徒然なるままに~のんびり、ゆったり、こまやかに

猪突猛進型の60代。そして卵巣がんですっ転んで8年。目指すはのんびり、ゆったり、細やかな生活!無理かなー(#^.^#)

子どもたちは働き者ー師走の一コマー

2018-12-27 09:15:14 | 子どもとおとな
気がついたら、師走も27日。
今年もあと5日。
もうびっくりする速さで年が巡ってくる。

今日は階下のウルトラマン家では
午前中は大掃除だという。
ウルトラの父は今日はまだ会社なので、
ウルトラの母とウルトラマン二人でやるそうな。

「ねえ、おばあちゃん、二階も大掃除したら?」(ウルトラマン1号、小3)
「そうねえ、二階はおじいちゃんが大掃除の責任者だから聞いてみて?」(私)
「わかった、おばあちゃんは、ゆっくりしていていいよ」(ウルトラマン1号)

フフフ、と、夫に大掃除を押し付ける私。

更にウルトラマンたちは張り切っていて、
昼ご飯も作るという。
「サンドイッチだよ。中味は、ひ、み、つ」(ウルトラマン1号)
「あ、そうだ、サーモンのマリネも作るよ」(ウルトラマン1号)
「まあ、すごいわねえ。じゃあ、私はスープを作ることにしましょう」(私)

ということで、今日は大掃除と、師走ランチの日となった。
ウルトラマン二人(小3、小1)は本当に元気だ。
力が満ち溢れている。
この冬休みはウルトラの母が休みをとったので、
放課後クラブに行く必要はなく、家で過ごせている。

彼らにとってはそれはそれはうれしいことらしい。
昨日は、叔母の家に遊びに行った。
今日は家で、掃除をしたり、ごはんをつくったり。
それが何とも楽しそうなのだ。

私たち高齢者には飽き飽きしていることも、
ウルトラマンたちには新鮮で挑戦し甲斐のあることなのだろう。
二世帯同居をしていると、そんなことを感じる機会を与えられる。

ところで、ウルトラマン2号は・・というと、
朝から頑張って始めた冬休みの宿題、
ともかく早く終えてしまいたいと思ったのだろう、
ササっとやったところ・・・・、
「なに、この乱暴な書き方は!!」(ウルトラの母)
と、母親から待ったがかかった。
それでいじけている。
それを見た1号、「KJ、がんばれ!!」のエール!

9時15分大掃除開始なので、それまでに
何とか弟にもエールを送って終わらせてあげたいと思ったのだろう。


と、まあかくなる次第で、これから大掃除になるのであります。
9時15分まであと5分。
私もこれを書き上げて、大掃除要員とならなくては!

子どもたちのエネルギーに突き動かされて、
師走らしい一日になりそうな気配を感じるのでした。

さあ、がんばろうっと!!

あ、9時15分だ!


ウルトラマン1号から3年生坊主への変身!

2018-07-14 09:46:37 | 子どもとおとな
今日も暑い!!
そんな土曜日の朝、
ウルトラの母が顔を出した。

「ウルトラマン1号(小3男児)がね、
『お母さん、保護者会にはフツーの服で来てね』っていうのよ。
プンプン!!」(ウルトラの母)

「あら、どうしたの?」(ウルトラの祖母)

「今日、保護者会があるのよね。
朝、暑いから亡くなったおばあちゃまが
作ってくれた襟なし、袖なしの
夏用のハワイアンタッチのブラウスを着ていたのよ。
で、『これのこと?』って1号に聞いたら、
『うん』という返事。
つまり、派手な服を着て保護者会には来てくれるなって
ことなのよね!!」」(ウルトラの母)

「まあ、そうだったんだ」(ウルトラの祖母)

ウルトラの母は、保護者会に着ていく服のことを
1号が言ってきたことにびっくり。
と同時に、彼女が大好きだった祖母が作ってくれた服を
着てくるなと言われたことに怒り心頭!!

そうか、保護者会を公式の場と認識し、
そこには公式の服装というものがあるということが
どうやら1号の頭の中にはあるらしい。

今までだったら、
「授業参観、来てね!」ということはあっても
(そうです。この頃の授業参観は地域に開かれていて、
誰でも参観できるのです)、
母親の服装にまで注文を出すことは皆無だった。

ところが、3年生になって、
なにやらウルトラマン1号の内部に
変化が起こっているようなのだ。

最近、放課後クラブの帰りに
クラスメイトと待ち合わせをして、
一緒に帰ってきて、家で遊ぶということがあった。

今年は例年ほど「あと夏休みまで何日!!」と
指折り数える回数が少ない。

あんなに好きではなかったドッジボールを
放課後クラブでも参加し、
さらに夏休みの学校対抗のドッジボールの試合にも
参加したいといってきた。

保育園の頃から、妖怪ウオッチにハマったり、
ウルトラマンにハマったり、
どちらかと言えば、そういう世界が
彼の内部世界の大部分を占めていた時代が長かった。

今でも、ウルトラマンは大好きだし、
最近ではモスラやゴジラにも興味を持っている。

でも弟の2号がはまっているベイブレードでも遊ぶし、
ここのところ、急にトランプが強くなってきた。
今までは2号の独壇場だった「神経衰弱」でも、
2号を破ることが多くなった。

こういう小さいように見えて
大きな変化と思えることが
3年生になってからは目白押しだ。

保育園の頃のような一人自分の世界に住む、
というようなことだけではなくなってきている。
それが見える形になってきた今日この頃。

そう思っていた時の
「お母さん、フツーの服で来てね」騒動。

今までは、自分の内部の世界の
満足感で生きてきていたけれど、
なんだか急に自分の周りや外側が
見え始めてしまったということだろうか。

そしてそれは何やら思っていたよりは面白い。

気がつくと、フツーの「ガキ」に。
その挙句の「お母さん、フツーの服で来てね」発言。

ウルトラの祖母が、母だったとき、
1号娘とは3年生の時によく戦った。
2号息子とは中高のとき。
3号娘とは5,6年生の時だ。

その3号娘がウルトラの母となり、
息子と第1回の戦いの火ぶたが切られた日
ということになるだろうか。

こう言ってしまうとちょっと大げさだけれど、
子育てのちいさな日常の中の小さい戦いを繰り返しながら、
そしてそれを持ちこたえながら
子どももおとなも大きくなっていくものかもしれない。

そんな俯瞰をしてしまうのは、
それを粗方終えたもう一つ上の世代の
客観的な第三の目のなせる業ともいえる。

ウルトラの祖母の父が父親だったとき、
ウルトラの祖母、つまり私にとっては
40歳くらいまではいつも目の上のたんコブであり続けた。

しかしその父が祖父になった時、
娘の私にはくれなかったような
まっとうな人生のアドバイスと言えるような言葉を
折々に孫たちに残している。

人間て、立場や年齢によって
変わるものなんだなあとつくづく思った。

そして今ではそんな立場に片足突っ込んでいる自分。
ウルトラマン1号がフツーのガキになった日に、
そんなことを考えたのでありました。



まあ、だんご虫となめくじが鈴なりにー究極の選択・・・-

2018-06-02 09:52:58 | 子どもとおとな
夜来の雨が上がった。
そうだ、花壇のマリーゴールドの
様子を見に行こうっと。

夏の到来を思わすこのところの暑さ。
ちょっと早めだけれど、花壇を夏仕様にしなくちゃ、
と思って、冬の間中楽しませてくれた
ビオラたちに別れを告げ、
花壇の土を少し掘り起こし、
2週間ほど休ませていた。

その間、花屋さんに行っては
何を植えようか・・・、と考えた。

この冬はなめくじに悩まされた。
それで、今年は思い切って
マリーゴールドにしてみることにした。
虫やナメクジが寄りにくいかなと思ってのことだ。

そして数日前、いそいそと花店に向かい、
5株ほど買ってきた。
夏らしい黄色と、エンジがかった黄色の二種。

マリーゴールドを植えると、
ジョージアにいたころを思い出す。
やはり庭先に植えたところ、
その花の大きさに驚いた。
日本のマリーゴールドのおよそ2倍はある。

太陽の熱が違うからだろうか。
ベコニアも大きく育った。
これにもびっくりした。

同じ種でも根を下ろす地域によって
こんなに違うんだなと・・・。

閑話休題。

ああ楽しみだ!
それからは毎日朝に夕に眺めて過ごした。

そして様子を見に行ったこの朝。
思わずキャーッと心の中で叫んだ。
茎という茎には
なーんとあろうことか
だんご虫とナメクジが鈴なり!!
それも5本とも!

よく見るとむしゃむしゃ食べている。
だんご虫など老若男女すべている。
つまり、成虫から赤ちゃんだんご虫まで勢ぞろい!

そのあいだあいだにナメクジがー!!

もうどうしたらいいんだろう。
すぐに部屋に戻って、
冬の間活躍したナメクジ退治の薬を探した。

ごそごそやっていると
ウルトラマン2号(小学1年生・男児)がやってきて
「おばあちゃん、あわてててどうしたの?」っていく。

「あのね、花壇のマリーゴールドをだんご虫さんと、
ナメクジさんが食べてるの」(私)

「僕、見に行ってくるよ!」といって
ぞうりを突っかけて外に出る。
あと10分で小学校への登校時間。

「あ、ほんとだー。すごいねえ。
どうする?やっつける?」(2号)

「そうなのよねえ。
お花を守ろうとすると、だんご虫や
ナメクジをやっつけなきゃならないし・・。
困っているのよね」

「困ったねえ・・」(2号)
と言いつつ、ウルトラマンたちは登校していった。

さてどうする・・・。
で、私の出した結論。
やっぱり今回はだんご虫に涙を呑んでもらおう。

今まで、だんご虫は私のなかでは
害虫ではなかった。

小さい時から庭でだんご虫と遊んだ。
だからだんご虫は、私の中では友だちだった。

幼稚園の園庭では
子どもたちはだんご虫と遊んで
どうしても家に持って帰りたいと、
ビニール袋にだんご虫を入れて持っていく。

だから、1か月も経たないうちに、
園庭にはだんご虫の影も形もなくなる。
そして、夏の花たちが満開の時を迎える。

その時は、なにも疑問を持たなかった。
私の中では相変わらずだんご虫はいい奴だった。


ある日、虫愛ずる姫君の妹と電話口で話していた。
「まったくねえ、究極の選択なのよ」(妹)
「なにが?」(私)
「花をとるか、はたまたダンゴムシやナメクジをとるか」(妹)
「えっ」(私)
「ナメクジやだんご虫たちをほっておけば、花は食べられちゃう。
花を守るためには彼らを駆逐しなければならないわけ」(妹)

「そうなのねえ」(私)
「だからね、毎晩8時ごろから割り箸で
花の茎に鈴なりになっているナメクジを
一つ一つとるわけ。これしかないのよー」(妹)
「えー、そうなんだー」

当時の私の育てていたものは
人間の子どもだけ。
とても動物や植物を育てるだけの余裕はなかった。
だから妹の言っている究極の選択の意味が
ピンとこなかった。

それから20年以上の年月が流れ、
遂に私は一番不得意な植物育てに向かった。

そして出会った命の究極の選択。
私は花を選んだ。

薬を撒いた次の日、
マリーゴールドの根元をみると、
昨日までアリや、だんご虫や
小さな虫たちが忙しそうに行き来して
こんな小さな世界にも凄い生命力が
蠢いていたのに、
そこに横たわっていたのは死の世界。
何も動いていない。
シーンという気配が色濃く漂う。

なんていうことをしてしまったのだろう・・。
でも、花にも咲いてもらいたかった・・・。

と、ぐじゃぐじゃ思っていたとき、
ふと谷川俊太郎の詩「しんでくれた」が
脳裏をかすめた。

ああ、命のことって、こんなに身近で難しいって
そのあともしばらく立ち直れない私がいたのでした。

本当に日常の一番小さなところに、
一番大きな問いや問題があるのだなと、
ちょっぴり哲学的になっただんご虫さんの
命の訓えでした。






調査書(内申書)悲哀

2017-03-10 20:06:29 | 子どもとおとな
この季節、大学入試は大方の決着がつく。
勤務校ではあと一つの入試を残している。

入試の前に、教員に一つの業務がある。
それは、高校からの調査書(内申書)に
目を通す、というものだ。

私は昨年、今年とその係りに当たっていた。
私学では入試を何回も行う。
その度に、調査書に目を通した。

そして、いつも悲しくなることがあった。
成績や、出席日数等は型通りに書かれている。

私が悲しくなるのは、その後に続く頁だ。
高校3年間、各年度、学期ごとに
その生徒が、何を頑張ったか、
どんなことに興味を持って取り組んだか、
或は授業にどんなふうに取り組んだか等々を書く頁。
担任が書き、校長が印鑑を押す。

生徒が頑張った、どんな小さいことでも
丁寧に取り上げて、書かれているものが30%ほどだろうか。
あとは、かなり型通りに書いているなと思われるものが
半数ほど。

そして残りの20%くらいが、
ほぼコピーアンドペースト、つまりコピペの文章。
例えば、1学年から3学年まで通して、
「特記事項なし」のみ。
あるいは「自分の興味のあることに取り組んだ」
という抽象的な事柄のみ。

どうして、コピペと分かるかというと、
同じ学校からの受験生がいるので、
彼らの調査書を比べてみると、ほぼ同じだからだ。

今回は、全くコピペもコピペ、「特記事項なし」のみしか
書かれていない調査書にぶつかった。

この生徒だって、3年間高校生活を生きてきただろうに、
教師からみれば「特記事項なし」。
本当に生徒が可哀想になってしまう。
こちらがその生徒の人となりを知る手掛かりはゼロ。
かかれているのは評定平均値と、出席・欠席日数のみ。

教師は何を考えているのだろう。
受験はその日のテストの成績の
一発勝負で、調査書なんかは関係ないと考えて
手を抜いているのかもしれないけれど、
これではあんまりだ。
私が生徒で、この中味を見たら、
教師を信じられなくなる。

教師という職業が本当に忙しいというのは
承知しているつもり。
でも、合否にほぼ関係ないとはいえ、
だからって、コピペで済ませられるっていうのは
やはり教師と生徒の間に「人としてのかかわり」ってものが
なかったことを思わせる。

そして、さらに加えて、そこには校長印が押されている。
校長先生はその教師に一言言わなかったのだろうか?
これでいいと思ったのだろうか??
思ったから印を押したとしか思えない。
校長先生も、どうせ誰も読まないからと思ったのだろか?

と、そんなことを考えた、
うら哀しい「調査書精査」の一コマでした。

団塊世代祖母がドラゴンボールスタンプラリーに参加すると・・・(*_*;

2017-02-04 13:11:37 | 子どもとおとな
この1月から2月にかけて、
JR主催の恒例のスタンプラリーが開催されている。
今回のテーマは「ドラゴンボール」。

毎回このスタンプラリーを楽しんでいる
階下のウルトラマン一家。
さっそくウルトラの父が
スタンプ用冊子をゲット。

それを聞いた私、ウルトラの祖母も
密かにこの冊子を手に入れた。

ある日、ウルトラの父は午後休を取った。
1日間有効の乗り降り自由の都区内パスを使って
スタンプを集めるという。
つまり40回近く電車を乗り降りするということ!
そのとき、ウルトラの祖母は、
図々しくも自分のスタンプ帳もお願いした・・・。

ドラゴンボールはウルトラの父の世代も楽しんだ。
今はその子どもの世代が楽しんでいる。
ウルトラマン1号(小学1年生)の
放課後クラブでの最大の楽しみは
ドラゴンボールを読むこと!

ウルトラマンたちは毎日のように
ウルトラの父が押してきたスタンプを眺めていた。

そんなある日、
ウルトラの祖母は千葉の柏に行くことになった。

柏には「ハックルベリーブックス」という
児童書専門店がある。
毎年、学生と一緒にここを訪れ、
店主である児童文学研究家の奥山恵さんの
小さなレクチャーを受ける。

柏に行くのなら、そうだ、スタンプあつめよう!
そう思った私は、ウルトラの母に相談し、
ウルトラマン父子のスタンプ帳を預かった。
ウルトラマンたちは
「柏に行くなら、松戸とか、北千住とか、
我孫子も近いよ」という。

「何言ってんの!おばあちゃんはその度に
電車を降りてスタンプ押さなきゃいけないんだから、
今回は柏だけよ!」(ウルトラの母)

「・・・・、もしも大丈夫だったら
押しといてね」と、ウルトラマンたちは
ウルトラの母のいないところで一言。
「できたらね。柏だけは任せて!」(私)

そして当日。柏駅に着いた。
さっそく駅員さんに
「スタンプラリーのスタンプはどこですか?」と聞いた。
「あ、それはこの正面にあるみどりの窓口の
横手にありますよ」と駅員さんは
右側を指さしながら言った。

私は、言われたとおりに歩いて行った。
あった、あった、スタンプ台だ。
よし、押すぞ!!と、
丁寧に力を込めて
ウルトラ父子のスタンプ帳に押した。
私にしては上出来。
綺麗に押せている。
柏駅ってちゃんと入っているし・・・。
と、意気揚々と待ち合わせをしていた
学生のところに戻った。

そのスタンプを見た学生、
「先生、あのー、ドラゴンボールのスタンプ台って、
左手の方じゃないですか?ほらあそこ!」(学生)
みると緑の窓口の左手に、もう一つスタンプ台が!

「えーっ、じゃあ私が押したのは何?」(私)と、
叫びながらよく見ると
「柏駅」と書いてあるではありませんか!
これは単に「柏駅」のスタンプだったのだ!

駅員さんは、なんで私をドラゴンボールの方に
導いてくれなかったんだろう・・・。
ああ、きっと、私が高齢者だったからだ。
まさか、高齢者がドラゴンボールとは思わなかったのだろう。
せいぜい、駅の記念スタンプと思ったのかも・・・。

と、モニャモニャ思いながらも
あわてて、ドラゴンボールのスタンプ台に走った。
ここのキャラクターは「ジャコ」。

そうだった。
スタンプはキャラクターのスタンプだったのだ。
そんな基本的なことすら、頭からすっ飛んでいて、
私は「スタンプ」ということだけで、
「柏駅」スタンプを押してしまったのだ。
どう考えたって、間違いに気づきそうなのに、
なんとウルトラマン父子全部のスタンプ帳に
それを押してしまっても、まだ気づけなかった。

ああ、もう遅い!
スタンプを押す場所は残されていない・・。
そうだ、私の手帳に数だけ押して、
それをあとで上から貼ればよいか・・・、
と悩んでいると、
一人の学生が、「私、A4の白紙持っていますよ。
これだったら白いから綺麗だと思います」

なんという優しい助け舟。
有り難く申し出を受けて、押させてもらった。
ふーっ、これで何とかなるかなあ。

こんな間違いしでかすなんて、
自分でも自分が信じられない。

でも、その罪の償いってわけではないけれど、
帰りの道すがら、新松戸と松戸駅に途中下車して、
トランクスとミスター・ポポという
キャラクターをゲットした。

家に着くと、ウルトラマンたちが飛んできた。
一号はすぐ気づいた。
柏駅がジャコではないことを。
「あー、もう違うよう!!」(1号)
「そうよね。ごめんね。まちがえちゃったのよ。
でも、ちゃんと貼れるようにしたから大丈夫」(私)

「ちょっと!何言ってるの??
おばあちゃんはあなたたちのために電車から降りて
押してきてくれたのよ。先ず、ありがとうっていうべきでしょ?
言ったの??言わないなんて、おかしい。
それで文句ばっかりって、変じゃない??」(ウルトラの母)
と、ウルトラの母の怒り爆発。

あー、申し訳ないなあ。
老いの間違いで、こんなふうになっちゃった。
でも、あれっ、ウルトラの母、すごいな。
ちゃんと子どもにけじめをつけてる。

全く自分でも信じられないドジ。
それが老いていくっていうことなのかもしれない。
そんな事件の中に、若い学生の機転や、
子どもだ子どもだと思っていた娘(ウルトラの母)の
成長した姿が垣間見られた一日なのでした。