なんだろう・・。

不思議な感じだった。
おまけにその右隣に展示されていた「紅葉」
ここに使われている「赤」は
私の好きな「赤」ではなかったから、
これまたしっくりこない。
なのに、「夜桜」と同じようにその場を去りがたい。

今までの私だったら、
あ、これあまり私好きじゃない!ということだけで
その場を去っていただろう。
けれど今回は去れない私がそこにいた。

高山辰雄。
静謐。
具体的なものは描かれているが、
とても抽象的。
95歳で亡くなる1年前に描かれた
初めての自画像は、
まわりの空気と高山翁自身との
境目がないものだった。

一体この人は何を求めているのだろう。
特に女の人の顔の描き方が印象的。
画家としての初期に描いた顔は、
彼のその終盤までほとんど変わらない。

つまり、顔は描いていないってこと?
顔に個性を出す必要がないってこと?

色んな疑問が次から次へと浮かんできた。
彼の絵もまた私の「好きな」タイプの絵ではない。
なのに、何かが私を引っ張る。

好きではないのに去れなかったり、
引っ張られたり・・・。
それは一体何なんだろう・・・、と考え、
ふと気づいたことは
「私がこうして絵を観るのは、
自分ってどういう人間なのってことを
探している」らしいということだ。

それからもう一つ。
ちょっと気恥しいけれど、
この宇宙はいったいどうなっているんだ
ということを知りたいってこと。

そんなことが鮮明になった美術展巡り。
特に高山辰雄展でその思いを強くした。

感覚人間で、あまり「考える」ということのなかった私。
どこかで考える人でもあるらしいと気づいたこの春。

ちょっぴり楽しみが増えた。

と思っていたら、昨日のN新聞の夕刊に
「モリのいる場所」という映画の紹介が。
熊谷守一の晩年の生活を
山崎努が守一役、奥さんを樹木希林が
演じるということだ。

「モリのいる場所」
http://mori-movie.com/

ああ、これはしばらく
この3人のことからの諸々を考えろっていう
啓示かなって思った美術館巡りでした。













ゴールデンウィークは育ジイ・育バア解放ウィーク!!

2018-05-07 11:04:52 | 団塊世代夫婦の一コマ
今年のゴールデンウィークも過ぎ去った。
階下のウルトラマン一家も
今日からは会社と学校に戻った。

この連休、わが家の場合は前半と後半に分かれていた。
けれど、ウルトラの父が10連休だったこともあって、
子どもたちはこの10日間、
私たちの住み家である2階にはほとんど上がってこなかった。
ウルトラの父母の心遣い、ありがたい!!って思いつつ、
ちょっぴりさみしい私たち団塊夫婦・・・。
久し振りに二人っきりを心置きなく味わった。

そして後半。
5日は子どもの日だったけれど・・、
あと数日で夫の71歳の誕生日!
ということで、娘たちの二家族が
夫の誕生日会を企画してくれた。

いつもは長女夫婦がこちらに遊びに来るときは、
ウルトラマンたちと遊ぶ以外は
ほとんどが2階の我が庵で過ごすことが多い。

必然的に、3家族のそろっての食事の用意と言えば、
母親稼業の私の役割となる。
役割っていうより自然とそうなってしまう。
それがずーっと当たり前だったから・・・。

ところが今回は娘たちが私に手を出すなって言う。
老夫婦は参加するだけでいいのだそうだ。

「えっ、でもー、何か手伝うことあるでしょ?」と私。
「ないってばー。何回言ったらわかるの??」(娘たち)
「そうお・・、でもなんかあるでしょ」と食い下がる私。
「もう、ないんだったら、ないんだから!!」とほぼ喧嘩腰(笑)。


そうかあ、ないのかあ。
ではまあ、のんびりしていましょって思ったけれど、
用意をしている様子が伝わってくると、
なんだか申し訳なくて、ソワソワ・・・。
でも、我慢、我慢!!

そこで、私は外に出た。
わが家には庭というほどの庭はない。

家に張り付くようにして、
今年1輪しか咲かなかったハナミズキ、
そろそろ十字の花を咲かせそうなヤマボウシ、
なんと、花芽が一つしかないアジサイ、
可憐な白い花を咲かせてくれたドウダンツツジ、
それにナメクジにも負けず、
咲き残ったパンジーとビオラ。

そろそろ夏の花の準備をしなくちゃ、と、
普段は掘っぽりっぱなしの花壇に手を入れた。

2時間たっぷりの外遊びと相成った。

時は流れ、夕方5時半。
ウルトラ家から「ごはんですよー」の声。

夫といそいそと階下に降りる。
そこには子どもたちと孫たちの心づくしが並んでいた。
手巻き寿司と握りの用意!
フライやサラダ!!
寿司の具材はデパ地下の閉店間際に
ウルトラの父が手に入れた
質のいいお刺身。
あっぱれ!!

ウルトラマンたちは握り用の型を使って
色とりどりの握りを並べ、

ウルトラの母はサラダやフライ、
焼き鳥をウルトラの伯母と作り、

ウルトラの伯父はシャンパンと
美味しい日本酒をゲットしてきてくれた。

私たちは体を運んだだけ。
こういう状況は自分が娘だったとき以来だった
ということを思い出した。

娘が終わった日から長男の嫁となり、
その後、子どもたちの母となって、
ずっとなんだかいつも
こういう用意をしてきていた。

それが、招待される側にまわるなんて、
実はそんな日が来ることは考えになかった。

なんたって、どら娘だった私は、
実家に帰ると嫁役割も母親役割もかなぐり捨てた。
そしてただの娘に戻った。
だから母は亡くなる年の最後のおせちまで
作ってくれていた・・・。

そんなことを思い出しながらいると、
なんだか、眠気が襲ってきて、
皆がワイワイガヤガヤやっているのに
口数少なく、ニコニコしつつ、
眠気に身を任せるという結果になったのでした。

当たり前と言えば当たり前だけれど、
子どもたちは大きくなったんだと思った。
もう、役割を降りることが
子どもたちがまた一歩大人になることを
助けるのかなって。

いつもウルトラマンたちが時々口にする
「おばあちゃん、67歳って、すごく生きてきたんだね」
という言葉をかみしめつつ、
世代交代ってこういうことなのねと
妙に納得したのでした。

夫ですか?
夫はいつものように楽しく
ワイワイガヤガヤに加えてもらってました。

人生、いろんな時が来るものですね。