徒然なるままに~のんびり、ゆったり、こまやかに

猪突猛進型の60代。そして卵巣がんですっ転んで8年。目指すはのんびり、ゆったり、細やかな生活!無理かなー(#^.^#)

映画「ハドソン川の奇跡」ーシミュレーションでの忘れものー

2016-09-25 22:29:07 | 映画鑑賞
トム・ハンクス主演の
映画「ハドソン川の奇跡」。



奇跡的にロードショウの初日に鑑賞。

この夏の「シン・ゴジラ」に続いて
夫とも「観よう!」ってことになって
即、映画館に向かった。

たまたま9月7日に放映された
NHKの「アナザーストーリーズ」で
「ハドソン川の奇跡 ニューヨークの不時着 世紀の生還劇」を
一緒に観ていたということもあった。

それに私はトム・ハンクスの
「フォレスト・ガンプ」以来のファン!

2009年にバードアタック(鳥がエンジンに突入)を受け、
やむなくハドソン川に水上不時着したという機のパイロットが
主人公のドキュメンタリータッチの映画。

2基のエンジンが二つともやられたという前例はない。
管制官から近くに空港に引き返せと指示を受けるが、
機長は状況から不可能と判断。
そしてハドソン川への水上不時着を決行。
その後の奇跡的ともいえる救出劇もあって、
155人の乗員乗組員全員が無事に生還したというもの。

しかし映画のフォーカスは機長の心理劇ともいえる
切り口で描かれていた。

焦点は一夜にして英雄になった機長が、
その後の調べで、本当は近くの空港に引き返せたはずなのに、
その独断で水上不時着という生存率が最も低いといわれる
ものを選択したことに対する是非についてだった。

合衆国という国は、本当に事後検証をシッカリ行う。
この事故調査委員会の判断次第では、機長は英雄から
乗客を故意に事故に巻き込んだ加害者になる。

それを検証するために、事故調査委員会は
詳細なシミュレーションを行う。
エンジン停止から残された時間は208秒しかないという。
しかし、シミュレーションの結果、
その時間があれば近くの二つの飛行場に引き返しても
十分着陸できたという結論が導かれた。
つまり、機長は誤った選択をしたという判断が下された。

この結果を公表する公聴会の席で、
このシミュレーションを見た機長は
シミュレーションでは鳥にアタックされた直後に、
すぐに近くの指定された空港に引き返していたことを指摘。

実際には2基のエンジンが
同時に止まるという
今まで遭遇したことのない事態に、
まず、何が起こったのかを確認したり、
40年のこの機長の飛行歴から
ありとあらゆる方策を考え、
その選択をするまでに
時間が必要だったことを訴える。

その選択までの時間を35秒と設定し、
再度のシミュレーションを要求する。

それを受けて行ったシミュレーションでは・・・
一つの空港では、滑走路に着陸後、大破。
もう一つの空港に向かうシミュレーションでは
市街地の建物に激突。

ここで、機長の機転が正しかったことが証明された。

未知の事態に遭遇した時には
どの決断を選ぶか、その選択にはある時間がいる。
その時間は人間の揺らぎの時間と言ったらいいだろうか。

事故調査委員会はコンピュータシステムを使って、
事故機の状態を再現したわけであるけれど、
そこにはこの「35秒」に代表される、
人が自分の持てる力すべてを結集して考える「時間」の
インプットがなかったのだ。

ふと考えた。
余りに厳しすぎる事故調査委員会の
あり方だと初めは思った。
けれど、起こった事実を検証して、それを公にする。
そして公聴会の場では当事者の意見も尊重される。
合衆国という国は、問題も山積しているが、
そういうことが機能しているという事実もあるということが
この映画での発見だった。

今、豊洲問題で揺れていることがふと頭をかすめた・・。

「ハドソン川の奇跡」、
水上不時着だけでは奇跡は起こらない。
機体はどんどん沈んでいくのだから。
水上不時着をたまたま近くで見ていた
水上定期船の船長の機転等で、
155人は全員救われることになる。
たった30分も経たない間に・・。

機長の機転と多くの幸運が
このまれにみる奇跡を生んだのだと
思ったのでありました。












登場「ウルトラ二兄弟」-祭りの夜店、今昔-

2016-09-24 10:37:42 | 子どもとおとな
登場!
ウルトラ2兄弟。


このお面、秋祭りのお面屋さんでゲット!!
1号はウルトラマンタロウ、
2号はウルトラマンオーブ。
二人は迷うことなくそれぞれを選んだ。

お面屋のおじさん曰く
「オーブってこれでいいのか?
タロウは分かるけど(*_*;」
おじさんはタロウ世代で、
オーブは知らないらしかった。

〆て1600円也!!
お面一つ800えーん!!
夜店の値段はめちゃくちゃだから、
ウルトラの母も500円は覚悟していた。
しかし、800円とは・・・。
でもまあ、迷うことなく選んだウルトラマンたちへの
お祭りお祝儀ということで、落着。

家に帰って、ウルトラマンたちの嬉しそうなこと。
ほんとに変身できちゃうのだから。
でも、お面かぶると目の部分が息で曇る。
時々上にあげて曇りをとりながら、
果てしない、ウルトラマン同士の戦いが始まるのでありました。

閑話休題。

9月22日、23日は近所の神社の秋の大祭。
ところが今年、9月は記録的な長雨。
お日様があまり顔を出さなかった。

例年、近所の神社の秋の大祭も
一日は降られることが多い。
でも、二日ともというのは珍しい。
ここ40年くらいで、二日ともという記憶はない。

ところが、今年は2日とも雨にやられた。
小雨ならともかく、本降りの時間も長い。
でも宵宮の22日の夕方から、少し空が明るくなった。

よしっ!行こう!!
今年2世帯同居になった孫たちを連れて宵宮に。
ここが初めての孫、すなわちウルトラマン1号、2号は
まわりをきょろきょろ。

この神社、今どきのお祭りブーム隆盛に伴って、
以前とは様相が違ってきている。

宵宮の夜店の定番は、
金魚すくい、マジックボールすくい、
お面屋、ままごとや、くじ、射的、千本引き、
型抜き、飴細工、ソース煎餅、綿あめ、
チョコバナナ、ラムネ
そしてひよこやといったような、
主に子ども向けのものと、

お好み焼き、ベビーカステラ、バタジャガー、
おでん、焼き鳥、いか焼きなど、
大人が集って一杯やれるような夜店。

でも今は、7,8割が大人むけ。
この大人向けの進化というか、隆盛が著しい。
クレープ、イタリアンスパボー、ケバブなんていうのも
加わり始めた。

更に夜店の近くには急ごしらえの
フードコートもどきが至る所に。

前はこの場所、
子どもたち用の夜店が出ていたのにな。
そんな場所で、丹念に型抜きをする
子どもたちの姿もあったっけ。
ここでも、なんだか子どもは片隅に追いやられてる。

それに、子どものお祭り用の小遣いでは
手が届かないものも多い。

今年はこんなに雨が降っているにもかかわらず、
急ごしらえのフードコートは大人でいっぱい。
皆一杯やりながら、さながら居酒屋風。

昨年は、2日連続快晴のお祭り日和だった。
もう大人でいっぱいだった。
そのワイワイガヤガヤの凄いこと。

SNSですぐ情報が伝わる時代だから、
ポケモンgoではないけれど、
面白そうというと、若い世代を中心に
わっと集まる。そんな感じ。

それはそれでいいけれど、
もう一つの祭りの主人公の子どもたちの居場所は??
って、考えてしまった。

祭りの宵宮のあの独特の光の中で、
きらきら光る夢のような時間を過ごす、
そんな異空間をほんの少しゆっくり味わわせてあげたいな。
子どもがおとなのなかで、
まるで満員電車に押しつぶされて歩くっていうのではない、
もっと主人公になる時間をあげたいって思ったのは
単なる私の感傷でしかないのかな・・・。

ああ、子どもが駆逐されている・・・、
って思った今年の宵宮なのでした。


団塊夫婦のまったり散歩ーミッドタウンと800円定食ー

2016-09-18 18:01:35 | 団塊世代夫婦の一コマ
久し振りの三連休。
といっても、いつも連休中ともいえるのだが・・。

久し振りに夫とフラフラ散歩に行くことに。
散歩に目的っていうのも変だけれど、
なかなか目的なしに歩くのって難しい。

だから、フラフラと言いつつ、目的はあった。
サントリーホールに、演奏会の券を引き取りに行くこと。
既にコンビニ払いで支払っていたが、
券はホールの窓口で引き換えだった。

今年の上半期は、ほとんど音楽会に行かれなかった。
二世帯同居を始めて半年。
7歳と5歳のウルトラマンとの生活は、
楽しいが、体力勝負。
夜に音楽会に行かれるだけの体力は
残念ながら残っていなかったという次第。
やっとお互いのペースがつかめてきた今日この頃。
それで、上半期に行かれなかった分を取り返すぞとばかり、
夫は音楽会の予定を入れた。

サントリーホールへは、赤坂で降りて歩くか、
六本木一丁目で降りて歩くか、
六本木で降りて歩くか・・・。

今日は六本木一丁目で降りた。
今までこのコースを通ったことがなかったからだ。
曇っていて時折ぱらつく雨。
おまけに蒸し暑い。

ちょっと迷いながらも何とか到着。
今はどこもかしこもお祭りシーズン。
ここもこのあたりの神社のお祭りがあるらしく、
ホール前の広場はお祭り仕様。
11時前。
まだ人影はまばら。
日曜日なので、この地の朝は遅いのだろう。

一眺めして、次の散策地を探すことに。
ここまで来たから、六本木まで歩いて、
それからミッドタウンという案が浮上。
バスで6分と書いてあったから、
20分強で行かれるのではと歩き始めた。

傘をさしたり引っ込めたりしながら
予定通り20分強でミッドタウンに到着。

今日は連休の中日。
おまけにこの天気からだろうか、
ミッドタウンの広いウッドデッキは
程よい人加減。

蒸し暑くて汗だくの私たち。
スタバでアイスコーヒーを注文。
あれっ、スタバのアイスコーヒーって
こんなにおいしかったっけ??
とつぶやいたら、すかさず夫が
「のどが渇いているってことです。
幸せなことに、そういう時のアイスコーヒーは
どれでも絶品になるものです」とのたまう。

人心地ついて、ミッドタウンの中にある
「茅乃舎」に行く。
「ダシ」の贅沢のため。
お友だちに頂いてから、病みつきになった。
でもお高い。
まあ、老いの贅沢ということで
自分へのご褒美(意味不明ですが)。

ユニクロがあったので、足がそこに向く。
なるほど、土地柄、子供服は置いていなかった。
この間入った武蔵小杉のユニクロには
ふんだんに置いてあったけれど。
顧客調べが行き届いているということか・・。

なーんて思っていると、
かれこれ12時を回ってしまった。
「食べて帰るか」と夫。
「そうね」と私。
でもミッドタウン内は却下。
費用対効果が悪いから・・。
いえ、高いから・・・(*_*;

そこで、反対側にある新国立美術館に行く道すがらの
小さいお店を探すことに。

いろいろ見てやっと決めた。
すべて定食800円(税込み)。
地下1階にある15人ほどの席しかない小さいお店。
私たち年代のご夫婦でやっている。
注文してから作ります、というコンセプト。
値段もコンセプトも30年間変わらないという。
今日はたっぷり時間があるからOK。
のんびり待つことに。

中には私たちのような団塊夫婦2組と、
外国の方二人を含めた3人組。
4人の家族連れ。
若者2人組×2。
これで満杯。
自家製のウーロン茶を飲みながら
待つこと20分強。

私はアジフライ定食。
自家製のレトロなソース付き。
それにたっぷりグリーンサラダと味噌汁。
可愛い丸型こんにゃくの炊き合わせ。

夫は親子丼定食。
かなりのボリューム。
付け合わせは私と同じ。

こんなに量があって800円でやれるのだろうか・・。
もしや、このビルのオーナーなのかも・・・、
と想像力は膨らむ。

帰りは新国立美術館を通り抜けて乃木坂駅を目指した。
丁度「ダリ展」をやっていて、そこには列が。

なんだか面白い散歩だった。
この地域は今でも再開発が進んでいる。
超高級マンションや超大型施設がある。
その一方で、こうして30年間変わらないという
ちょっとおとぎ話に出てくるようなお店もあるのでした。

ところでお店の名前ですが・・・、
メモするのを忘れ、
色々キーワードを入れてグーグル検索したけれど、
遂に名前は分からないままなのでした。

団塊夫婦のまったり散歩の一コマでした。



まあ、K市から!ーまーごのためにはえーんやこーりゃの巻ー

2016-09-14 22:44:52 | 孫シッター奮闘中
毎週1回、ウルトラマンたちは
スイミングに通っている。
1号は日曜日に行くのだが、
2号は火曜日。
働く母親が多くなったためか、
今や土日は満員。
2号は土日のクラスに空きがなかった。
そこで、火曜日と相成っている。

夫婦共働き。
二世帯住宅。
やっぱり、ジジババは手伝おうかって思う。

そこで、火曜日はいつもより1時間早めにお迎え。
この日の当番は私ということが多い。

スイミングの付き添いなんて、
我が子の時以来だから、約30年のブランク。
当時は全く気付かなかったけれど、
この時間に付き添う母親は専業主婦が多い。
それにお友だち同士も多いので、
そのにぎやかさは半端ない。

おっと、こんなこと書くってことは
私が正真正銘の高齢者である印かも。
保育園の子どもたちの声ががうるさーーい!!って、
保育園建設に反対している
高齢者地域住民と同じ。
耳の聞こえのバランスが
老化でくずれはじめたか・・。
なんだか自己嫌悪・・・。

閑話休題。

自分の娘たちと同じ年代の母親たちとは
面識もないし、共通話題もない。
だからこの送り迎えを始めて4か月ほどになるけれど、
「こんにちは」の挨拶くらいしかしたことがない。

この日のこと、ふと見ると、
私と同年代くらいと思われる方が、
お孫さんと一緒に更衣室に入ってきた。

思わず目であいさつ。
子どもたちの着替えを手伝いながら、
どちらからともなく「お孫さんですか?」と
会話が始まった。

その方曰く、
「娘が仕事で会議の日は、
こうして送り迎えをやっているんですよ。
スイミングが終わって、娘の家に帰るんです。
そしてね、娘が帰ってくる10時まで過ごすわけ」

なるほどー。
「で、そのまま泊まられるんですか?」(私)

「とーんでもない。帰りますよ。
どんなに遅くってもね。
実は私、K市に住んでいるんです。
ここからは直通だけれど、電車で一時間。
でも、絶対帰るんです。
帰ると、12時近くになって、
住宅街にある家に一人で歩くって、
結構怖いんですよね。
だから、この頃は、実は主人と一緒なの。
ボディーガードをやってもらってます。
泊まらないのはね、朝までいると、
また、朝から孫が来るでしょ。
そうすると、それから帰っても一日潰れちゃうわけ。
夜頑張って帰れば、
朝からは自分の自由な時間。
出かけようと思うところに出かけられますものね。
ところで、ご同居ですか?」と聞かれたので、

「はい」と答えると、

「実は2世帯同居って話も出ているんですけどねえ・・、
私たちの方がまだ踏ん切りがつかなくて・・・。
今手に入れている時間を
手放す勇気がまだないってわけです」とのこと。

なるほどなあ。
私たち夫婦も二世帯同居の前は、
週に2日、孫の保育園迎えをしていた。
でも、出来たら、行くより来てもらった方が楽。
でも、同居となると・・・
それは毎日だから、
その方のように自分たちが手に入れている
自由気ままな時間がなくなることも事実。

子育てを終え、姑も送って、
手に入れた自由な日々・・・、
これを手放すのにはそれぞれに
それぞれなりの勇気がいる。

私自身は、昔とった杵柄という感じで、
ああこの感覚、そうそうと思い、
その切り替えは早かった、
と自分では思う。

でも若い時と決定的に違うことは
「若さがない」っていう、いわば当たり前のこと。
それを突きつけられる毎日ではあるけれど、
やっぱりそれにもまして小さい人との生活は
面白っていうのが実感。

だがしかし・・・、
夫はちょっぴり違った。
田原総一郎のエッセイに
「子育て知らずの孫育て」というのがあるが・・・

 田原総一郎「子育て知らずの孫育て」東京新聞

ともかくこれと同じで
夫にとっては初めてのことだらけ。
面白いって域にはまだ到底いかないという。
が、みるみる育っていく小さな人たちが
そばにいるていうことは
やっぱり、大変でも、
いっぱいいっぱいになっても、
段々面白くなってきているのではって、
そばにいて思う。

私が同居をほぼ決めた時、
ある人がこう言ってくれた。

「大人同士には世代の違いもあるし、
なさぬ仲ゆえのいろいろなことがあるのは事実だけれど、
やっぱり子どもにとっては、
親とは年代の違う人がいるってことは
とってもいいことだと思うわ。
私の場合は舅姑、義姉と同居で
ずっと嫁をやってきたけれど、
子どもにとっては本当によかったって思うの」

ちょっと意味深だけれど、
この一言は決定的だった。
よし、やるぞって、覚悟が決まった。

子育て知らずの孫育てに
日夜格闘している夫と共に、
フーフー、ヒーヒー言いながらも、
人間て面白いね、
小さい人ってほんとにすごいねと言いながら、
毎日を送っているのでありました。

フフフ、至福の時は孫たちが階下に帰った後の
一杯のコーヒーを味わうとき。
しばし、自分を取り戻し、
「静」の世界にくつろぐのでありました。

川上未映子さん「日常」を語るーNHKサタディエッセイからー

2016-09-10 10:50:20 | 読書あれこれ
土曜日の朝。
何気なく聞いていたNHKラジオの「サタディエッセイ」。
川上未映子という語が耳に飛び込んできた。

今年に入って、私は彼女の「あこがれ」を読んだ。
そして凄いなって思った。

 川上未映子「あこがれ」新潮社

私にとっては抵抗感のある書き方で、
はじめのうちは、ついていかれない!と思った。
が、ハマった。
と、私にとってはそんな作家だ。

そして今日。
「私の日常」という感じで、
今の日常を語られていた。

なかでも私が面白いと思ったのは、
4歳の息子さんとの日常だった。

息子さんは字に興味を持ち、
漢字を覚えてしまうという。
漢字というと、私たち大人は難しいと考えるが、
幼児期の子どもにとっては
それは絵と同じではないか、というのが彼女の意見。
私もそうだと思う。

だから、字に意味のないひらがなよりも、
意味のある漢字の方が
意味のある「絵」あるいは「図柄」として
まだ柔らかい頭に入っていくのだ。

「ひらがな」の方が子どもにとっても簡単、
というのは大人の思い込みに過ぎない。

もちろん、読めることと書けることの間には
高い段差がある。
これはあくまで「読める」ということについてだ。

幼稚園や保育園で、よく靴箱には
動物や植物のシールが貼ってあって、
〇〇ちゃんは「ぱんだ」のところよ、
なーんて言わなくても自分の名前の漢字を張ったって
全然問題ないともいえる。
特に年長くらいになればますますそうだ。

なんて、自分に引き寄せて考えながら聞いていたら、
こんなエピソードを話された。

確か寝室の大きなベッドで、
親子三人で眠るということだが、
その時にその息子さんが
「おじいちゃんはどこにねるの?」
と聞いたという。

「え、おじいちゃん??」(川上さん夫妻)
そんなおじいちゃんなんて、どこにもいない。
でも、息子には見えているのかも・・・と思ったという。

そこで私は思い出した。
長女が確か4歳くらいの頃、
想像上の友だちをもっていた。
名前は「グンガン」という。

もちろん私たちには見えないけれど、
彼女はグンガンと一緒に遊んでいた。

絵本の世界では、
こういう想像上の友だちと一緒に冒険したり、
遊んだりしているうちに、
ある時パッとその想像上の友だちが
いなくなるっているお話はたくさんある。
これもその一つ。

 マーク・ベロニカ「ラチとらいおん」 福音館書店

長女の場合は現実の世界でお友だちができた時、
グンガンはいつの間にか消えてきた。

幼稚園・保育園の年中・年長(4歳児・5歳児)から
小学校低学年にかけては、
きっと想像の世界と現実の世界を
行ったり来たりしている子どもたちも多いのだろう。
(まあ、おとなだってそうかもしれないが・・・)

そして、それを繋ぐのが「言葉」かなって思う。
川上さんは繋ぐというより
「言葉が生活を侵食していく」、
というような表現を使われていた。

前回のブログにも書いたが、
子どもが「物語」を紡ぎ始めるときと、
それは同時であるのかなと思う。

言葉が自分の世界に入り始める時だ。
そして、もう言葉のない世界があった、
なんていうことがまるで嘘のように、
生活が言葉で覆われていく。

ただ、面白いのは、
これまた子どもたちによって、
様相が全く異なるということ。

もっと、日常生活の模倣から
その物語を紡いでいる子どももいる。
だから千差万別。

自分が子育て真っ最中のときは、
親は現実的でないと親を張っていられないことも多く、
こんな子どもの世界に付き合う余裕、
いえ、気づく余裕さえなかった。

でもこうして、今、子育てから一歩離れた位置で、
幼い子どもたちと生活するチャンスを与えられて、
その現実と想像世界、言葉が生活を覆っていく様子、
そんなことをじっくりと味わいたいなって思う。

こんな場面を、親をやりながらも
しっかり見つめている川上さんて、
やっぱり言葉の世界と日々対峙している方だなと
改めて思った。

また、彼女の新作を読んでみようっと。