徒然なるままに~のんびり、ゆったり、こまやかに

猪突猛進型の60代。そして卵巣がんですっ転んで8年。目指すはのんびり、ゆったり、細やかな生活!無理かなー(#^.^#)

暑い春の一日ー明治神宮御苑から根津美術館庭園へー

2018-04-25 09:55:47 | 美術展から
今年の春は夏の暑さ。
暑い春という言葉がぴったり。

桜があっという間に咲いたと思ったら
次々に花々が芽吹いた。
ツツジもその例に漏れない。
根津美術館の燕子花も開花したと聞いた。

今しかない!
そう思って、思い切って
明治神宮御苑と
根津美術館のはしごを決め込んだ。

御苑の春から初夏はツツジと菖蒲。
きっとツツジが満開に違いない。

入口のところで、受付の人に聞くと
「あー残念でしたね。今年はもう終わりですよ」
とのこと・・・。

ま、まさか。
と半信半疑で道を急いだ。
受付の人は正しかった。
もうほとんど終わりかけていたのだった。
でも、悔し紛れに、
まだ頑張って咲いている花に
シャッターを切った。

 辛うじて咲き残っていたツツジ

街ではまだ盛りだというのに・・・。
夫曰く「ここは日当たりがいいからなあ」。
それでこの高気温で一気に咲いて、
咲き終わってしまったのだろう。

でもその代わり、その新緑は美しく、
いつも思うことだけれど、
ここが都会の真ん中とは思えない。

せっかく来たのだから、
菖蒲田に行って、どこまで育っているか
見てみようっと!

1か月前に来た時は
まだ芽もほとんど出ていかかったけれど、
葉が勢いよく育っている菖蒲田もいくつかあった。
あと一息だ。
それを楽しみに御苑をあとにした。

明治神宮御苑から根津美術館まで
歩いても30分だけれど、
今日は歩くのを少しさぼって、地下鉄で。
たった一駅というのに・・・。

10時の会場と同時に中に。
お目当ては尾形光琳の燕子花図屏風と
乾山の諸々の焼き物の世界などなど。
そして帰りに根津庭園の燕子花に会いに行くこと。


 「光琳と乾山」展カタログ根津美術館


 「光琳と乾山」展カタログ内側

2012年にこの燕子花図屏風と
メトロポリタン美術館に所蔵されている
八ッ橋図屏風が100年ぶりに
根津美術館で一緒に展示された。

この時以来の燕子花図との再会。
が、今回は照明のせいか。
幾分暗く沈んで見えた。

その暗さのせいだろうか、
ああ、私はやっぱり
鈴木基一の「朝顔図屏風」のファン!
なんて不肖なことを思いながら・・、

そうだ、八ッ橋図屏風も朝顔図屏風も
みーんなメトロポリタン美術館所蔵。

持っていかれちゃったのね。

なんだか私たち日本人は
自分で判断するのではなく、
力ある外国の判断を知って、
ああ、これは価値があるって
後から気づくのか、はたまた
何かのお墨付きがないと
自分たちで判断できないというか・・・。

なんて、自分も含めてそんな傾向が
あるなって・・・、
燕子花図屏風の前に佇みながら
そんなことが去来した。

それから、乾山の焼き物や書画の展示へ。
乾山の大きな美術展は
最近ではサントリー美術館で開かれていた。

そのスケールよりは小さいが、
今回私は江戸に滞在していた時の
乾山の「武蔵野墨田川図乱箱」に描かれていた
一筆書きのような浪の表現に見とれた。
京都の時の作品群とはおよそ趣を異にする。
一言でいえばシンプル。

そしてもう一つ、
書と画が一体になっていて、
それも何だか温かい。

光琳の凛とした雰囲気、
弟乾山のほわっとした雰囲気。

きょうだいって、きょうだいの関係って
本当に奥が深い‥、と思った。

そしてそのあと庭園に足を延ばした。
燕子花はまだ5分咲きだったけれど、
お庭は本当に都会のオアシスだった。





いつも思うことだが、
根津美術館のお庭は、
曽祖父が丹精した実家の小さな庭の
大拡大バージョンで、
その植生のよく似ていること。

そのためか、ここに来ると
なんだが実家に帰ったような錯覚を覚える。

と、そんなこんなの暑い春の一日でした。
今回は乾山のことをもっと知りたくなったのでした。

(おまけ)
「光琳と乾山」展のカタログはこちらのサイトをご覧ください。
http://www.nezu-muse.or.jp/jp/press/pdf/press_korinandkenzan_1.pdf










鬼の霍乱―新小学3年生倒れるの巻ー

2018-04-15 16:48:16 | きょうだい
新学期3日目。
なんとウルトラマン1号(新小学3年生)が
38度の熱を出した。

咳も鼻水もない。
お腹も壊れていない。
熱のみ。

疲れに違いない!と即座に思った。

この二日、
ピカピカの一年生の弟、
ウルトラマン2号を連れての通学。
しっかり手を繋いで通った。

今までは朝は一人で行き、
帰りも一人で帰ってくる生活。

当たり前と言えば当たり前だけれど、
その時間は自分の時間で、
1号は自分のことだけを考えていればよかった。

ところが2号が1年生として
登校を始めたその日から、
1号、2号連れ立っての登校。

通学路はそれなりの交通量があり、
ガードレールがあるわけではない。
路上駐車も多く、
小さい低学年児童は、
歩いていて、その陰に隠れたら
ドライバーからは見えない。

つまり通学路を歩くには
車に細心の注意がいるのである。
それは大人の想像以上に違いない。

1号はそんな中を2号を連れていく。
朝出かけるときに後ろから見送っていると
必ず2号が車道側にならないように
気を使って手を繋いでいるのがよくわかる。

慎重派の1号に対して、
2号は活発、かつ我が道を行くタイプ。
だから、それを御するのは大変だろうなって思う。

その大役を2日間果たした1号、
実は自分も、怒涛の中を生きていた。

3年生になって新しいクラスになり
初めて男性教員が担任になった。

どうやら、新しく理科と社会という
教科が増えるらしい。
理科は木曜日、社会は金曜日にあるのだという。
それがどんなものなのか、
なんだかとても楽しみにしているようだ。

「もーいーくつねるとゴールデンウィーク」
なんて言っている割には、
実はちょっぴり新3年生生活に
期待しているんだと思った。

2日目の給食のとき、
余っているみかんを
欲しい人がじゃんけんで
決めることになったそう。

その時、担任の先生が提案した
じゃんけんルールは、
先生に勝った人でも負けた人でもなく、
「あいこ」になった人にもらえるというもの。
たまたま1号はその「あいこ」になり
みかんを手に入れた。

そんな話をちょっぴり嬉しそうに話していた。

熱を測る時間になった時、
1号は手を合わせて
「熱が下がりますように、熱がさがりますよう!」
と拝んでいた。

「明日、学校、行けるかな?」(1号)
「熱が下がったら大丈夫」(私)
「理科に行かれますように」(1号)
とまた手を合わせる。
もう必死だ。

夕方医者に行った。
医者も特に大きな炎症はないし、
熱だけだし、明日7度以下に下がったら
学校に行ってよし!という意見。

一晩ゆっくり寝た1号。
熱は6度5分に下がっていた。
でもまだフラフラするのだろう、
「学校いけるかな」とちょっぴり心配そう。
この感じ、いつもの1号だから
学校行けるわとウルトラの母。

1号はちょっぴり心配そうに家を出た。

その日、学校からは呼び出しの電話はなかった。
無事一日終えたのだ!

「理科って、植物を観て、
その絵を描いたんだ」と教えてくれた。

鬼の霍乱は一日で強制終了。
新1年生と共に、新3年生も
全力で頑張っているのでした。






保育者稼業を続けるって難しい・・

2018-04-12 22:36:55 | 保育・子育て
この春休み、
卒業生が訪ねてきてくれた。
AさんとBさん。

彼女たち二人は
「石の上にも3年」の言葉を守って
幼稚園・保育所で働いた。

そして、この春、職場を離れた。

二人の共通点、
それは就職の時、
自分の思い描く理想に近い就職先を
とことん探したということだ。

Aさんは、退職する人が少ないので、
空きがあるかどうかわからないという園の
求人が出るまで、じっと待った。
しかし4年生の卒業が迫る年明けになっても
求人は出なかった。

もう待てないかな、
そうしたら1年待とう。
そう覚悟を決めた時、
幸いなことに求人が出て職を得た。

一方、Bさんは自分の理想とするような園を
これまた真剣に探した。
その結果、探し出した園の方針に惚れ込んで
就職を決めた。

そして働いた。
そして辞めた。

あんなに探して、気に入って、
頑張ろうって思って入った園なのに・・・、
と思いながら、
彼女たちの話を聞いていくと
ともかく彼女たちは真面目だったのだ。

Bさんの場合も
手取り16万程度のお給料で、
残業代は出なかったという。
これは残念ながら
いまのところのこの業界のスタンダード。

朝8時には出勤して、
夜8時位まで保育の準備やらを行う。

子どもたちは2時過ぎに帰っても、
保育の、ある理想を目指すその園には、
保育者のやるべき仕事はいっぱいある。

信じられないかもしれないけれど、
そういう中を生きてきた。

これはまだ自分が独り身で仕事をしているとき、
自分が保育の理想に向かって
伸びたい一心の時は、
そんなに気にならなかったという。

しかし、ある時気づいた。
「プライベート」がない!と・・。

人間関係もいいし、
園長先生も尊敬できるし、
保育者として成長できることも事実。
そんな園はめったにないこともこれまた事実。

考え抜いた末、退職を決断。

園長先生は彼女に期待していただけに
ショックだったのだろう、
彼女曰く「辞めると言ったあと、
なんとなく園長先生に
いじめられたように感じた」とのこと。

それを支えてくれたのが同僚やら
先輩だったという。
これがあって、この3月まで、
彼女は仕事を全うできた。

本当に難しい。
目指すものがあるから、
保育の内容は充実していて、
子どもたちもよく遊ぶ。

けれどその保育を行うには
彼女のように献身的に働く保育者が
何人も必要なのだ。

一生懸命であればあるほど
Burn out、つまり燃え尽きてしまう危険も大きくなる。

保育の質が担保されている園には
そんな危険が隣り合わせという現実がある。

彼女たちはよく頑張ったと思う。
料理人の「包丁一本をさらしに巻いて」ではないけれど、
この3年間で培って磨いた保育の知恵や技術を
生かせるを次のチャンスを掴めるといいなって
心から思う。

彼女たちのような保育者と出会った子どもたちは
豊かな幼児期を保障されること請け合いなのだから。













もーいーくつねるとゴールデンウィーク・・・

2018-04-05 10:09:47 | 二世帯同居
春休みも終盤。
明日は入学式と、始業式。
ウルトラマン1号は3年生に、
2号はめでたくピカピカの一年生!

今日は春休み最後の放課後クラブ登校日。
ウルトラの母は7時過ぎに出勤。
ウルトラの父も8時に出勤。

と同時に、ウルトラマン二人が二階に上がってきた。
彼らは8時40分に出勤(??と1号は思っている)。
放課後クラブは8時15分始まりだから
8時にウルトラの父と行ってもいいのだけれど、
これが親子交渉の結果の落としどころの時間。

「おばあちゃんは今日はお仕事お休みなの?」(1号)

1号はこうして、私が仕事がある日かない日を
ほとんど当てることができる。
鋭い!!

「うん、今日はお休みなのよ」(私)
「えー、いいなあ。
じゃあ、今日は2時帰りでもいい?」(1号)

「でも、昨日3時帰りって、お母さんと一緒に決めたでしょ」(私)
「でもさあー」(1号)
粘り腰。

本当はそうしてあげたいけれど、
そして一日中家にいさせてあげたいけれど、
私たち団塊の祖父母は、
私たちの親世代より、
ちょっぴり自分たちの生活優先。
(私の場合・・少々の自己嫌悪あり・・、
 夫の場合・・これがなくては育ジイ続けられない‥(笑))。
それに、孫との年の差が大きい。
つまり、私たちは祖父母にしては歳がいっている。
体力的に難しい・・・、残念ながら。

それで、春休み中も
放課後クラブ様様の生活。

しばらく1号はウルトラマンに出てくる怪獣フィギュアと、
2号は私が測っていた血圧を自分も測ると格闘。

そのあとソファでのお決まりの
子犬バージョンのじゃれっこが始まった。

と間もなく、2号の手が1号の顔を直撃。
ひるんだ1号。
なんといっても当たりが正確なので、痛い!!
泣きたくはなくても涙が1号の目をこぼれ落ちる。

悪いことをしたと思った2号、
自分のほっぺをつねる。自虐風。
「自分のほっぺをつねらなくもいいから、
1号のが痛かったところ撫でてあげて」(私)

「・・・・」(2号)しばし自分のほっぺをつねる。
「じゃあ、一緒にやろう」(私)
しぶしぶ、手を1号のほっぺに伸ばす2号。

すると、急に1号が笑い出す。
つられて2号も。
二人とも起き上がる、

と、また1号の腰に手を巻きつけた2号。
すわっ、またじゃれごっこか!
と思ったが、
1号急に歌いだす。
「もーいーくつねるとゴールデンウィーク!!」(1号)
「もーいーくつねるとゴールデンウィーク!!!」(1号と2号)

あれっ、まだ入学もしていない2号も一緒に大合唱。

3日に9歳の自分の誕生日も終わってしまって、
次の楽しみがすぐに見つけられず、
昨日はちょっぴりテンションが下がっていた1号。

だが、今日は、そうだ、ゴールデンウィークまでだ!と
気を取り直したようだ。
これから毎日、この合唱があるのかな。

学校は彼にとっては行きたくはなくても行くところ。
いけばそれなりに何とかやってきた2年間。
でも、行きたくて行きたくて仕方がない場所ではない。
気の合った友達とはまだ出会っていない。

それでも学校に行き続けるって凄いなって思う。

だから、まだ学校は彼にとっては大人の「会社」。
今は家に帰ってくることを楽しみにしているのだから、
それを大事にしてあげようっと、
と、体力的限界はありつつも
そんなことを思うウルトラの祖母なのでありました。

2号ですか?
1号とは違って、別に気がそれ程合わなくても
他の子どもたちと遊べてしまうという特技があるのです。
それに周りを見渡す目をもっています。
今の文科省や厚労省の教育要領や保育指針で謳われてる
「協同的な遊び」ができるように見える子に育っています。
だから担任の先生のお覚えもめでたかったのです。

でもウルトラマンの祖母はちょっぴり心配。
きっと1号とは違う楽しさと苦労が待っているのかなって。

とそんなことを思う朝の40分のウルトラの祖父母なのでした。











ウルトラマン2号、一年生に!

2018-04-02 11:12:55 | 子どもの情景
4月2日。
今日も5月の気温という。
穏やかな朝。

そう、今日は階下に住む
ウルトラマン2号(名前はKJ)の
初放課後クラブ参加日。

小学校の入学式は6日の予定。
だからまだ入学前。

でも、共働きの両親を持つ彼は、
入学前にこうして放課後クラブに通うことに。

朝、二階に住む私たち夫婦に
定例の朝刊配達。

「今日は、何時に放課後クラブに誰といくの?」
と聞くと、

「今日はと行って
と一緒に帰ってきます」(KJ)
と、何ともかしこまったお返事!
いつもだったら「TP君」と呼んでいるのに
そうではなく「」と言った。

夫と私は思わず顔を見合わせて、
クスッとなるのをこらえた。

その言葉に保育園を卒業して、
一段階上に上がったという
彼の気概が感じられた。

朝、母親と兄と一緒に出かけた。
初めての母手作りのお弁当を嬉しそうに
振り回しながら(すかさず母親からお叱りが入る)。

今日は、3時半にと一緒に帰ってくるのだ。

ウルトラマン1号(TP)の時はどうだったか?
それは2年前。
まだ引っ越してきて1か月。
新しい小学校に保育園の友達はいない。

本人も、母親もちょっぴり不安。
やはり4月1日から放課後クラブに通った。
帰りは私か夫のどちらかが迎えに行った。
そんな日がしばらく続いた。

ウルトラマン2号(KJ)も保育園が遠かったので
入る小学校に保育園の友達はいない。

でも、それこそ兄のお迎えについていったりして、
彼は放課後クラブがどこにあるかも知っている。
それは兄とは大きく違う。
けれど、自分がそこに入るということは
おまけでついて行った時とは全く違うこと。

自分が「大きくなった」ことを
肌で感じているんだろうなと思った。

母親からメールが入った。
KJはわからないことはちゃんと
放課後クラブの先生に聞いていたようだ。
おまけに門に立っていた先生に
「〇〇KJです。よろしくお願いします」と
お辞儀をしたそうな。

一年生になったんだ、しっかりやろう!!って
KJは自分で決めていたんだなって思った。

自分から保育園と小学校の間に横たわる川を
飛び越えたんだと思った。

そんな決意を秘めているなんてわからなかったけれど、
朝にという言葉を使った時から
彼は決心していたんだ。

「僕は小学生だ!」って。

ウルトラマン1号と2号では
生まれた順番からくる個性の違いと、
持って生まれた個性の違いがある。
どっちも面白い。

さて、の一号は、
どんなことを感じたのだろうか。
彼らが家に帰ってくるのを楽しみにしよう。

もっとも、男の子だからか、
保育園や小学校であったことをしゃべることが
本当に少ない。

それを無理に聞き出さず、チャンスを待つことにしよう。

また、新しい時が始まった今日のウルトラマン一家なのでした。