徒然なるままに~のんびり、ゆったり、こまやかに

猪突猛進型の60代。そして卵巣がんですっ転んで8年。目指すはのんびり、ゆったり、細やかな生活!無理かなー(#^.^#)

丸の内オアゾの丸善でーどろだんごとたごとのつきまつりー

2015-10-18 08:31:51 | 絵本・児童書 今日の一冊
あった!
飯野和好さんの最新刊
「どろだんごとたごとのつきまつり」
この9月に出版されている。


飯野和好「どろだんごとたごとのつきまつり」BL出版 2015

何とも渋く、土着的、そしてユーモア、
さらに言えばそのことばのリズム感!
これって、飯野和好さんの持ち味。
そしてちょっぴり団塊の世代の郷愁を誘う・・・。

でもそんなことを知ったのは、
恥ずかしながらそんなに昔の話ではない。

何を隠そう、孫のTPがはまっている絵本に
「ねぎぼうずのあさたろう」シリーズがあったのだ。


飯野和好「ねぎぼうすのあさたろう」福音館書店 1999

本のタイトルと名前だけは知っていた。
そしてこの表紙も。
でもその後、アニメになったことすら知らなかった。

それは私に興味がなかったから。
この手の絵本の生命力は感じても、
私の絵本テイストじゃないなあってずっと思っていた。

ところが今年保育園の年長になった孫のTPは
この本を繰り返し図書館から借りているという。

TPは何を面白いと思っているのだろう。
そんな興味が私を飯野和好さんの作品に向かわせた。

それは言葉のリズムにありそうだった。
母親とTPは絵本をまるで掛け合いのように
センテンスごと、あるいは場面ごと、
その時々の二人の間合いに応じて一緒に読んでいる。

それを見てびっくりした。
そんな読み方、私、今までしたことなかった。
掛け合いかあ・・。
TPが親と掛け合いのように読むのはこの本には限らない。
でもこの本には、それを誘う何かがある。
それ言葉のリズムかなって思う。

そんなこんなを過ごしているうちに、
この夏、飯野和好さんの
「オッと、痛快、絵本の読み聞かせの旅でい!○○の宿」の
裏方仕事をすることになった。

その日、股旅姿で登場した飯野さんは
一人芝居風の楽しい舞台を見せてくれた。
なるほど、飯野さんのあのリズムある言葉は
もう口からあふれ出る言葉がそのまま文字なったものだ、
ということがよくわかった。

それから、「ねぎぼうずのあさたろう」も
「くろずみ小太郎旅日記」も大きく声を出して読んでみた。
目で字を追うのとは違う世界だ。
自分の声を聴きながら、なるほどなーなんて思う。


飯野和好「くろずみ小太郎旅日記 おろち退治の巻」クレヨンハウス 1997

「どろだんごとたごとのつきまつり」に戻ると・・・、
本を開いた裏表紙に

「~はあー、
おらがたんぼの
おまもりこぞう
つるんとうまれた
どろだんご
ほいっ」

とある。
それから一枚めくってお話がはじまる。
この「間」の感覚かな。

なんて、ごたごた思いつつ・・・、
思い出したことがある。

幼稚園で、日がな一日かけて作った泥団子。
子どもたちは何とかそれを明日までとっておきたい。
幼稚園のあっちをうろうろ、こっちをうろうろ、
誰にも壊されない秘密の置き場所探しに真剣だ。

そしてやっと見つけた場所。
靴箱の奥・・・。

保育を終わって、靴箱の奥、時には道具箱の奥に
ひっそり置かれた泥団子に何回出会ったことか・・。

夜のあいだ、泥団子は何しているんだろうな、
ちゃんと待っていてくれるだろうな、
悪者に壊されたりしないだろうな・・・。
そんなことを思って子どもたちは眠りにつくのかな。

泥団子体験を積んだ子どもたちもまた、
このリズムと、夜の泥団子と他の生き物たちの祭りと、
どろたぼう(泥の怪物)とお月さまの掛け合いを
楽しむことだろう。

ここでまたふっと思った。
都会のど真ん中の保育園に通うTP。
彼が泥団子を作ったって話はとんと聞かない。
おまけに今は園舎の耐震工事中。
園庭がつぶれている。

ああ、あんな泥まみれの感覚、味わってほしいな・・、
と、ババは欲張りに思うのでした。

今、保育園でも幼稚園でも、
裸足になれない子どもたち、
砂場をつま先立ちで歩く子どもたち、
そんな子どもたちがいることがもう普通になってしまった。

清潔という名のもとに、駆逐されていく触覚。
もう、この子どもたちの親世代の頃からそんな時代は始まっていた。
その責任の一端を担う私たち団塊世代。

あの時代はよかったで終わるのではなく、
今、ジジババ世代の団塊ができることを考えなくちゃな。
じゃないと、子どもはあのはじける生命力の
もって行き場がなくなってしまうから。



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