徒然なるままに~のんびり、ゆったり、こまやかに

猪突猛進型の60代。そして卵巣がんですっ転んで8年。目指すはのんびり、ゆったり、細やかな生活!無理かなー(#^.^#)

絵本の読み聞かせ@居酒屋

2015-01-30 07:54:31 | 絵本・児童書 今日の一冊
1月。
卒論提出の季節。
パワポで発表を終え、
打ち上げで居酒屋に繰り出した日のこと。

学生にしてはちょっぴりランクが上の居酒屋さん。
隣に居合わせたのは、
団塊の世代の小さな小さな同窓会。

卒論終わってホッとして
にぎやかながらも、のんびりまったり。
味噌ディップの野菜や味噌漬け焼肉・焼き魚
みんなで舌鼓を打っていた・・・。

すると一人の学生が
手に絵本を携えて「先生、これ最後に読んでください!」
「・・・・・」ここは居酒屋。
居酒屋で絵本の読み聞かせ???

でも、学生がわざわざここまで持ってきて絵本。
読まないわけにはいかないな。
勇を鼓して読み始めた。


読んだのはピーター・レイノルズ作・谷川俊太郎訳の「てん」(あすなろ書房)

絵を描くのが大嫌いなワシテ。
この日のお絵かきの時間も
画用紙は真っ白なまま。

それを見た先生は言った。
「あら!ふぶきのなかのほっきょくぐまね」
ワシテはプンとなり「かけないだけ!」と叫ぶ。
でも先生はにっこり笑って
ワシテに「なにかしるしをつけてみて」と提案。
ワシテはぷんぷんしたままマーカーを紙に押し付ける。
そして先生に挑戦するように「これでどう!」

でも先生はゆったりとしずかに
「さあサインして」と一言。

この一言がすべての始まりだった。
次の週、ワシテが描いた小さな「てん」は
ワシテのサインととも立派な額縁の中に。

それをきっかけにワシテは
小さな「てん」がかけるなら
おおきな「てん」だってかけるし、
いろんな色の「てん」だって・・・と挑戦を続ける。

そして、とうとう
「てん」で埋め尽くされた展覧会ができるほどに。

私は読みながら
絵本の中の先生がワシテが何も描いていない真っ白な紙を見て
「あら!ふぶきのなかのほっきょくぐまね」と
フォローしているところに、この先生の凄さをみた。

でも、ワシテは先生を越える存在だった。
「かけないだけ!」とは見事な反論。
子どもってそんなすごい存在でもある。
でも、先生も先生。
そんな反発にもめげず、おっとりした対話を続ける。

読みながら、私はその一場面に釘付けになった。

学生は言った。
本屋さんで、この絵本を見て、どうしても欲しくなって、
そして読んでほしくなったと。

絵本の読み聞かせ。
といっても私は自分の授業の初めの時間に
絵本の読み聞かせをしている。

以前は授業の終了間際に一冊読んでいた。
でもそれで気づいたことは・・・・。
学生たちは授業の内容をすべて忘れ、
その絵本にのめりこみ、それだけを覚えているということを・・・。

だから、戦略的に授業前に読むことにしたのだ。

まあ、そんな戦略はともかく、
私の絵本のセレクションは、文字通りの独断と偏見。
ただ、私が出会って大好きになったものに限っている。
「読みたい」というのがすべての動機。
子どもに読み聞かせるためのセレクションではない。

学生も自分が「これっ!」って思うものをもってきてくれた。
なんだかそれがとても嬉しかった。

ふと気づくと、となりの団塊世代の同窓会グループまで
シーンとなっていた。

絵本と居酒屋なんて、およそ対極にあるような存在だけれど
ああ、こんな風に人生動くこともあるんだと
なんだか、ほっこり新鮮だった。

今日は今年度の最終授業日。
私のセレクションは「ちいさなあなたへ」に決定した。

追記:
ピーター・レイノルズの本には
「ローズのにわ」主婦の友社
「そらのいろって」主婦の友社

また、挿絵を描いたものとしては
「ちいさなあなたへ」などがある。



「老化」かあ・・。私、欲張りだったかも。

2015-01-25 18:41:46 | 私のデフォルト
女優のアンジェリーナ・ジョリーが
遺伝性乳がん・卵巣がん症候群ということで
乳房切除手術をしたことは記憶に新しい。

それを遡ること一年。
自分の卵巣がんが遺伝性であることを疑って
私、遺伝子検査を受けていた。

我が家はどこからみてもがん家系。
ちょっと挙げてみると
母(乳がん後、19年経って肺がん)父(大腸がん)
母方叔父(肺がん)、母方叔母(すい臓がん)
父方叔父(脾臓がん)、父方叔母二人(胃がん)
父方祖父(肺がん)父方大叔母三人(胃がん、大腸がん、肝臓がん)

まあ、なんたってがんで覆いつくされている始末。

特に母が乳がんで、私卵巣がん。
だから、乳がん・卵巣がん症候群かと疑った。
妹もいるし、娘もいる私としては、かかってしまった自分はともかくとして
彼女たちのことが心配になった。

そこで、通院している病院の遺伝子部門で、検査を受けることにした。
医者は問診で、我が家系の病歴を聞きながら
「この、多種多様さから見ると、遺伝性ではない感じかなあ」
でも、まあ心配なら検査をしましょうということで、採血に。

それからしばらくして結果を聞きに行った。
「遺伝子に異常はありませんでした」(医者)
「えっ、そうなんですか?」(私)
「要するに、『老化』ってことですよ。皆さん60歳は越えていらっしゃる」(医者)
「そ、そうですねえ」(私)
「60って聞いたら、今は老化なんてイメージじゃないかもしれないけれど、
立派な老化です」(医者)

「老化」かあ・・・。
私、欲張りだったかも・・・。

超高齢化社会になって、がんの罹患率も、
3人に1人とか、2人に1人になると言われている。
それは、単に老化した人間が増えるから、
自然の摂理として増えるってことなのだ。

私も自分が還暦を過ぎているのに、
自分が「老化」しているって自覚がなかったということ。
「がん」と聞いて「なぜ私が?」ではなくて
「私も人並みに年とった」っていうことかとしみじみ思った。

そうはいっても、私は医学の進歩の恩恵を受けている。
ヤツと同居しつつ、まだ生かされている。
家族とのこまごまとした日常を普通に楽しみながら日を送っている。

「老化」と受け入れたけれど、なんとまだ仕事も続けている。
それも、若い人たちに支えられながら。

ただ、老化に至らない若い人たちの「がん」に対しては
やっつける方法が、少しでも早く、そして多く見つかることを祈るのみ。
手術だって、抗がん剤治療だって、決して柔では越えられない。

今は若くてヤツと同居を余儀なくされている若い人に
エールを送ることだけしかできないけれど。

抗がん剤治療中のこと。
昼間に、お使いに行った。
赤血球も減っているから、
すぐに息が切れ、ぼちぼちしかあるけない。
どんどん人に抜かれていく。
ふと前を見ると、私と同じペースで歩いている
80代くらいのおばあさんがいた。

あっと思った。
私は今までさっさと歩いていて、
ゆっくり歩いている人に気づいていなかったなって。

このおばあさん、毎日どんなことを考えて暮らしているんだろう。
ふっと、そんなことを思った。

というわけで、いろんなことを考える時間をヤツからもらっている。
これが同居っていうことかなって思いつつ・・・。

私のデフォルト 卵巣がんと同居中

2015-01-23 23:02:25 | 団塊世代夫婦の一コマ
それは4年前のこと。
そう、私が卵巣がんですっ転んだ年の暮れのことだった。
抗がん剤の治療、3クール目が終わったあたり。
3週から4週間に1回のTC療法というのをやっていたのだが・・・、
なんと、夜布団に入っても、頭が寒いのなんのって。

その頃は既に私の頭は子連れ狼の大五郎状態。
拝一刀を「ちゃん」と呼ぶ大五郎にだったら、
「かわいい髪形ね」と言えるけれど・・・。
要するに前髪はかろうじてぽよぽよ残っていたものの、
「つるぴかはげまる」寸前だった。

その冬。私は思った。
髪の毛って、本当に頭を暖かく守ってくれていたんだと。
そんな当たり前のことに妙に感心してしまった。

そして気づいた。
夫は、30年以上の長きにわたって、
大五郎とまではいかないけれど、頭頂部には髪の毛がなかったにもかかわらず、
一度も冬場に「寒い!!」と言ったのを聞いたことがないことを。

私「よく今まで寒くなかったわねえ」
夫「寒くなんかないよ。これが俺のデフォルトだから」

へえー、デフォルトか・・・。
だからか、夫は冬場にも帽子なしで大丈夫。
私、帽子なしの外出なんて、とっても考えられない。

夫が30代の頃、数歳年上の課長と一緒に取引先に行ったとか。
その時、取引先の人は、何を血迷ったのか、
夫の方を上司と勘違いしたらしい。
いや、血迷ったのではなくて、単に外見から判断しただけ。

そんな話を夫は笑って言っていたっけ。
私も一緒に大笑い。

夫はデフォルトって言って、ケロッとしているように見えるけれど、
今まで髪の毛のことではいろんな思いをしていたんだなって。

そんなことを今同居中の「ヤツ(別名卵巣がんとも言う)」のおかげで教えてもらった。
ヤツは今では私のデフォルト。
そのおかげで、ちょっぴり見えることが違ってきた。

夫にも少しはやさしくなれるかな・・・。
というのは夢のまた夢。
まだまだ修行が足りないのでした。


団塊男世代はブラームスがお好き???

2015-01-18 11:51:05 | 団塊世代夫婦の一コマ
夫と一緒に行く音楽会。
まだ、子どもがいなかった頃、時々行った。
子どもが3人立て続けに生まれて、音楽会行きは中断した。

子育て中にこんなことがあった。
夫の唯一の婿入り道具のステレオセット。
独身時代に大枚はたいて買ったもの。
社宅の狭い部屋に鎮座ましましていた。

ところがある時、
まだ2歳にならない長男が、よちよち歩いてそのステレオに近づいた。
そして楽しそうにステレオのダイヤルをぐるぐる回した。

そして数日が経ち、週末になった。
夫はいそいそとレコードを出して(そう、当時はまだレコードでした)
ステレオのスイッチを入れた。

バン!!
という大音響。
それで、そのステレオは一巻の終わり。
「もう、無理だな・・・」

それから、7,8年経った1980年代の末。
バブル期のほんの少し前、夫はアメリカに赴任した。
子ども3人を連れて私も同行した。

それから4年弱の日々。
アメリカでの生活は、慣れるまではいろいろあったけれど
日本にいた時よりも、夫婦で出かけることが可能だった。
私たち、音楽シーズンの楽しみにAオーケストラのシーズンチケットを購入した。
そして、シーズン中は、月に1度、音楽会を楽しんだ。

決してニューヨーク、ボストン、シカゴといったメジャーな町に住んでいたわけではないけれど、
近所の高校生たちの安価なベビーシッターに助けられた、そんな楽しみがあった。

ヨー・ヨー・マ、イツァーク・パールマン、アリシア・デ・ラローチャ、五嶋みどり、ジェシー・ノーマン、
アルフレッド・ブレンデル、アンドレ・ワッツ・・。
当時、日本だったらサラリーマンには高くて聴きにいかれないような音楽家。
気軽に楽しむことができた。

私はオーケストラ音楽よりもピアノ曲を楽しむことが好きだった。
夫は以前からのオーケストラファン。
好みが違った。
だから、私は、その時、どんな交響曲を聞いたのか、あまり記憶にない。
夫に聞くと今でも次から次へと出てくる。
同じ音楽会に行っても、全然違う楽しみ方をしていた。

帰国してからの20年。
これまた子どもたちが思春期から成人になり、巣立つまでの時間。
夫も私もそれぞれに忙しく、音楽会からは遠ざかっていた。

それが、夫の定年後、少し落ち着いた今、またぼちぼち行きはじめた。
東京は、びっくりするほど音楽会が多い。

たまたま縁のあった音楽会に行く。

<
そして、この暮れ。
夫が楽しみにしていた、パーヴォ・ヤルヴィ指揮、ドイツ・カンマー・フィルの一つを聴きに行った。

オーケストラ音楽って、案外いいな、と思い始めていた私。
今回のカンマー・フィルでは、ヤルヴィとオーケストラの息の合った演奏が気持ちよかった。
それと、チェロの女性奏者ターニェ・テツラフの集中力が伝わってきた。
オーケストラもいいな・・・。と思いつつ。

実はこの演奏会でびっくりしたことがある。
それは、圧倒的に男性の聴衆が多いことだ。思わず会場を見回して、数を数えたくなったくらい。
少なく見積もっても、8割は男性だ。
夫婦で来ている人もいるにはいる。でも多くはない。
女性同士連れ立って、というのもほとんどない。
多くは男性同士、あるいは男性一人。

更にその感を強くしたのは
休憩時間の女性トイレ。
これがまた空いていたのだ。
音楽会で女性トイレがこんなに空いているのって初めて。

今まで、ピアノの演奏会とか、歌とかそんな会の方が多かったからかもしれない。
こちらは女性連れが圧倒的に多い。白髪美しいおばあさま方もこれまた多い。

そんな音楽会に慣れていたからもうびっくり。

なんで、団塊前後の男性は、こうもブラームスに群がるのか・・・。
謎だ。
ゆっくり考えてみようっと。

ちなみに私は今頃になって、ブラームスもいいなと思い始め、
夫はピアノ曲もいいなとつぶやく。

およそ40年間一緒に暮らしてきた私たちの
これまた一つの交叉点。

もっとも、体重はとっくの昔に交叉してしまったけれど(*_*;。



孫シッター奮闘中 -妖怪ウォッチとプラレールー

2015-01-15 10:55:59 | 子どもの情景
私たち夫婦、時々孫シッターをしている。
保育園育ちの男孫二人。5歳と3歳。
今は、2歳児クラスと4歳児クラスに在籍中。
私たちが迎えに行くのは午後4時過ぎ。
この時間のお迎えはジジババ(とってもほとんどババ)か、産休・育休中のお母さん。
この時間にお迎えに行くと、二人ともとっても元気。
大人の足で5分ほどの道を10分ちょっとかけながら帰ってくる。
もう二人とも歩いてくれるし、自分のものは自分のリュックに入れている。
楽ちんになった。
もっと小さかった時、おんぶをするにもバギーカーを使うにも一苦労。
だって30年前はおんぶひももバギーカーも取り扱いは簡単だったんですもの。
ともかく今のものは重装備。
そしてとっても複雑(とババには思えた)。
帰りがけに悪戦苦闘していると
いつも保育士さんが手伝ってくれましたっけ。

それがいつの間にか二人ともトコトコ歩くようになった。
と思ったのもつかの間、もう走っちゃうんです。
日によっては徒競走。60代後半のジジも、半ばのババも、もう必死。
帰り道は歩道が半分くらいしかない。
車がすれすれに走ってくる場所もある。
だから気が気ではないけれど、
子どもたちは元気はつらつ。

途中で「あ、飛行機が飛んでるよ」というので
空を見上げると、ほんと、飛行機が飛んでいる。
私たち高齢者の耳には、そんな音聞こえないですもの。
小さい子たちって、ほんとうにいろんな音が聞こえる。

帰宅するとジジの第一声が高らかに響く。
「手を洗って、うがいしてー!」
その几帳面なこと。
子どもたちはそのペースにはめられている。

それが終わると小さな楽しみ。
それはおやつ。
と言っても、保育園で3時ごろの食べているので
あめ一つとか、クッキーひとつ。
近頃は自分たちの入れ物から自分たちで丁寧に丁寧に一つ選んでいる。

それが終わると、今まではすぐにEテレをつけていた。
ところがこのところ一寸違う。
「テレビつけない」とTP5歳が言う。KJ3歳もそれには逆らわない。
本当は見たいのかなと思うけれど。

そしてTP5歳は「妖怪ウォッチ」の召喚タイム。
しばらくはあちらの世界においでになる。

KJ3歳は「プラレールつなげよっと」といって電車とプラレールを持ち出した。
「おじいちゃま、一緒にやろう」
「じゃあ、レール、丸くつなげるか?」
「ううん、まっすぐだよー」
そんなこと言いながら、ジジとKJは電車の世界に。

一方、妖怪の召喚が一段落したTP5歳。
今度は妖怪ウォッチの雑誌を引っ張り出してくる。

そしてホットカーペットの上に座って
ババに体を預けながら、次々の妖怪の名前とそれについての説明をひとしきり。
雑誌の小さな文字も読んでしまう。
そろそろ妖怪からこちらの世界へと思ったババは
「さかさことばでうんどうかい」を開いた。


これからがTP5歳のおもしろいところ。
ページを開いて、出ている文章を私とかわるがわる読むのだ。
その掛け合いが面白い。
その間(ま)が何とも楽しい。

これは自分の子どもたちでは経験できなかったこと。
読み聞かせの時は、いつも私が読む人だった。
でもTPとは掛け合い読みあい。
これがなかなか気持ちがよい。

これを初めてみたのはTPとその母親との掛け合い読みあいだった。
読んでいたのは「じごくのそうべえ」

この絵本も落語が題材だからとても小気味の良い文章。
それを母親とやっていた。
私、びっくりした。
へええ、こんな読み方してるんだって。

そして、いつともなく、私もTPとの掛け合い読みチャンスがくるようになった。
身体を寄せて、代わりばんこに読みあうって、とってもあったかい。

そのそばで、KJ3歳は部屋の端から端まで伸びた、プラレールの上で電車を忙しく動かす。
今日の気分は直線線路気分。
決してあのプラレール特有のぐるぐる回る型(けい)ではない。
時々ジジに指示しながら、一心不乱に手と体を動かしている。

言葉系の兄、動き系の弟。
全く違うことをしながら、それでも時々なんだかくっついて笑いあっている。

そんなことを20分くらいしただろうか?
「晩御飯にする?」と聞いたら「たべる!」「たべる!」と二人とも。
まあ、よく食べること、食べること。

保育園帰りの一コマでした。