徒然なるままに~のんびり、ゆったり、こまやかに

猪突猛進型の60代。そして卵巣がんですっ転んで8年。目指すはのんびり、ゆったり、細やかな生活!無理かなー(#^.^#)

ウルトラマン1号と読む矢玉四郎ーはれぶたシリーズとの再会ー

2016-12-12 09:34:30 | 絵本・児童書 今日の一冊
朝の7時半。
階下からウルトラマン1号(小学1年生)と
ウルトラマン2号(保育園4歳児)がやってくる。
2号は「おはよう!!」って元気に言って、
そのまま父親と保育園に出かける。

1号は、8時の登校まで、
ジジババの居城2階で過ごす。
この4月からの朝のパターンだ。

この30分間の過ごし方、いろいろあった。
けれどこの3週間ほどは
「はれぶた」シリーズを一緒に読んでいる。
「はれぶた」シリーズとは・・・
矢玉四郎さんの作なる
「はれときときぶた」のシリーズのことだ。

「はれときどきぶた」と出会ったのは今からおよそ30年前。
ウルトラの母が確か4歳くらいの時だったと思う。
今年亡くなった「灰島かり」こと貴志子さんとその娘さん、
そして私の友人M子とその娘さんと共に新宿にある
劇団「プーク」の人形劇場に観に行ったこともある。

しかし我が子の成長と共に
幼年創作童話とは疎遠になっていた。
けれど、ウルトラマンたちと生活するようになって、
彼らのチョイスに付き合ううちに、
いつの間にかまた幼年童話とも
再会のチャンスを与えられた。

今、ウルトラマン1号がはまっているのが
この矢玉四郎さんの「はれぶた」シリーズ。

矢玉さんの絵には、1号の好きな土臭さがある。
60年くらい前、私がはまって憧れた
シンデレラ、白雪姫、白鳥の王子などに出てくる
お姫様の世界やほんのちょっと前、
幼稚園や保育園の女の子たちを虜にした
「アナと雪の女王」の世界とは
ある意味対局なる世界。

そこで展開する世界。
30年前には気付かなかった発見がある。
矢玉さんはある意味過激だ。
けれど「学校」というものに
毎日通うことを義務付けられた子どもたちを、
そして大人の世界の中で生活する子どもたちが
窒息しないで、生き延びられるような「言葉」が
埋め込まれていることに気づいた。

学校に行くことは「お仕事」と
とらえている節のある1号。
基本的には例外はあっても
月曜日と木曜日の足取りは重く、
金曜日の足取りは軽やか。

ところで、
私は今同様((*_*;)おしゃべりな子どもだった。
母はよく言っていた。
「R子がその日の幼稚園や小学校の話をすると
先生が何を着てきたか、
どんな髪型をしていたかまで分かったわ」って。

でも、それは1号には望むべくもない。
多くの男の子たちの例にもれず、
学校のことに関しては寡黙だ。
母親には必要なことは伝えているようだが、
友だち関係、クラスでどんなことが起こっているか
なんていうことに関する情報は彼からは得られない。
そんなことは話す気もないみたい。

自分の中でなんとかやっているのだろう。
それがそこで収まらない時、弟に対する態度で
あ、何かあったなってわかるとウルトラの母はいう。
でも、具体的には何かは分からない。

そんな1号が大好きな本を一緒に読んでいて、
そんな彼らが生き延びられる言葉があるなって思うのが
このシリーズ。

そんな風に読んでいたら、
矢玉四郎「心のきれはし」というエッセイに出会った。
サブタイトルは「教育されちまった悲しみに魂が泣いている」
ちょっぴり過激だけれど、そのあとがきに
「子供の心には太陽が輝いていなければ」と書かれていた。
これが子どもの本を書く信念だったと。

矢玉四郎「ぼくときどきぶた」のあとがきをみたら
こんなことが書かれていた。

「(略)もともとこどものものだった絵本なのに、
いつのまにかおとなのよろこぶ「よい絵本」がふえてきた。
だが、紙芝居は、こどもたけのものだ。
なかには、教育的配慮とかいって、
わざわざおもしろくないようにしているひともいるが、
おもしろくなければ、見ているひとがもんくをいうから、
やるひともかってにおもしろいようにしゃべったりする。
そこが、紙芝居のいいところだ。
自分かってにやるところがいいのだ。
 自分たちだけの「わるい紙芝居」をつくてみよう。
なんでもいいんだ。
賞をもらおうとおもったり、
おとなにほめられようとしたら、
つまらないはなしになってしまう。
できあがっても、おとなにはみせないつもりでつくるといいだろう。
 かみしばいよりも、もっとおもしろいのは、
自分の人生だ。主役は自分にきまっている。
はなしをつくるのも、やるのも、見るのも自分だ。
どんなはなしをつくるかな。
自分だけのはなしをつくってやろう。
おもしろいぞ。」と。

もう、「親」という看板は下ろした私。
ソファに並んで、1号と私、お互いもたれかかりながら、
掛け合いのようにこれらの本を読みあう。

子どもの世界はある意味過酷。
大人のいないところでいろんなことが起こる。
加えて、学校の権威性は今でも綿々と息づく。
そこで、自分を失わず、なんとか生き延びてほしい。

そんなことを思いながらの
朝の20分もたれあい読書の時間。
ほんと、子どもの生き様は哲学そのものって思うのです。


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