徒然なるままに~のんびり、ゆったり、こまやかに

猪突猛進型の60代。そして卵巣がんですっ転んで8年。目指すはのんびり、ゆったり、細やかな生活!無理かなー(#^.^#)

二世帯同居断片ー孫との相撲はリンパの流れを呼んだ!!-瓢箪から駒の巻-ー

2016-04-26 09:47:27 | 二世帯同居
朝7時半。
判で押したように「おはよう!」の声が階下から。
ドタドタドタって階段を上がってくる足音。

ウルトラマン2号KJとウルトラの父の出勤時間。
「お父さんもムサシにおはようって言って」(KJ)
猫のムサシは居間のテーブルの下の椅子の上。
朝のこの時間の避難場所。

でも、ウルトラマンたちは避難しているとは知らない。
「おはよう!ムサシッ!!」と元気に挨拶。

ここのところはウルトラの父にも挨拶を強要(笑)。
「ムサシ、おはよう」(ウルトラの父)
「・・・・・」(ムサシ)
「ムサシ、ミャーは?」(私)
「ミャァァァァ・・」(ムサシ)
「あ、ムサシもおはようって言ってくれたね。
じゃあ、行ってきまーーーす!」(KJ)

こうして、めでたく挨拶を交わし、
元気に保育園に出かけていく。

一方、ウルトラマン1号TPとは
これから朝の相撲と絵本タイムが始まる。
相撲はたいてい3本勝負。
老体に鞭打ってのシコ踏みと勝負。

初め、体がついていくかなあってちょっぴり心配だった。
だって、数年前に手術をしたとき、
腹部のリンパ節を63個も郭清しちゃっているから。
正座なんかが足のむくみを呼ぶので、
今まで、かなり足の手入れ?には気を使ってきた。

でもウルトラマンたちとの同居から、
彼らの楽しみのスキンシップ相撲を断ることもできず・・・、
ほぼ毎日のように短い相撲対戦をして、1か月半。

いやー、初めの2週間は右足外側の筋肉痛の凄かったこと。
やり過ぎかなって思ったけれど、様子をみた。
そうしたら、1週間でそれは消えた。

そして、なんだか体が軽い。
そうだ、階段の上り下りも、同居前とは比べものにならない。
運動量が違う。
タニタの体重計に乗ると、
なーーーんと体重も1キロ以上落ち、体脂肪率も減っている!!

もしかして・・・。
と、手術以来1か月に一度、
身体のメンテナンスということでお世話になっている
リンパマッサージに出かけた日。

施術をしてもらっている間に、思わず聞いてしまった。
「いつもより、弱くやっていただいていますか?」(私)
「いいえ、いつもより強い感じですよ。
今日は、筋肉までしっかり届く感じなんです」(マッサージの師匠)

あれっ???と思った。

いつもどうしても右足をかばって
筋肉をあまり動かしていないので、
右足の内側の筋肉をほぐすときには
ウウウッ、痛い!ということがある。

その強弱はあっても、始めてこの方ずーっとそうだった。
特に抗がん剤治療をしているときは
このウウウッ、痛い!が強くなる。

その時期は身体に負担になることを
あまりしないようにするのだが、
それが筋肉には逆効果。
筋肉は落ちるし、動かさないので、固まっているし、
リンパも滞ってしまうというわけ。
で、ほぐしてもらう時に痛いことに相成る。

ところが今日は違う。
全く痛いところがなかった。
師匠は、いつもより強くやっているくらいだって言うし・・・。
さらに「リンパの滞留がほとんどなかったですよ」とのこと・・。

えっ、とも思ったが、やっぱりとも思った。
要するに相撲と階段の上り下り効果だったのだ。

リンパ節を郭清してしまうと、
血液と違って、心臓というポンプを持たないリンパは
滞留しやすくなる。
それを防ぐには筋肉の力を借りなければならない。

ところが、疲れちゃまずいかなとか色々あって、
どうしても動くことが少なくなる。
それが、リンパをますます滞留させることになり、
更に動きにくくなるという負のスパイラルを呼び込む。

今回、たまたまの状況で、
シコを踏んだり、孫が思いっきりかかってくるのを、
ぐっと瞬間的に筋肉に力を入れて押しとどめたり、
或は階段をときには早足で駆け下りたり・・・。

それが、筋肉の緩急運動を呼び込んだというわけだ。
そしてめでたくリンパはすっきり流れる・・・、
ということだったのだ。

「瓢箪から駒」とはこのことだ。

そして思った。
やっぱり無理はしないけれど「ちょっぴりの無理」は必要だなって。
恩師の言葉に「ほんのちょっとの無理をして」
というのがあるのだけれど、ほんとだなって。

久し振りに夫もいない猫と二人だけの居間。
階下の家族も職場や学校、保育園に行っていて、
物音ひとつしない。
ムサシ猫はテーブル下の絨毯の上で思い切り体を伸ばしてうたた寝。
私は思いっきりPCに向かっているのでありました。


「おなら絵本」後日談ーショック!乙女の恥じらいは忘却の彼方にー

2016-04-23 10:19:06 | 絵本・児童書 今日の一冊
前回のブログの後日談です。
そしてちょっぴり反省を込めて・・・。


 おくはらゆめ「やきいもするぞ」ゴブリン書房

このおなら大会がメインの「やきいもするぞ」を
読んだ授業の後に書いてもらった感想用紙。
そこにはこんな内容が書かれていた。

「ほんとうは、子どもと仲良くなるためには、
こういう本を読みたいと思った。
でも・・、やっぱり子どもたちの前で
おなら絵本を読むのは恥ずかしい・・・」

「おなら絵本は、子どもたちに読む絵本コレクションには
入れられないなと思った。読み終わった後、子どもたちが
うるさくなってしまうという不安が強いから・・・」

「絵本を読んでもらいながら、ずーっとこの絵本を
実習で使おうかどうか悩みました」

「『やきいもするぞ』を聞き終わってから、
自分が読むのはちょっと恥ずかしいし無理かなと思ったけれど、
子どもが恥ずかしいとか不思議だと思う自然現象を、
絵本を通じて共感しあえるのはすごく魅力的だと感じました。
でも、また子どもの前で読む勇気がありません」
エトセトラ、エトセトラ・・・。

そうか、あの「シーーーン」という静けさの原因はこれだったのだ。
彼女たちは聞きながら、面白さを噛み殺しつつ、
果たして、これは実習で使えるかとか、
「おなら」の楽しさが主題になっている絵本なんて、
恥ずかしくて・・、と悩んでいたんだ。

「恥ずかしさ」、か・・・。
この言葉、高齢者にしっかり両足を突っ込んだ
私の辞書からは「削除」されていることに気づいた。

彼女たちの感想用紙に目を通す前まで、
私は実習前の彼女たちが「先生にならなきゃ」っていう思いが
先行していることばかりが気になっていた。

それだけじゃなかったんだ。
「乙女の恥じらい」。
私は、もう何年もまえにどこかに脱ぎ捨ててしまっていた。
頭の中の辞書からも削除されていたので、
気づけなかった・・・・。

ごめんなさいって言いたいなって思った。
まだ20歳前後なんだものね。

自分こそが、上から目線、教師目線になっていた。
そうなるなって、彼女たちに言っているのに・・・。

少しずつ、その恥ずかしさを乗り越えて、
子どもたちと仲良くなってねって言うだけでよかったんだ。

それにしても、高齢者である私は、
知らぬ間にこんな言葉も削除していたんだって、
ちょっと愕然とした。

あとは何を削除したんだろう・・・。
と、ちょっぴり反省モードに入ったのでした。

おっと、この「ちょっぴり」がくせもの。
ほんと、「ちょっぴり」しか反省しないのが高齢者だなって・・。


やきいもするぞ、えいえいブー -「おなら」絵本は幼稚園実習の禁断の木の実??-

2016-04-21 23:38:16 | 絵本・児童書 今日の一冊
平日朝、7時半。
階下からウルトラマン1号TP、2号KJが
「おはよう!」って元気よくやってくる。
KJは、そのあとすぐに父親と保育園へ。
母親は7時10分に既に出勤している。

TPは1年生。
そのまま8時の登校時間まで2階で過ごす。

2階の住人のムサシ・ザ・キャットにも
ちょっぴりこわごわ挨拶をする。
ムサシも彼らが上がってくる頃には
テーブル下の椅子の上に隠れてじっとしている。

このムサシとウルトラマンたちの同居生活の顛末は、
また別の機会に譲ることにするが、
同居して1か月半、なんとか両者、
落としどころを見つけて生活している。

挨拶が終わると、しばしソファを使っての体育の時間。
ジャンプや渡り歩きがとっても上手になった・・・。
ソファもへこんだ。
でも、それ以上にウルトラマンがウルトラマンらしくなった。
嬉しい。

そして、それが終わると絵本タイム。
このところのブーム。
今はまっているのは、この一冊。

おくはらゆめ作・絵「やきいもするぞ」(ゴブリン書房)

ちょっと季節外れだけれど、
内容は動物たちとおいもの神様の焼き芋大会、
いえ「おなら大会」。
ここがミソ。
TPもKJもこの絵本が大好きで大好きで、いつも大笑い。
特にTPとはこの絵本を掛け合いで読む。
それが何とも心地よい。
これって子どもと一緒に絵本を読む醍醐味。

この日、私は自分の授業でこの絵本を使いたいなって思っていた。
「ねえ、TP、この絵本をお姉さんたちに読んでみようと思うんだ」(私)
「えっ、これはいい本だよ!お姉さんたちに読んであげて!」(TP)
と言うなり、TPはさっさとこの絵本を私の通勤バッグに突っ込んだ。
「きっと面白いよ!」(TP)とニコニコしている。

時は巡って授業のとき。
本題の前に絵本を読むことに決めている私は、
今日のコレクションに学生たちが
どう反応するか、とても楽しみだった。

朝のTPとの選書の顛末を話し、いよいよ開始!

ところが、ところが・・・。
この本を読み始めてから読み終わるまで「シーーーーーン」。
いっ、いっ、いったい、どういうこと???
読み終わって、彼女たちの顔を見ると、笑いたいのをこらえている!

実は彼女たち、秋に幼稚園への教育実習を控えている。
いやー、実習は秋だし、子どもたちと楽しむのにはぴったりなのにな、
と考えたのは私だけか。

だが待てよ、もしかして・・・・。

で、学生たちに聞いてみた。
「この絵本、実習中に読んでみたい?」って。

そしたら、読みたいと言ったのは
1クラス50人中数人。
あるクラスは皆無だった。

「なんで読みたくないの?」って聞いてみたら、
口々に「実習中はちょっと・・ね」という。
「何がちょっとね、なの?
もしかして、『おなら』っていうのが下ネタだから?」(私)

「ええ、まあ、そうです」(学生)
「それに、面白すぎて、帰りの会なんかで読んだら、
もう、クラス中の収拾がつかなくなるんじゃないかって・・・」(学生)

なるほどー、彼女たちは教育実習では
いわゆる「先生」にならなくちゃって思っているんだ。

学生たちに「先生」っていうイメージを聞くと、
善悪をしっかり子どもに伝える人、
あるいは「けじめ」とか「めりはり」のあることを
子どもに教える人だって返ってくることが多い。
そして子どもたちを集団としてまとめなきゃって。
このイメージは毎年判で押したように同じだ。

「面白い」とか「楽しい」っていうことは
教育の対極にあるように考えているのかな。

だから「笑い」を誘うことが予想されるこの絵本は
彼女たちにとって実習では禁断の木の実となるのだ。

でも、彼女たちが出会うのは3歳児から5歳児。
「うんち」「オシッコ」「おなら」なんて言う言葉を連発する時期。
そこで眉を顰めるか、一緒に笑いころげるかで
子どもとの距離が違ってくる。

この距離が縮まらないことには、
子どもと心を通わすことなんて夢のまた夢って。
子どもたちが心開いてくれなければ、何も始まらない。

だから私の勝負は、彼女たちのこのイメージを
剥がすことができるかどうかにかかっている。

が、これがどうして、なかなか難しい。
私の絵本読みの場面で彼女たちが「しーーん」としたのは
まだ、私の前で大声で笑えるような関係ができていないということ。

彼女たちのことをああだこうだ言う前に、
まずはここから始めなきゃ。
「子どもって面白い!」って思えるネタをいっぱい
用意しなくっちゃと反省満載の授業の一コマなのでした。(つづく)



父のことー認知症と向精神薬報道に思うー

2016-04-18 10:20:20 | 父とのこと
92歳で一人暮らしをしていた父が
自宅の階段で倒れてから9か月が経った。

一人暮らしが続けられなくなってからの9か月、
この間の父の住み家は数か所に及ぶ。

自宅→A病院(急性期病棟)→B介護老人保健施設
→C病院(急性期病棟)→D病院(急性期病棟)
→D病院(急性期と療養型病棟の中間病棟)
→D病院(療養病棟)→E老健への転院待ち

実に4施設。その間、同じ病院内でも、
急性期が終わると、療養病棟、
あるいはそれに類する病棟に移る。

今や社会的入院は許されないから、
結果こういうことになるともいえる。

でも、これだけ転院したが、いくつか分かったことがある。

まず、病院内にソーシャルワーカーの常駐が当たり前になっていること。
2年前に98歳で亡くなった姑の時もそうだったけれど、
このソーシャルワーカーの方々が実によく相談にのり、
次の手配について様々な算段をしてくれる。

これは一昔前とは比べものにならないほどかもしれない。
その結果、次の住み家が決まることになる。

ただ、当たり前と言えば当たり前なのだけれど、
その度に次の病院や施設の面接を受けることになる。
その付き添いの多くを担ってくれた妹曰く、
「親の入試の面接にこんなに行くとは思わなかったわ(笑)」

そう、その度に本人面接はもとより、
本人と一緒の面接、あるいは家族面接が繰り返される。

父が介護保険のお世話になって、かれこれ4年半以上経つ。
初めは週1回の生活介助から始まったが、
父のできないことが増えるたびに、
その介助を増やしていった。

父が弱いのは夏だった。
夏は気づかぬ間に脱水症状になる。
家の中にいてもだ。

そして、その度に少しずつ少しずつ出来ることが消えていった。

でも、こうして振り返ってみると、
いつもできるぎりぎりまで頑張って、
いよいよダメというときに
次のステップを踏んでいったように思う。
だから、この4年半は徐々にという言葉が相応しい。

たとえ、父が誰もいない時に倒れても、
それでいいというのが父の考えで、
私たち姉妹はそれを尊重した。
父は、「下のことができなくなったら、
養老院でも仕方ねえな」といっていた。

けれど、頭のしっかり具合と、
下の具合が正比例するわけではなく、
そちらがだいぶ怪しくなってからも、一人暮らしを続けた。
文字通り、夜間に二階に上がって、
階段の最上階で力尽きて倒れるまで・・・。

ところで、認知症の薬というのも
とてもデリケートなものだということを知ったこの間でもあった。

アリセプトがほんの2,3日切れただけで、
あっという間に具合が悪くなった。
それは信じられないくらいの速さでそうなった。

父はレビー小体型認知症なので、
夜中に大声を出したり、家の中を動き回ったり、
妄想国に支配されると、それもまた少々大変。

その病状を説明すると、医者は向精神薬を処方した。
初めのうち、私たちは向精神薬がどういうものかの知識がなかった。
確かに、暴れたり、妄想に支配されることは減る。

ところ、そこに落とし穴があった。
効きすぎるのだ。

動きを止めるということは、
あらゆる機能の動きを止めることにつながる。
まず、ろれつが回らなくなる。
歩くのも手を取ってもらわないと歩けなくなる。
なんとなく、寝たきりに近い形になる。

なんか変だ。
そう思っても、初めのうちは薬の副作用とは思わなかった。
でも、あまりにおかしいので、医者にいうと、
医者はすぐに薬を中断した。

しかし一回、その状態にまでなると、
それが回復するまでに月単位の時間がかかるということも分かった。

B老健からC病院の急性期病棟に入った時も多分そうだ。
父は、大きな声を出したりと、
施設の集団生活を乱すようなことがあったのだと思う。
そして、それでは他の利用者にも迷惑をかける。

その時、父は車いすに座っていたのだが、
急にダランとなって、救急で病院に搬送された。
脳梗塞等が疑われたが、検査の結果で、そうではないことが分かった。
そして、話しているのだが、ろれつが回らいどころか、
こちらにはまったく何を言っているかわからない状態になった。
この間に、口から食べることが無くなった。

いよいよダメかなとこの時はさすがに覚悟した。
でも・・・、
それから2か月近くたって、ろれつが回らないことは無くなった。
明らかに回復したのだ。
そして、体の動きも活発になった。
元に戻ってきたのだ。

私たちはやっぱり薬のせいだったと確信した。
こんな結論に達して、私たちは医者にもそういうことがあると
逆に説明するようになった。

父が食べなくなった時は、どういう決断をするか本当に悩んだ。
しかし、胃瘻の決断をした。

今、父は妄想国に支配されることは多いながらも、
私たちのことが認識できることもあり、
いたわってくれることすらある。

こんな9か月を過ごしてきたわけだが、
確か、4月11日付の新聞やNHKで「向精神薬」を
認知症患者に投与することには注意するようにというニュースがあった。

詳しいことは記事に譲るが、
もともと、薬は毒と裏腹の関係にある。
それをどのように使うか・・・。
本当に難しい。

もし私たちが父と同居していたら、
使っても静かにしてほしいと思うだろう。

これを使用せざるを得なかった施設だって、
集団施設という限界の中での運営だから仕方ない面もある。

ただ、父がその薬の副作用からそれなりに回復するのを見ると、
本当に使用が難しいと思う。

医者を信じつつも、一番近くにいるものがやはりよく見ていて、
そして、その状況の中で、
薬をどのように使う決断をするかを見ていないといけないなって。

認知症は脳の異変から起こるものだ。
その脳に作用させて、なんとかよい状態にもっていこうというのが
それらの薬たちである。

これが絶対という使用法の結論はない。
それぞれの置かれた状況の中で、決断していくことになる。

先程のニュースではやはり、高齢の母親がその薬を投与されてから、
おかしくなったのを介護していた娘が気づいた例を放映していた。

これもあくまでも一つのケースということになる。
妄想がひどい場合、あるいは暴言や暴力がひどい場合、
一体どういう決断をするかは、そばに近しくいる人や、
医者にかかってくる。

そばに近しくいる人が家族である場合と施設の職員とでは
また結論が違ってくるかもしれない。

その患者本人と、まわりで一緒に生活する人が、
その状況の中で一番過ごしやすいかということが
その決断材料になる以外、方法はないのではないか・・。

向精神薬と認知症に関するこの報道を見て、
あれこれ思ってしまったのでした。


二世帯同居断片ー獅子は子どもを谷へ突き落すー

2016-04-12 10:05:38 | 二世帯同居
夜7時。
私たちは一日の役目を終える。
さあ、コーヒータイム!!

「ホットコーヒーって、こんなにおいしかったっけ?」(私)
「・・・・そうだねえ・・」(夫)

こんな会話を交わしながら、私たちはソファに倒れ込む。
なーんてちょっとオーバーだけれど、
この解放感は、何か仕事を仕上げた時の
「ヤッター、終わったー!」という解放感と酷似。

久し振りにメリハリのある生活。
この夜のコーヒーを楽しみに一日一日を送って1か月が経った。

今は朝。
家に一人。

そういう時、私の朝の定番、
バッハのブランデンブルク協奏曲を音量大き目で聴く。
なーんて久し振りのことなんでしょう。

今朝、夫はゴルフに出かけた。
「悪いな、今日はウルトラマンのお迎え、頼むな」と
ちょっぴり悪そうに、でもいそいそと出かけた。

階下に住むウルトラマンの母は毎朝7時10分に出勤。
7時半にウルトラマンの父が小学1年生の1号を上に連れてくる。
ウルトラの父はそのまま2号を保育園に連れていきながらの出勤。

8時少し過ぎ、私か夫は
1号が登校に慣れるまで、通学路を送っていく。
私たちの地域は、もう登校班が消滅して久しいらしい。
子どもたちの頃はそれでもまだあったのだけれど、
班にするほどの子どもが近くにいないということだ。

で、慣れるまでは送っていくことになる。
「ねえ、おばあちゃん、今日も正門まで来てね」(1号)
「そうねえ、慣れるまでね」(私)

でも、ウルトラの父からは
今日は途中の横断歩道までにして欲しいと頼まれている。

家から横断歩道までの道すがら、
「おばあちゃん、やっぱり怖いから正門まで来て」(1号)
「大丈夫、見えなくなるまで見ていてあげるからね」(私)
と言いながら、送っていきたい衝動に駆られる私。
もう少し時間をかけてもいいかななんて考えが頭をもたげる。

5分で横断歩道前の歩道橋についた。
そこを渡ったところでウルトラの父と会う。
父は2号を保育園に送り届けてからここで1号を待っていたのだ。

「じゃあ、行っておいで!」(ウルトラの父)
「いってらっしゃーーい!」(ちょっぴり不安な私)

1号は、右見て左見て、続く横断歩道を一人で渡った。
そして一回だけ振り返ると、バーッと駆け出した。
どんどん、どんどん走っていく!
もう振り返らない。
そして視界から消えた。

パーッと駆けだした後ろ姿。
頑張って一人でちゃんとやっている!

私はつくづく「ばあさん」になったのだと思い知った。
登校に慣れるのは、少しずつでいいなって思っていた。
時間をかけてでいいのになって。

でも親は違った。
「獅子は子どもを谷へ突き落す」と言われているが、
今日はその日だった。

そして、私は突き落とした後を見るチャンスを得た。

そこで見たもの。
それは、子どもがそこから自分で「えいっ」と勇気を振り絞って
走り去る姿。
それは子どもながらに立派な姿。

そのチャンスを摘みがちなのが、
ジジババなのかもしれない。

1号が帰ってきたら、
その立派さをほめたいなって思った。

ウルトラの家族は共働き家庭。
私自身は専業主婦を10年以上やったあとに再就職した。
だから、子どもたちが小さい時は専業で、
子どもたちは幼稚園に行っていた。
共働き家庭のことは、私にとって知らないことだらけだ。
そして、専業主婦だった私は、
いかに自分が体力的には楽をしていたかを思い知った。

ウルトラの家族とこうして同居して、
色々なことを考えるチャンスをいっぱいもらっている。

夜の「ホットコーヒータイム」を励みに、
しばらくはいろいろ勉強させてもらおうって思うのでした。