ここに1冊の絵本がある。
アンソニー・ブラウン作・灰島かり訳 「森のなかへ」評論社
今、この絵本を前に、
絵本って何?という大難題に突き当たっている。
この本を孫二人の目につくところに置いておいた。
孫とはウルトラマン1号(3年生男児)と2号(1年生男児)。
まず、1号が気付いた。
そして手に取った。
じっと読む。
そして読み終えて、その場を去った。
それから数日後、彼はまたその「森のなか」を手にとっていた。
「面白いの?」(しまった、野暮なことをきいちゃった・・私)
「うーん、普通かな」(1号)
「でも、あの場面、
赤ずきんちゃんのお話と似た場面があったでしょ。
おばあさんの声が変だとわかった時、
次のページめくるとき、どきどきしたんじゃないの?」
(なーんて、さらに余計なことをきいてしまった私・・)
「そう」(1号)
「でも、おばあさんの笑った顔が出てきたからホッとしたわよね」
(もう言わなくてもいいのに!!自己嫌悪・・)
「・・。(ニコニコッ!)」(1号)
2号。1年生男児。
彼は、「なにこれ」と言って手に取った。
そして、1頁ずつ丹念にめくってみていった。
読み終わった瞬間、
「つまんない」と、絵本をほっぽり投げた。
二人の反応。
まあ、そうかなと思った私。
実は、この絵本、私にもにもはじめは難しかった。
何を言いたいのかよくわからなかったのだ。
ただ、場面によって彩色されている部分と、
主人公を覗いて無彩色になっている部分がある。
おまけに中扉の色は真紅。
とても象徴的。
でも何の象徴だかわからない。
意識と無意識??なんて陳腐なことを考えたり・・。
ステキな絵本は、年齢に応じて楽しめるものだろう。
でも、この絵本を小さい子どもたちは
どんなふうにわかるのだろうと思って
孫の目の触れるところに置いておいたのだ。
おっと、そんな話をする前に、
この絵本のあらすじが必要だ。
・・・・・・・・
ある夜、5,6歳と思われる主人公は
大きな音で目覚めてしまう。
(不吉な始まり)
そして朝。
食卓にはパパはいない。
ママは無表情に
パパはいつ帰ってくるかわからないと言う。
(描かれたママの無表情と、主のいない椅子が
何とも怖い)
主人公は父親の不在がさみしく、
家中に「パパかえってきて」とあちこちに張り紙する。
次の日、主人公はママから病気のおばあちゃんのお見舞いに
ケーキを届けてと頼まれる。
(あれ、この子は男の子だけれど、話の流れはあかずきんみたい)
大好きなおばあちゃんの家に行く道は2つあるけれど、
決して森のなかに入る道を通ってはいけないと
ママからいわれる。
けれど主人公はその言いつけを破り、
初めて森のなかの道を選択する。
場面は無彩色になり、色がついているのは主人公だけ。
(やっぱり、入ってはいけない方に入っていく・・)
途中、牛を連れた男の子と出会い、
その牛とケーキを取り換えてくれと頼まれるが、
主人公は「おばあちゃんのケーキだから」と断る。
(なんだかジャックと豆の木の一部分みたいとは訳者の言)
次の場面には女の子が登場。
女の子はケーキを食べたいとしつこくまとわりつくが、
それを無視しておばあちゃんの家に向かう。
(これは3匹のクマの女の子?と訳者)
次には道に迷った兄妹がしゃがんでいた。
女の子が泣いている声に
主人公は後ろ髪を引かれるが、
そのまま歩き続ける。
(あれっ、ヘンゼルとグレーテルじゃない?とこれまた訳者)
次の場面。無彩色の森のなかに、
真っ赤なコートが木にかかってる。
寒くてしようがなかった主人公は
それを着て、もうめちゃくちゃに走ったが、
なかなか道が見つからない。
(これも赤ずきんちゃんを彷彿とさせる?と訳者)
が、やっと見つけたおばあちゃんの家。
ドアをノックすると、
いつもとは違う変なおばあちゃんの声。
入っておいでと言われて怖くなったけれど、
そーっとドアを開けた。
(ここでは、私も頁をめくるのが本当に怖かった!)
そこにいたのは!!!
そう、おおかみではなく、
風邪でひどい鼻声になったおばあちゃん。
この場面からまた色のある世界になる。
(森の世界からの脱出成功!)
次のページ、ふと後ろをみると、
なんと、パパがいたのだ。
森での出来事を話した主人公は、
3人でケーキを食べ、元気になったところで
家に帰ることに。
「ただいま」というと
待っていたのはママ。
大きな手を広げて二人を迎えた。
(手を大きく広げているけれど、
私には、ママの表情がイマイチ大歓迎には見えなかった。
主人公がもろ手を上げて喜んでいるのに
なんか違和感・・・)
・・・・・・・・
という絵本。
森のなかの出来事がほとんどすべて
昔話の題材からなっている。
孫の1号はここに気付き、
次のお頁をめくるスリルを味わったが、
1年生の2号には面白さを見つけるのは
ちょっぴり難しかったのだろう。
そして68歳の私。
もしも、孫がどんな風に読むのかななんて思わずに、
自分だけで読んでいたら、1回読みで終わったかもしれない。
そして、アンソニー・ブラウンて有名だけれど、
どこがおもしろいんだろう??
私の感性じゃない!なんて
高慢ちきなことを考えたかも。
けれど何回も見返すうちに、
私にはとても怖い本のように思えてきた。
特に母親の表情だ。
あの父の不在。
そして父が家出の場所として選んだところが
おばあちゃん(たぶんこの父親の母親)の家っていうことを
どう理解したらよいのだろう。
孫との関係はとっても良いおばあちゃん。
この母親もおばあちゃんの悪口を言っているわけではない。
でもなんで、父親はそこに行ったのだろう??
母親が出ていって、自分の実家にいくのではなく、
その反対になっている。
でも、単純に考えれば単に父親は
病気になった自分の母親の面倒を
みにいっただけかもしれない。
うーん、うーんと唸りながら、
まだまだこの絵本を手放せないのでありました。
つくづく絵本は子どものためのものだけではないと
再確認した一冊となったのです。
文章が単純であればあるほど
描かれた絵を読み込むことになるんだなって
強く思った一冊なのでした。
アンソニー・ブラウン作・灰島かり訳 「森のなかへ」評論社
今、この絵本を前に、
絵本って何?という大難題に突き当たっている。
この本を孫二人の目につくところに置いておいた。
孫とはウルトラマン1号(3年生男児)と2号(1年生男児)。
まず、1号が気付いた。
そして手に取った。
じっと読む。
そして読み終えて、その場を去った。
それから数日後、彼はまたその「森のなか」を手にとっていた。
「面白いの?」(しまった、野暮なことをきいちゃった・・私)
「うーん、普通かな」(1号)
「でも、あの場面、
赤ずきんちゃんのお話と似た場面があったでしょ。
おばあさんの声が変だとわかった時、
次のページめくるとき、どきどきしたんじゃないの?」
(なーんて、さらに余計なことをきいてしまった私・・)
「そう」(1号)
「でも、おばあさんの笑った顔が出てきたからホッとしたわよね」
(もう言わなくてもいいのに!!自己嫌悪・・)
「・・。(ニコニコッ!)」(1号)
2号。1年生男児。
彼は、「なにこれ」と言って手に取った。
そして、1頁ずつ丹念にめくってみていった。
読み終わった瞬間、
「つまんない」と、絵本をほっぽり投げた。
二人の反応。
まあ、そうかなと思った私。
実は、この絵本、私にもにもはじめは難しかった。
何を言いたいのかよくわからなかったのだ。
ただ、場面によって彩色されている部分と、
主人公を覗いて無彩色になっている部分がある。
おまけに中扉の色は真紅。
とても象徴的。
でも何の象徴だかわからない。
意識と無意識??なんて陳腐なことを考えたり・・。
ステキな絵本は、年齢に応じて楽しめるものだろう。
でも、この絵本を小さい子どもたちは
どんなふうにわかるのだろうと思って
孫の目の触れるところに置いておいたのだ。
おっと、そんな話をする前に、
この絵本のあらすじが必要だ。
・・・・・・・・
ある夜、5,6歳と思われる主人公は
大きな音で目覚めてしまう。
(不吉な始まり)
そして朝。
食卓にはパパはいない。
ママは無表情に
パパはいつ帰ってくるかわからないと言う。
(描かれたママの無表情と、主のいない椅子が
何とも怖い)
主人公は父親の不在がさみしく、
家中に「パパかえってきて」とあちこちに張り紙する。
次の日、主人公はママから病気のおばあちゃんのお見舞いに
ケーキを届けてと頼まれる。
(あれ、この子は男の子だけれど、話の流れはあかずきんみたい)
大好きなおばあちゃんの家に行く道は2つあるけれど、
決して森のなかに入る道を通ってはいけないと
ママからいわれる。
けれど主人公はその言いつけを破り、
初めて森のなかの道を選択する。
場面は無彩色になり、色がついているのは主人公だけ。
(やっぱり、入ってはいけない方に入っていく・・)
途中、牛を連れた男の子と出会い、
その牛とケーキを取り換えてくれと頼まれるが、
主人公は「おばあちゃんのケーキだから」と断る。
(なんだかジャックと豆の木の一部分みたいとは訳者の言)
次の場面には女の子が登場。
女の子はケーキを食べたいとしつこくまとわりつくが、
それを無視しておばあちゃんの家に向かう。
(これは3匹のクマの女の子?と訳者)
次には道に迷った兄妹がしゃがんでいた。
女の子が泣いている声に
主人公は後ろ髪を引かれるが、
そのまま歩き続ける。
(あれっ、ヘンゼルとグレーテルじゃない?とこれまた訳者)
次の場面。無彩色の森のなかに、
真っ赤なコートが木にかかってる。
寒くてしようがなかった主人公は
それを着て、もうめちゃくちゃに走ったが、
なかなか道が見つからない。
(これも赤ずきんちゃんを彷彿とさせる?と訳者)
が、やっと見つけたおばあちゃんの家。
ドアをノックすると、
いつもとは違う変なおばあちゃんの声。
入っておいでと言われて怖くなったけれど、
そーっとドアを開けた。
(ここでは、私も頁をめくるのが本当に怖かった!)
そこにいたのは!!!
そう、おおかみではなく、
風邪でひどい鼻声になったおばあちゃん。
この場面からまた色のある世界になる。
(森の世界からの脱出成功!)
次のページ、ふと後ろをみると、
なんと、パパがいたのだ。
森での出来事を話した主人公は、
3人でケーキを食べ、元気になったところで
家に帰ることに。
「ただいま」というと
待っていたのはママ。
大きな手を広げて二人を迎えた。
(手を大きく広げているけれど、
私には、ママの表情がイマイチ大歓迎には見えなかった。
主人公がもろ手を上げて喜んでいるのに
なんか違和感・・・)
・・・・・・・・
という絵本。
森のなかの出来事がほとんどすべて
昔話の題材からなっている。
孫の1号はここに気付き、
次のお頁をめくるスリルを味わったが、
1年生の2号には面白さを見つけるのは
ちょっぴり難しかったのだろう。
そして68歳の私。
もしも、孫がどんな風に読むのかななんて思わずに、
自分だけで読んでいたら、1回読みで終わったかもしれない。
そして、アンソニー・ブラウンて有名だけれど、
どこがおもしろいんだろう??
私の感性じゃない!なんて
高慢ちきなことを考えたかも。
けれど何回も見返すうちに、
私にはとても怖い本のように思えてきた。
特に母親の表情だ。
あの父の不在。
そして父が家出の場所として選んだところが
おばあちゃん(たぶんこの父親の母親)の家っていうことを
どう理解したらよいのだろう。
孫との関係はとっても良いおばあちゃん。
この母親もおばあちゃんの悪口を言っているわけではない。
でもなんで、父親はそこに行ったのだろう??
母親が出ていって、自分の実家にいくのではなく、
その反対になっている。
でも、単純に考えれば単に父親は
病気になった自分の母親の面倒を
みにいっただけかもしれない。
うーん、うーんと唸りながら、
まだまだこの絵本を手放せないのでありました。
つくづく絵本は子どものためのものだけではないと
再確認した一冊となったのです。
文章が単純であればあるほど
描かれた絵を読み込むことになるんだなって
強く思った一冊なのでした。