徒然なるままに~のんびり、ゆったり、こまやかに

猪突猛進型の60代。そして卵巣がんですっ転んで8年。目指すはのんびり、ゆったり、細やかな生活!無理かなー(#^.^#)

猫と子ども(2)ムサシ・ザ・キャットが「ポン・ミャー」になるまでーある4歳児の挑戦ー

2016-05-27 22:00:02 | 子どもの情景
午後7時過ぎ、ウルトラマン1号(TP1年生)と2号(KJ4歳児)は
ウルトラ星に帰還する。

 兵どもが夢のあと・・・


 お疲れムサシ

二世帯同居を始めて2か月半が経った。
お互い、やっと生活のペースをつかめ始めてきた。

わが家の飼い猫ムサシ。
12歳の初老??
老夫婦とのんびりと日を送っていたが、
それは3月11日に終止符を打った。

4歳と6歳の男の子二人がいる家族との同居。
以前のブログでも書いたが、
初めのうちムサシは「シャーシャー」威嚇していた。
この威嚇音もほぼ12年ぶりに聞いた。

二人の予測を超えた行動に、
ムサシもどうしていいのかわからなかったのだと思う。

どうしていいのかわからないのはウルトラマン二人も同じ。
「キャー、ムサシ!!」「ワーッ、ムサシ!!」と大騒ぎ。

ムサシは私が「ムサシ」と呼ぶと「ミャーッ」と返事をする。
先代の猫のジジがほとんど鳴き声を出さない猫だったのに比べて、
本当によく鳴く。

「ムサシ-」(私)
「ミャーッ」(ムサシ)

そんなやり取りを聞きながら、
ウルトラマンたちは自分たちが呼んだら
ムサシにミャーと答えてほしくて、
「ムサシ-」「ムサシ-」と声を張り上げる日々が続いた。

時に猫パンチを食らいながら、
それでもウルトラマンたちは諦めずに
「ムサシ-、おはよう!」から始まって
「おやすみ!ムサシ」まで、
二階に来ると、何とかムサシとやりとりをしたいと
試行錯誤を続けてきた。

そのうち1号TPはこわごわながらも、
ムサシの横に座ればブラッシングをしても嫌がらないことを学んだ。
今ではTPが黄色いブラシをもって
「ムサシ-」と呼ぶと、ムサシはやってくる。
そしてTPのそばに座って、
ブラッシングOKの姿勢をとる。

一方、4歳児KJはムサシにどうしてもしたいことが3つあった。
その1、鼻を触ること
その2、耳を触ること
その3、しっぽを触ること

お気づきと思うが、
どれもこれも猫が人間にできればして欲しくないこと。

「おはよー」というなり、鼻めがけて人差し指が飛ぶ。
初めのうちはムサシは正面から近づかれるのが怖くて
耳をペタンコにした威嚇の姿勢をとった。
「優しく、優しくね」とKJに言い続けるうちに、
KJも静かに鼻を触ることができるようになった。
そしてすかさず、耳とシッポを触る。
それができると、ヤッター、一日が始まるぞとなる。

いつの頃からか、KJはムサシの鼻を触るときに
「ポン!」と言うようになった。
その声が大きいのが嫌だったのか、
ムサシは必ず「ミャーッ!!」と毛を少し逆立てながら鳴いた。

しかしKJは大喜び。
「あのね、ポンてやると、ミャーッて鳴くんだよ。
ポン・ミャーだね」

ムサシのあだ名がポン・ミャーになった瞬間だ。
ただ、KJはムサシが嫌がって
ミャーッて言っているとは気づいていない。

もう嬉しくてムサシと言うかわりに
「ポン・ミャー」を連発した。

それはおとといのこと。
このところの常で、KJはムサシとの言葉のやり取りをしたくて
大きな声で「ポン・ミャー」と言った瞬間、
伸びあがったムサシの猫パンチが飛んだ。

ひるんだKJ、ソファに沈んだ。
シーーーーン。
「あれ?泣いているの?」(KJ母)
目を真っ赤にしながら「・・・・・」とKJ。
母親がそばに行くと「ワーッ・・・」思わず涙が堰を切った。!

そして「帰る・・・」と言って下に降りて行った。

次の日、保育園の帰り道。
「昨日、ムサシにパンチされて悲しかったの?」(私)
「・・・、あのね、ムサシ大好きって言ったんだけど、
ムサシね、ボクの大きな声が怖かったんだ。
だからびっくりしちゃったんだよね」(KJ)

きっと母親がそう説明したのかなって思った。

「(猫パンチ)痛くなかった?」(私)
「痛くなかった。でもね、ちょぴっと悲しかった」(KJ)
「悲しかったんだ」(私)
「うん。だってね、好きっていうの、ムサシわかってくれなかったから」(KJ)
「そうだったんだ」(私)

そして帰宅。
「ただいまー、ムサシ!ポン!」ってちょっぴり小さな声で言うKJ。
「ミャァァー」とムサシ。
にこっと振り返るKJ。

人間とは違う、鼻があって耳があって、そしてシッポがあるムサシ。
KJにとってはとてもとても魅力ある存在だったに違いない。

ちょっぴり怖いけれど、何とか近づきたい。
努力を続けるうちに、何とか返事もしてくれるようになった。
KJにとっては誇らしいことだっただろう。
けれども、それをズタズタにされた猫パンチ。
全然気持ちが通じていなかったということがわかったからだ。

ムサシの気持ちを通訳した母親の言葉にまた気を取り直したのだろう、
KJはちょっぴり小さい声でポンって言ってみた。
ムサシもミャァァ。

ムサシのミャァァは相変わらず、
「いやだってば!」という意味なのかもしれない。
だって猫って犬とは違って、
およそ人に合わせるということには長けていないから。

でも小さい声なら、ムサシなりの我慢の限度を超えることはない。
それを知ったKJ。

こうして、少しずつ、それこそ痛い思いをしながらも
諦めずに、猫との共存の道を試行錯誤で探している。

そして、ムサシもまた
我慢したり、しきれなかったりを繰り返しながら、
なんとか新入りの人間と折り合いをつけつつ
生活し始めたように思う。

ちょっぴり猫を人に引き付けて考えすぎかとは思いつつ、
一緒に生活していると、そんな風に思える今日この頃なのでした。





















代々木公園・明治神宮ー平日朝の一コマー

2016-05-19 22:50:38 | 団塊世代夫婦の一コマ
久し振りにのんびりした晴天の朝。
一年生のウルトラマン1号TPの登校の見送り後、
そのまま、代々木公園・明治神宮の散歩に行くことに。

今日は五月晴れ!
平日の朝の公園と神宮を夫と歩いた。

ひっそりと咲く花たち。

  (昼顔)


  (カルミア) 
 

あっ、さくらんぼが!


1か月半前は若者のお花見天国だったここ代々木公園。
どうしてこんなに若者たちばかり??と思った。
そして知った。
彼らはSNSを使いこなし、
身近で必要な情報を手に入れる天才たちなのだ。
そんな若者の間を小さくなって歩いた。

ひと気のほとんどない今朝、
花たちはさくらんぼになって静かに佇んでいた。

しばらく歩くとバラ園がある。






代々木公園は良くも悪くも整備された公園だ。



田舎育ちの私にはちょっぴり整然とし過ぎて落ち着かない。


そのまま原宿門を出て、
お隣の明治神宮へ。






この鬱蒼とした杜は、自然林と見まごうがごとく。
しかし、多くの方がご存知のように、
この杜は100年以上先を見越した、
考え抜かれた植栽計画があってのことだ。
これらを考えた人々は
当然のことながら、今の姿を見る前に命を閉じた。

ここに来るたびに天を見上げる。
木立が空を覆っている。
この緑に搔き抱かれながら、
自分はなんて小さいんだろうって思う感覚が蘇ってくる。

そして、ふと思う。
今はなんでも結果がすぐに求められる時代。
だからこれをやることって本質かなと思っても、
結果がすぐに出ないことに
手を染めることを躊躇したりもする。

でも、そんな柔ではいけないんだなって、
先人が100年の計をもって創造した、
この緑のひんやりした空気に包まれながら思った。

歩きながらふと出会ったシーン。

これこれ!これが私の幼い頃の自然、
名もない緑たちが入り乱れている光景。

その杜を出ると池がある。

カメが甲羅干し。

杜を出たところにある神宮の宝物殿前の緑。
ここは人工のにおいがする。


けれども、ここにも初夏の息吹が。


隣り合わせの代々木公園と明治神宮。
同じ緑に包まれていても、そのコンセプトはまるで違う。

私がホッとするのは
明治神宮の杜の中にある里山のような
雑多な緑が入り乱れる場所。

こういう場所を、神ならぬ人が生成しようと思うと
超長期スパンの植栽計画がいるということに
改めて思いを致した朝の散歩なのでありました。



ご参考までに・・・
明治神宮の植栽について詳しくお知りになりたい方は
以下のサイトのPDFをご覧ください。
www.minto.or.jp/print/urbanstudy/pdf/u39_02.pdf



骨折り損のズブ濡れ儲け(若冲展リタイアの巻)

2016-05-18 07:32:24 | 美術展から
よし、今日こそやっと行かれるぞ!
と、夫ともども勇んで家を出た。

待ちに待った若冲展。
この春の私たちの美術館巡りの締めくくり。

久し振りの大雨、
でも、そんなものはものともせず出かけた。
だって、昨日は月曜日だけれど開館されていたし、
水曜日は「シルバーデ-」ということで65歳以上は優待だし、
こんな雨の日に、いくら何でもシルバーはいかないだろうな・・・、
と、考えたのは大甘だった!!

8時半過ぎの上野駅公園口。
ゾロゾロゾロ・・・、
中高年が行く。

今日は雨。
ということは、動物園に行く人ってわけではないかも・・・。

だとすると、
いま話題沸騰の若冲展目当てか・・。
私たちと同じ????
雨なのに???
中高年なのに???
雨にもめげずってこと??

なんて、自分たちのことはさておき、
???だらけで、改札口を出た。

ゾロゾロゾロ・・・
ビチャビチャビチャ・・・

やっぱり、みーんな方向は同じ。
改札を出た人たちは95%同じものを目指していたのだ。



東京文化会館あたりで、すでにズボンはびしょぬれ。
私はコートを着ていたから、それで済んだが、
夫はもっとびしょぬれ・・。
それでもめげずに歩き続けた。



「✖✖✖」スピーカーから流れる声。
よーく聞くと、
「券をお持ちでない方は先にお進みください。
お買い求めののち、こちら側の最後尾にお並びください!」

まさかの傘の大行列。



無理、無理無理・・・。
「うーん・・・」
夫と二人、頭を抱えた。
その間にもびしょ濡れ度合いは増していく。

「退却しよう!これじゃあ、びしょ濡れのまま
人の頭を観に行くようなもんだ」(夫)
「そうよね。退却に賛成!」(私)
久し振りに意見が一致!

こうして私たちは上野退却を決めた。
「あの行列はどう考えたって、
夜が明けた頃から並んでいる人がいるってことだよな」(夫)
「そうよね」(私)

考えてみたら、昨年10月の京都の「琳派展」も長蛇の列だった。
京都だったから、私たちも混んでるからって出直しはできなかった。
今日の人たちの中にも退却したい人はいたのかもしれない・・・。

でも、上野駅に逆走しているのは私たちだけだった・・。

それだけ若冲人気は伯仲しているということか。
NHKはじめマスコミの露出が凄かったし・・。

でも、だからといって、この混み方尋常じゃない。

で、ふと思った。
集まっているのは団塊の世代を中心とする世代。
私たちって、ひょっとしたら
流行は「一つ」の世代だからかも。

ミニスカートが流行った時は、
皆ミニスカートはいたっけ。
今からは考えられないけれど
こんな私でもスカート丈35センチというのをはいた。

そのあと、すぐに今度はロングスカートが流行った。
そうなると、もうミニスカートなんてはいていられない。
流行遅れそのものって感じになってしまうから。

けれど、それが流行が「一色」の最後かもしれない。
そのあと時代はどっちをはいても、パンツ(ズボン)姿でも
「その人なりのスタイル」という考え方が
徐々に定着していったと思う。

時を同じくして、国民的流行歌というものが
衰退を始めたと、記憶している。

若かりし頃、そんな「一色」時代に生きた私たち。
やっぱり流行は一つっていうのが、
体に刷り込まれているのかなあ。

火曜日。
平日。
雨にも負けないエネルギーをもった団塊、
そしてその前後世代。
それが今の私たち。

辻惟雄さんによれば「奇想の系譜」に入る若冲。
「奇想」が人口に膾炙しちゃった今回のイベント。

今回どうしても観たかった「動植綵図」は
三の丸尚蔵館に里帰りして来たら、
ゆっくり会いに行こうと思う。












小学一年生の「写生画」って面白い!-学校公開見学日潜入記-

2016-05-15 09:24:59 | 子どもの情景
今日は土曜日。
ウルトラマン1号TPの小学校の公開見学日。
午前中、授業も含めてどうぞおいでくださいというスタンス。

ジジババが出かけるのはどうかとも考えたが・・・、
放課後クラブのお迎えの帰り道、
廊下に展示してあった、
1年生の「消防車」の絵をもう一度見たくて、
行こうって決めた。

授業参観もやっていたが、
勝手気ままなババの目当ては
「消防車」の絵!


TP(7歳1か月)の作品

廊下には30名ちょっとのクラス全員のものが
丁寧に張り出されていた。
みな特徴があって本当に面白い。
もう廊下を何回往復したことか。
観ているだけで元気になる、
そんな絵が多かった。

ところで、この絵はどうして生まれたのか?

家に帰ったTPに聞いてみた。
「あのね、4月×日に消防写生会があったんだよ」(TP)
「へええ」(私)
「あのね、校庭に消防車と消防士のおじさんたちがきたんだ」(TP)
「TPはそれを校庭で描いたの?」(私)
「うん、そうだよ。6年生も描いたんだよ」(TP)
「えっ、じゃあ、2年生や、3年生もいたの?」(私)
「うん、みんないた」(TP)
「消防士さん、ホースから放水してくれたの?」(私)
「ホウスイって??」(TP)
「あ、ごめん、ホースから水をシャーって出すことよ」(私)
「しなかった。だって、火事のときに水は出すんだよ」(TP)
「そうよね・・・」(私)

そうか、写生会だったんだ。
保育園や幼稚園で写生ということを
計画に入れているところもあるが、
少なくとも私の知る限り、
TPの通っていた保育園ではそれはなかった。
だから写生っていうのはTPにとって
生まれて初めての体験だったはず。

大判の画用紙いっぱいに
「赤」を基調とした絵が並んでいるのは壮観だ。
クレパスを使っているので、
力強さがそのまま出る、そんな感じがした。
それは間近に見ながら描いたからこそかもしれない。

私は仕事柄、就学前の子どもたちの絵を楽しませてもらうことはよくある。
でも、小学生以上の子どもたちが
学校で描く絵の「なま」と出会うチャンスはあまりなかった。

ひとしきり、そんなことを思いながら観ていたが、
あれっ、一枚一枚よーく見てみると、

「お日様」「空」「雲」「土」
「人」「花」「星」「うさぎ」などなど・・・、
そんなものも描かれている。
これって、幼稚園などの自由画の常連登場人・物だ。

消防車を目の前にしての写生会で、
消防車や消防士を描きながら、
無意識なのか、はたまた意識的なのかはわからないが、
それらの常連さんを描かないと自分の絵としては
落ち着かなかったんじゃないかな・・、と思った。

こんなことを考えてTPの消防車の写生画に戻ってみると・・・、


あ、ホースからは水が放水され、
消防車の背後では火事なのだろう、オレンジと黄色の火が、
そしてモクモクと黒い煙も!
左下の画面では家も燃えている!

画面上には空が、そして、画面下には
人口芝の校庭が広がっていた。

消防車と消防士は確かに写生対象ではあったけれど、
絵には消防車から連想された「火事」が描かれていた。
これが1年生の写生画の面白さだって私は思った。

そのことに気づいてから、他の子どもたちの絵を見てみると、
消防車と消防士だけが画面にある絵は本当に少なかった。
この二つはもちろん画面の主役ではあったけれど、
子どもによってはその周りに
自由画の常連人・物が所狭しと描かれていた。

きっと、1年生から6年生までの絵を並べていくと
もっと面白いことが見えててくるんだろうな・・・。

この小学1年生の教室前に飾られた「写生画」展、
6-7歳を一生懸命生きる子どもたちの
彼ららしい息吹を感じることができた
心に残る時間となった。

そしてふと思った。
かれこれ50数年前の私の小学校時代。
クラスの人数は55人だった。
そして壁に飾られる絵は
先生から「上手」と判断された絵だけだった。

その判断なしにすべての絵が飾られていた今回。
時代が変わったっと思うと同時に、
やっぱり子どもって面白いって思った。
いえ「人間」て面白いっていうことでしょうか。

5月の連休中には「安田靭彦展」「奥山土牛展」を巡った。
このあとは今、人気が沸騰してしまった「若冲展」に行く予定。

でも、この「1年生の写生画」というものに出会えたことは
この時期の子どもたちの面白さを改めて感じさせられたのでした。

ちなみにもう一枚。

「今のTP」 家での描画

「これは、ウルトラマン?」(TPの弟KJ)
「違うよ!TPだよ」(TP)

どうやら、これは今のTPの自画像らしい。
この絵と消防車の絵と・・・。
家の絵と、学校での絵、
なんだかとっても面白い。



猫と子ども(1)ー「あのね、ほんのちょっとだけ噛まれた・・・」ー

2016-05-05 17:24:08 | 子どもの情景
ウルトラマン2号KJ、4歳10か月。
朝、7時半に2階に上がってくる。

「おじいちゃん、おばあちゃん、おはよう!」(KJ)
「ムサシは?あっ、いたいた!」(KJ)と
テーブルの下にもぐる。
おはよう!ムサシなんていう声が聞こえてくる。

そして「シーーーーン」という空気が流れたかと思うと・・・、

「あのね、ムサシにね、ここね、ほんのちょーーっとだけ噛まれた」(KJ)
「あらっ、もしかして近づきすぎた?」(私)
「あのね、おはようって、鼻さわったの。そしたらね、
ちょっとだけ、ちょっとだけ、パクッて噛んだ」(KJ)
噛まれたけど、ムサシに悪気はないって言いたいんだなって思った。
それに噛まれたけど心配してもらう程痛くないって、言いたいんだなって。

「ムサシはね、KJのこと大好きだけど、
KJが近づきすぎたり、大きな声を出したり、
急に動いたり、鼻や耳やしっぽなんかを触られると、
ちょっと嫌だなって言葉でいえないから噛んで教えるのよ」(私)

「あのね、あのね、少しだけ、ちょっとだけだったの」(KJ)
「そうなのね。ムサシは本気で怒ったんじゃなかったのね」(私)
「うん、そうだよ。ねっ、ムサシ!」(KJ)
なんて言ってまた、テーブルの下のムサシのところへ行こうとする。

「ムサシ、まだ朝早いし、眠いんじゃないかな。
もう少し寝かせてあげようね」(私)
「うん、でも寝ていいよっていってあげる」(KJ)
といって、そのまましばらくテーブルの下。
「ねむい?また遊ぼうね!」(KJ)
そして、すっきりしたのかKJはテーブル下から出てきた。

これがムサシ猫と同居を始めて2か月のKJとムサシの関係。
少しずつ、少しずつ近づいてきた。
といってもKJが触りたいのは、本当は鼻と耳とシッポ。
ムサシが一番触られたくないところ。
だから、噛まれることもある。
「噛まれた?」って聞くと、

「・・うん。でもねシャーって言わなかった」(KJ)
ムサシも威嚇することはなくなった。

ムサシ猫、今年12歳。
職場に逃げ込んできた子猫だった。
大人ばかりの家にやってきて、ずっとのんびり育った。
それでも怖がりのムサシは初めの頃、
小さい体で、シャーシャー威嚇の声をあげ、
家に来て1週間ほどは、人がいるときはピアノの後ろに隠れていた。
それが少しづつ人の前に出てくるようになり、
以後ずーっとシャーッと威嚇の声を上げることはなかった。

それが、この3月半ばからの娘世帯との同居で、
ムサシの安穏とした生活は一挙に崩れた。

「キャー、こわーい!!」(TP,KJ)
「シャーッ、シャーッ」(ムサシ)
と、大騒ぎが続いた。

二人の足音、声がすると、ベッドの布団の中や、
子どもたちに見つかりそうもないところに、
サササーッと隠れた。
子どもたちは怖がるくせに「ムサシー、ムサシー」と
大声を出しながら探した。

時に我慢ができなくなって猫パーンチを喰らわす。
「キャーッ、怖いよう」と言いながらも、まんざらではない子どもたち。
そして、その間に入って、ムサシをねぎらったり、
ネコ語を翻訳して子どもたちに伝える私たち大人。

ムサシのブラッシングを子どもたちと一緒に始めた頃・・、
やっと、なんとかお互いこわごわながら、一緒の場所にいられるようになった。


 (ムサシと1年生になったばかりのTP)
    TP初めてのブラッシングに成功! 
    でもムサシ猫の目はちょっぴり尖っている。
    お互いの距離も微妙にあるが、
    ネコと子どもがお互いのなかにある怖がる気持ちを
    ぐっと押さえてカメラに収まった。

はてさて、これからどんなことが起こるのか・・・、
こうして、猫と子どもも一つ屋根の下に住むために、
共存の道をおっかなびっくり歩み始めたのでありました。